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【逸話】イザナ・1

 五桐カネツグ――、この小僧の父親はわしの存在に気づいていながらも、見て見ぬ振りをした。


 カネツグがまだ若かった頃のことだ。鉢合わせたとき、わしは隠れることなく堂々と立ち塞がった。場合によっては口を封じるつもりでいたし、それはカネツグにしっかりと伝わっていたはず。しかし、カネツグは、汗を垂らしながらもわしの横を通り過ぎていった。


 逃げなかった――。これだけでもわしの関心を惹くには十分であったが、すれ違いざま、奴はわしにこう言った。




「すまない……」




 あの言葉が何を意味していたのか、眩い光の中で姿だけ似た小僧を眼中に捕らえながら思い起こしていた。







 東昇には、北山の裏にひっそりと存在する崖がある。生い茂る木々を抜けた先で急に足もとから地面が消える、そんな危険地帯だ。とはいえ、辿り着くにはハンターの巣をいくつか突破しなければならない。故に、人は誰も近寄らなかった。


 崖の下には荒れ狂う波。波の衝撃を吸収するのは、三角状に割れた洞窟だ。わしはそこで誕生した。


 彼らは部族だった。温厚で、宗教に熱心で、争いを好まない。力道は熊を従えるが、部族は猪を従えていた。その猪の長がヒアンだった。




「よくやったっ……」




 血臭いわしを抱きながら、妻に涙を流す父親。わしの両肩で成長した牙が母体を傷つけ、母親は帰らぬ人となってしまった。


 それでも、他のメンバーに比べればわしは幸運な方だろう。部族が洞窟から出ないのは、わしを守るためだったからだ。死んだ母親の白い顔に苦しみが見られないように、わしは愛されていた。


 この部族は、昔から猪の重度を身籠もる部族だった。重度は皆そうだ。決まった村や町で誕生する傾向がある。わしの場合、東昇出身となるだろう。


 父親は、わしが幼い頃から、愛する我が子に読んで聞かせるような昔話の口調で言い聞かせる言葉があった。




「いいかい、イザナ。外の世界に比べればとても小さな世界だけれど、ここはどこよりも安全な場所だ。絶対に出ては行けないよ」




 この時はまだ、部族が何を敵としているのか、なぜそこまでしてわしを守るのか、とてもじゃないが理解できなかった。純粋な心のせいで、外への憧れは日に日に募っていく。


 そんなわしを止めていたのがヒアンだ。あいつは父親の目を盗んで脱走を試みるわしを絶対に逃がしはしなかった。そして、ヒアンに勝つことも絶対になかった。


 ヒアンはとても特別な猪だ。人間の言葉を喋れるし、猪の平均寿命を遙かに上回るほど生きている。おそらく、何人もの猪の重度の世話をしてきたのだろう。わしの行動は完全に読まれていた。


 悔しくて、こう怒鳴ったことがある。




「だいたい、動物が喋れるだなんて変じゃないか!! さては、動物の皮を被った人間だな!?」




 ヒアンは落ち着いた様子でこう返した。




「私が人の言葉を話せるのは、この世の神がそうなさったからだ。人と動物では言語が異なる。理解し合うのは到底不可能だろう。だからこそ、神は人語を学んだ。着いてきなさい」




 洞窟の奥へ向かっていくヒアン。父親に視線を送ると、「行きなさい」と首を少しだけ傾けて微笑んだ。


 ヒアンが立ち止まった場所の壁は、一面に壁画が隙間なく描かれていた。まるで夜空に浮かぶ星座を一箇所に集めたように、どこか神秘的なものを感じさせる絵だ。その中心に、どの絵とも交わらない一匹の生き物がいた。




「これが神だ」

「蛇……?」

「いいや、似ているが違う。龍と呼ばれる生き物だ。私は神の配下である猪から少しだけ力を分けてもらった。その猪こそが、イザナ、お前の先祖だ」




 ヒアンはこう語った。


 猪が死ぬ直前、ヒアンにこう頼んできた。「どうか、これから運命を変えられてしまう哀れな子どもたちを救ってやってくれ」、と。その猪は、6本の牙を持ち、大きな岩を5つくらい横並びにした巨体の持ち主だったそうだ。




「そして、歴史を忘れないでくれと言われた。私は答えた。私の寿命はもって数年。貴方の願いを叶えるには命が足りない、と。すると、自身の肉を私に差し出した。そこへ人間がやって来た。私は逃げ、彼は運ばれていった。後に、この時代は……」




 そう言って、ヒアンは一面を見渡した。そこには、先程の説明にあった猪も描かれていれば、別の場所には猿、鳥、犬、羊など、様々な動物が死にゆく姿が残されている。




「0の時代と名付けられる。誰がそう名付けたのかは思い出せない。しかし、とても酷い時代だった」

「戦争……?」

「そうだ。人間と獣は激しく戦った。だからこそ、部族はお前を守るのだ。外の世界には……」




 人間しかいない。


 部族の敵は全人類であった。

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