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───厚い雲の向こうには


───濃く、淡く滲む青空が


───濃紺に、きらきら輝く星空が


───美しく、艶やかに夜を彩る月が


───未だ見たことのない、素晴らしい世界が広がり続けているんだよ。


あなたは幼い私に、そう言って微笑んでくれました。あれはもう、15年も前の大切な思い出です。

そう。遠い遠い、昔の、幸せだった頃の……私の宝物。



──穏やかな春の日に産声を上げた私は、まだまだ無垢な赤ん坊。優しい父と母の間に生まれ、おっかなびっくり兄の腕に抱かれた私の世界は、愛に満ちあふれていた。


──生まれて初めてガーデンパーティに出席した5歳の夏。親同士の示し合わせた出会いではあったけれど、母に促され挨拶を交わした貴方は、まるで絵本に出てくる王子様に見えた。


──私たちの婚約が決まった10歳の秋。披露パーティの後、貴方は直ぐに王都の騎士学校へ向かってしまったけれど、私は幸せが溢れ出して踊り出したいほど恋に恋していた。


──そうして五年後の春、私達は沢山の人に祝福されて、結婚式を挙げたの。



……でも、幸せは長く続かなかった。

貴方は私より5歳も年上で、王都にも沢山友人がいて、仕事も忙しい。だから、初夜以来殆ど屋敷に帰らない夫だとしても、少しくらい寂しくても我慢すべきなんだと思っていたの。



「……え?」


──今、なんて?

目の前に立っている男が、何を言っているのか理解出来なかった。この人は何を言っているんだろう?


「戦が始まるから、親類から養子を貰った」


結婚式以来、私に領主代行を任せたきり、数えるほどしか領地に帰らない夫。彼の顔をこんなにじっくりと、まともに見るのは初めてかも知れない。

五年も夫婦でいるのに、片手で足りるほどしか会えなかった夫が、突然帰宅したと思ったら子供連れだった。


「……よ、うし?」


昔は大好きだった青銀の髪も、焦げ茶の瞳も、すっきりとした顔立ちも、何もかもがこの五年で色褪せていた。

でも、例え五年放っておかれても、まだ希望はあった。彼がどんなに忙しくても、私に興味が無さそうでも、いつか子供が出来たら何か変わるかもって、そう思っていたのに。

こんな、こんなことって……ある?


「何か問題があるか?俺は将として戦に出る。跡取りがいないと俺に何かあった時に家が続かないだろう」

「……わ、私は」

「これはまだ十だから、俺と同様に騎士学校に入学させる。だから、お前は変わらず領主代行としてこの地と民を守れ」


夫は去っていった。私の知らない子供を引き連れて、また遠い王都へ帰ってしまった。


──ああ。これは、なんて酷い悪夢なのだろう。



いつからだったろう。私は空が大好きだった。あの向こうには、きっと素敵な何かが待っているのだとそう、信じていた。


見上げれば、涙で滲む空が……あんなにも遠い。

貴方にほめられたくて、長く伸ばした髪に、短刀を入れていく。

高い塔の上。下ろせば踝まで流れた髪が、耳元からざりざり音を立て短くなっていくのを、私は瞼を閉じて感じていた。初めてあの人に出会った日のこと。恋に気づいた日。嬉しい日も、悲しい日もあった。思い出は多すぎて、私の中から溢れだす。

すべての髪を切り終わると瞼を開き、短刀を床に捨てた。そうして風にさらわれる長い髪を見送り、一安心。

生命力や魔力の溜まる髪が長いままだと、怪我をしても勝手に自己回復してしまい一命を取り留めたり、誰かに救命される可能性が高くなる。


それではいけないから。


───私は、確実な死を望んでいた。


そして、私は空を飛びました。いえ……正確に言えば、高くそびえる時計塔からから落ちた。いいえ、自分の意志で飛び降りた。

あの時はもう、なにもかもが手遅れで。私の中には数え切れないほどの苦しみや悲しみ、痛みが凝縮されていて……全てを捨てて楽になることだけを望んでしまったのです。

いけないことだとわかっていました。

けれど、私にはもう、耐えられない何かか溢れ出して止められなかった。



浮遊感。落下。内臓が持ち上がり、背筋が長いことひゅっとしていた。


「……っ」


貴方を愛していた。

遠い故郷への帰還を諦めるくらいには、ね。

でも、そう。私はいつも流されやすくて、貴方との出会いも、結婚も……結局は選択を迫られた結果だったのかもしれない。

自業自得よ。何もかも。


でも……あんまりすぎる。

私は、貴方にとって何だったのかしら?よほど酷い妻だったのかと誰彼かまわず問いただしたくなるわ。だってそうでしょう?嫁いでから何年経っても子供が出来ない私は、只でさえ周囲の目も厳しくなって自分の価値や足元が揺らいでいたのに、養子って。

愕然とさせられたわ。私は、自分の見る目を、感覚を疑った。

嘆き悲しむ気持ちもあったけど、それよりもマグマのように沸き立つ怒りに言葉も出なかった。そしてこの数年を無駄にしてしまったと、はっきり気づいたの。

だから、決断したの。離婚しよう……と。


「……ふふっ」


でも、それもまた、無知な私の見た夢だったの。

あぁ、守ると約束した夫は、その言葉を、誓いを覚えていただろうか?

さっき伝令が、悲報を伝えにきた。

内容は、私の故郷、両親の治める地が、敵に制圧された……と。


「……やっと」


段々と近づきつつある地面に、私は、ゆっくりと瞼を閉じた。

その後聞こえたおぞましいし音は、この耳に届かぬまま……闇の手に導かれる道へと連れられて『私』は、この世界から消えてしまった。



ざーざーざー。


雨音が聞こえる。


でも、意識は遠くに眠ったまま。


夢を見た。古い記憶を掘り起こすような、不可思議な感覚の中で、そこにいる私は今とは全く違う姿をしていた。髪と瞳は真っ黒で、まあるい星の中に浮かぶ小さな島に暮らしている。日本人と呼ばれる人種で、両親と兄と弟の五人家族だった。その場所での私は学校へ通うことが許され、職業も自由に選ぶことができた。好きなものを食べ、好きな服を着て、好きなように生きて、少なくともあの頃の私は……幸せを感じていた。

でも、ある日の夕方。ざんざんと降りしきる雨の中、車の衝撃音が周囲に響きわたった瞬間、私の命は終わりを告げた。


あぁ、そう……死んでしまった。


でも、私はまた生まれた。そう。違う世界へ、新しい身体を与えられて。……なんだか、不思議。


───夢を見たの。それは、もう一人の私の人生だった。喜びも悲しみも、彼女の知り合った全ての人の顔と名前も、なにもかもが私の魂のまわりに集まって、新しい形を作り出す。


今ではもうどちらがどちらのものか、説明など出来ないほどに、記憶は残らず溶けて混ざり合い、過去は夢の中の一部に収まった。



さっき寝入ったばかりのような気がするのに、だんだんと体は覚醒していく。


「……つ、めたい」


ざぁざぁと、雨が降っていた。

額にのせられた濡れタオルと、全身の汗が冷えて僅かに残った熱さえ、奪われていく。


(あー、なんだこれ)


雑に切り落とされた髪が、チクチクと首に刺さって地味に痛かった。


「ここ、どこ?」


身体が辛すぎて起きあがれはしないけど、見えている限りでは洋館の一室。それも、主寝室かと疑いたくなるほど広く趣のある内調だった。


「っ奥さま!お目覚めに?!」

「ああ、神様感謝いたします。直ぐに医師を呼ばなくては」


ばたばたと騒がしい声と足音が、遠くのドア付近から聞こえてきた。

──今の声、執事長のヒューと私付きメイドのザシャだわ。

頭の中に思い浮かんだ内容に、一瞬混乱して、そう言えば私達一度死んだんだったと思い出してきた。

一度思い出すと、以外にもするりと落ち着いてきて、屋敷の面々や自分自身のことも直ぐに頭の中に思い浮かべることが出来る。


「奥様、あの、わたくしのことはお分かりになりますか?」


おずおずと近寄り、問いかけてくるザシャへと一つ頷きを返してから此方からも聞いてみた。


「ザシャ、私、どうなったの?」

「お、奥様。奥様は、その」

「奥方様は誤って時計塔から落下し、一命を取り留められました。あの日からもう十日です。危ないところでございました」


声が震え、嗚咽をかみ殺すザシャに見かねてヒューが近づきながらそう説明してくれた。

──あぁ、誤って……ね。まぁ次期将軍の妻が自殺だなんて外聞が悪いものね。

仕方がないと分かってはいても、内心は毒をはきまくりの私と向き合い、見つめ合うヒューに苦笑いを見せた。


「……そう。心配をかけたわね」

「いいえ。我らのことなとお気になさらず、ゆっくりとお休みになりお体をお労りください」


──私が死んだところで、養子が跡を継ぐまで領主代行の出来る新たな妻を迎えれば済むことでしょうに。わざわざ御苦労なことだわ。


「悪いのだけど、下がって頂戴。ゆっくり眠りたいの」

「……扉の外に人をおいておきますので、何かあれば直ぐにお声掛け下さい」

「えぇ、ありがとう」


ヒューやザシャが部屋を出たのを見届けて、ベットを降り、よろけながら窓際へ向かう。


「っ」


やっぱり、外側から鍵がかかっている。そりゃそうか、自殺未遂を犯した人間をあんなに簡単に独りにしてくれるわけがない。


「あぁ、もう、死ぬことすら」


この地獄から逃げ出すことすら出来ないのか。

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