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ACTion 63 『エンジェル オブ ミュージック』

 滔々、流し込まれる情報が、絶え間なく更新され続ける生命活動のそれなら、死す以外にシャットアウトする術はない。だからこそ覚えずにおれない違和感は、そのときアルトを目覚めさせていた。

 閉じていたらしいまぶたを開く。

 ホロスクリーンはそこで、そこにまるきり異なる映像を映し出すと重なっていた。だからか、酔っているかのごとく危うい平衡感覚に、ついぞ手足を振り回し、それがどこにあるのか分からないことに気づかされもする。

 アルトは息をのんでいた。

 ならなおさらはっきりと、まとう皮膚がごわつき馴染まぬこともまた自覚する。

 振り払えば身悶えしていた。

 おかげで流し込まれる情報量は増える。

 従い「音」はすでに聞こえていたことを、生ぬるく肌を這いずりまわるそれが水槽に満たされた液体の感触であることを、時に刺すような痛みが走るのはその名残であることを、アルトは感じ取っていった。ただ肺だけは、液体に満たされでっぷりと太っているハズだというのに、呼吸のたび膨張と収縮を繰り返すと、違和感以上、得体の知れない不気味さを投げよこしている。

 どういうことだ、とようやく働き出した理性に助けられていた。

 目の前で重なる二つのホロスクリーンに、よもや、と己が身体へ意識を向けなおす。

 果てに、だからこうも平衡感覚が怪しいのかと飲み込んでいた。そう、まさに自分という意識の下に己の肉体は、今まさに二つ、ぶら下がっている。それもこれもマグミットも言っていた通りなら、どれほど状況がシュールだろうとそう理解するほかアルトに手はなかった。

 だが意識とは、そもそも個を一つにまとめあげるため作用するものだ。だからして理解と同時に双方を一手に引き受けたなら、処理能力を越えた意識は崩壊を始める。狂う、という感覚さえないままだ。かみ合わない肉体感覚に、着実と分解し始めた。

 甘んじることなど容易い。

 だが黙して、従順と破綻できないワケがアルトには、ある。

 体を、どちらと限定することなく動く体を、アルトは死に物狂いで振り回した。そうして思うとおりに動く体を己のモノと探しあてようと、二つだった肉体をどうにか一つへ絞り込ませようと試行錯誤する。どこにある腕が、足が、腹が、己のモノなのか。どちらの視界が正常であり、どの体が個を支えて呼吸を繰り返しているのかを、掴みなおそうとした。

 なら探れば探るほどだ。同時に流れ込んでくるこれまでにない感覚に、驚きもしする。

 とにかく軽かった。

 かつてとは異なり、まるでパワーアシストでも働いているのかと思うほど、その体は軽いことを思い知る。確かめ、手繰り寄せて振り回せば振り回すほど、意識下の出力と実際の動作に対して得るレスポンス、手ごたえの開きに、潜む未曾有の可能性すら予感させていた。何よりこれほどまでに暴れ続けたところで息すら切れないのだから、尋常ではないと感じる。

 つまりそれが押し付けられたモノの方か、と思っていた。

 ならようやく肉体のハンドルを握り絞めたようで、果てに像の重なる視界を枯れ枝のような腕は横切る。見てくれに「冗談だろう」と吐いていた。耳に、獣のような叫び声がねじ込まれて驚かされる。

 まさか、と思わずにおれない。

 確かめアルトは「冗談だろう」と、繰り返していた。

 しかし聞こえて来るのは同様の絶叫のみだ。

 吹き出す焦りに、のべつまくなしと喋らずにはおれなくなっていた。だが言葉は一言も聞こえてこず、ただ目の前にマグミットが、ネオンが、黒服たちに『ホグス』が、亡霊がごとく浮かび上がってくる。檻の中から、いや檻に入っているのはこちらの方か、どの顔も嫌悪と恐怖を張り付かせると、アルトを見ていた。

 駆け寄りかけて檻に阻まれる。

 七転八倒すれば、その背に衝撃を食らっていた。

 感覚のゲージはその時、振り切れる。

 証明して得たばかりの世界は、掴みかけていた己の体ごとどこかへ吹き飛んでいた。腫れ上がる白が目の前を覆い尽くし、その彼方で電子音のような耳鳴りだけが細く鳴る。果てに一瞬ながらもあの世が透けて見えたというなら、それこそウソ偽りない実感だった。

 だが呼び戻して、真っ白な視界へ世俗のインクは滴り落ちる。

 唐突とだった。

 染みて広がり、周囲へ世界は再び影を落とす。

 とたんありがた迷惑も最大値だ。痛みが全身を襲っていた。その鮮烈な生還に決定付けられる刺激の優位が、混濁していた知覚を一所へ繋ぎなおす。世界は明度を上げ、意識はクリアを極めると、あった違和感の全をその時、アルトから取り去っていた。

 見れば傍らに樹脂弾が転がっている。

 一瞥くれてゆっくりと、アルトはその身を起こしていった。


>どう? 完体の感触は? 思っていたより、使い勝手のいいもんでしょ。


 気安く呼び掛けるマグミットの声を、聞いていた。


>まぁ聞くところによると身に合わないEMUを着せられているようだってハナシだから違和感はあるだろうけれど、 どこだって住めば都だ。


 振り返れば途絶えた記憶をつなぎ合わせて、周囲に水槽の並ぶ空間は広がっている。


>生体信号のやり取りは、専用ゲージと完体に注入されたマイクロマシンで行っているのよ。そんなに気の利いたものじゃない。だからここやリングのゲージから逃げ出そうなんて思わないことだね。パージの手順を飛ばして信号を途絶えさせたりしたなら、お兄さんの意識だってそこここに浮遊する電子と同じに放電、消えちまう可能性だってあるってことを覚えておきな。


 そのひとつ、反り立つ水槽の中に己が姿はあった。

 目にして反射的に嘔吐しかけ、かみ殺してアルトはマグミットへ目を向ける。

 そこでマグミットは、勝ち誇ったように微笑んでいた。足元には別人のようなネオンが伏せている。無論そのワケは蒼白く強張った顔以上、まとうもののせいとしか言いようがない。座り捩れた体に程よく食い込んだそれは、薄いネオンの体でさえひどく肉感的に浮き上がらせると見慣れないものに変えていた。

同時にそうならざるを得なくなった経緯へ、拭いきれぬ懸念もまた感じ取る。


>さて、丁寧な取り扱いの説明はここまでだ。なんてったって、ぶかぶかのままじゃ、コンマを争う試合運びの中でチャンピオンに太刀打ちする事はできやしないらね。


 知らずマグミットが歩み寄ってくる。


>これから、ぶかぶかのスーツをタイトに締めてあげるよ。ただし、これはお兄さんの好き好きだ。


 その歩みで視界から、あえてネオンを遮った。つまりすべてが計算のうちだと言うなら、アルトの中を怒りはこみ上げてくる。


>完体の感度を上げるとね、当然反射スピードなんて格段に跳ね上がる。チャンピオンとやりあうなら、それくらいが当然だと思うわたしの温情だよ。けれど、過剰な感覚情報の負荷に耐えられなくなるチャレンジャーもいるってこと。ちょっとオカシくなるってこともある。


 前で額を軽く突くマグミットが、顔を突き出していた。


>だからこれは、うちからの配慮のつもり。シラフで無理そうなら、先に興奮剤をうっておいてあげるけれど、お兄さんの考えはどう?


 だとしてもとより、興奮剤などにいい思い出はない。

『そいつは必要ないね』

 突っぱねれば、言葉は思い通りと飛び出していた。それはひどく酔ったときのようにロレツが回っていなかったが、もうあの叫び声ではないならそこに格別の開放感さえ感じてみる。


>確かに勝って帰ろうってのなら、ラリってちゃ話にならないからね。そういう選択もあるだろうさ。まぁ、シラフでせいぜい頑張りなよ。


『うるせぇ。俺が殺るのは貴様の方だ』

 試して吹きかけるたび、それは思考と身体の心地よいシンクロニティとなる。


>ふん。垂れ流しかい。どうせなら思慮ってものを装えるくらい、綿密とつながってから喋るんだね。 じゃなきゃ余計なだけだ。残念だけれどその口は、念入りにシャットアウトさせてもらうよ。


『黙れ、ゲス野郎』

 だとして聞かぬふりだ。マグミットが、片手を振り上げ合図を送っていた。受けて黒服たちが檻の周りへ集まってくる。駆け寄る足音で聴覚をこれでもかと突き刺し、すかさずフロートを作動させていった。様子に、すぐにも感度とやらを引き上げるのかとアルトは身構え、投げかけられる『ヒト』語を聞く。


>迎えにいくからっ!


 何事かと振り返っていた。


>言ったでしょ、勝たなくても負けなくてもいいからっ!


 ネオンだ。ゆえに最初、何を言っているのかまるで理解できていなかった。


>わたしが行くまで待ってて、そう約束してっ!


 そうしてようやくアルトは飲み込む。だからこそお前には無理だと感じもしていた。何よりその顔はひどく思いつめると、そんな顔をする輩に、ロクな手などあるはずないとさえ思う。


>だってあなたがいないと、困る。わたしはっ!


 だがネオンは気づいていない。だからして何をや吐き出そうと力み、言わせてしまえば無謀を止めることこそ無理だと思えてならなかった。いや、続く言葉をすでに予感しているからこそだ。封じねばならないと、アルトはその口を開く。

「ケツ、半分見えてるぞ」


>は?


 話の腰を折られたネオンが眉間を、素っ頓狂と開いていた。

「全部みえちまうよりは、たまんねぇわな」

 なまじ嘘でないから、言ってやる。

 

>あ、あのねっ! そんなこと言ってる場合じゃないでしょっ!


 いや、だからこそ言わなければならない。


>わたしは、わたしはねっ!


 遮り繰り返すネオンが肩をいからせている。


>な、なによ、もうっ!


 だが続かず、そこにいつもの調子はそこに舞い戻っていた。

 追い打ちをかけ、言ってやる。

「ぺちゃぱい」

 瞬間、引きつるネオンの顔に、殺気さえもが、薄く貼りついていた。ままにひとつ、鼻で笑い飛ばせばその先は、色気も吹き飛ぶ怒涛に罵倒が埋め尽くしてゆく。


>な、何よっ! 造ったのはそっちでしょっ! だったらもっとグラマーでセクシーにすればよかったんじゃないっ! バカっ! バカっ! バカなんか、大っ嫌いだからっ!


 そう、ラボでも、『フェイオン』でも、そして別れた『アーツェ』の砂漠港でも、その全てでネオンはすねると突っかかり、真正面から自己主張をぶつけていた。

 面倒くさいこと、この上ない。

 だが様子に、素直と笑みはもれる。

 何しろこの方が、思いつめた顔をされるより安心できた。ましてやこれが最期だとしたら。考えかけて論点がずれていることに気づき、アルトは思いとどまる。確かに俺はバカだと思うからこそ失笑さえ絞りだせず、力はそこで抜け落ちていた。

「それでいい。俺に待ってろって言う方が、無理な約束だろ。待つのはお前だ」

 言ったつもりの声は、どうにも途切れ途切れと聴覚に拾い上げられている。とうとう始まりやがったのかと、馴染んで間もない身体へ、再び土足で上がり込んできた何者かの手により拉致されつつあるこの意識に、身構えた。


>そんなの、もういやだよ


 泣き出しそうなネオンの声は、見捨てないでくれ、とさえ言っているようだ。

「大丈夫だ。信じろよ。自分を」


>信じてるわよ。だって、気づいたんだもの。待って!


 振り返ったネオンが背後へ怒鳴りつけている。

 泣いたり怒ったり、忙しい奴だなと、ただ眺めていた。

 その姿が、唐突にブレて霞みだす。

 何も依存しているつもりなどありはしない。だが、そこにあるゆるぎない意志は、いつも曖昧だった己を示す糧で間違いなかった。だからこそ、ここまで走ってこれたのだとさえ、独りきりではとれない距離を紡ぎ出すことさえ出来たのだとさえ、今ならはっきりと断言できる。


 俺の言葉(イシ)は、お前自身だ。

 いつだって俺に最善の音楽(ビジョン)を聞かせてくれよ。


 淀むことなく言い切ったつもりだった。

 だがそのとき紡ぎだすべく体はアルトの前から消え去ると、意識は混沌の彼方へ追いやられる。

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