第7話・巨犬、最弱に怯える
ハルイチの配下や青島班が臨戦態勢をとる中で、何千もの蛇が黒い箱を地上へ引っ張り上げる。本当に巨犬が入っているのかと疑わしいくらいに、箱は静かであった。
イツキが言霊から巨犬を解放する。平原に白くて大きな犬だけが残り、横たわっている。中が暑かったのか、毛は汗で脂ぎっていて、しかも脱水症状を起こしている。もはや、あの時の気力は微塵も残っていないようで獣化が解かれていった。
身体が小さく、小さくなっていく。体毛から露わになる人肌の腕、獣化したままの手や足。髪の毛が生えてきて、獣の耳が頭部から二つ覗いている。尻尾もあって、白くてふわふわだけど動いていない。
草に頬をくすぐられている重度を見て、誰もが言葉を失った。その姿に警戒心など抱けるはずもなく、青島隊長が急いで体調を確認した。
ハルイチとイツキは突然として襲いかかってきた脱力感に尻をついた。それもそのはず。2人はずっと言霊を使っていたのだ。
息切れながらにイツキが経緯を説明した。
「海に飛び込んですぐ、まずは青島隊長を保護したんだ。西猛には戻れないから、青島隊長が海流を探して、俺は海中で箱を押しながら後を追った。それで、流れに乗って辿り着いたのが東昇だったわけだけど……」
青島隊長の一撃でしばらくは気を失っていた重度。その間に東昇へ援軍を要請。ハルイチが対応するということで早速準備が執り行われた。しかし、奴が目覚めてしまった。海の中を進んできたイツキの体力と東昇国内であることを考慮し、あの状態での監視になったそうだ。
覚醒した重度は終始叫んでいたそうだ。
「色んな人を見た。彼らを産んだ母親や、山吹神社の神主さん。何代も前の皇帝や、また別の母親。今みたいに国は発展していなかったり、直近のものだったり。とにかく時系列がバラバラだし、母親が何人もいて変なんだ。あいつはずっと暴言ばかりで、幼い言葉や大人の言葉だったり。人格も滅茶苦茶。まだまだあるよ」
あまりにも多すぎる情報量に、青島隊長ですら途中で唸り始めたそうだ。どれが始まりなのかわからなかったからだ。
かといって、全く収穫がなかったわけではない。
「重度は……恨んでいる。記憶が途切れていて上手く説明できないんだけど、憎悪が半端じゃない。説得が通じる相手ではないね。あと、巨犬を逃がした犯人なんだけどさ……」
「裏切り者がわかったのか!?」
草原を風が通り過ぎていく。
イツキが事件を振り返る。
「セメルさんの氷・捕縛牢は逃げる隙間はないどころか、厚みのある氷で破壊は簡単にはいかない。その証拠に、巨犬は自らの力で逃走することができなかった」
「だけど、内側から壊されて、神社の裏側に避難した闇影隊は殺されたって……」
「うん。〝奴は対象を逃がした〟、目撃者はそう言って死んだ。だけど、闇影隊が犯人の特徴を告げないまま死ぬなんてあり得ない」
確かにそうだ。東昇が猪と交戦した時も、闇影隊は特徴を伝えようとしたところで殺されている。死にゆく仲間を無視してまでハルイチへ伝えようとしたのは、これこそが最も重要だったからだ。
「…………犯人の姿は見ていないってことなのか?」
「そういうこと。中に犯人はいなかったんだ。でも巨犬は逃げた。巨犬が俺に見せたのは、捕縛牢の中で氷が刃物みたいに動き回る姿。巨犬を逃がした犯人は、セメルさんだよ……」
上瞼が引きつるくらいに大きく開かれた俺の目。あらゆる事件が思い起こされる。俺の瞳は、青島隊長に水を飲まされている重度へ向いた。
山吹神社事件、西猛の襲撃、月夜の惨殺事件。全部、父さんがいる――。
「答えてくれ……」
自然と足が重度へ進む。
「父さんはいったい何をしたんだよ……」
青島隊長から奪い取って地面へ叩きつけた。その上に馬乗りになって胸ぐらに掴みかかる。周りはそれを止めようとした。理由は、相手が子どもだからだ。
「答えろ! お前と父さんの繋がりはなんだ!?」
重度が目を開いた。
「…………――っ!? 誰かっ、誰かコイツを、この人をボクに近づけないで!! 殺されるっ。イヤだ!! ハクマ、助けて!!!!」
背中を弓のようにそれせて、必死に俺から逃げようとしている。獣化する体力は残されていない。重度はハルイチによって拘束された。それでも重度は暴れている。
「知ってるぞ、その顔、その瞳!! なんで生きてるんだよ! 死んだはずじゃないか!! お前は生きてちゃいけない!! お前が生きているとまた戦争が起きる!! お前はボク達を殺す!! 必ず殺す!!」
「俺は父さんのことを聞いてるんだ!!」
「うるさい!! お前の父親なんか知るもんか!! ボクをこんな身体にしやがって!! お前さえいなければ、この世界はボク達の物だったんだ!! また邪魔をする気だろ!? 人間のくせに!!」
イツキの言う通り、支離滅裂だ。ここで、イツキの話しを振り返る。
「なあ、イツキ。重度は恨んでるって話してたよな。何をだ?」
「…………ナオトを恨んでる。セメルさんもヒロトも、それにヘタロウさんだっているのに、なぜだかナオトなんだ。だから変なんだ。戦争なんて起きていない。じゃあ、こいつはいつの話しをしていて、いつからナオトを恨んでいるのか……」
あまりにも喚くものだから、ハルイチは重度を気絶させた。騒ぎを嗅ぎつけて人が集まるのを防ぐためにだ。
「もうしばらく、東昇に滞在してもらうとしましょう。北闇はまだ復興作業で忙しいはずですから、ここは一先ず俺達と共に情報整理いたしましょう。安心してください。人は近寄りませんから」
ネネが子どもを肩に抱え、ハルイチは五桐家へと歩いていく。続いて配下も引き返した。
「青島隊長、どうするんすか?」
「ここは東昇で、彼は人と混血者の当主の地位にある。我々に拒否権はない」
人は近寄らない――。それは、ある意味で監獄だと言って青島隊長も後に続いた。




