【逸話】あの日の約束
【北闇・鍛錬場】
業火の如く赤い髪の毛に、人の目を引く額にある二つの黒点。玄帝・タモンは手にある書類の束に目を落としながら、ここで人を待っている。
常人ならば卒倒するような膨大な量の仕事を毎日こなし、そうしながら任務の振り分けも行っている。こんな時にまで書類を手放さないその姿勢は、彼の忙しさを物語るには十分だろう。
誰もいない鍛錬場では、紙をめくる音だけがやけに大きく響いた。よほど大切な物なのか、黙々と読み漁るタモン。時折、難しい顔を見せる。
その顔を仁王立ちで眺めている物がいた。低い身長には長すぎるようにも思える白髪の髪で、大きな瞳の色は黄金だ。タモンが彼女の存在に気づくのには少しばかり時間を要した。
「…………――っ、ユズキ。来ていたのか」
「相変わらず多忙な身だな」
書類から目を離してユズキと向き合う。
2人共、あまり悠長に話している時間はないのだ。ユズキは早速本題に入った。
「ナオトには上手く誤魔化せたか?」
「ああ、こちらは問題ない。イツキも落ち着いている。お前の方はどうだ? 重度の情報は?」
「膨大な量になる。どうにか頭にたたき込んでくれ」
他に人はいないのに、ユズキは声を低くしながらタモンに情報を語り渡した。
ユズキが〝再び〟タモンに会いに来たのは、イッセイを手に入れた後のことだった。彼の回復を待っている間によく考えてみたのだ。王家が〝ナニカ〟と繋がっている以上、まとまりのない威支だけでは必ず限界が訪れる。そして、その限界という壁を前にした時、威支は武力行使に走るだろう、と結論づけた。そうしてタモンに協力を仰ぎに来たのだ。
しかし、彼女が張った予防線はこれだけではなかった。そもそも、ユズキは北闇を出るとタモンに伝えてあるし、ナオトには玄帝を信じるなと注意したとのことも話してある。そう、全て事前にタモンと相談した上で仕組まれたものだったのだ。
ここでタモンが初耳だったのは、ユズキが王家へ潜入したことくらいだろう。
「よく生きて出られたな」
「僕がまだ生きているのは、奴らが土地神の情報を欲している割には追って来る様子がこれっぽちもないからだ」
「何か対策があると考えるのが妥当だろう。それよりも気になるのは、監視者とイッセイの瞳だ」
「当主継承の儀に参列したのに気づかなかったのか?」
「神聖な儀式だ。頭からつま先まで白装束で見えないんだよ。今となっては、瞳を隠すためだったのかもしれんと思えるがな」
タモンに毒舌ばかり吐いてきたユズキが、珍しく静かに耳を傾けている。よほど切羽詰まっているのだろうと、タモンは目を細くして核心に触れた。
「……お前の話を信じるのに相当悩まされた。土地神やら何やら言われても、〝資料〟を発見するまでは正直ピンとこなかった。しかし、王家に辿り着いたのなら状況は変わる。なにせ俺は自分の父親を信じていないからな。きっとそれは生まれた時からだ。あいつは年寄りらしい笑みを貼りつけながら心は暴走している。その矛先がナオトに向けられたんだろう?」
「…………そうだ。重度も同じくな。こちらでヘタロウを保護しなければ、トウヤを納得させられない」
王家を出た時から、タモンは隠蔽された歴史を捜し回っていた。彼がそうしたのは、自分の出生に疑問を抱いたからだ。
誰の額にも見られない黒点。王家で暮らす年取った貴族達は黒点を恐れ、決まり文句のように「トアの子孫だ」と囁いた。しかし、トアは昔話に登場する一人物に過ぎない。架空の生き物とされるトアをなぜ老人達は恐れるのか――。
とても幼い頃に一度だけオウガにこの疑問を吐露したことがある。すると、オウガは「全ては彼女から始まったのだ」と意味深い言葉を返した。
ここでオウガは失態を犯した。我が子の体質を見抜けなかったのだ。重度と同じ体質を持つ生き物を誕生させてしまったと、微塵も疑わなかった。
おそらく、この瞬間に至るまで、誰も気づけなかっただろう。
「青島の助言を受けて、東昇に依頼した後だ。今更撤回はできんぞ」
「やることが早すぎて参るな……。その件はこちらでどうにかしよう。状況次第になるが、出来るだけ無傷で帰すよう努力はする」
「頼む。…………それともう一つ。忘れていないだろうな?」
「ちゃんと覚えている。鬼……についてだな。念のためにもう一度だけ見せてくれないか?」
「別に構わないが、何度も変身できるものではない。あれはかなりの体力を消耗する……」
「任期終了まで続く書類整理よりはマシだろう?」
「適切な後継者がいればの話しだ」
タモンが鼻で笑って答えると、落ちている小石が宙に浮いた。タモンの身体の表面からは熱が発せられ、皮膚が黒っぽく変色していく。やがて額にある黒点と同じ色に変わり、黒一色となった。
「はは、慣れないな、この圧には」
ユズキが喋っている間に、黒点があった場所からは角が生え、口の端から先が鋭く尖った歯が伸び出てきた。体つきは筋肉で膨張し、普段より何倍も膨れ、身長は2メートル以上にまで高くなっている。
完成した鬼を見据えて、ユズキは自身の記憶を掘り起こし、改めて再確認した。この鬼、やはり間違いない――、と。
それはキトの能力に関係していた。
キトには8つの力がある。どれも常軌を逸した能力であるが、その中の一つにこの鬼がでてくるのだ。
(なぜマオウがここにいる……)
獄道魔王降臨――。キトはそう呼んでいた。
「……必ず鬼の情報を手に入れる。本当にあったんだな?」
「ああ。俺が小さい頃よく読んでいたのは正義と愛を語る昔話のような絵本ではない。鬼について書かれた古汚い紙だ。悪と無関心について述べられた内容のな……。すでに燃やされているが、あの頃は自分の正体を確かめようと隠れて読み漁ったものだ」
「しかし、この世界に鬼は存在しない……。お前を除けば、の話しだが」
「では、なぜ俺みたいな生き物が存在するのか。確かめるにはその体質を活用してもらう他ないわけだ。一つが解決すれば、後は芋ずる式に出てくるだろう」
言いながら、タモンは元の姿に戻った。
「長年、全総司令官と共に王家に関する情報を集めてきた。あいつらは重度だけでなく、様々な情報を隠蔽したはずだ。全てが明るみになった時、きっと大勢が救われるだろう。混血者だけでなく、走流野家もな」
「重度に1人だけ歴史を知っていそうな奴がいる。それがトウヤだ。だが奴は慎重な奴だ。もう少し時間がかかる」
「急がなくていい。ナオトやイツキを救いたいという気持ちが薄れなければ、それでいいんだ。その意思が消えたとき、俺とお前は本格的に敵だ。わかっているな?」
「当然だ」
この時、2人はまだ分かっていなかった。ナニカが狙う物が何であるか、この先に訪れる出来事がどういう惨事を招くか。そして、鬼とは何者なのか――。
全てはがんじがらめに繋がっている。その鎖は空高いところまで伸びている。そこにあるのはただ一つ。絶対なる存在だ――。




