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【逸話】イザナ・2

 それからというもの、わしは洞窟の奥で過ごす時間が増え、脱走に使っていた無駄な時間はなくなっていった。


 ヒアンが語ってくれる昔話はとても面白くもあり悲しくもあったが、好奇心が勝ったのだろう。ほとんどの時間を歴史に費やした。


 そうして、幼いながらにわしは外の世界を恐れ、人間を恐れるようになった。そんな落ち込んだ心を暖めてくれたのは、ある儀式だ。


 部族は、とうの昔に死んだ龍神(りゅうしん)を祀り、この世界に災いをもたらさぬよう供養をしていた。この時ばかりは、洞窟内をお焚き上げの灯火が明るく照らす。暖かい空気に身も心も癒やされ、その日はいつもよりも深い眠りについた。


 夜、猪のけたたましい鳴き声と、上下左右に揺れる震動でわしは目を覚ました。ヒアンの背中にまたがって大地を駆けている。急に目に飛び込んできた初めての大地と肺を満たす木と土のニオイが、わしを大混乱に陥らせた。




「ここはどこ!? 父さんは!?」




 ヒアンは何も答えなかった。


 森の奥深くまで来て、ヒアンはようやく足を止めた。鬱蒼と生い茂る背の高い木々に怯え、見下ろされる自分を隠すようにヒアンの腹の下に潜る。


 すると、頭に何かが落ちてきて、それはわしの頬を伝って下りてきた。手で拭い取り、月明かりに晒す。




「……――っ、ひぃっ!!」




 血だ。慌てて腹の下から出ると、ヒアンの体は傷だらけになっていた。後からやって来た猪たちもまた同様に傷だらけだ。ヒアンが話してくれたのは、日が昇ってからであった。


 東昇の闇影隊に居場所が知られ、部族が虐殺された。そう告げられて、わしは魂を抜かれたみたいに両膝をついた。




「お前しか救えなかった。ゆるしてくれ……」

「ああ……父さん……あぁ……嘘だ……父さん……みんな……嘘だっ、嘘だ嘘だ嘘だああ!!」




 生まれて初めて泣いた。わしはそれほどまでに幸せしか噛み締めてこなかった。新たに生まれた感情は、わしの喉を締め上げ、瞬きを忘れさせ、呼吸を奪い、言葉を奪った。


 獣化が始まった。小さな猪たちはわしを囲みながらずり足で後退し、ヒアンは鼻の両脇に構える牙をわしに向けた。


 獣化を終える前に牙で空高くわしを放り投げ、落下する直前にまた牙で突き上げた。入り乱れた感情が痛みに集中していく。




「やめてっ、ヒアンッ、やめてよ!!」




 我に返ると、ヒアンは攻撃を止め、仲間が集まってきた。こうして、森の主に許可をもらって、第二の拠点となる住処を探し、その場所でヒアンは泣く時間を与えてくれた。


 何日も、何日も、わしは声を押し殺して泣いた。人間が怖かったのだ。声を出せばまた来るのではないか、今度はヒアンやその仲間たちが殺されるのではないか、そんな思いがわしを苦しめた。


 それから数年後、洞窟へ戻った。遺体は白骨化していたが、着ている服で父親はすぐに発見出来た。その中には、死んだ闇影隊の骨も残されていた。


 青と黒の上着を手に取り、たくさんの時間をかけて目に焼き付けた。


 洞窟は滅茶苦茶にされていた。壁画も、テントも、調理道具まで、何一つ使える物がない。




「神と共に、どうか安らかなる眠りを……」




 ヒアンの言葉を残し、二度と洞窟に戻ることはなかった。


 何十年と時が過ぎた頃、わしは一匹の猿を保護することとなった。その頃にはすでに威支のメンバーで、すぐにトウヤへ会わせたのを覚えている。しかし、強がりで人見知りときた。一時期、シュエンはヒアンの元で過ごすこととなった。


 シュエンのおかげで皆が明るくなった。まるで幼い頃のわしを見ているようだと、中でもヒアンは熱心にシュエンの面倒を見ていた。わしに至っては、年老いたというのに、赤子の尻を拭くかのようにまだ世話を焼かれている。


 威支のメンバー入りを強く反対していたからだ。ヒアンにだけは黙っていられなかった。威支の目的が何であるか、事細かく説明した上で決断した話した時、久しぶりに角でどつかれた。「やめろ」と、何度も叱られた。


 しかし――。




「わしは人間を許せないのだ。あの日起きた出来事をなかった事にはできん。今でも憎い……」

「それでも、許すのだ」

「――っ、わしが何をしたっ……。仲間だってそうだ!! あの小さな世界で、ひっそりと生きていただではないか!!」

「神も多くの仲間を失われた。しかし、許した」

「わしは神ではない!! ただの嫌われ者だ!!」

「だからといって、何の関係もない男を驚かすとは……。成長したのはその図体だけのようだ」

「それはだなっ」




 シュエンが木の裏から顔を覗かせる。




「喧嘩……?」




 眉を下げて、悲しげにこちらを見つめている。あどけなさの残る顔に怒りがスッと引いていく。




「まさか。どうしたんだ?」

「森を案内するって……」

「おお、そうだったな。わしとした事が、すまない。さあ行こう」




 ヒアンの言葉にあった青年、そいつこそが五桐カネツグだ。わしの姿を目にした唯一の人間だろう。


 シュエンと森を駆けながら、わしはヒアンから教わった歴史を話した。その一歩一歩、足で踏んだ場所全てに過去が存在し、歴史が生まれているのだ、と。




「じゃあ、俺がここを歩いたのも歴史になるのか?」

「重度が歩いた場所だ。当然、歴史になるだろう」

「マジかよ!!」




 そう言って、瞳を輝かせながらやたらめったらに歩き回る。微笑ましい光景に歩みを止め、シュエンに幼い頃のわしを重ね見ていた。その時だ。


 微かに聞こえてきた猪の叫び声にシュエンが動きを止めた。




「今の、ヒアンだ」

「わかるのか!?」

「耳だけは誰よりも自信あるぜ。間違いない」




 住処に戻ると、そこには腹を切られたヒアンが横たわっていた。まだ生きているが、苦しみ方が普通ではなかった。傷口はとても浅いのに、背中を沿ってのたうち回っているのだ。




「何があった!?」

「私の体の中に、ナニかがいるっ……」




 ボコボコと泡のように膨れあがる内蔵に、シュエンが尻をつく。




「誰にやられたのだ!!」




 そこへ、ヒアンの仲間がわしの側へやって来た。口に服を咥えている。その服には見覚えがあった。




「これは東昇の闇影隊のものっ……」




 受け取ると、猪の体が破裂した。全身に血肉を浴びたわしとシュエンは絶句し、状況を理解するのに時間を要した。




「なんだ、今のは……」




 涙目でシュエンが首を横に振る。結局、犯人はわからなかった。

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