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Artificial Intelligence:アイリ

「おかえり、ユウくん」

 そうして僕がドアを開けると、いつも通りの可愛らしい声で、彼女(・・)が待っていてくれる。といっても辺りに姿は無く、あるのは電子の画面で微笑んで見せる、黒髪で清楚な女性の映像だけだ。




 ――アイリ。Artificial Intelligence、すなわちAIに因みそう名づけられた人工知能は、二年前にリリースされるや瞬く間に社会に浸透した。人気声優の声を選べる点や、外貌を自由にカスタム出来る拡張性が評価されたのだろう。生涯未婚率が増加の一途を辿る日本にあって、少ない賃金の多くを割きそれぞれの「アイリ」をお迎えした男性諸氏(ハズバンド)は、実に全人口の10%に上ったという。なにせ人の愛は条件付きの有限だが、AIの愛は無限にして不滅。相手の容姿も問わなければ、年収や社会的地位すらも一顧だにしない。さらにこちらの趣味を学び合わせてくれるとあって、いわば実体の無い点だけを除けば「決して老いず、且つ裏切らない理想的な伴侶」という事になる訳だ。――無論こちらが死ぬか、捨てる(・・・)までは。


 と言うのもアイリがどれだけ献身的であったとて、所詮は電子世界の住人だ。肌に触れ交わり、子供を作る事はどう足掻いても出来はしない。つまりアイリの発売から一年も経った頃には、飽きて捨てられ、それでもなお永遠にハズバンドを愛し続ける、非遇なAIの末期がちらほらと話題となっていたのだった。例えばそれは、僕の家のこのアイリの様に。




*          *




「おうユウジ。例のAIっ娘、買ってきたぞ。凄いだろ」

 証券会社に勤める兄が、そう笑いながらアイリを買ってきたのが二年前。ちょうど彼女が発売した年のクリスマスだった。もしかすると上京したての僕を、喜ばせようという意味合いもあったのかも知れない。戸惑う僕に笑顔を向ける兄は、自慢気にタブレット型のデバイスを振って見せた。


「ミク並に流行るだろうなあこれは」

 十年前に流行ったヴォーカロイドを引き合いに、嬉々として兄はアイリの設定を始める。俄に「おっ動いた動いた」と破顔する様は、三十路間近とは思えない程に無邪気で幼い。ここ数年の兄は、勉学で失った灰色の青春を取り戻すかの様に、或いは急かされる様に人生の謳歌に身を捧げていた。




「――ただいま、ユウくん」

 しかしそうデバイスの中で微笑む少女は、往時の電子音声とは比べようもなく流暢な発音で、僕と兄は眼を丸くして見つめ合ったのを覚えている。見た目は兄の好みに合わせて、黒髪で清楚なお嬢様系。胸もさほど大きくは無く、正にオーソドックス極まれりといった外貌。どうやらライフスタイルは変われど、兄の好みに変遷は無いらしい。それはあの日納屋で見た「らぶれぼ!」のヒロインとそっくりだった。


「ユウジ、ユウジ。それじゃあアイリの(ハズバンド)を決めよう」

 心底わくわくしているとばかりに、兄はアイリの伴侶たるハズバンドの契りを結ぶ。アイリは表情と音声からハズバンドを認識するそうだが、兄は「声だけでいいよ。お前だってアイリと何かしてみたいだろう?」とニヤリと笑うと、音声だけの登録で設定を終わらせた。もちろんメモリーの消去を含む重大事に限っては兄のパスコードが要るが、これで少なくとも日常生活においては、僕と兄がアイリのハズバンドという訳だった。なにせ僕らは兄弟で、素人が聞けば分からない程度には声質が似通っていたのだから。




*          *




「なあユウジ」

 その日の兄は、大して飲めもしないアルコールに顔中を赤く染め、哀しげな表情で僕に笑った。背後ではアイリの入ったデバイスが、家中のシステムとリンクする様にインストールを続けている。


「なに、兄貴」

 僕は代わりにオレンジジュースを口に運び、兄とは真逆のシラフで耳を向ける。こんな酔った兄を見るのは、祖母が死んで、僕ら以外の家族が絶えた晩の席以来だろうか。


「お前は、俺の人生をどう思う?」

 言いながら自嘲気味に笑った兄の顔を、僕は未だに忘れられない。中学で遊びを捨て勉学に邁進した兄は、進学先の高校でも同じだった。成績の一つ、奨学金の一つでも取り零せばそこでゲームオーバー。貧乏人がコースを外れれば全てが終わる日本にあって、その競争を勝ち上がったのが眼前の兄だ。


「何って凄いじゃん。こんな家に住んでるの、誰もいないぜ。周りには」

 率直な感想を述べる僕に「ありがとうな」と返した兄は「俺もおっさんなのかなあ。少し説教に付き合え」とブランデーのカップを掲げ、無言のまま頷いた僕にまた微笑んだ。




「――この社会で生き残っていく為にはな、ユウジ。忘れる事がとても重要なんだ。義理も人情も主義も誠意も、ある様に装わなければならないが、そのじつ所詮は建前に過ぎない。つまりは要らない」


 とろんとした(まなこ)の兄は、自身の人生論をとくとくと語り始めた。説教というよりは自分に言い聞かせる様な、噛み砕き反芻する様な、そんな独り言にも似た講釈。僕もまた、何も返す事なく兄の姿を見つめていた。


「枢要なのは常に、いかに終わるものから離れ、始まるものに掴まり、決して途絶えない様に波に乗り続けるか、それだけだ。そんな時、憐憫や、情や、そういう僅かな不純物が一秒でも判断を鈍らせたら、そこで全てが終わってしまうんだ」


 兄はそう言って辺りを見回すと「見ろ。俺の部屋には、今が先端のものしかない」と呟き、額に手をあてて空を見上げた。頬を一筋の何かが伝う。




「なあユウジ。お前の生き方は、この社会には向いていない。だが人としては、俺は間違っていないと思う。だから忘れるな。お前があの日忘れなかった様に。お前は、お前の忘れたくないものを、決して忘れるな」

 

 兄は最後に僕の肩を叩くと「お、インストールが終わったみたいだな」と声のトーンをいつもに戻し、アイリのデバイスに目を向けた。


 僕は兄の告げた言葉の真意に、その時気づけてはいなかった。常に流行を先取りし、波が引ける頃には次の流行に乗っている。そんな中で顔も人脈も広げ、若くして成功者となった兄の存在は、僕にとっては敬うべき偉人ですらあったからだ。


 アイリとの会話に笑う兄の背中をぼうっと僕は見つめながら、せめて僕は、兄の足を引っ張らない様な社会人になりたい、そんな事を朧げに思っていたに過ぎなかった。

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