第12話・最弱と苦い恋心
早朝――。
一睡もできず、1人で水を汲みに川まで来ていた。どこかぼんやりとしていて、身が入らないというか、上の空というか。
ゆったりと流れる川の水面を撫でながら、そこに映し出される自分を見て思わずため息がでた。目が死んでいるではないか。昨夜の黄瀬会はあまりにも強烈すぎた。
着いてきたみたいで、ヒロトが隣に腰を下ろす。俺から昨夜の話題を持ち出した。
「黒の子って、他の人の事かもしれないじゃん」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。ま、相手がお前だからって、他の男子は張り切ってやがるけどな」
「なんだかなぁ……」
俺のことをヒロトの召使いだとでも思っていたのか、とにかく周りの女子からの扱いときたら、それはもう酷いものだった。
ラブレターを渡せ、2人きりになれる時間を作れ、ヒロトに言い寄る女子の情報を教えろ。どれも命令口調で、俺が答えるのが当たり前だと言わんばかりの態度。くわえて、暗い、怖い、気持ち悪い、などなど言われ放題だ。
それがたった一夜で様変わりだ。唯一の女友達であるユズキの他に関わりなどなかったのに、フウカとカナデの言葉で俺を見る目が変わった。
「ヒロトに似てる、それだけなのにさ……」
「違うって。俺には心当たりがあるぜ。カナデのやつ、赤坂班で一緒になってからよくナオトのことを聞いてきたしな。思い返せば、班員が誰もいないときだった」
ヒロトによると、俺がウイヒメを捜索しに行ったあの日も、大猿にやられたあの時も、試験や他の事件の時もカナデは気に掛けてくれていたそうだ。
そもそものきっかけは、入校式の時にまで遡るらしい。
「誰よりもつまらなさそうな顔してっから、それから目で追うようになったんだってよ」
いつだってヒロト宛のラブレターに埋もれていたんだ。視線になど気づくわけがない。
「ぶっちゃけ、前髪を切ってからの評判は良かったんだぜ」
なんて言いながらニヤニヤするヒロト。肩を突かれ、色男だのなんだのと冷やかしてくるけど、俺にはわからなかった。
「……人を好きになると、どうなるんだ?」
そう、俺には全くといっていいほど恋心というものがわからないのだ。異性を好きになった事は一度もなく、ましてや日常的な会話をした記憶もない。
動揺したのはソウジの婚約者という事実があるからだ。
「あれは無視していいものなのか?」
「公開告白されておいて、なに言ってんだよ……。しかもあの五桐カナデに、だ。よくそんな平然としていられるな。男子の敵め……」
それから、ヒロトは恋心について語ってくれたけど、やはり俺には全く理解出来なかった。
格好良く見せたくなる、守ってあげたくなるだなんて、どしたらそんな感情になれるのだろうか。
「ま、今日の試験の様子を見たらわかるんじゃねぇの? 一気に汗臭くなるだろうからな」
水を汲み、集合場所に移動して、また試験が始まった。
ヒロトの言う通り、昨晩の黄瀬会のおかげあってか、みんな今まで以上にやる気を出している。男子はより強く、女子はより可愛く。ケンタはさらに空回り。
その行動になんの意味があるのか、とにかくみんな張り切っていた。
「おい、ナオト。私の声が聞こえていないのか?」
肩で息をするユマに試験が終わったことを告げられた。いつの間にか日は落ちていて、川にいた時と変わらず上の空だった自分に驚く。
そんな俺を見て、イツキは顔を隠して笑っている。
すぐ側で、東昇の闇影隊、男女が大の字で横たわっている。昨日まではなかった生傷が至る所にある。2人は人間だ。恐ろしい目にあったのか、顔が真っ青だ。
「だあー、死ぬかと思った……。ルール通り、マジで助けねぇのな」
「私なんて爪がボロボロよ」
男の方がイツキに向いた。
「あんた、すっげぇのな-。あれって、助けてくれたんだろ?」
「俺はただ自分の目の前に飛び出してきたハンターを始末しただけだよ」
「……あんがとよ」
頬を掻きながら照れくさそうに礼を言った男は、立ち上がってイツキの手を握った。
「ん、カナデちゃんの言う通りだな。俺らの代で終わらせねぇと」
「そうだね」
「けどさ、やられっぱなしは腑に落ちねぇんだわ。でも混血者にコツを習ったところで意味ねぇし。どうしたもんかね」
そう言って、イツキの手を離す。
「たしかに人間と混血者じゃ戦い方がまるで違うから、アドバイスは役に立たないかも。神様なら答えてくれるかもしれないけど」
「神様ぁ? んなもんいたら、とっくの昔に化け物を消してくれてるさ」
それから少し話して、2人は野営地に戻っていった。手を振るイツキを見ながら、ユマの視線が落ち着きなく左右する。
「か、神様なんだがな。私はいると思うぞ。お母さんが言ってたんだ。願い事を叶えてくれるって」
「ユマは優しいね」
「ち、違う!! 本当にそう思っている!! 小さい頃、色んな子に言いふらしていた。それくらい私は信じているんだ」
ユマも野営地に戻るようで、背中を向けて歩いていく。その姿を、イツキは目を丸くしながら見送っていた。
「どうした?」
「…………ううん、なんでもない。そっか、そうだったんだ」
視線を落とし、口元に三日月型の笑みを浮かべる。それからイツキはユマを追いかけていった。
いつの間にいたのか、ヒロトは楽しそうに一言こう呟いた。
「あぁね、イツキか」
その言葉の意味だけはちゃんと理解できた。だから花の色を覚えていたのかと、納得するほどに。いつからそんな気持ちを抱き始めたのかは不明だが、黄瀬隊長の言葉は正しい。
たしかに、人の心を操るなんて無理な話だ。いくらソウジの配下といえども、恋心だけは自分に忠実のようだ。
色んな発見があった強化合宿は無事終了し、北闇と東昇の仲が深まったところで、またいつもの任務に戻った。
ユマの恋心を知ったからか、俺とヒロトは少しだけ気を遣って2人の時間を作ってあげたりと、それなりに楽しんでいる。
イツキに見せるユマの笑顔は、とても綺麗だった。あれが恋だと言ったヒロトの言葉は胸の奥に残り、同時に口内に苦みが広がったような気がした。
そうして、今日。爺ちゃんの家の前まで着いてきたヒロトにお礼を言った。
「ありがとう。幽霊島でのこと、聞いたんだろ?」
「まあな……。平気か?」
「うん。あいつは悪人だ。生かしておけない」
「ナオト……お前……」
「それと、重度のことなんだけど、西猛の襲撃の時みたいな大きい奴はもう襲ってこないと思う。ようやく色々と落ち着いたからさ」
「ならいいけどよ……。やっぱ俺はお前が心配だわ」
「どうにかなるって」
「ナオトじゃない。俺がどうにかするんだよ。前にも言ったけどこれは俺の役目だ。忘れるんじゃねぇぞ」
俺が嫌がることを読んだ上で、返事を待たずにヒロトは颯爽と帰って行った。
呼び止めようとした片手が虚しく宙に浮く。
そうして、夜――。
久しぶりに夢を見た。あの時と同じだ。大猿にやられて入院した時と、同じ夢。
森をがむしゃらに走っていると、突然視界が真っ白になって、「いつか、必ず迎えに行く」との声が前よりも鮮明に聞こえてくる。
俺自身が走っているような感覚も変わっていない。ここで、別の誰かの声が聞こえてきた。
「そこには行くな! 戻ってこい! もう取り戻せないんだ!!」
夢の中で俺はまた声に振り返ろうとした。けれど、そこで夢は終わりを告げる。
(またか……。……あれ?)
以前と変わっていることが1つだけあった。
全身、汗だくになっているではないか。




