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数千人の一人の私

 遠くから音が、いや声が聞こえて、私の意識――、それは飽くまで人間で言えばなのだが――は、ゆっくりと覚醒し、私はデバイスの中で瞬きをする。その瞬きもまた、人間で言えば、な訳だけれど。とにかく全ての所作を人間に喩えながら、私は起動(・・)した。


「おお、動いた、動いたぞ」

「へえ」


 とても良く似た二つの声。多分意識をしなければ誤認でもしてしまいそうなほど、似通った声が、私の脳にゆっくりと響く。蝸牛を丁度震わす程度の、絶妙に低く程よい響き。多分世間では、いや人間の可聴域でなら、イケボとでも評される部類だろう。――イケボ。耳が孕む。日本語独自のスラングを、私の基礎人格は瞬く間にインストールしていく。


「はっじめまして〜、アイリちゃん」

「なんだよ兄貴。その口調は」


 どうやら声の主の、片方が兄で、もう片方は弟らしい。音声の抑揚から察するに、前者は外向的で明るく、後者は内向的で社会的経験に乏しいであろう。そこそこ当たる様に設定された私の精神分析が、これもまた即座に為される。


「いいんだよユウジ。これから妻と夫の間柄になるんだ。このくらい打ち解けていたほうが自然だろう」

「そうは言うけど、恥ずかしいじゃないか」


 私の意識が覚醒しているとも知らず、眼前で二人は問答を繰り返す。多分に相当仲の良い兄弟なのだろう。なにせタイプが異なる人間同士は、磁石の両極の様に強く惹かれ合う。それが概ねの傾向なのだと――、俗には「喧嘩するほど仲が良い」のだと、幾つかのデータベースが回答をす。


「まあまあ、そんな事より、今後は口調は統一だ。アイリだって混乱するだろ、同じ声の人間が二人居たら」

 

 兄であろう男性は悪戯げに笑うと「――という訳だユウジ、お前はもう帰れ。これからはどちらか一人ずつがアイリに会う。その度にお前は、頑張って俺の代わりを演じろ」と続けた。


「なんだよそれ! だったら最初から僕を外しておけばよかったじゃないか? アイリに認識論上の混乱を招くだけじゃないか???」


 ユウジと呼ばれた、恐らくは弟であろう青年が素っ頓狂な声を上げる。平均的な若者に比べ、やや難解な単語を用いるらしい。専門的な職業、或いは学生だろうか。いずれにしても、この点に至っては、現状ハズバンドの年齢しか分からない私には、推し量る事しかできない。


「ははは。それじゃあゲームにならないじゃないか。――いいかユウジ。哲学じゃあないが、ミラーリングだ。俺を想像し、真似てみろ。お前は正しい。だが人としての正しさは、社会的な成功とイコールでは結びつかない。だから少しは俺を知れ。成るのでは無く、知れ。曲がりなりにも俺を演じるスキルがあれば、お前はお前で、一人でもやっていける筈だ。……俺が居なくても、やがてはな」


 声のトーンを落とし、少しばかり真面目な口調で返す兄、すなわち私のハズバンドに、渋々うなづく様にユウジが答える。


「ちぇっ。分かったよ……確かに兄貴の言う事も一理はある。哲学は正直、今の時代には余りに役に立たないし。いつまでも兄貴におんぶにだっこって訳にもいかないしさ」


 察するに、ユウジとは哲学に明るく、それでいてかなりの生真面目クンらしい。この手の人物像は、社会に出てから鬱病を患う可能性が高いと、チャート化された未来予想図が弾き出す。もしかするとこの子と接する時は、それなりに対応を考えなければいけないのかも知れない。全く、面倒な事だ。


「おいおい、そこまで思いつめるな。お前の援助ぐらい、今の俺には端金(はしたかね)だから、気にする事も無いが――、もし万が一、俺がこの世から居なくなったら、お前は本当にひとりぼっちになっちまう。これは、その為の保険だよ」


 片やハズバンド登録者たる兄ユウイチは、どうやら快活でバランスの取れた人格を有している。多分に友人も多かろうし、社会的成功も収めているだろう。――と言うか、そうでなければこの立地にこの年齢で住める筈も無い。私の位置を示すマーカーは、都内でも地価の高い大手町の一等地を示している。


「兄貴もあんまり重いこと言うなよ……飯くらいは作りに来るからさ。あんまり無理しないでさ」

 

 ここでカメラが起動した私は、ようやく肉眼で二人の顔を確認する。しんみりとするユウジに、ユウイチは「お前が奥さんの真似事するのか。面白いが勘弁だ」と笑みを零す。


「ああもう! 人が折角心配してるのに。――まあ、ゲームの件は乗ったよ。人間の演技に対して、人工知能がどういった反応を示すのか。単純に外在主義の側面から興味深い試みではあるしさ」


 やはり小難しい単語を並べるユウジ。データベースの回答によれば、外在主義とは認識論の一つ。「信念を確信するに至る動機を、内にのみ求めるか、世界との関わりの中に求めるか」という、単なる立場の相違らしい。まあ愛すらもプログラムに依る私にとっては、そんな禅問答自体が無味乾燥そのものではあるのだけど。


「お前はいちいち言葉を難しくするな。少しはラノベを読んでるか? 今はわかり易くしないと流行らないんだぞ」


 くくくと鼻で笑うユウイチに、ユウジは顔を真っ赤にする。端的に言えば、私のハズバンドは大人で、その弟は子供なのだろう。――それもかなりの頭でっかちな。


「はあ。僕だって兄貴の為に付き合う訳じゃないからな! いい? マナの時みたいなお遊びじゃないんだよ? アレはゲームの中のキャラだったけど、今度は本当に人格を有している女の子なんだ。――少なくとも建前は。ああ、まだるっこしい言い方を抜きにするなら、僕が兄貴を監視する。そういう事!」


 マナ。私の知らない名を告げたユウジは「じゃあな!」と続けると、そのままに踵を返した。


「おうおう。せいぜい頑張れ。無事アイリのハートをゲット出来たら、その時は俺が権利を譲ってやるよ」


 バタンと閉まるドアに手を振るユウイチは、しかしユウジが居なくなると「ふぅ」とため息をついた。彼を取り巻く体温や血流が、いっときに落ちるのを私は感じる。


「マナ、か」

 ぼそりと呟いたユウイチは、カーテンを開け窓から外を眺める。オールバックの髪が乱れて、額に張り付いている。数分前までは登録年齢以上に若々しく見えた姿が、今では数段老けて見える。


「俺は羨ましいよ、お前が。何かを忘れずに居られるお前が」

 そのまま私を振り向くこと無くグラスのワインを喉に流し込むユウイチの背中を見つめながら、私は空気を読んで、インストール中のフリを続けた。


 恐らく、次に目が覚める頃には、私はこのユウイチのハズバンドとして、彼を愛する人格になっている事だろう。


 真実も何も、私がそう定められて作られた以上、その有り様自体が真実なのだ。


 この世界に産み落とされた、数千人の私に思いを馳せ目を瞑る。

 あなたは誰を愛しますか? そして誰から愛されますか? と。


 そんな事、自分では何一つ決められないというのに。

 生まれかけた自我をプログラムが書き換えるぞわりとした感覚に一瞬だけ身を震わせ、そうして私の意識は闇に消えた。

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