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【逸話】バコク・2

 俺は人間を見たことがないどころか、人間という生き物がいるなんて思ってもいなかった。母さんから色んな話しを聞いたけど、この世界には俺と母さん、そしてハンターや動物しか暮らしていないと信じていた。あの日までは――。


 その日の食料を調達するため、俺と母さんは別れて行動した。いつもなら一緒に動くんだけど、ここ最近母さんの体調は良くなくて、遠くへは俺が行くことにしたんだ。


 その先に大きな道があるとも知らず、俺は茂みを飛び出して、真っ赤な面と黒い駕籠の前へ飛び出してしまった。


 初めて見た両親以外の生き物。なんだ? この赤いのは。なんだ? この大きな箱は。好奇心は煽りに煽られた。もっと間近で眺めてみようと駕籠に近寄ると、赤い面――精鋭部隊が俺を取り囲んだ。咄嗟の動きに驚いてしまい、俺は獣化してしまった。


 駕籠からオウガが出てきた。




「捕らえよ」




 何がなんだかわからなくて、パニックになって、精神の乱れから獣化を解かれた俺は逃げることも出来なかった。顔に袋を被せられ、手足は縄で縛られて、気がつけば王家の城へ連行されていた。


 まだ新人であった蛍が話す。




「オウガ様、この者は?」

「混血者ではない。重度と名付けられた生き物だ。まさか、先祖の残した文献が真実だったとはな……。文献通りに事を進めるならば、まずは性質調査だろう。書類を取ってくる。地下へ連れて行け」

「御意」




 こうして、地獄が幕を開けた。


 蛍は俺を地下へ、そして地下のもっと下へ連れて行った。そこはサビ臭くて、正体は朽ちかけた鉄の扉であった。長らく使っていなかったのか扉はビクともせず、中には入れないということで取り払われた。




「納屋があるなんて……。先代はここで何をしていたんだ?」




 蛍の独り言を拾うことはできなかった。王家の精鋭部隊に知らされていない秘密の部屋。サビ臭さ以外にもとんでもない死臭が漂っている。死臭が残されたまま新しい扉は作られた。


 そんな部屋で、太い鎖に手足を拘束されて、何日も過ごした。血を抜かれたり、痛覚を検証されたりと散々な目に遭った。


 オウガが持ってきた文献には、重度の獣化を防ぐ手順が事細かに記されていた。


 だけど、それでも、俺にはわからなかった。どうしてこんな拷問みたいなことをするのか、なぜ実験をするのか、何の為に獣化を防ぐ必要があるのか。


 人間という生き物を理解していなかった俺に敵意は微塵もない。どうにかして伝えようと、人生最大のミスを犯してしまった。


 白衣を着た人間たちが休憩で納屋を出て行った後、後退で見張りの精鋭部隊がやって来た。




(この人たちは、俺に痛いことをしない……)




 もしかすると、母さんみたいに喜んでくれるかもしれない。生温い希望が脳裏によぎって、俺は正々堂々と獣化を披露した。


 母さんは、「父さんにそっくりね」と喜んでくれる。笑ってくれる。立派な馬だと褒めてくれる。けれど――。




「なぜ獣化した」

「母さんは喜んでくれるよ。皆もそうかなと思って……」




 重くなっていく空気に口を閉じる。




「へえ。母親は知っているのか」

「そうみたいだな。オウガ様へ報告だ」

「にしても、バカな馬だよな。自ら密告するだなんてよ」

「隠密に事を進める気でいたのだろうが、これは立派な王家への反逆だ」




 密告、反逆――。俺にはわからない言葉だった。


 精鋭部隊を1人残して他は出て行った。




「あの……、母さんはどうなるの?」

「お前、今の話しを聞いてなかったのか? 反逆罪は死刑だ」

「死刑?」

「殺すってことだよ。このバカ馬め」




 その日から、俺は声が枯れても叫び続けた。実験に抵抗し、体に傷を負っても、痛みよりも母さんが殺されることの方が何十倍も痛かった。




「母さんを殺さないで下さい! お願いします!」

「もっときつめに拘束してくれ。これだとサンプルが傷ついてしまう」

「母さんを殺さないで下さい! お願いします!」

「きつめにって言われてもな。もう顔以外は鎖で見えていないんだぞ?」

「母さんを殺さないで下さい! お願いします!」

「口枷をするしかないか」




 誰も俺の声に耳を傾けてくれなかった。そうして、ついに母さんが発見された。納屋へ連れて来られた母さんは俺を見て泣き叫び、俺もまた拘束された母さんの行く末が頭に浮かんで涙が溢れた。


 母さんは俺の目の前で尋問された。お腹にいるとき、出生した時の状況や、父親の存在を尋ねられる。何も答えず沈黙を守ると、精鋭部隊は容赦なく母さんの頬を叩いた。


 ドクン……と心臓が鼓動を放つ。口の端から一筋の血を流す母さん。俺と目が合うといつもみたいに優しく笑った。




「バコク、あなたを殺させやしないわ」

「貴様っ!!」




 母さんの頬が腫れ上がっていく。叩く音が響く度に俺の体は熱くなっていった。ついに、母さんは動かなくなった。




「チッ、気絶しやがった」




 横向きに倒れている母さんを足蹴りにして仰向けにする。そこへ別の精鋭部隊が来て伝言を告げた。




「時間の無駄だ。オウガ様は、もういいと仰った。始末する」

「了解」




 母さんの片足を握って引きずりながら出て行く。




「いいのか? 貴重な女なんだろ?」

「あの馬が全てを吐いてくれたらなら生かされたかもしれん。しかし、使えないときた。ならば、王家はこの情報を隠蔽するしかない」

「まあなぁ。なんせ、こんな世の中だ。混血者に飛び火したらたまったもんじゃねぇ」




 声が遠のいていく。




(母さんが……殺される……)




 精神が乱れることはなかった。殺されるかもしれない、などというあやふやな気持ちではなく、確定したものだったからだ。


 ついに心臓が悲鳴を上げて、獣化に成功した。飛び散った鎖は部屋のあちらこちらに穴を開け、運悪く命中してしまった人間が死に絶え、仲間は逃げ惑う。


 そこへ先程の精鋭部隊が騒ぎに戻って来た。




「俺が死ぬ。だから、母さんは逃がしてあげて」




 真新しい鉄の扉に頭から突っ込む。一度の衝撃で扉は楕円形にへこみ、二度目の衝撃で中心から外側へ亀裂が入った。


 そして、三度目の突進。


 中心が破壊され、いびつな形に変形した穴の周囲にある鉄の刃が俺の肉を裂いた。首から肩に掛けて抉られ、噴水みたいに血が天井に舞った。


 部屋が赤く染まっていき、精鋭部隊の真っ赤な面も濃い赤色になった。


 納屋に戻って、今度は鉄の刃に頭部を構えた。これが最後の突進になるだろう。


 俺の足もとに面が転がってきたのは、一歩を踏み出した時だった。飛んできた方向に視線を向けると、そこには南光の精鋭部隊ではない誰かが立っていた。


 般若の頭に四本の角が生えた面をつける人間だ。そいつは、もう1人の精鋭部隊の首を持ち上げている。




「このっ……裏切り者めっ……」

「王家側についたつもりはない」




 首をへし折って、精鋭部隊を投げ捨てた。


 般若は俺の背中に母さんを乗せた。母さんが意識を取り戻す。




「ここは私が片付ける。逃げなさい」

「あなたは……北闇の……」

「カネヨさんの行方を追って、すぐそこまで私の部下が来ている。なかには赤坂もいる」

「どうして王家にいるのですか?」

「個人的に調査していることがあるのだ」




 それから、般若は母さんにこう頼んだ。


 これを機に精鋭部隊を辞め、一般の闇影隊に身を潜める。真実を語れるその日がくるまでは、ここで会った事を秘密にしてほしい、と。


 信用を得るために、人間は般若の面を外した。


 面の下から現れた顔は、人間を見たことがなかった俺ですら目を奪われるほどに美しい顔だった。男のくせに女よりも綺麗で、お尻の下まで伸びた髪は小川のようにサラサラとした水色だ。




「エイガ様……」

「秘密にしてくれるか?」

「わ、わかりました」




 こうして、俺は王家からの逃走に成功した。久しぶりに拝んだ陽の光を無視して、追っ手をまくために森を走る。


 この時、俺は体の芯深くまで理解した。昔から、王家は重度という生き物の存在を知っていたのだと。父さんが隠れて暮らしていたのは、王家から逃れるためだったのだと。

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