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【逸話】バコク・3

 追っ手の中には蛍の姿もあった。




「土・千手千羽(せんじゅせんば)




 鷲のような鳥に半獣化した、赤い面をつけた鳥。たくさんの羽に土がまとわりついて、巨大な羽を形成し、矢のようにして飛んでくる。重りのついた羽が命中すると、俺の後ろ足に穴が開いた。


 普段の俺なら避けられたかもしれない。けれど、首から溢れる血が視界を朦朧とさせているのだ。




「くたばれ……」




 蛍の声が意識を繋ぎ止める。


 何をしたのか、ともかく避ける事には成功したようだ。加速し、どんどん精鋭部隊と距離を開けていった。


 気がつけば、木にもたれている母さんの腕の中で眠っていた。目覚めを出迎えてくれたのは、俺と母さんの足で羽を休める小鳥や野生の動物たちだ。




「夢……」




 気持ちの良い朝に自然とそう思った。でも、背伸びをしようとすると、首から肩にかけて強烈な痛みが走った。すぐに現実に引き戻された。


 斜め後ろに母さんの顔を見上げると、頬の腫れがひいていない姿にまた涙が溢れた。


 あれだけ殴られたのに、俺の性質を一言も漏らさないどころか、許しを請うことすらしなかった。勇敢な母親の確かな愛情と、芯の強さに心を打たれ、俺は母さんの胸元に顔を埋めながら泣き叫んだ。


 そう、俺は動物たちに背中を向けてしまったのだ。迫り来る人の気配に動物が逃げたことにすら気づかず、眠りから覚めた母さんにただただ甘えていた。




「傷は痛くない?」

「平気だよ」

「嘘おっしゃい」




 そう言って、力なく微笑む。




「バコク、お母さんからのお願いを聞いてくれるかしら?」

「なんでも言って!!」

「前に、両親が目の前で殺された子のお話をしたでしょう。覚えてる?」

「うん、ちゃんと覚えてるよ」

「その子が大人になったら伝えてほしいの」




 私は、私のためにこの道を選んだ。重度と生きた道はとても素晴らしく、きっと人間だけの世界では見られない光景をたくさん目にすることができた。自然はどんな生き物も受け入れてくれる。自然は寛大であり、人工的な音のない世界は安楽をもたらしてくれる。




「私は、最期まで安楽に生きることができた。あなたも、そうでありなさい。仲間を見つけなさい。その中で、自然のように寛大なる心を育みなさい……。ちょっと長くなったけど、バコクには特別な記憶能力があるから、きっと忘れないわ」




 そして、この言葉は俺にもそう言えるのだと紡いだ。




「父さんの背中を、母さんの優しさを、自然の素晴らしさを、今この瞬間までの出来事を忘れないこと、そして誰にも言わないこと。いい?」

「うん、約束する」

「じゃあ、お母さんは少し眠るわ。まだ疲れが取れていないみたい」

「おやすみ、母さん」

「おやすみ、バコク」




 ゆっくりと瞼を閉じる。母さんを抱きしめると、静かな呼吸が俺の鼓膜を優しく撫でた。


 と、その時だ。突如として脹ら脛に走った強烈な痛み。振り返ると、男の子が俺の足に噛みついていた。そいつは肉を噛んだまま勢いよく首を振って、俺の肉を噛みちぎった。




「――っ!?」

「カネヨ先生から離れろ!! この化け物め!!」




 もう片方の足で後ろ蹴りにし獣化する。子どもを見下ろしながら母さんを背後に隠した。


 母さんの上半身が地べたに倒れると、子どもは俺の腹の下を潜って、母さんの体を揺さぶった。




「カネヨ先生!!」




 上半身を抱いて元の位置に戻したところで、子どもの顔が引きつった。そうして、涙の滲んだ鋭い眼光を俺に向ける。




「お前っ……、お前っ……、カネヨ先生をっ……」




 ポーチから小さな刃物を取り出すと、正眼の構えを取った。




「絶対に許さないっ!!」




 いったい何を言っているのだろうか。ちゃんと問いたかったのに、首の痛みが俺の思考を瞬く間にかき消していく。


 子どもは刃物を俺に向けたまま地を蹴った。正直、ちっとも怖くなかった。この子に比べればあの納屋の方が恐ろしいに決まっている。


 それなのに、どうしてだろう――。


 一蹴りで簡単に殺せる弱小生物、人間の子ども。重度の俺にとって、この事実がひっくり返ることはあり得ない。




(母さん……、この子が話していた子どもなんだね……)




 俺には殺す事が出来なかった。刃物を避けながら上着の襟を噛んで、少し遠くへ放り投げただけだ。子どもの体はとても軽くて紙くずを投げたみたいにフワッと飛んでいった。


 その隙に母さんを起こして逃げようと試みた。鼻で何度か揺さぶると、上半身が前のめりに倒れて、くの字の姿勢で横向きに転がった。そして、俺は現実を目の辺りにした。




「――っ!?」




 背中の肉が根こそぎなくなっていて、剥き出しの背骨にはウジが湧いている。母さんは眠いのではなく、文字通りに死にかけていた。いや、普通なら死んでいるはずだ。


 薄らと目を開けた母さんが俺に黒目を向ける。




「私は選ばれなかったみたい。こんなにもお父さんとバコクを愛しているのにね……」

「治せるよ!!」

「早く逃げなさい……。あの子を捜して北闇の闇影隊が駆けつけるわ」

「いやだ!! 母さんを置いていけない!!」

「私との約束をもう忘れたの? 王家で起きた出来事は絶対に誰にも話しちゃダメよ。エイガ様が生きている限り、あなたは必ず救われるわ。その日まで堪えるのよ」




 たくさんの人間の足音がすぐそこまで迫ってきていた。




「行きなさい」




 どこをどう走ったかなんて覚えていない。ただ、悲しみを背負って、過去に押されるがままに走り続けたんだ。そんな俺を全身で受け止めてくれたのはトウヤだった。

 

 トウヤの体は冷たい。けれど、それがとても気持ちよくて、炎上した俺の精神を落ち着かせるにはちょうどいい温度だった。


 後日、母さんを置いてきた場所に戻ると、そこに母さんの姿はなかった。トウヤは母さんが座っていた場所の土をかき集めて、それからある丘へと案内してくれた。隠れ家の近くにある丘で、道で例えると、急勾配な坂を登ってやっと辿り着くような場所に頂上がある。


 海が見渡せる丘に吹く風は全身を貫いていき、そして世界中へ流れているみたいだった。海上は穏やかなのかな。波の揺れは静かで何も聞こえてこない。ただ、夜空に輝く星を映し出すくらいに綺麗なだけだ。


 丘には石碑のような物が一つあるだけで、他には何もない。トウヤはその石碑の周りを持ってきた土で固めた。




「ここから見上げる空が、この世で最も美しい。お前の母も永遠に苦しみから解放され、この空を眺めながら天へ旅立つだろう」

「俺はどうしたらいいの?」

「その体、威支のために捧げてみないか? 憎むことも恥じることもない。俺たちの能力は、いずれこの世で最大にして最強の力となる。一緒に来い」




 差し出された手を握らないという選択肢はなかった。


 母さんは言った。仲間を見つけなさい。その中で、自然のように寛大なる心を育みなさい、と。俺は仲間を見つけたんだ。


 一歩先を行くトウヤの背中。次第にぼやけていって、俺は声を押し殺しながら泣いた。


 母さんのあの言葉は、お願いではなく、遺言だった。







 共鳴で俺はずっと心に閉まっておいた伝言を渡すことができた。そうしながら、遠回しになったけど、赤坂には別の件の〝事実〟も伝えた。


 恨まれてもいい、憎まれてもいい。母さんを救えなかったのは事実で、赤坂の大切な恩師を奪ったのも変えようのない事実なのだから。




「なんだ……? 俺は……何を……された?」




 ユズキも引っ掛かりを感じたみたい。赤坂の顔を凝視している。




「お前、今の年齢はいくつだ?」

「わからない……。でも、どうしてだ?」




 混乱している2人に、胸の奥でしこりみたいになって固まっていた真実を吐き出した。




「母さんが生きていたら、今の年齢は70歳くらいだよ。俺にはこの現象の原因がわからなかった。だって、赤坂はお爺さんになる手前くらいのはずでしょ? でも、あの頃に見た子どもの面影をもつ大人はどこにもいなかった。だから、見つからなかった」

「待ってくれ。お前は逃げていたんじゃないのか? 少なくとも僕にはそう聞こえた」

「赤坂からじゃないよ。俺は真実から逃げたんだ。母さんが死んだことは今でも受け入れられないし、赤坂の姿も俺の中ではあの頃のままだったから」




 逃げちゃいけなかった。母さんのように、勇敢に戦うべきだったんだ。これは、結果として同時に赤坂に現実を告げることになる。




「イッセイが話していたボウキャク草……。多分、あれはもっと昔から悪用されている。北闇のどこかにとんでもない爆弾草が隠されているはずだよ」

「そんなこと、誰が出来るんだ……」




 ユズキが頭を捻る。赤坂は俺を真っ直ぐに見ながら真っ先に答えを導き出した。




「王家だ」




 その答えを聞いて、俺は獣化を解いた。

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