第19話・紫炎
長年生きてきたけれど、狼尖刀に変化が現れたのはこれが初であった。
何の変哲もないただの黒い爪。しかし、その爪の紫炎は、自分で触れるのも戸惑うほどに、黒い物質よりも恐ろしげな気配を醸し出していた。
紫炎の正体や原理が気になるところだが、まずは目先の敵だ。
これまで、トウヤとは色んな話しをしてきた。僕なりに弱点を探ろうとしたけれど、手元にある情報はガムの捨て紙くらいに薄っぺらいものばかり。
それに比べて、トウヤは僕の情報をいくつか手に入れている。獣語を話せること、狼尖刀が言霊を無力化すること、ニオイや気配がないこと。時間はあったんだ。何か策を練っているはず。
その証拠に、彼は迷わず動き始めた。威支のマントを脱ぎ捨てて、黒い長ズボン一枚の自身の姿を晒す。一歩、また一歩とこちらに足を進める。
トウヤは他のメンバーに比べて異様に感じた。例えば、猪の重度・イザナ。彼は半獣人の姿でいるとき、角が体格に支障をきたしているのか、とにかく肩幅が異常に広い。けれど、「混血者です」と嘘をつかれても、まだ信用できるくらいに人らしさを残している。
トウヤは人らしさが少しも残っていない。手足は人と同じだけれど、肌は全て鱗でできているし、舌は蛇と同様である。唯一、水色の長髪だけがかろうじて人だ。しかし、この局面で髪の毛を目視したところで何が変わるわけでもない。
奴が妖化していなくとも、僕に向かってきているのはまさしく歩く蛇だ。半妖化した状態でこの有様かと、迂闊に動けない。さしずめ、蛇に睨まれた蛙ってところだろう。
妖化した時のことなど考えたくもない。
トウヤが僕に両腕を伸ばした。
そして、
「防いでみろ」
ゴムみたいに更に伸びた腕を操り始めた。やはり、物理攻撃は防げないと気づかれている。
トウヤの両手がグネグネと形を変えて蛇の頭になった。ハルイチの仲間が背後から攻撃してきた時に出てきた蛇とは容姿が異なる。この蛇の牙は肉食獣のように太くて、鱗の一つ一つが、研いだばかりの刃物のように断面が輝いている。
それでいて、僕の目が捉えているのは本体ではなく残像だ。
「ぐっ……」
右の太ももに鱗がかすった。何本もの裂けた傷から血が流れる。
「これまで観察してきたが、貴様には言霊がない。俺に近寄ることさえできないだろう」
「そうと知りながら、どうして今まで黙っていた」
「貴様の〝仲間〟が出てくるのを待っていた。しかし、ラヅキを解放したとなると事は急ぐ」
トウヤの猛攻に手加減は感じられなかった。すんでのところで交わせても、彼の言う通り二体の蛇が邪魔をして回避行動しか取れないでいる。その間にも生傷は増えていった。
と、その時。まだ動けるはずの身体が地べたに倒れた。回避に集中するあまりに、サインを見逃したようだ。地べたに頬をつけて初めて自分の身体が麻痺していることに気づくなんて。
「獰猛な蛇に毒はつきものだ。さあ、答えろ。ラヅキはどこにいる」
トウヤが背中に片足を乗せる。
「これまで通り、自分で捜すんだな」
なんて強がるも、この状況だと、僕が死ねばおそらくラヅキも死んでしまう。かといって、呼び出すわけにもいかない。
「…………まあ、いい。貴様が黙秘するのならナオトを殺すまでだ。一生を悔いて生きるがいい」
「――っ、やめろ!!」
キトの言葉が聞こえてくる。手の届く範囲を知れと、何度も木霊している。
ここに来て、ようやく自分の生き方を恥じた。もっと身になる事をしておけば良かったと、後悔の念からか涙が滲む。
トウヤが踵を返す。
(ごめん、キト。僕は欲張りみたいだ)
僕が動けばトウヤはすぐに猛攻してくるだろう。だけど、それでも――。
「ナオトを失うわけにはいかない。僕の友達に手を出すのは許さない」
トウヤは知らないはずだ。狼尖刀は言霊を無効化するだけではない。この世に存在する成分はラヅキの力を吸収してやっと猛威を振るうことができるのだ。トウヤが長寿なら、もろにその影響を受けているはず。
痺れが引いていくのを感じる。音を立てないように上体を起こして、勢いよく地を蹴った。油断していた二体の蛇は一瞬だけ反応が遅れた。それでいい。一体が僕の足首に噛みつこうとも、狼尖刀はトウヤの懐をしっかりと捕らえている。
深いところに到達する前に、トウヤが僕の片腕を掴む。そのまま背負い投げで地面に叩きつけると、今度は腹を蹴り上げてきた。
「まさか、動けるとはな」
また身体に痺れが伝う。けれど、最初よりは断然マシだ。一度リセットされた身体には一回分の毒しか回っていない。
すると、ここで余裕のあったトウヤに異変が起きた。横腹を押さえてながら膝から崩れ、上目遣いで包帯越しに僕を睨みつける。
「何をしたっ……」
押さえている手から紫色の炎が燃えあがった。
何をしたと問われても、僕自身がわかっていないのだ。当然、答えは――。
「わからない」
これに尽きる。
犬の兄弟とヒスイが鎮火させようとするも、炎は勢いを増すだけであった。しかも、相手に引火せず、狙った対象だけを燃やしている。
そんなトウヤを守ってくれているのは鱗だ。まだ生身に炎は達していないようで、紫の炎を纏いながらトウヤが立ち上がった。
「やってくれたな……」
包帯に手を伸ばす。咄嗟に自分の足もとに視線を落とした。タマオが話していた呪眼。それを解放しようとしているからだ。いよいよトウヤに接近できなくなった。
「貴様にはまだ使い道がある。生かしておこうとも考えたが、やめだ。俺はそう簡単に死なないぞ。貴様も道連れにしてやる!!」
視界に包帯が落ちるのを見留める。――来る。
トウヤが僕の頬を掴もと手を伸ばす。しゃがんで横に転がり、ヒスイ達がいる方へ回った。すると、トウヤは僕を視野から外した。
「こしゃくな真似を!!」
互いに動きを止める。トウヤが他所を向いている今がチャンスだ。狼尖刀を脇構えのようにしてトウヤに詰め寄る。振り向く機会を与えてはいけない。
まさかの、自分の背中に盾を置いてとどめを刺すことになるとは。そんなことを考えながら、半分の距離を進んだところで、ヒスイが間に入った。狼尖刀を地面に引きずって速度を落とし、止まる。危うくヒスイごと切りつけるところであった。
ヒスイは僕に背中を向けて、トウヤを見据えていた。肩が震えている。
「ごめんな、ユズキ。俺、それでも父さんが大好きだ」
「…………僕もだよ」
土に染みこむ水滴を目の辺りにして、もはや僕に戦意はない。狼尖刀を解いた。しかし、トウヤを燃やす紫炎が一向に消える気配をみせない。
「父さん!!」
「ったく、邪魔をするんじゃない。戦いを止めたところで、ラヅキが解放されては未来は確定したも同然だ」
「俺はただ父さんと普通に暮らせればそれでいいのにっ……」
「……後のことはイザナに任せてある。……色々とすまなかったな」
巻き直そうとした包帯が紫炎で塵と化した。最後の最後まで我が子を瞳に写せないなんて。確かに、呪眼だ。
そこへ他のメンバーが駆けつけた。トウヤの有様を目の当たりにして、怒りの籠もった瞳が僕に注ぐ。
さすがにこれだけの数の重度とは戦えない。
(ここまでか……)
と、諦めかけたその時だった。
僕を包み込むような冷気に心を引っ張られる。それはまるで、遭難した海で救助をうけたかのように、沈んだ僕の心を救うかのようなものだった。
トウヤの待ち人がここに現れたのだ。
「…………だから言っただろう。守ってやれるのは、後にも先にも俺しかいない」
「いつ南光から戻ったんだ?」
「今しがただ」
キトが一歩前に出る。
「それで、貴様らは誰に殺気を放っているんだ。身の程を知れ、この愚か者ども」
一瞬にして、凍てついた空気が別の空気に変わるのを肌で感じた。土が黒く変色し、もわもわと地上を漂っている。
キトの能力に、全員が心臓を鷲掴みにされた。




