第5話・ネネVSイツキ
「な、なにが起きたんだ?」
「あの子って確か……北闇の……。悪寒が止まらないわ。黒い物体はなに?」
「一瞬のことでサッパリだ」
「東昇の女は運が悪かったな。化けもんが相手じゃ勝てっこねえよ……」
「でもさ、ネネさん……だっけか? あの人、格好いいよな。混血者だってのにファンになっちまった」
イツキが指を鳴らす。それは、試合が終了した合図でもある――。
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遡ること、〝数十分前〟。
「これより、第2試合を行います」
控え室から現れたのはネネとイツキだ。半獣人と半獣人の戦いではあるが、会場はやけに静かであった。その理由は、イツキだ。南光では器は追い出されていたが、北闇はそういった対策をとらない。知ったのは、トーナメント表が公開されてからであった。
特等席では、北闇の当主、青空アキラが目を細めてイツキを注視している。隣に座っているのは妻のハルカだ。彼女だけは、観戦者とは違い、イツキを恐れた目で見てはいなかった。別の感情が揺れ動いている。
爪をかじる。肉までそぎ落としそうな勢いだ。
「出たわね……。疫病神め……。私にもお姉様と同じ力があれば、あんな子ども一捻りで葬ってやるのに……」
「ハルカ、やめなさい」
「あなたは黙ってて。私の獲物よ」
「まったく、珍しく外に出たいと言うから、こうして会場まで連れてきたというのに……。何度も言うが、レイが死んだのはあの子のせいじゃない。封印された獣のせいだ」
「そんな生き物、どこにもいないじゃないっ。あの子よ、あの子がやったのよっ。許さないわっ」
精神を病んでいる妻から目を逸らして、再びイツキへ向き直る。
(ヤマトよ、どこへ消えたのだ。お前の息子は今、上級試験を受けている。立派に成長したぞ……)
両者が立ち位置につくと、青島が合図を出した。
「始めっ!!」
ネネはすぐさま距離を取る。というのは、イツキの能力を身をもって体験しているからだ。イツキの闇はあまりにも濃すぎる。捕らえられれば最後、彼が解放するまで抜け出すことは出来ない。
「蛇華・失踪劇」
牢鎖境を回避すべく、ネネが姿を消す。イツキは動かなかった。
「ネネさん、本当にすみません。大切な試験なのに俺は本気を出せない」
(なにを言ってるの?)
「それに、ユマのお見舞いにも行きたいから、一瞬で終わらせます」
飛躍したネネは、最上階の屋根に逃げた。ここなら能力は届かない。様子を伺って隙を狙おう。そういう作戦だったのだが、
「闇・夢想縛り」
ネネが飛躍したときに立ちこめた、ほんの少しの土埃。イツキはそれを見逃さなかった。土埃は、向かって右上へ舞った。着地音はなく、地上での変化はどこにも見当たらない。ならば、
「唯一、飛び乗れる場所は……」
黒い触手がネネの足首を捕らえる。
「嘘っ……」
そのまま引きずり下ろされ、水切り石のように地上を跳ねた。そして、
「ごめんなさい」
唱えたのは、ネネが最も避けたかった牢鎖境だ。四角い箱にネネが閉じ込められる。イツキも中へ入っていった。
ネネは必死に明るいことを考えた。前回見たのは大地震。多くの仲間を喪ったあの日の出来事は、ネネがずっと心の奥底に封印してきたものだった。ハルイチの前で絶対に弱気にはならない。そんな思いから、彼女が地震に関係する内容を口にする事はなかった。
東昇の裏切り者をあぶり出したあの時、ネネが全てを打ち明ける前に牢鎖境は解かれた。助かったと、そう思った。それなのに――。
戦場ではまったく役に立たない、ネネの妄想力。脳裏にタモンを浮かべてハルイチを考えないようにと足掻く。だが、〝ハルイチを〟と考えた時点で、闇が彼女の心へ進入した。
景色が歪み、倒壊しかけた平屋が姿を現す。四つん這いで柱を支えているカネツグがそこにはいる。
「大人じゃ無理だ。ネネ、頼めるか?」
まだ子どもの面影が残っていたネネは、涙と鼻水と垂らしながら、今にも崩れ落ちそうな平屋に恐怖した。
中に入って、もし崩れたら――。ネネは首を横に振った。
「無理だよ、怖いよっ」
「大丈夫だ。俺が支えている」
どうしたらいいのか分からず、ネネはミハルに助けを求めた。しかし、ミハルもまた、柱を支えているため両手を離せないでいる。
「カネツグ様の身体の下を通れるのはネネ、あなたしかいないの」
「ミハルさんっ……」
「耳を澄ませてごらんなさい」
言われたとおりにすると、カネツグの奥から子どもの泣き声が聞こえてきた。ハルイチだ。まだ家の中に取り残されている。
「きっと、怖い思いをしているわ。お願い、ネネ。助けてあげて」
そこへ、避難する人々が走り寄せてきた。瓦礫が多いため、平屋の上を走っていることに気がついていない。重みにミハルの指先が切れ、血が流れ出た。
激痛が身体を駆け巡ったはずだ。それなのに、ミハルはネネに笑って見せた。
「ほら、私は絶対に離さないし、カネツグ様だって大丈夫でしょう?」
「そうだぞ、ネネ。これくらいへっちゃらだ」
汗の滲む苦痛に満ちた笑み。ネネは勇気を振り絞って中に入った。腹ばいになって前進していくと、奥に座り込むハルイチを見つける。
「ハルイチ様!! こっちです!!」
振り返ったハルイチは膝を抱えながら震えている。ネネの胸がはち切れそうになる。待たせてしまったことを後悔する。溢れ出そうになる涙をネネはぐっと堪えた。この時、ハルイチはまだ3歳だった。
ハルイチの頭を守るようにしながらカネツグの元へ戻る。先にハルイチを出して、最後にネネが脱出しようとした、その時――。
「王家が救出に来てくれたそうだ!! みんな、急げ!!」
平屋に大量の人々が押し寄せた。カネツグの背に柱が食い込むと、ネネの耳に「ボキッ」と音が聞こえてきた。
「ぐあああああああ!!」
折れた背骨にカネツグが絶叫する。ミハルの指も血で滑り始めた。
「ネネ、出てきなさい!! もうもたないわ!!」
「でも、カネツグ様が……――っ!?」
カネツグが姿勢を変えてネネの上に重なる。平屋は完璧に崩壊した。
「ネネ、生きているな?」
「はい……」
「すまない、生き埋めになってしまった」
抱きしめられているのに、カネツグの声は遠くから聞こえているみたいにこもっている。
「外にはミハルさんや仲間もいます!! だから、大丈夫です」
「ああ、〝見えてる〟よ」
耳を澄ますと、ミハルの怒鳴り声がした。なにやら人間に叫んでいる。それと、ハルイチの声。「チチを踏まないで」との幼い声がする。それに対して、カネツグは「痛くないぞ」と声を返していた。
まさか――。ネネが身をよじってカネツグの腕から顔を出す。
「ひっ……」
思わず細い悲鳴が出た。カネツグの首から上が平屋の外に出ていたのだ。首に柱が乗っかっている。
その間も、平屋は上下に揺れている。誰かが上を走っているとのことに気づくと、ネネは大声で叫んだ。
「やめて下さい!! お願いです、まだカネツグ様がいるんです!!」
混沌と化した地上に声は届かない。ネネの目から涙が溢れる。そして、彼女の目の前で――。
イツキが指を鳴らすと、牢鎖境が空間へ消えていった。
ぺたりと座りこむネネは、青空を仰ぎながら無表情で涙を流している。
「……ハルイチから伝言。ネネ、俺は全部覚えているよ。これでお互いに過去と向き合ったのだから、これからは2人で乗り越えていこう、って」
すると、彼女の脳裏に、父親を失ったばかりのハルイチが浮かんだ。ネネの足にしがみついて、「ネネは離れないでね」と泣きじゃくる、幼い彼の姿だ。
ゆっくりと立ち上がり、ネネは大きく息を吸った。
「ハルイチ様ぁあ!!」
会場の空気がびりびりと振動する。
「カネツグ様に託されたその命!! ネネは死ぬまで御守りいたします!! 絶対にっ……」
ツンと鼻の奥が痛くなる。
「離れません!!!!」
誰よりも号泣する青島が、イツキの突破を告げようと口を開く。だが、イツキがそれを拒否した。
「俺は辞退します。どのみち、誰が相手でも本気では戦えない。かといって、加減してもそれは失礼に当たりますので」
「本当に良いのか?」
「はい。第一試験と第二試験で評価をして下さい」
まさかの、第二試験も通過者なし。怒濤の展開に、ニチ班は焦っていた。




