第14話・失われた希望
きっと、透明になって見守っているキトは呆れているに違いない。
僕は今、マヤの手中にいる。
別にやけくそになったわけではない。攻めるならマヤからだと決めていたし、殺すのが目的じゃないなら会うのも悪くない作戦だと思ったのだ。
大猿の話しで、こいつが重度を引っ張っているわけではないと判明した。ならば、追うのではなく、接近戦だ。
ただ、拠点があると踏んでいた幻惑の森ではなく、海に浮かぶ孤島の一つに僕は連れて来られた。雲一つない青空の下、幅の狭い砂浜に背の低い木々やヤシの木。周りから見えないように隠された、ぽつんとある小屋のような家。
家を背にして、マヤは今、銛の刃を研いでいる。これで僕を突くつもりなのだろうか。
「ここに棲んでいるのか?」
「そうだよ。隠れ家には良い場所だろう?」
フードのせいで顔はよく見えないが、至って敵意は感じられない。それどころか、この場所と同じように穏やかでいる。
「…………殺す、とそう言ったな。どうして襲ってこないんだ」
「気が変わったんだ。どうやら俺は勘違いをしていたみたいでね。君やナオトが夢に出て来て俺を苦しめると話しただろう? ようやくその意味がわかったんだ」
「ち内容が全く伝わってこない。原因ってなんだ?」
笑っているのか、肩が僅かに揺れる。
「それはナオトも呼んでからのお楽しみだ。きっと、俺達は誰よりも幸せになれる。これで全てが元通りになるんだ」
「世界の統一とやらの話しなら、僕は反対だぞ」
「言っただろう? 勘違いをしていた事に気がついたんだから、もうどうでもいい話しだ。それにしても、驚いたよ。シュエンを追って俺に辿り着くなんて。北闇を出たって噂で聞いたから、こっちが捜していたのに」
大猿の名前はシュエンというらしい。
どうしてこうも落ち着いて話せるのだろう。家族や友人同士が会話を楽しんでいるみたいに、こいつは僕と話している時間にどっぷりと浸っている。
だけど、忘れたとは言わせない。
「ここに招くつもりみたいだが、神霊湖でナオト達を襲っただろう。濃霧でチャンスはいくらでもあったのにナオトを浚わなかったのはなぜだ? 巨犬まで連れて、何がしたかったんだ」
刃を研ぐ腕が止まる。
「襲った……? なんの話しだ」
「西猛を襲撃する数日前だ」
マヤがフードを捲った。銀色の毛に白い模様を描いた猫が僕を見る。猫は、走流野家と同じ薄紫色の瞳をしていた。
「俺がナオトに会ったのは、今のところ北闇が最初で最後だ」
「あれがナオトだと気づいたのか? 般若の面で顔を隠していたのに」
「仲間からの情報だ。北闇で幻覚にかかっていないのは、ナオトとユズキだと教えてくれた。本来の目的までは仲間は把握していない。命を狙っていると知ってから、俺は君達について黙っているからね。その事については後で詳しく話すとして、襲撃だ。神霊湖に西猛って何の話しだ?」
「いや、その前に、薄紫色の瞳とはどういうことだ……。これは走流野家だけの特質なはず……」
お互いに混乱した。マヤには話が伝わらず、僕に至っては疑問が溢れかえっている。そして、互いに顔を見合わせた時、チョウゴはやって来たのだった。
僕とマヤの間に着地し、僕を守るようにして羽を広げる。
「マヤ、もうやめるんだ。懲りずにまた襲うだなんて……。これ以上の被害は見てられないよ」
マヤが立ち上がる。
「チョウゴまで……。神霊湖で襲撃だとか、俺はそんなことしていない。手を出すわけがないんだ。その必要がないと記憶が教えてくれたんだから。俺は正しい道に導かれた。ユズキとナオトをここに呼び、共に暮らす。これが正解で幸せになる手段なんだ」
「…………だそうだ。というか、なぜここに来たんだ」
「君が心配だからさ。神霊湖に西猛、間髪入れずにまた襲って……」
本当に身に覚えがないのか、銛を地面に突き刺して上目遣いにチョウゴを睨みつけるマヤ。
「確かに組織は出来たばかりで全員が信頼を寄せていない。だけど、俺は自分の目的を果たすために組織を利用していただけだ。そして、その目的は果たされた。彼女がまだ生きているのが証拠だ」
「だとしたら、組織内の誰かがマヤに化けて犯行に及んだことになる」
そう付け加えて羽を下ろす。
「組織には妖化できる仲間が、マヤを含めて4人いる。猫・犬・蛇だ」
「巨犬なら小隊と交戦していた。となると、選択肢は一つしかないな」
蛇が犯人だ――。そう口にしようとした。しかし、それは急に降り始めた雨によって奪われてしまう。
孤島の上だけに広がる奇妙な灰色の雲。稲光がしきりに起こって、雨は勢いを増していく。そうして、ライマルの能力に似た雷雲が形成されていく。
稲光が足もとを照らすと、遅れて雷が落ちた。あまりの近さに身を屈めると、背中の近くを突風が去っていった。その突風は僕の服を破き、背中に切り傷をつける。ただの風ではない。
風が落ち着くと、雨が止み、雲が消えた。元通りの晴天だ。その中で、チョウゴが呆然と立ち尽くしている。視線の先を見る。
「今の一瞬で……何が起きたんだ……。ユズキ、見たか?」
「そんな隙などなかっただろう……。誰の仕業だ……」
銛に心臓を貫かれた、黒焦げの死体。マヤが殺されている。僕とチョウゴは動揺を隠しきれず、互いに背中を合わせながら辺りを警戒した。
「犯人は奴だと思ったけど、あいつにこんな力は無い。組織にはいない別の誰かだ」
頭上にあった雷雲が青空に溶けていく。これ以上の攻撃はなさそうだ。
「……さっきの話しだが、組織は西猛の後にまたどこかを襲ったのか?」
「北闇と月夜……。どうやら別の作戦もあったみたいだ。北闇は囮で、本来の目的は走流野家の息子だ。てっきりマヤだと思っていた……」
「――っ、ナオトは生きているのか!?」
「無事だよ。ただ、死ぬより残酷かもしれない。彼の目の前で月夜の住人を惨殺したと、仲間から報告されたから……」
目の前が真っ白になる。肌の表面に脈を感じるほどの動揺と、見えない場所を引っ掻かれるような痛みが伝う。
「惨い殺し方だったそうだ。とくに、まだ幼い月夜の姫は、救おうとした彼の手に届く前に殺されたらしい」
「それは……その子は……ウイヒメか……?」
「たしか、そんな名前だったと思う」
膝が折れる。息苦しい。
「とにかく、ここを離れよう。俺達は姿を見られた。きっと命を狙われっ――」
大猿の声よりも高く、晴天に似つかないほど冷たく、絶叫した。最中、キトの声が聞こえてきたような気がした。
闇に触れるな――。もう手遅れかもしれない。




