第16話・ヒスイの暴走
ヘタロウを救出して幾日が過ぎた。そうして意識の回復を待っている時のこと――。
ヨウヒとイッセイは隠れ家にてヘタロウの治療に専念している。喧嘩真っ最中の犬の兄弟とヒスイは邪魔にならぬよう墓がある丘の上に、他のメンバーは全員出払っている。
タマオの手伝いがなければ僕にやることはないし、落ち込むイッセイの隣にいたって、こちらが陰鬱な気分になるだけだ。残された選択肢は喧嘩の傍観だった。雲一つない青空、耳を澄ませば聞こえてくる波の音。暖かい太陽の日差しに頬を撫でるそよ風。僕の中で日常化しつつある3人の喧嘩も子守歌のようなものだ。
しかし、そんな昼寝日和に、突如として変化は起きた。
二対一で罵り合い、二対一で軽い手合わせという名の暴力に走り、タマオの怒号が飛び交って臨時休戦するというのがいつもの流れだ。
目を閉じていると、3人の声よりも大きく鼓膜を貫いたのは、何かを破壊する音だ。ぱちりと瞼が開いた。嫌な予感がした。首だけを起こして、見渡す必要も無く一ヵ所に視線を向ける。墓の石が綺麗に二つに割れているではないか。
やり場をなくした手を宙でうようよとさせているコウマと、気まずさからか他所を向いて知らぬ顔をするハクマ。そして、怒りのあまりに身体から青いオーラを解き放つヒスイ。
ここら一帯だけ気温が落ちていく。昼寝日和のはずが、肌寒く感じるほどに外気が冷やされていた。
よくよく目を凝らすと、ヒスイの身体から薄っすらと白い霧状のものが噴出されている。
「どいつもこいつも、俺が大人しくしているからって調子に乗りやがって……。ウザいんだよ、お前ら」
言葉と同時に、ヒスイの腕に龍が絡みついた。肌が透けて見えるほどに透明な美しい氷の槍が形成されていく。
どうやら、僕と手合わせした時は本気じゃなかったらしい。空気が、ヒスイの腕が、状況のまずさを物語っている。
怒りと悲しみに染まったヒスイの視線は墓に注がれていた。
「ヒ、ヒスイが悪いんだぞ! 獣化できないくせに突っかかってくるから! それに生意気なんだよ! 弱いくせに強がるな!!」
コウマと違って、ハクマは僕みたいな口の悪さだ。コウマも人を馬鹿にすることはあるけれど、ハクマほど尖ってはいない。簡単に言えば、人の神経を逆撫でするような発言はしない。しかし、この双子、厄介なのは揃って謝らないということだ。
どうしたものか――、と試行錯誤していた、次の瞬間、
「弱いかどうか、やってやろうじゃねえか!」
氷の槍を地面へ突き刺した。氷の薄い層が緑の草原を隠していく。層は少し離れた場所にいる僕の方にまで広がってきた。側面を見て背筋に冷たい汗が流れる。反射的に飛んで層の上に着地した。
双子も同じように避けた。側面が刃のようになっていたのだ。あのまま立っていたら足もとから凍らされるどころか、足首から下を失ってしまう。一方でヒスイは、「ぎゃはははは!!」と高らかに笑っている。
狼尖刀を氷に突き刺すも、僕の周りだけが吸収されるだけだった。それほどまでに、ヒスイの怒りは頂点に達しているということだろう。
「「装!」」
声を揃えて双子が妖化した。しばらく様子を伺ってみることにしよう。
巨犬と化した二体が、ヒスイの力を抑え込もうと同時に動き出す。
しかし、
「どこを見てんだよ。あぁ?」
ヒスイは二体の背後に立っていた。あまりにも速すぎて目で追えなかった。
咄嗟に前へ大きく跳んだ二体が距離を取ろうと勢いをつける。けれど、滑る氷上では上手く踏み込めない。勢いはすぐに殺された。
氷の槍はさらに伸びるようだ。凄まじい勢いで刃先が形成されていき、槍はコウマの背を斬りつけた。痛みにコウマが咆哮する。捻れた顔を左右に振り回して、痛みを分散させようと必死になっている。
ハクマは視界の中心にヒスイを置いて、自らを奮い立たせていた。おそらくだが、2人共こんなヒスイの姿を見たことがないのだろう。余裕のあるヒスイに比べて、ハクマは自ら仕掛けることが出来ず、ただヒスイの周りをすり足で動いているだけだ。
「次ぃ……、行くぜおらぁあ!!」
ここはヒスイが作り出した戦場。二体にとってはあまりにも不利だ。
的にならないよう、ハクマは懸命に動き回った。それしかないのだ。西猛の時、彼らが瞬発力を誇る生き物だと伺った。猛スピードの大砲の弾そのものだ。しかしここでは意味を成さない。
すると、
「消えてんじゃねえぞ、この負け犬がぁ!」
ハクマが消えて、コウマも消えた。巨犬は獣化ではなく妖化する生き物だ。これで少しは対等になっただろう。
さて、巨犬の能力はどういったものなのか――。引き続き見学するとしよう。
「突破氷弾!」
二体の居場所を把握するため、ヒスイは広範囲を攻撃できる言霊を唱えた。湧き水のように溢れる氷の弾が弾丸のように四方へ飛び散る。
「かはっ……」
強烈な一撃がハクマの右肩を貫いた。何もないところから血が流れ、痛みで精神が乱れたのか強制的に姿を晒される。それも束の間、歯を食いしばってまた姿を消した。
ヒスイはまた高らかに笑った。
「このゴミ共め!! 何度消えたところで同じだ!! てめえらの血が俺に居場所を教える! 逃げ切れると思うなよ! 血で償えぇえええ!!」
冷気が砂嵐のように、ヒスイを中心に外側へ、一瞬で通り過ぎていった。両手で視界を覆い、中腰になるほどに強烈な冷気を帯びた暴風みたいだ。
格段に上昇しているヒスイの力。ふと、これに終わりはあるのかと疑問が過ぎる。
その間も、突破氷弾は飛び交い続け、氷上にはひたひたと血が滴り落ちていた。確実に生傷が増えている。そんな気迫負けしている犬の兄弟に、僕だけが感心の声を漏らしていた。
この戦いが始まってかなりの時間がたった。頭上にあった太陽が傾いている。だけど、2人は姿を消し続けているのだ。耐久力が備わっているらしい。
一方、ヒスイはというと――。
「はぁはぁ……、クソが!!」
もう少しで届きそうな完全勝利に指先をかすめている状態だ。
クククと笑いを噛みて大きく息を吸う。それから見えない敵を睨みつけるような眼差しで360度を見渡した。
「なんの為に父さんが墓を造り、俺を側に置いたと思う」
そう言ってヒスイは槍を更に大きく形成し始める。続いて容姿にも変化が現れた。氷上に垂れるまでに伸びた長くて青い髪に、頭部から生える枝分かれした巨大な角、全身を覆う深緑色の鱗、怪しく光る濁った黄色い目――。
似たような現象を僕は見た事がある。鍛錬場でイツキが暴走した時だ。イツキは亀のような生き物へ変貌した。
(これが……龍……)
トウヤにも鱗はあるけれど、鱗は小さい。それに比べてヒスイのは大きくて、分厚くて、まるで鋼の鎧を着ているかのように頑丈そうだ。
「あの墓は俺の安定剤だ。今みたいにならないようにって、わざわざ造ってくれたっつーのに……。いくら馬鹿犬でもそれを失った痛みってもんは、虫並みの小さな脳みそで理解できるだろ」
辺りを見渡しいた首を止めて、自身の背後にぐりんと向けた。
「なあ? ハクマ」
槍を振りかざして、勢いのまま腰を低く落とす。その姿勢ですかさず正面を突く。ハクマが姿を現した。突破氷弾が貫通した右肩の穴に、見事にまで一直線に突き刺さった槍。槍を空高く持ち上げると、ハクマが干物のように垂れ下がる。
「本当の親に捨てられた挙げ句、親代わりの神主は殺されて、優しくしてくれるトウヤに縋り付く他ない惨めな奴らめ。お前らに居場所なんかねえんだよ。ゴミはゴミらしく捨てられておけばよかったのに。てめぇらみたいなクズを押しつけられた神主が哀れだし、引き取った神主も虫並みの脳みそだな」
ヒスイの背後からコウマが現れた。顔だけ妖化している。捻れた顔でヒスイの横腹を払おうと振った。しかし、ヒスイは微動だにしない。横腹に噛みついても、ガリッと音が聞こえただけで、鱗には傷一つついていない。
「醜い化け物がイキがってんじゃねえぞ!!」
空いている方の手でコウマの頭を拳で叩きつける。けれど、コウマは横腹を離さなかった。
「訂正しろ!!」
「はあ? 何も間違ったことは言ってねえだろ」
「父さんを馬鹿にするのは許さない!!」
「なに、怒ったわけ? 何度でも言ってやるよ……。神主はカスだってなあ!!!!」
ヒスイが声を張り上げると、空間に歪みが生じた。でも、これはヒスイの力ではない。コウマの身体を中心に発生している。それは南光の土地神・シュウがやったのととても似ている。
記憶に引きずり込まれていく――。




