月夜の国と最弱・4
耳を澄ませる。その声はツキヒメのものだった。
蔦を掻き分けて、いまだに眠るウイヒメの寝顔を覗き見た。秘密の場所だと言っていた彼女を思い出して、今はまだ起こさず、一先ず声の主の元へと移動する。そして、ツキヒメの目の前まで来て、立ちくらみするほど同時に押し寄せてきた怒りと焦りをたった一言で本人にぶつけた。
「なにしてんだ!」
生い茂る木々だらけのど真ん中で大声を出すなんて、獣やハンターに居場所を知らせてるも同じだ。しかもヒロトがいない。ここに来るまで一般人の足だと2時間はかかる。つまり、ヒロトが眠っている間に家を出てきたのだ。
そんな彼女は俺の頬を思いっきり叩いた。
「この、無礼者!」
女の子の力だ。痛くも痒くもない。それよりも俺を余計に腹立たせるのはツキヒメの格好だ。妹を探すためだとはいえ、世間体を気にして着込んできたのはわかる。しかし、言わせてもらおう。
「ここをどこだと思ってるんだ。そんな格好で来るような場所じゃないし、あんたのせいで三種に居場所がバレてしまった。来い」
強引に腕を引っ張ると、顔を真っ赤にして怒りを露わにしたツキヒメは、「離しなさい!」と声を荒げた。だが、そんなものは無視だ。ウイヒメには申し訳ないけど、あの場所に連れて行くしかない。すでに聞こえるのだ。ツキヒメも気づいたらしい。
「なによ、この声……」
声の正体はハンターだ。数を増しているのか、それとも近くまで来ているのか。はたまた両方か。とにかく、一言しか喋れないハンターの「サチ」という声は、そよ風みたいに優しく吹いてくる風のようにして鼓膜を刺激した。その瞬間、全身の皮膚が粟立った。
池に近づくにつれて俺は走っていた。途中、何度も転げそうになるツキヒメに苛立ち、俺が着ている服よりも重たい着物を脱ぐように指示して身軽になってもらった。負ぶうことを嫌がったためだ。脱いだ着物をその場に置こうとすると怒られてしまい、着物は俺の肩に担がれている。
(こんなときに我が儘かよっ!!)
池まで来ると、汚さからかツキヒメが後ろに下がった。そして、あろうことか彼女はまた大きな声を出した。
「まさか、水の中に入れって言うんじゃないでしょうね!?」
何気なくウイヒメが眠っている場所に視線を向けると、蔦から顔を出すウイヒメの姿があった。嫌な予感がした。
「ナオトの嘘つき!!」
姉妹揃って声量が半端じゃない。
直後、がさがさと音を立てて茂みが揺れた。獣が喉を鳴らす音が奥から聞こえてくる。しかも、猫がじゃれてくる時に耳にする可愛いものではなく、狙った獲物をいつ襲おうかと殺気だっているかのような低い音だ。
ハンターより先に獣が来てしまった。姿は確認できないが向こうは違う。ツキヒメを背中に隠して、担いでいた着物を下に降ろした。
乱れている呼吸を整えて獣の気配を探る。その間に自己暗示で両手と両足を強固なものに変えて、さらに両手には言霊をかける。
「炎・包火」
火に包まれた俺の両手を見て、ツキヒメが小さな悲鳴を上げた。
「あなた、人間じゃないの?」
「人間……だと思う」
そう答えると、視界の左端で獣が飛び出してきたのを捉えた。喉を鳴らしていた獣の正体は虎だ。体長は3メートルくらいあるだろう。かなりの大型だ。寝ているところを起こしてしまったのだろうか。とにかく機嫌が悪そうだ。
慎重に間を詰めてくと、虎は右へ左へと動き始めた。そして、前屈みの体勢となると。鋭く長い爪を剥き出しにして押し倒そうと飛びかかってきた。そいつの両手首を俺の両手が掴んだ。食い込む爪に俺の顔が歪む。
一方、虎は熱すぎる俺の手に咆哮した。離れようと暴れだし、あまりの力に互いに距離を取る形となった。
体勢を立て直した虎はまた襲ってきた。今度は俺の喉めがけて牙を剥き出しにする。
こんな状況にも関わらず、ツキヒメは着物を抱きかかえていた。よほど大切な着物なのか、「こっちに逃げて!」と叫ぶウイヒメに、首を横に振り続けている。さなか、ハンターの囁き声が再び聞こえ始め、あちらこちらの茂みがざわざわと揺れた。
慌てて虎の横っ腹に蹴りを入れた。闇影隊のブーツのつま先には鉄板が組み込まれており、加えて俺の足は硬く重い。太い鉄の棒で殴ったかのような、ずしりとした感触。これには流石の虎も身を引き、ハンターの存在に気づくと逃げるように去って行った。
タイミングを伺っていたのだろうか。虎が去ったのと同時に茂みから出てきたハンターの群れ。その数およそ30。瞬時に察した。
(死んだな、こりゃ……)
野外訓練を思い出して膝が震える。……さて、どうするか。
怯えるも逃げようとしないツキヒメを放っておくわけにもいかないし、離れた場所に居るものの、ウイヒメを1人にはできない。かといって、ハンターに距離を詰められるのは避けたい。となれば、手段は一つだ。
ツキヒメの手を引いて池に走った。だが、ツキヒメは飛び移る寸前で足を止めた。
「水は……、水は無理なの!」
「はあ!?」
「――っ、怖いのよ! 小さい頃に溺れて、それからダメなの!」
こんな時に弱い一面を見せるツキヒメ。それは、ハンターが唾液を散らしながら両手を広げて飛びつこうとしている、まさにその時であった。
「炎・衝撃砲!」
散り散りに吹き飛んだハンター。その隙にツキヒメを横抱きにして、彼女の腹の上に着物を乗せた。
「掴まれ!」
言いながら、池の中に身を隠す岩に飛び移った。一つ、また一つと移動していると、合唱のようにサチと叫び始めたハンターに姉妹は大きな悲鳴をあげた。鼓膜がじんじんと痛むほどの絶叫だ。
ツキヒメを穴の中に押し込んで、2人に出来るだけ奥に行くように指示した。幸い、入り口は狭く、俺の身体で塞ぐことができる。片膝を突いて背中で入り口を覆い隠し、ハンターの襲撃に身構えた。しかし、相手はこちら側に来ようとはせずに池の周りを走り回っている。
すると、30ものハンターが一斉に動きを止めて、それぞれ違う茂みへ散っていった。その理由は、あの虎が仲間を連れて戻ってきたからだ。あろうことか、虎は迷うことなく池に身体を沈めた。泳いで渡ろうとしている。
父さんとの修行が脳裏に過ぎった。ある技についての注意点を話された時のことだ。緊急事態でない限り、この技はむやみに使ってはいけないと、口酸っぱく言われた。なぜなら、身体に受けるダメージがあまりにも大きすぎるからだ。
(どうする、俺!!)
しかし、連れてきた虎の数は6頭もいるし、どれも同じような体長だ。奴らは目の前まで迫っていた。何よりも、俺の天使が泣いている!! 躊躇している場合ではない。
「炎・業火防壁」
これこそが、使用の頻度を注意するよう言われた技。攻撃ではなく、身を守るための技だ。
両手を広げて前へ出すと、梅の花のような明るい紅赤色の壁が浮かび現れた。その壁を筒状にするため、前へ出した両手を横に広げていく。
防壁に虎の身体が触れると、みるみるうちに燃え上がった。近づくにつれて熱が伝わったのか、虎は泳いできた道を引き返し始めた。一方、壁に最も近い俺は焼かれるような熱さを直に感じていた。肌からは湯気のような煙があがり、体内の水分が蒸発している感覚に襲われる。次第に、戦闘服が焦げたような臭いが鼻を刺激した。
「逃げようよ! ナオトが死んじゃう!」
混乱しているウイヒメは涙目だ。
俺だって、今すぐにでも2人を抱えてこの場から逃げ出したいんだ。だけど、池から上がった虎は未だに様子を伺っているし、こちらの体力が消耗するのを待っているかのようにみえる。まだ言霊を解くわけにはいかない。
「ウイヒメ様、俺は平気です。闇影隊ですから」
そのうち諦めるだろう、そう思っていた。
だが、虎は諦めなかった。その間に、業火防壁の熱が穴に充満してしまい、姉妹は汗だくになり、俺は唾もでないほどに水分を奪われていた。――7頭対1人の力勝負しかない。
やむを得ず言霊を解いた。瞬時に岩から岩へ飛び移り最初の岩の上で立ち止まる。
「よし、来いっ!」
2頭が同時に飛躍して、そのうちの1頭は池に下半身を沈めながら俺の片足に咬みついた。業火防壁で体力を削られているせいか、すぐに自己暗示で硬くするも最初の時と違ってほとんど生身のままだ。
もう1頭は喉元を狙いにきていた。
「ガアアアッ!!」
「炎・包火!」
火のついた右腕で喉を守るも、ためらいもなく腕を咬まれてしまう。バランスが崩れ、危うく池の中に落ちるところであった。池に落ちたら最期だ。全身を喰い千切られてしまう。立て直して、腕に咬みついた虎を振り払った。瞬く間に別の虎が飛びついてくる。今度は左腕を犠牲にした。
燃え上がる左腕に怯んだ虎は、俺への攻撃に失敗し池に落ちた。その虎を踏み台にして、次の虎が襲いかかってきたとき――。
俺の全身に影がかかった。見上げると、太陽の光で照り輝く坊主頭が虎に向かって飛びつこうとしている最中であった。その正体は青島隊長だ。池の向こう側にはユズキの姿もある。
咬まれる寸前で虎の首をがっしりと締め上げた青島隊長は、虎と共に池に身を沈めた。ユズキは、未だに俺の片足に咬みつく虎に全体重をかけて、青島隊長と同じくして沈んでいく。
解放された俺は急いで穴へ向かった。2人は無事であった。
手を差し伸べていると、背後から物凄い大きな音が鳴り響き、続いて子猫のような泣き声が聞こえてきた。振り返ると、青島隊長が2頭を地面に叩きつけていた。
虎も体力が尽きたのだろう。1頭が逃げると、後を追うようにしてこの場を去って行った。それを確認してもう一度手を差し伸べた。すぐにしがみついてきたのはウイヒメだ。
「俺が怖いと言った意味がわかりましたか?」
「うんっ。もう二度と勝手に出歩かない! だから、ナオトもあんな無茶はしないで! 約束して!」
「俺は闇影隊ですから。これが仕事です。それと、秘密の場所、皆にバレてしまいました。申し訳ありません」
「そんなこと、どうだっていいよ!」
こうして、2人を連れて月夜の国に歩みを進めた。その間、俺は誰の肩も借りずに自力で歩いた。俺の様子をウイヒメが心配そうに見ていたからだ。これ以上の不安を抱かせないためにも、大丈夫だと態度で示したかった。
国に到着すると、門前でカケハシと見知らぬ女性が落ちつきなく立っていた。青島隊長が姉妹を連れて歩み寄っていく。
「あの女の人は誰?」
「名は、マナヒメ。姉妹の母親だ。昨日の夕方に帰ってきて、隊長が顔を合わせていた」
そうユズキが説明しているとマナヒメと目が合った。会釈すると、マナヒメは俺よりも深く頭を下げて、ウイヒメの頬を音の鳴る強さで、愛情を感じる手つきで叩いた。
母親に会えて安心したのだろうか。国への不満や、家族に対する違和感を語っていても涙一つ溢さなかったウイヒメが、小さな身体を震わせながらマナヒメに抱きついて声を上げて泣いた。
その光景は、胸に空いた穴を閉じるために、雑に縫い付けてあった糸をほつれさせるものだった。
「……母さん」
暗闇に堕ちるような虚無を感じながら、無意識に、俺はそうポツリと呟いた。再び開いてしまった胸の穴から、「会いたい」という欲求が無限に湧いてくる。
「生きてるよな……」
「そう信じよう」
頭の中には、唾液を撒き散らしながら喰らいつこうと襲ってきた獣とハンターの姿が浮かんでいた。
突然、身体の力が抜けて前のめりに倒れ込んだ。力のコントロールを誤ったためだろう。走流野家について語ってくれたあの日、父さんが話していた通り死にそうになった。
「修行の期間が短すぎたようだな。平気か?」
俺の身体を仰向けにさせながら、ユズキが眉を下げた顔で見下ろす。
「どうだろう。こんな状態は初めてだから、どれくらいで回復するか……。それよりも、ウイヒメが心配だ。外の世界をどう思ってるのかな」
そう話していると、当の本人がこちらにやって来た。大きな瞳に涙を溜めている。ウイヒメはユズキの隣に腰を下ろした。
「ナオト、ごめんなさい。帰ろうって言われたときに、ちゃんと帰ればよかった……」
「闇影隊ですからと、そう言ったじゃないですか。だから気にしなくていいんですよ?」
「でも、ナオトの怪我が……」
「でしたら、もし良ければ、俺が動けるようになるまで面倒をみてくれませんか?」
「私なんかでいいの?」
「勿論です。仲間は皆、壁の建設で忙しいのでウイヒメ様が話し相手になってください」
「ずっとそばに居る!」
笑顔で答えてくれたウイヒメの瞳から、溜まっていた涙が流れた。




