【逸話】契約
今にも落ちてきそうな無数の星屑。虫の声や風の音が木々の隙間を駆け抜ける。夜の静けさの中、様々な気配が五感をくすぐる。
昼間とは一味違う夜の森は、非日常な雰囲気を作り出し、どんな生き物でも迎え入れてくれた。例えば、血に染まったかのような赤い着物を羽織った人間ではない生き物。そして、その者が見つめる先にいる少女。
少女は、朽ちた木の尖った部分を確認して、少し離れた場所まで歩いた。振り返ると助走をつけて走り出す。
木の先端が少女の服を破り、真っ白な肌にぷつりと穴を開けて、肉を貫通し食い込んでいく。神秘的な森に少女の絶叫が木霊した。
少女が歯を食いしばった。大きな一歩を踏み出そうと踏ん張る。
化け物――、名をキト。キトはその様子を口に弧を描きながら、余興とでもいわんばかりに見守っていた。
少女――、名をユズキ。ユズキは絶命しようと藻掻いている。
ユズキの背中から木の先端が露わになった時、キトは動いた。
呼吸と同時に口から血を吐き出すユズキをキトが覗き込む。彼の容姿を見て、ユズキは息を止めた。
頭部から生える二本の角、赤い瞳に裂けた口。キトの長い爪がユズキの頬を撫でる。
彼女が、自身の目の前にいる生き物の存在を理解し受け入れる前に、キトは人差し指をユズキの額にめり込ませた。
キトは記憶を覗き見ることが出来る。彼の好みであれば、その記憶を持つ体の魂は美味となり、逆に薄っぺらい記憶ならば、腐った食べ物と同じくして食えたものではない。だから覗くのだ。
美味な魂とは、闇を持つ者の魂。不味い魂とは、幸福な人生を送ってきた者の魂のことをいう。
さて、彼女のものはどうだろう。記憶を観賞し始めて間もなく、熱い物でも触ったかのような動きで人差し指を勢いよく抜いた。そして、問うた。
「お前は、なんだ?」
恐る恐る、ユズキが答える。
「そんなの……、僕が……聞きたい……よ……」
欲しい、こいつの魂が欲しい――。彼女の記憶を見て、キトの欲に火がついた。
産まれながらに不幸で、どこぞの神に育てられ、転生の能力を持つ少女。転生しても、幸せを手にできなかった、哀れな少女。
「死にたいのだろう? ならば、その魂、二度と転生できぬよう俺が頂いていこう」
言いながら、キトはユズキの頭に手をかざし、魂の引き抜きにかかった。しかし、抜けない。何度挑戦するも、ユズキから魂を奪うことはできなかった。
もう一度記憶を見直して、ようやくその理由がわかった。
「愛情もここまでなると鬱陶しさすら感じるな。だが、好都合だ」
死に絶えそうなユズキに言葉を紡ぐ。
「死ぬ前に契約を交わそう。お前が喉から手が出るほどに欲しがっていた〝友〟の契約だ。この先ずっと、俺はお前と友であり続ける。呼ばれればどこにでも現れるし、困っている時には必ず助けになろう。その代わり、たまにお前の記憶を覗かせろ。条件はこれだけだ。どうだ?」
「うん……、いいよ……」
「成立だ」
キトがユズキの首に噛みつく。契約の証、あるいはマーキングとでもいおうか。キトは見えない首輪を彼女の首に取り付けた。
「もう逝っていいぞ。転生した後に会おう」
これは、ユズキが神のもとを去り、次に転生した世界での出会いの物語である。




