月夜の国と最弱・3
春の夕闇が、浅い水底のような青みを帯びてきた頃。木の根元に二足の靴を発見したのは、肌寒さに焦りを感じていた時だった。
太い枝に座って足をぶらぶらと交互に振る女の子を発見した。
特徴が一致し、護衛対象のウイヒメを発見したはいいが、俺の予想に反して国との距離が離れている場所での事だった。それよりも問題なのは時間帯だ。春は日が沈むのが早い。
「ウイヒメ様、下りてきてもらえますか?」
こちらを覗き見たウイヒメは、木をずるずると伝って下りてきてくれた。経緯を説明すると、ふて腐れたように頬を膨らませる。そんなウイヒメの顔をまじまじと観察した。
姉の方もそうだけど、くっきり二重の大きな瞳に、筋の通った鼻、桜色に染まる頬と唇。整った顔がはっきりと映し出されるのは漆黒の髪のせいだろう。
このように全てのパーツが完璧な姉妹。姉は性格がひん曲がっているけれど、なぜだろう、素直な態度に胸が切なくなるほどウイヒメが物凄く愛おしく感じる。こんな感情を抱くのは初めてだ。
単純に言おう。可愛い。靴を履いている姿すら可愛い。
「父上め、面倒な事をしてくれたわね」
「こちらの台詞です。帰れないじゃないですか」
「私を見つけなかったことにして、一人で戻ればいいじゃん。その服装って闇影隊の人でしょ? 強いんだから平気だよ。言っておくけど、私はまだ帰らないからね」
我の強そうな性格に今度は困り果てた。どこから説明すればこの子は納得してくれるだろうか。
「自己紹介がまだでしたね。俺の名前は走流野ナオトっていいます。好きに呼んでください。ウイヒメ様には、今置かれている状況を理解してもらう必要があります。もうすぐ日が暮れますが、夜は人害認定の生き物が活発になる時間帯です。なので、早急に国に戻らなければいけないんですが……」
空を仰ぐ。もう手遅れだ。
「私は会った事すらないんだけど。皆が言うほど歩き回ってないんじゃない?」
カケハシの注意に背くだけの根拠をこの子なりに持っているようだ。意地でも帰らないという気持ちがひしひしと感じられる。となれば、身を隠している場所に案内してもらうしかない。
俺は誘導するように仕向けた。
「ウイヒメ様は運が良かっただけです。仲間が死んでいくのをこの目で何度も見ていますから」
「たくさん死んだの?」
闇影隊が言うと説得力があるのだろうか。ウイヒメの表情に少し不安の色が見えたような気がした。ここぞとばかりに声に微かな震えを足した。
「はい……。それに、俺は強い闇影隊ではありません。正直、守れるかどうか確証もないのが本音です」
「えー! ナオトって弱いの!?」
「はい、激弱です」
まるで方向感覚を失った人みたいに、同じ場所を右往左往するウイヒメ。何をそんなに悩んでいるのだろうか。しばらくして答えを出したウイヒメは、俺に着いてくるように言った。
「どこに向かうんですか?」
「どうせ、私が帰るって言うまでナオトは帰らないでしょ?」
「もちろんです」
「やっぱりね。それに弱いみたいだし、仕方ないから秘密の場所に連れて行ってあげる。絶対に内緒だよ!」
……成功だ。
青島隊長に託されたもう一つの任務。果たして、その場所は大勢の命を救う足がかりとなる場所なのか、それとも、ウイヒメの我が儘に付き合うだけとなるのか。
間もなくして辿り着いたのは、膝丈まで伸びた草が隙間なく池一帯を囲むようにして生えている場所だった。池はかなり濁っているが、覗き込むと結構な深さがありそうだった。その奥には、高さはないものの、蔦でびっしりと覆われた崖がある。
辺りの地形を確認していると、池の上をウイヒメが歩いていた。その姿はさながら忍者だ。
「早くおいでよ」
「いや、あの、どうして水の上を歩けるんですか?」
まさか、混血者なのか!?
困惑する俺を見て、ウイヒメはキャッキャと笑った。
「歩けるわけないじゃん。水が汚いから見えないだけで、大きな石があるんだよ。最初の石はちょっと遠いから思いっきり飛んでね。そこにあるから」
そう言って、感覚だけで飛び移っていくウイヒメ。慌てて後を追いかけた。
聞けば、この池の深さを調べていた時、手探りで何ヵ所かに大きな岩を発見したそうだ。水面からは目視できないものの、何度もここへ訪れているウイヒメは岩のある場所を覚え、今では池を渡ることは簡単だと言う。
恐るべし、幼女の冒険心。
濁った池に平気で飛び込むウイヒメに萌えながら、池の向こう側に辿り着いた。崖まで来て次はどうするのかと思いきや、蔦を掻き分けて奥に消えてしまったではないか。後に続くとそこには入り口の小さな穴があった。
四つん這いで中に入ってみる。奥行きはないものの身を隠すには十分な広さがあるとわかった。4人くらいなら並んで寝られるだろう。
それよりも気になったのは、薄い毛布が一枚と中身のないお菓子の袋の数々だ。身を隠すというよりも、まるで住んでいるかのような雰囲気が漂っている。それらを見て、俺はある疑問を抱いた。
「もしかして、帰りたくないんですか?」
くつろぎ始めていたウイヒメの動きが止まる。図星のようだ。
訓練校に通っていない8歳児だといえども、ため息をつかずにはいられなかった。
「ウイヒメ様、あなたは〝待つ立場〟というものになったことがありますか?」
「なに、それ」
「俺の父さんは闇影隊です。俺が入隊する前の頃、外の世界を知らずとも、怪我をして帰ってくる父さんを見て何度も怖い思いをしました。訓練校に通い始めて人害認定の三種を知った時には、更に怖くなりました。実際に遭遇してからは怖いなんてものじゃありません。カケハシ様も同じ気持ちです。帰りを待つというのは、それだけ精神的な苦痛を伴うんです」
「精神的な苦痛?」
「ずっと、ずっと、胸の奥が重苦しい。そんな気持ちです」
「だって帰りたくないんだもん。国も、お家も、大嫌いだから……」
「その理由を聞かせてください。じゃないと、明日になれば無理矢理にでもウイヒメ様を連れて帰らなきゃいけません。どうして帰りたくないんですか?」
「皆、人形みたいだから……」
少しずつ、ゆっくりと話し始めたウイヒメ。彼女が心に抱えている物は、俺が想像していた以上に大きい物だった。
月夜の国の当主を代々務めている、天野家。彼らの懐を豊かにしているのは、ある特別な土のおかげだった。
天野家は昔から豪商で、主に陶器を売っているそうだ。月夜の国にしかない土で作った陶器は、艶がとても良く、頑丈で、色がとても生えるそうだ。玄関にあったあの壺もそうだろう。貴族御用達の品だ。各国からの注文も増え、今では国の人を雇って作っているらしい。
さらには、貴族が月夜の国から陶器を買う理由は他にもあった。それは、天野家に生まれる女子が美しいと噂される事にある。俺は初耳だけれど、王家や金持ちの間では有名な話しなのだそうだ。目の保養、心の癒やし、といったところか。
この容姿だ、カケハシが激愛するのも無理はない。しかし、そのせいでウイヒメは全てにおいて居心地が悪い思いをしていた。
「他国に行ったとき、試しに万引きしてみたの。謝る父上に、お店の人はあげた物だって嘘ついた。壺をわざと割ったこともある。でも、誰も怒らなかった。家にいても外にいても同じ。どんなに悪さをしても、周りはいつもニコニコしているだけ」
それに比べて外の世界は、人の感情こそないものの、作られた表情や嘘の言葉も存在しない。時に山中は暑く、涼しく、激しい雨や、肌をしっとりと覆う朝霧があり、ウイヒメにとってそれは喜怒哀楽のように感じていた。本来ならば人から受け貰う情を、自然から貰っていたのだ。
家にいれば、他国からの来客がやって来る。接待中の両親の表情はまるで人形のようで、それがとても怖いのだと言う。
俺とは逆だ。
「人には色んな悩みがあるものですね。俺は、どちらかというと外の方が居心地が悪いです。人の目が嫌いですから」
「だからそんなに前髪を伸ばしているの?」
「まあ、そうですね」
「ふーん。歩きにくそう」
「ツキヒメ様には不気味だと言われました」
そう言うと、先程までの重たい雰囲気が晴れて、ウイヒメは腹を抱えて笑った。
「家での姉様は思ったことを素直に言っちゃうから。でもね、天野家のことになると人が変わったみたいになるの。恥にならないようにって、遠方に出向いたときは別人だよ。あ、ナオトに似てるかも」
「え?」
きっと、今の俺は顔全体で否定しているに違いない。頬が引きつっているのが自分でもわかる。面白かったのか、ウイヒメはまた笑顔を見せて理由を教えてくれた。
「だって外の居心地が悪くて、人の目が嫌いなんでしょ? それでも、任務になるとこうやって外に出るし、私の事をちゃんと見てる。だけど、この場所は家の中に居るみたいなものだから、ナオトは素直に話してくれてると思うの。ってことは、本当のナオトは、ちゃんと周りを見ていて物事をはっきりと言う人! ね、姉様みたいじゃん」
謎を解決した探偵のようにして、どや顔で決めるウイヒメ。いかん、鼻血が……。
「褒め言葉として受け取っておきます」
「ものすごーく嬉しくなさそうだけど! でも、切った方が良いと思うよ? ナオトの顔、全然わかんないし」
急に吹き込んできたすきま風にウイヒメは自身の肩を抱きながら身震いした。もう夜も遅い。一気に下がった気温は俺たちの体温を少しずつ奪っていった。
「ウイヒメ様、こちらへ」
足の間に座らせ、肩から毛布をかけて2人で暖を取った。半袖に半ズボンのウイヒメは俺よりも寒いだろう。焚き火を起こしてあげたいが、残念な事にここは出入り口が一カ所しかない空洞だ。煙が籠もってしまうし、何より居場所を知らせてしまう事になる。
自己暗示で体温を上げ、ウイヒメの身体を暖めた。しばらくすると、ウイヒメの頭がこくりこくりと上下に動き始める。眠気が襲ってきたようだ。ふと、毛布が置かれてあった場所に大量の封筒があると気がついた。容赦なく入ってくるすきま風で飛ばされてしまいそうだ。それに手を伸ばした、その時。
「ダメ!!」
突然、うたた寝していたウイヒメが声を上げて覚醒した。足の間から飛び出して封筒をかき集めると、隠すように抱きながらこちらを睨みつける。
「……読んだ?」
「いえ、風で飛ばされそうだったので、片づけようかと……」
「なーんだ。ビックリした」
「俺の方が驚きました。耳も痛いし」
「ごめんね」
封筒には宛名が書かれていた。手紙のようだ。どうしても気になるのか、一向に眠る気配がなくなってしまったウイヒメ。
外に出て石を拾ってきた俺は、それを重しに手紙が飛ばないようにした。
「これで安心できますか?」
「ありがとう。寝よっか、ナオト」
自ら足の間に戻って来たウイヒメは、数分とかからずに眠りに落ちた。
ウイヒメを横にして外に出る。池の縁に座り、長い見張りの夜を過ごした。そして、俺は呟いた。
「眠れたら、そうしている」
あんな悪夢さえ見なければ、今頃はウイヒメと一緒に眠っていた。だけど、その悪夢は必ず夢に出てくるし、逃げることの出来ない〝現実〟なのだ。ならば、睡眠を避けるしか方法がない。
邪魔で仕方のない前髪。そこから見渡せる視界の悪い景色。前髪を掻き上げて、大きく息を吐き出した。
俺が髪を切らないのは、現実を見たくないからだ。――いや、正しくは、これが現実なのだと受け入れたくないから。俺にとっては、夢も、この世界も、両方が現実だ。夢は睡眠時間を短くすれば済むが、起きている間はこうやって視界を悪くするしかない。
不気味だと言われて周りに笑われても、そのせいで恥ずかしい思いをしても、俺が言い返さないのは自分で選んだ方法だからだ。
いつものことだ、そうやり過ごすしかない。
「さてと……」
頬を叩いて気合いを入れ直す。背中でウイヒメの寝息を受け止めながら三種の襲撃に備えた。ここからは自己暗示を解いて力の温存に入る。
しかし、待てど暮らせど三種は姿を現さなかった。この場所に特別な理由でもあるのか、それとも偶然か。空を仰げば、東の方は朝焼けでオレンジ色に染まっていた。ついで、雲一つない水色の空が一面に広がる。誰かの声が森中に響いたのは、そんな清々しい朝を迎えた時だった。




