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ルイと最弱・4

「なにこれ!? すっげぇ!!」




 濃霧でまったく見えなかった巨樹の正体に俺は興奮状態だ。


 巨樹と巨樹を繋ぐ吊り橋を人が歩いている。見たこともない大きくて太い枝の上には家が建てられ、スライド式のハシゴで上と下を行き来する、そんな光景が目の前に現れたのだ。まるで別世界にいるような気分だ。


 落ちないように細心の注意を払いながら下を覗き見る。濃霧だけでなく、何層にも重る生い茂った葉で地上は確認できない。それはつまり下からもこちらが見えないということ。




「ようこそ、ツリーハウスへ」




 そう言って、ルイは俺を抱きしめた。




「あのー……」




 ほんのりと香る石けんの匂い。緊張から逃げるために瞳をきょろきょろと動かして辺りを見回すと、目の合ったツリーハウスに住んでいる人たちは口元に手を添えて驚いている姿をみせた。


 シールドを片手に不思議そうな顔をしているユズキと、どうしてだか微笑んでこちらを眺めている青島隊長。


 状況が飲み込めないんですけど。


 俺の心中など無視して、ルイは話し始めた。




「15年や」

「へ?」

「すまんなあ、本当に。許してくれとは言えんけど、忘れた日は一日もないよ」




 抱きしめる腕に力が入る。




「こうやって抱きしめるのはたった一度だけしか許されなかった。上層部に奪われ、わしの手元にはヒロトしか帰されなかったんや。わしの子や、わしが腹を痛めて生んだんやって、アホみたいに怒鳴り散らしても無視された」




 目の奥がじんわりと熱くなっていく。意識が遠のいていきそうな感覚と同時に、緊張で強張っていた体から力が抜けていくのを感じる。




「夢やった。ずっと言いたかった。……ナオト、わしが母さんや。あんたの母さんやっ」




 斜め上に漂う濃霧を眺めていると、目の端から涙がこぼれ落ちた。




「母さん……」

「そうや」

「俺……えっと……」




 喉をせり上がってきた言葉と感情は明るいものではない。




「ごめんなさいっ。俺が生まれたせいで、こんなっ……。こんな大変なことになっちゃって、本当にっ……。ごめんなさい!! ヒロトにいっぱい迷惑をかけて、仲間をたくさん危ない目に遭わせて、父さんが死にましたっ。父さんがっ……父さんがぁあっ……」




 母さんは大きく目を開いて、俯きがちに下唇を噛み締めた。


 俺の泣き叫ぶ声にヒロトがすっ飛んできた。その後ろをソウジが追ってきて、何かを大声で叫んでいる。ソウジはヒロトの背中に手を伸ばしていた。


 青島隊長とユズキが振り返る。ソウジが2人の隣を走り抜けた次の瞬間、青島隊長とソウジが下に落ちた。




「キトォォオオオオ!!」




 ユズキが叫ぶと、彼より先にキアキが現れた。キアキは目を細めてヒロトの方に駆けだした。


 数秒遅れでキトが現れる。彼は、俺と母さんを抱きかかえて、ヒロトとは反対の方向へ一瞬で移動した。そして、




「……見るな」




 俺の両目を血色の悪い冷たい手で覆い隠した。


 テンリの高らかな笑い声が聞こえた。この笑い方には聞き覚えがあった。あいつが……父さんを……殺した時だ……。




「イ……ヤだ……。嘘だ……、嘘だ嘘だ嘘だああああ!!」




 キトの手を払い除ける。縺れる足で走り抜ける。テンリの背中が、俺が立っていた場所にある。


 テンリの顔が振り返る。顔には返り血を浴びている。




「次を知らせる前に終わらせてしまった。今度はちゃんと知らせる」




 それだけ言い残して、テンリはキトから逃げるように消えた。テンリが影となって見えなかった場所にはヒロトが倒れている。


 ユズキが呆然と立ち尽くしていて、キアキは目を閉じて佇んでいる。




「ヒロト……?」




 膝をついて顔を覗き込むと、




「間に合った……」




 そう言ってヒロトは苦しそうな表情で笑った。




「言っただろ。弟を守るのは兄ちゃんの役目だ」




 ヒロトの腹から下がごっそりと消えてなくなっていた。


 あれ。俺は夢を見てるのかな。きっとそうだ。母さんに会えたのだって変じゃないか。こんな簡単に、苦労もせずに、見つかるわけがないんだ。


 ヒロトの荒い呼吸が鼓膜を貫いた。




(現実だ……)




 嗚咽を上げながらただ泣くことしかできなかった。ヒロトの頭を膝におくと、ヒロトは力を振り絞って俺の頭に手を添えた。




「ごめんな……」

「なにがっ」

「また……悲しい思いをさせちまったな」




 眉を下げながら兄は優しく笑った。そして言葉を繋ぐ。




「全部……知ってる。過去も、生まれた時も、何度も何度も夢に見て……。それが夢じゃねぇってわかった……。呪われた兄弟ってクソみてえな言葉が意味することも、俺がやらなきゃならねえことも、頭ではわかっていたはずなのに……」

「過去ってなんだよ……。さっきからなに言ってんだよ!!」

「鉄の塊みてぇのが灰色に染まった道を走ってて、見たこともない色んな光が町を照らしてる。そんな場所を夕暮れがオレンジ色に染め上げて……」




 1人の男の子が、ときおり伝う汗を拭いながらどこかに向かって走っていた。


 ただいま――。まだドアも開けてないのに、元気な声でそいつは言った。開くと、奥の部屋から女が顔を覗かせた。


 お帰り、手を洗っておいで――。女は母親だった。


 男の子はそれを無視してテレビのある部屋に入った。そこには新聞を広げながら椅子に座る男がいた。


 また母さんに怒られるぞ――? 男は父親だった。


 男の子はそれをも無視して父親の股の間に腰掛けた。


 やって来た母親は、手を引いてだだをこねる男の子の言葉に「はいはい」と適当に答えながら、洗い場へと連れて行く。


 男の子は、眩しい笑顔で、最後まで文句を口にしながら手を洗っていた。




「もっと……見た。そうだ、祭りだ。あんなに楽しそうな祭りは見たことも聞いたこともねえ」




 ヒロトの顔に大粒の涙がいくつも落ちた。ヒロトが話してくれたのは、前の世界での俺の日常だったのだ。




「あれは自由だ……。俺たちが望む自由が目の前に広がっていた。お前がなにを思って自由って言っているのか、俺は誰よりも理解しているつもりだった」




 前夜祭の時、ヒロトはこう話していた。いつか祭りだってもっと楽しくなるし、皆も今よりずっと幸せそうに笑ってる、と。そんな世界を造るのは俺の役目だ、と。それまで俺が守ってやる。だからもうなにも気にするな、と。


 全てを話してくれたわけじゃなかったんだ。どうして俺に教えてくれなかったんだろう。俺の夢を、自分も見てるんだって。


 なにを言いたかったのか、でかけた声が寸の所で止まり、俺の喉がクッと変な音をだした。


 その間に、無情にも、ヒロトの赤い身体は時間がないことを知らせた。自己暗示でどうにかこうにか意識を繋げている。


 排水溝を上手く流れることができずに小さな穴から溢れ出る、そんな水のような血がヒロトの口から流れ出す。


 隣に母さんが腰を下ろした。




「わしが絶対に見つけ出す。この子は任せな」

「それを聞いて安心した」




 意識が朦朧とし始めたのか、ヒロトは支離滅裂なことを言い始めた。「時代は変わった」、「前よりも酷くなっている」、そう言って瞼を下ろしていく。


 それから、フッフッと息を吐き出して、最後の力を振り絞って俺の名を呼んだ。




「ナオト」




 また、いつか、どこかで会おう――。




「約束だ」




 俺の頭に添えられていた手が、地面に落ちた――。

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