月夜の国と最弱・5
このようなわけで、天野家の豪邸の一室を借りて怪我の回復を待つこととなった。ウイヒメはずっと隣に居てくれるし、形だけではあるけれど、護衛にもなって一石二鳥だ。それと、任務の休憩時間にはヒロトが見舞いに来てくれた。
包帯の交換をしてくれたり、自分で食べられるのに食事まで面倒をみてくれている。今は、背中を拭いてくれている最中で、その間ウイヒメには席を外してもらった。
「俺のせいだよな……」
そう言って、下唇を噛み締めたヒロト。ピアスごと噛んだようでゴリゴリとした音が聞こえる。どうやら俺を指名した事を後悔しているらしい。
「弱いって言いたいのかよ。近くに本人がいるんだからさ、せめて家に帰ってからにしてくれない?」
返事は返ってこない。
「なあ、俺が弱いのは認めるけど、家族に言われると結構キツいもんがあるわけよ。しかも別の班なんだし、俺の心配はもういいって」
「まあ、そうなんだけどよ。……卒業試験に合格した日、約束したこと覚えてっか?」
実は、卒業試験のときにヒロトと交わした約束がある。「必ず俺と親父の所に帰ってこい」というものだ。頷きはしたものの、正直なところ過保護すぎて参っている。
「うん、覚えてるよ」
「この約束は絶対だぞ。もう何も失いたくないし、俺だってそんな思いはさせねぇから」
虚ろな笑みをみせると、自身の両手を擦り合わせて、その手で俺の両頬を包み込んだ。
「安心しろ、だろ?」
「そういうこった」
休憩時間が終わる直前にヒロトは部屋を出て行った。入れ違いでやって来たのはまさかの人物だ。傲岸不遜な態度で座る様子もなく、黙って俺を見下しているのはツキヒメだ。
襖の隙間から凍りついたような表情でこちらを覗いているウイヒメは、気まずさからかそっと襖を閉めた。
それはさておき、ツキヒメを怒らせるようなことをしたっけな。自分に問いかけるも、思い当たる節がない。
「とりあえず、座ったら?」
そう声をかけて、「これか」と気づいた。目尻を吊り上げて、凄まじい怒りを眉の辺りに這わせる顔つきへと変わったからだ。
妹には敬語で、自分にはタメ口なのかとご立腹であるらしい。ぶっちゃけ、ツキヒメが依頼人の娘でなければ、無礼者だと言い返してやりたいくらいだ。
(なんでド陰キャの振りなんかしたかなぁ……。ヒロトみたいにオラオラしてれば良かった)
本音は飲み込み、任務中である以上ここは折れてやることにした。
「数々の無礼をお許しください」
腸が煮えくりかえる。我慢しろと、何度も自分に言い聞かせた。
ようやく腰を下ろしたツキヒメは、鼻で笑った。
「わかればいいのよ。これからは身分をわきまえる事ね。それと、今回の件だけど……」
「何か問題がありましたか?」
「大ありよ。私の着物を汚した挙げ句、可愛い妹を泣かせ、青島隊長と……、名前は忘れたけど、あの女が来るまでやられっぱなしだったじゃない。あなた、それでも闇影隊なの?」
「申し訳ありませんでした。もっと修行に励みます。あと、彼女の名前はユズキです」
「どうでもいいわ。あなたと同じで役に立ちそうにもないし。いるだけ邪魔よ」
こいつ……。
プツン――と、血管が切れた。前言撤回だ。ツキヒメに折れる必要はない。
普段の俺ならば聞き流せた嫌味も、今はタイミングが悪い。修行の成果を発揮できなかった悔しさを胸の奥に押し込んでいる状態なのだ。その上ユズキを馬鹿にされては黙っていられない。
苛立ちを覚えた俺は、身体中が痛いのなんて無視して、溢れ出てくる殺気をそのままツキヒメにぶつけた。
「お前みたいな奴は今までにイヤというほど見てきたけど、お前より酷い奴はいなかった」
「な、なによ。そんな長い前髪でなにを見てきたっていうの? 不気味なだけじゃなくて、気持ち悪いわ」
かろうじて動く左腕で前髪を掻き上げた。目に焼きつけて、死ぬまで脳裏に刻み込んでやる。
「お前のことは一生忘れない。大嫌いだ」
目を見開いたツキヒメは、瞬く間に部屋を去って行った。そんな姉の姿を目で追いながら、そろそろと側に来るウイヒメ。
「謝らないですからね、俺は」
「わかってるよ。ただ、その、なんていうか……」
一息置いて、妙なことを口にした。
「頑張ってね、ナオト」
「……はい?」
「姉様は、きっと諦めないと思うから」
なにが面白いのか、口元に手を添えて笑うウイヒメは、「あんな姉様の顔、初めて見た」と言葉を続けた。
あれから数日がたった。壁の建設が終わり、俺の怪我の具合もほとんど回復した。俺たちは今から、北闇に向けて出発する。
帰る前に、娘を助けてくれたお礼だと言って、マナヒメがある物をくれた。俺の瞳と同じ色をした、薄紫色の平べったい石が紐に通された首飾りだ。身に余る高価な物を手渡されて、最初はとても戸惑った。俺は貴族でもなければ、当主という地位にある家庭で育ったわけでもない。一般人が闇影隊に入隊した、ただそれだけの存在だ。
それなのに、俺の背後に回ったマナヒメは、何も言わずに首飾りをつけてくれた。
「ありがとうございます」
「いいのよ。あの子たちの命に比べたら、こんな物は安すぎるわ」
どこがだ。キラキラのピカピカじゃないか。
自分の瞳と同じ色の首飾り。手の平に乗せて、こう思った。あの言葉を忘れずに過ごせるかもしれない、と。
薄紫色の瞳を持つ者は、必ず命を狙われる――。
握りしめて、マナヒメに深くお辞儀をした。
「ウイヒメがね、ナオト君の瞳がとても綺麗だって言ってたの。だからその色にしたんだけど、気に入ってもらえたかしら?」
「……大切にします」
こうして、俺達は北闇へ足を進めた。その間、考えることは山ほどあって、なかでも特に心に引っ掛かったのはマナヒメの最後の言葉だ。
俺の事を全く知らない者に褒められたのは生まれて初めてのことだった。しかも、褒めてくれた相手は8歳の女の子だ。
歩きながら、ふと小川の方を向いた。ゆっくりと穏やかに流れる水は、ウイヒメとのやり取りを思い出させた。




