ショートショート017 息抜きの駄文
何本かショートショートを投稿したことだし、ここらで見出しの通り、駄文でも書こうかと思う。
こら、冒頭だけ読んで立ち去ろうとした、そこのあなた。少々待ってくれ。これは確かに駄文だが、ただの駄文にあらず。あらすじを読んでもらえば分かってもらえると思うが、これから書くのは、ショートショートに関する話である。それも、ショートショートを模した形で、ショートショートの話をするものだ。そうかそうか、ならば少しは読んでやろうとおっしゃるか。それはそれは。
それでは話を始めよう。なに、そう長く話すことにはならんから、安心してくれ。
私がどのようにネタをひねり出すのか。まずはこれを話してみよう。
まあ、簡単な話だ。かのショートショートの大御所、星氏のやり方のマネをしただけである。
枕元にメモを置く。寝る直前に頭に浮かんだことをメモする。夢に出たことをメモする。常にメモを持ち歩く。
ちょっとそこのお嬢さん。あなたのその顔を見たところ、私もそんなのやってるわよと、そう思っておるようだ。しかし、お花を摘んでおっても、メモは持ち歩くのだぞ。人は、すぐに忘れるものなのだ。なに、セクハラだと。それはすまなかった。これは私がうっかりしておった。このとおり謝るので、許してはもらえんか。そうかそうか、感謝する。
さて、話を続けよう。何だったか……そう、メモの話だったな。近ごろは、スマートフォンなるものがあるからな。ペンがなくともメモは可能だ。電池さえあればの話だが。
ただ、スマートフォンの中身は、直接には目に見えん。スマートフォンに保存されたメモも、開かなければ見えん。アナログだが、ここはやはり、紙のメモのほうがよかろう。後で述べるが、私のやり方では、アナログのほうが便利なのだ。ただし、このやり方が誰にでも当てはまる、とまでは思わん。人によっては、スマートフォンの方が便利だと思う者もあるだろう。それはそれでけっこうだ。人には人のやり方があるからな。
まあ、メモの話は、誰もが行うような当然のことだろうから、ここまでにしておくとして、その後のことを話そう。星氏ではなく、私の話である。
星氏がどうかはわからんが、私はネタに詰まると、ノートをバッと開けて、そこにガガガッと単語を羅列する。単語は何でもかまわん。とにかく書く。本の背表紙の見出しでもジュースの缶のロゴの文字でも、どんな単語でもだ。目につく単語を、とにかく羅列する。
ああ、ただし、少なくとも面白くなくはなさそうだ、と思うものを選ぶようにすることだ。これはおそらくの話だが、パッと見て「面白くなさそうだ」と感じる単語では、何も頭に浮かばんだろうと、私は思うのだ。
あと、スマートフォンはダメだ。あれでは情報量が不足する。この情報量とは、視覚で得る情報量のことだ。ひと目でたくさんの情報を得るには、やはりスマートフォンのメモよりも、紙やノートでなければな。さしものスマートフォン様も、まだまだ手の届かぬところはあるだろうよ。
そうやって単語を羅列し終えたら、少し目を離して、ぼうっと眺める感じで単語を追う。そうすると、どうしたことか、頭の中で勝手に単語と単語が連結を始める。それはやがて、そう、まるで大昔、この星で起こった化学反応のごとく、どんどんと新たな連想を生み出す。空想、もしくは妄想と呼んでもかまわん。とにかく、それが重要なのだ。
頭で描かれた空想は、おそらく、その人の感覚によって生まれたものだ。その人だけの感覚から生まれたもので、他人がマネすることは不可能だ。ゆえに、あなたは私にはなれぬし、私もあなたにはなれぬ。大御所たる星氏でさえ、あなたと同じお話は書けんだろう。それが私の信条だ。……とあるアニメで、似たようなセリフがあったな。あやかしがたくさん登場する、言葉遊びばかりの〈物語〉だ。私はあれにドハマりして、原作も買ってしまったのだが、あなたはどうだろうか。
さて、そこそこの空想が得られたら、本文に取り組み始める。この時点では、結末はあってもなくてもかまわん。結末が分からんと書けんなどと、私も昔は思ったものだった。長編ではどうかわからん。だが、ショートショートであれば話は別だ。とにかく、うだうだとゴタクを並べずに、本文にとりかかることだ。少しのミスなど、無視することだ。せっかくパソコンがあるのだから、後から直すのも楽なものだろう。
そうして本文に取り組み始めて、もしも運が良かったならば、途中で早々にゴールが見える。そうなれば、あとは簡単だ。ゴールに向かって走り抜くだけだ。別パターンを考えても面白そうだが、うまく話にまとまるかどうか、それもまた運だ。
運が悪ければ、ゴールはなかなか見えんだろう。それもまた、よくあることだ。そうなったら、プロットを見直してみたり、読者に伝えるテーマをあらためて考え直してみたり、昔のメモをあさってみたり、またノートを読み返すなど、とにかくあがく。それで無理なら、寝かせる。時間を置く。まだ捨ててはならん。人の思考とはわからんものだ。時間が経ってから再びチャレンジしてみると、実に豊かで味のある作品に仕上げられることもあるかもしれん。そうして陽の目を見ることもあるかもしれん。
このホームページ「小説家になろう」に私が投稿したもののうち、ナンバー十五、十六など、全部で五本は、そうして作ったものだ。なに、十五も十六も面白くなかったか。それは残念。私の腕がまだまだなのだなと痛感する。精進するとしよう。
しかしそれでも、本文を進めながらゴールが見えたのは本当の話だ。フワフワした空想をもとにして、本文をガガガっと打ち込んでおったら、フッと脳裏に浮かんだのだ。ああ、これが結末か、とな。あとはそこへ向かっただけだ。ただし、浮かれて打ち続けることになるので、文法やプロットなどの見直しは、後からしっかりとせねばならんがね。
そろそろ、話をまとめるとしようか。要点。ひとつ、メモをせよ。ふたつ、単語を羅列して空想せよ。みっつ、とにかく本文に取り組め。この三点だ。
私の話は、これで終わりだ。もしもこの駄文が、あなたの創作活動のちょっとしたヒントにでもなったのであれば、私も満足だ。至福である、とさえ思う。なぜなら、私にとっても得なことがあるからだ。他人の作ったショートショートを、楽しく読ませてもらえるかもしれんのだからな。
なに、話が違うだと。ああ、誤字も脱字も見当たらぬこの文章のどこが駄文か、駄文とはもっと、だらだらとつづられたものだろうと、そうおっしゃるのだな。
そして、お前のようなド素人にノウハウを主張されるだけでなく、あまつさえこのように偉そうな表現ばかり使われると、読む側のあなたとしては、このショートショートの見出しのように力を抜けるどころか、むしろムカムカしてしまうと、そう思っておられるのだな。
さて、どうしたものか。そうだな、そろそろ、ネタばらしするとしようか。うん、そうしよう。
ほら、よく読んで。平仮名ひと文字、漢字ひと文字もちゃんと見落としなく、本文の頭からここまで、しっかりと読み返して。もしよかったら、声に出して読んでみて。頭から、ここまで。
その上で、このショートショートの見出しを読み直して。
「い」も「き」も、タイトル以降、本文中では漢字も含め、一度たりとも使われてないでしょう。
「い」「き」抜き。
くだらないオチですみませんね。しょせんは「駄文」ですから。オチもくだらないものじゃないとね。
それから、偉そうにしゃべってすみませんでした。丁寧文だと、どうしても「い」と「き」が入ってくるのでね。仕方なかったんです。
それに、初めは、こんなふうにするつもりはなかったんです。単に、こんなふうにやってたら書けるようになった、嬉しい!って言いたいだけの、ただのエッセイのはずだったんですがね。変なオチを思いついちゃって、ショートショートとして書きたくなっちゃって。
えっ? ああ、はいはい。そういうツッコミも、きっと来ると思っていましたよ。「い」と「き」は確かに無いが、「息」は抜いていないじゃないかと、そうおっしゃりたいんですよね。言葉遊びの話ではなくて、本来の意味での「息抜き」ができていないと。ものものしい文体だから、書き手である私も息を抜けていないじゃないかと、そういうことですよね。
いいですか。ここまで「い」も「き」も使わずに、極力違和感が出ないように注意しながら、文章を書き続けていたんですよ。いい加減、へとへとですよ。だから今は、「い」も「き」も使いまくっています。今ほどに息を抜くことができる瞬間なんて、そうあるものでもないでしょう。糸を張りつめて張りつめて、ピンと張り続けてから、最後の最後にようやく緩める。これぞ、最高の息の抜き方ってもんでしょう?
追伸。
「トイレ」「お手洗い」を使えなかったために「お花を摘む」と表現し、結果的にセクハラ発言がありましたこと、ここに深くお詫び申し上げます。
※「かわや」は、いくらなんでも古めかしすぎるので、やめました。悪しからず。