境界の教会
最上部に十字架を置く、凸形を縦に伸ばしたような白塗りの巨大建造物。いわゆる、教会と呼ばれるそれが、一棟ぽつんと存在していた。
ところどころの破損が目立つ荒廃したその様は、悪霊の住まう曰く付きだと言われても遜色がない。実際にそうだろうと思わせる不気味さもあったが、しかし、現在はその気配も鳴りを潜める。
周囲の全てが、不自然だった。
教会から数メートルの距離を残して、まるで世界から切り離されたかのように消失した教会の敷地がまず目立つ。山をひっくり返した、という表現がぴったりな状態で教会の下にあり、当然とばかりに浮遊していた。
何色とも取れない色をした景色の続く摩訶不思議な空間を、ただ目的もなくゆっくりと進んでいく。
「おいおい、ヘル!」
そんな雰囲気をぶち壊す甲高い声音。
静寂を切り裂く、鋭利な刃物じみたその声は、外観同様に荒れ果てた教会内から響いてくる。
元は綺麗な赤色だったと思しき絨毯の敷かれた身廊の奥、祭壇前の教会席に座り、読書に勤しむ一人の男がいた。
裾の長い黒の神父服をまるでジャケットのように羽織り、その上から腰元をベルトで締めた、灼熱のごとく赤きマフラーを首に巻く黒髪の男。到底神父には見えない神父然としたその男は、視線を手元の豪奢な装飾の施された本へと向けるばかりで反応の一つもしない。
見かねて、首のマフラーが声に怒気を孕ませる。
「聞いてんのかコラァ! せっかく俺様が話しかけてやってんのに読書にばっかり精を出しやがって! キャラじゃねーんだよぉ!」
心なしか震えているようにも感じる赤マフラーの声は未だに無視され続ける。
「さみしいだろーが!」
「……お前は本音が出るのが早いんだよ」
今にも泣き出しかねないマフラーの声を見かねてか、ヘルと呼ばれた神父が本を閉じ、口を開いた。
「さすがヘル=ベルヴェルク! お前なら俺様の声に耳を傾けてくれると信じていたぜ!」
「キャラがぶれてるぞ、ラストラウラ」
「知らんなぁ!」
ヘルの視線の先、首もとを隠すマフラーの一部に、丸と三角で形作られた欠けた太陽のようなマークがあった。ラストラウラの声はそこを中心に発せられているようで、さらに言葉が続けられる。
「大体なぁ、暇さえあればすぐ読書ってのが気に食わねーんだよ! お前は無口かもしれねーが俺様はおしゃべりなの! 暇なときはおしゃべりしたいの!」
「何でおめーの暇潰しに付き合わなきゃならねぇ」
「そりゃお前、二人きりの境界の教会でーーグェェ!! 違うから! 今のダジャレじゃねーから!」
「すまん、いつもの癖で」
「意図がなかったといえば嘘になるがな!」
「……」
「グェェ! 手を離せバカヤロー!」
ヘルは握りしめたラストラウラのマークから手を離すと席から立ち上がった。手に持った白の書物をベルトに取り付けられたブックホルスターに滑り込ませると、広い窓から外を見る。
「相変わらずの景色だな」
この世には、星の数ほど存在する〝物語〟と呼ばれる世界が存在する。そして、全ての世界は並び立ち、無尽蔵にその数を増やしていくとされていた。
並び立つ世界。しかし、それら無限の世界は決して互いを認識できない。概念を排除する特殊な領域ーー境界がその理解を阻害するからだ。
そんな役割を担った境界の認識も当然、不可能。それ故に、その空間には何者も侵入できない。仮に入れたとしても、そこで一つでも決まった答えを得ることなど、出来はしない。
空に正しい色はなく、そもそも見ている空が大地でない保証はなく、空と呼べる程に遠くの景色と断定もできない。全ての異常が自然となるのが境界の特徴だ。
もっとも、境界に足場など存在せず、そんな物の見方が出来るのも、教会と共に境界へとやって来たヘルとラストラウラくらいのものなのだが。
「つまりだ、せっかく二人きりの境界生活なんだから話したほうが有意義だろって言ってんの!」
「ここにいるの実質俺一人だから」
「おま! じゃあ、せめて相づちくらい打てよ! 神父だろ! 無視して本ばっか読みやがってエセ神父がッ!」
「……はあ」
ラストラウラに一瞥を向けて、ヘルは歩き始める。その瞬間、ブックホルスターに収納した本が、前触れもなく輝き始めた。
「……仕事か」
「本まで俺様の邪魔すんのか!」
その色はとても神聖とは言いがたい、闇を孕んだドス黒い発光だった。教会内部を埋め尽くさんばかりの強い光に目を細め、眉根を寄せてヘルが呟く。
「話なら向こうで誰かにしてもらえ」
「俺様はお前とおしゃべりしたいんじゃボケ!」
「燃やす」
「極論やめろ! というか世典! 俺様よりもそっちが先だろ! ヤバいってほらヤバい俺様よりも世界がヤバい!」
「……ふん」
視線を戻す。今しがたまで及ぼされていた闇の発光はラストラウラとの会話中に収まり、その光は、今はページの中程を一部変色させるに留まっている。
そのページを開き、タイトルを確認。
「〈戦陣シルバーシアター〉」
これが、今回の世界か。頭に名を刻みながら考える。
字面からしてバトル物だろう。それはありがたい。下手に平和な内容だと、動きづらくて敵わない。
再び本を閉じ、目の前に掲げた。
手に収まらないサイズのハードカバー。ページ数は視認する限り多いとは言えず、鮮やかな装丁の施された純白の表紙には、タイトルと呼べるものが記されていなかった。
しかし、名はある。
「『無限世典』ーー起動」
落とす。
手元から床に落ちた本ーー無限世典は、まるで石を湖に落とした時のように綺麗な波紋を残しながら教会の床下に消えていく。
「さっさと片付けて、読書の続きだ」
静寂は一瞬。
次の瞬間、床が大きく脈動し、絨毯ごと滑らかに盛り上がった。かと思いきやヘルを食らうがごとく呑み込んで、落ちる。
水滴が跳ねたような反応だった。それが床で起こった時、そこにはすでに誰の姿もなく、ただただ薄汚れた教会内部の風景が広がるだけだった。




