第二十二話
「よくやったぞ、砲手。帰ったら個人的に褒美をやろう。操縦手、お前にも出してやる」
上機嫌で、ヌーリはそう二人の乗員を労った。
「あ、あの~」
照準器のアイピースから眼を離した砲手が、ためらいの色を浮かべた視線をヌーリに向ける。
「まことに申し上げにくいのですが……あの戦車、第3旅団のものではない気がします」
「なんだと?」
ヌーリは車長用ハッチを開けると、頭を外気の中に突き出した。激しく炎上している戦車は、間違いなくT‐72だ。低観測性を重視して濃い灰色で描かれている部隊マークは炎と黒煙に包まれて確認できないが、濃淡二色の緑とカーキ色の迷彩は、ヌーリが乗っている戦車と瓜二つに見える。
「迷彩の感じが、若干違うように思います。……ひょっとすると、ウズベキスタン陸軍の戦車ではないでしょうか」
自信なさそうに、砲手が言う。
と、炎上する戦車の向こう側、五百メートルほど離れた位置にひょっこりと装甲車両が姿を見せた。低い装軌式の車体に、機関砲装備の砲塔。……BMP‐2だ。
……ウズベキスタン陸軍か!
ヌーリは歯噛みした。どうやら、仕留めたT‐72もウズベキスタン陸軍のものだったらしい。
BMP‐2が、30ミリ機関砲を連射した。HEI(焼夷榴弾)らしい一弾が、こちらの車体前面に当たって炸裂する。
「後退しろ!」
砲塔の中に引っ込んだヌーリは、叫ぶように命じた。さしものヌーリも、ウズベキスタン陸軍を敵に回す気にはなれなかった。こうなっては、カンダを追うどころではない。生きてホラニスタンへ戻りたければ、全速力で逃げるしかない。
「よせ!」
レーザー照準器に取り付いている砲手に気付いたヌーリは、慌てて声を掛けた。だが一瞬遅く、砲手の指は発射ボタンを押し込んでいた。自動装填されていた3VBM/APFSDSが砲口を飛び出し、BMP‐2の車体前面にある30ミリ厚の傾斜装甲を貫いた。
「なぜ撃った!」
「撃たなきゃ殺られてました! あいつは『ファゴット』搭載車です!」
砲手が、歯をむき出しにして言い返す。激怒しかけたヌーリだったが、ここは理性が勝った。こいつの言うとおりだ。この距離で、なおかつ逃げ場がない状態で対戦車ミサイルを撃たれれば、躱すのは至難の業だ。
「ともかく、逃げるぞ。30、聞いているか? 速やかに撤退しろ」
無線を取ったヌーリは、早口でそう命じた。
「ずいぶんと騒がしいな」
しゃがみ込んで山羊を抱きかかえている神田元総理が、眉をしかめる。
「大口径機関砲の発射音ですぅ~」
ずんずんずん、という鋭さの混じった重い音を、ベルがそう分析した。
「どうやら、このあたりにウズベキスタン軍の戦闘車両がいたみたいだね。追っ手と交戦状態になったみたいだ」
油断なくあたりを窺いながら、亞唯が言う。
『亞唯っち、ベルたそ。こっちは安全やで』
先行偵察に出た雛菊から、通信が入った。
亞唯を先頭に、ファルリン、山羊を抱えた神田元総理、ベルの順で、一同は岩山に沿うようにゆっくりとしたペースで走った。待っていた雛菊と合流したところで、亞唯がスカディとシオを呼び出す。
『悪いわね、亞唯。こちらは身動きが取れない状態よ。下手に動けばウズベキスタン軍に見つかってしまうわ。迎えには行けそうにないわね』
すまなそうな声音で、スカディが言ってくる。
『わかった。無理しないでくれ。こっちは自力でなんとかするよ』
亞唯はそう応じて交話を終了した。
「交戦に巻き込まれるわけにはいかない。しばらく隠れて、様子を見たらどうだ?」
ファルリンが、言う。
「賛成や。下手に動くよりも、いいで」
雛菊が、賛成する。
「岩山の上に登るのはいかがでしょうかぁ~。下から見えない位置まで登れば、安全だと思いますですぅ~」
ベルが、側の岩山を指し示しながらそう提案した。ちょうど、階段状になっている箇所がある。頑張れば、上まで登っていけそうだ。
「よし、そうしよう。神田氏、異議はないな?」
ファルリンが、確かめる。
「登るのはいいが……この子を抱えては難しいな」
神田元総理が、山羊を撫でながら言う。ファルリンが、笑った。
「都会人だな、神田氏は。山羊を漢字で書くと、なぜ『山の羊』なのかを知らないのか? 山羊という生き物は、高いところが大好きで山登りも得意なのだよ。離してやれば、勝手に登っていくぞ。さあ、行こうか」
ファルリンが、促した。
「ほな、先に行くで」
雛菊が、手にしていたAK74を背中にまわすと、岩山に手を掛けた。
指揮命令系統が混乱した野戦部隊は、弱い。
そのようなわけで、古来野戦において、野戦部隊の総指揮を執る総大将……文化によっては、当然別な呼称が用いられたわけだが……とその補佐役たちがもっとも厳重に防護されるのが常であった。
ヌーリたちにとって不幸なことに……そしてウズベキスタン陸軍側にとっても不幸なことに、29号車が破壊したT‐72は、第25旅団が派遣した戦闘群の指揮を執っていた戦車中隊長が乗る戦車だったのである。
ヌーリら戦車三両を含む一隊の国境間近の怪しげな動きに呼応して編成され、派遣された戦車一個中隊、機械化歩兵一個中隊からなるウズベキスタン陸軍の戦闘群。その指揮を執っていた大尉は、ホラニスタン陸軍部隊……とウズベキスタン側は誤認していた……が街道上で停止して哨戒線を東側に向けて構築したのを確認すると、越境攻撃の可能性は低いと正しく判断していた。この状況でウズベキスタン側が国境付近に展開すれば、ホラニスタンに対する挑発行為となり、外交問題に発展しかねない。しかしながら、与えられた任務はあくまでホラニスタン陸軍部隊の監視と、越境があった場合の迎撃である。越境攻撃のおそれが少ないからといって、引き上げるわけにはいかない。
幸いなことに、国境線付近には一群の岩山があった。戦闘群の大半をこの中に隠せば、ホラニスタン側から見えなくなるので挑発行為にはならないだろう。そしてもちろん、万が一越境攻撃があったとしても、速やかに対処できる。そう考えた大尉は、指揮下の各車両を分散して岩山の中に隠した……。
結果的に、その慎重さが裏目に出た。各車両は小隊単位で分散していたうえに、総指揮を執っていた戦車中隊長を真っ先に失ったせいで大混乱に陥る。見通しが利かない岩山の連なる地形ゆえ、ホラニスタン側兵力の把握もままならないまま、T‐72戦車とBMP‐2歩兵戦闘車を主力とする戦闘群は戦闘への突入を余儀なくされた。戦闘群内無線網で敵との接触報告が乱れ飛び、さらに誤認からの同士討ちも発生してしまう。戦車中隊長戦死をようやく知って代理指揮を執り始めた機械化歩兵中隊長は、決して無能ではなかったが他所から赴任してきたばかりであり、地理やホラニスタン情勢に疎く、また部下も掌握しきれていなかった。そのような事情もあり、これら混乱した報告を指揮下の各小隊から大量に受けた機械化歩兵中隊長は、ホラニスタン側戦力を過大に見積もるとともに、その意図を読み違えるというミスを犯してしまう。
『戦車数両を含む大規模な自動車化歩兵部隊による強行越境偵察』と『交戦中につき増援求む』という報告を受けた第25旅団本部は、ただちに上級司令部にこの件を報告するとともに、旅団の全部隊に戦闘準備を下命し、さらに旅団長の独断で増援部隊……機械化歩兵一個中隊を即座に派出した。
報告を受けた南西特別軍管区司令部では、ホラニスタン側の意図を測りかねたものの、今世紀初頭に国境紛争によって小規模な交戦があったことも鑑み、強硬な対応が適切であるとの意見具申を参謀本部と軍統合本部に送った。
旧日本軍には……自衛隊でもある程度は受け継がれているが……『射撃もっさり』という言葉があった。
意味は、普段はもっさりしている……動きが鈍く、ややとろいように見える者が、なぜか銃砲の射撃をやらせると抜群に良い腕をもっている、という経験則を表したものである。ちなみに、世界各国の軍隊でも同様なケースが多く見られるという。心理学的に言えば、このような普段『ぼーっとしているうっかりさん』は、注意力を多方向に向けることが苦手ゆえに、不注意な人物に見えるらしい。言い換えれば、ひとつの事柄にしか意識を集中させることができない、ということであり、それはすなわち『なにか作業を行わせればすべての意識をその作業に集中させることが得意』ということになる。これは知能の高低に関わらず、集中力を持続させて作業を行うという面でははなはだ有利な特性と言える。一部の優れた学者や研究者、卓越した業績を残したスポーツ選手などに、『うっかり者』が多いのは、そのような訳であるとも言われている。
それはともかく……ホラニスタン陸軍に所属するマクボド・バフロノフ伍長は典型的な『射撃もっさり』であった。
体型は太め。戦車兵ゆえに背も低く、愚鈍ではないかと思えるほど淀んだ眼の持ち主である。だが、戦車小隊長……ヌーリが射殺した少尉……は彼の砲手としての才能を見抜き、30号車の戦車砲を任せて、可愛がっていた。
そのバフロノフ伍長の才能が、実戦で解き放たれていた。30号車は国境線へ向けて後退しつつ、追撃してくるウズベキスタン陸軍戦闘車両に砲撃を加えてゆく。すでに、バフロノフ伍長は二両のT‐72戦車と三両のBMP‐2歩兵戦闘車を屠っていた。
「軍曹どの」
レーザー照準器に顔を押し当てたバフロノフ伍長が、かなり訛りのあるのんびりとした口調で言う。
「停めろ!」
すぐさま、車長の軍曹が操縦手に命ずる。
がくんとひと揺れしてから、T‐72が停止した。一拍置いて、バフロノフ伍長が主砲発射ボタンを押し込む。
APFSDSが、追ってきたウズベキスタン陸軍T‐72に命中した。しかも、車体と砲塔基部のあいだという狭い部分に、ピンポイントで吸い込まれる。
どん。
搭載弾薬が、すぐさま誘爆を起こした。砲塔がリングから外れ、宙を舞う。
ウズベキスタン側はまたも一両を失った。
岩山の上は、見晴らしが良かった。
「えらいことになっとるでぇ~」
雛菊が、嘆息混じりに言う。
三体と二人と一匹が登った岩山の東方では、激戦が繰り広げられていた。二両のT‐72戦車と数両のトラックが東へ後退するのを、合計十数両のT‐72とBMP‐2歩兵戦闘車が追尾している。すでに、数両のT‐72とBMP‐2、それにトラックが黒々とした煙を吹き上げる残骸となっている。
追尾側のT‐72のうち三両が、戦車砲を発射した。これは、いずれも惜しいところで目標を外れる。逃げているT‐72のうち一両が停止し、撃ち返した。千メートルを越える距離で、なおかつ動いている目標への射撃だったにも関わらず、砲弾はT‐72の一両に命中した。急所は外したものの、左側前部を貫通した砲弾は遊動輪と履帯を吹き飛ばし、T‐72が停止する。
その南側では、BMP‐2の機関砲射撃を受けたトラックが擱座していた。荷台から飛び降りたムスリム戦士たちに、同軸機銃が容赦なく浴びせられる。勇敢な一人が膝撃ちでRPG‐7を撃ち返そうとしたが、予期していたBMP‐2がその前に機関砲を連射する。イスラム戦士はたちまちのうちに弾着の土煙の中に消えた。
「……なんてことだ。ウズベキスタン正規軍と、全面的な戦闘になっているではないか。止めなければ、本当に戦争が始まってしまう」
神田元総理が、助けを求めるかのようにファルリンとAHOの子たちを見やる。
「いまさら、どうしようもないな」
ファルリンが、肩をすくめた。
「しかし、このような紛争のきっかけになったのは、我々が戦車で越境したことによる……」
「追っかけて来た連中が悪いんだ。あたしたちは、ウズベキスタン領内に入ってから、拳銃弾すら発砲していないよ」
神田元総理に向かい、亞唯がそう主張する。
「せや。密入国は違法やけど、国境紛争の責任までは負えないで」
雛菊も、同調する。
「ここはひとつ、伝家の宝刀『知らんぷり』を通すというのはどうでしょうかぁ~」
ベルが、嬉しそうに言った。
「そうだね。あたしたちは神田元総理を救出し、安全なところまで移送するという任務を成し遂げただけだ。結果責任まで、ロボットは負えないよ」
亞唯が、真顔でそう主張する。
29号車が、ようやくホラニスタン領内に戻った。
「後退を続けろ! さがれ!」
追っ手の観測を続けながら、ヌーリは命じた。
ウズベキスタン側の指揮系統の混乱と、30号車のバフロノフ伍長の神憑り的な射撃、それと28号車による国境の内側からの援護射撃、さらに若干の幸運も手伝って、ホラニスタン戦車は三両とも健在であった。代わりに、随伴していたトラックとピックアップトラック……ヘサール族の捜索班を含めて……はほぼ全滅していた。やはり、強力に武装していたとしても非装甲車両は、機甲部隊の敵ではないのだ。ちなみに、T‐72に跨乗していたヌーリの部下も、大半が機銃と至近弾の弾殻を受けて死傷している。
ウズベキスタン軍戦車が、前進しながら戦車砲を撃つ。砲弾は、ホラニスタン領内に落下した。
「撃ち返せ!」
ヌーリは叫ぶように命じた。砲手が撃ち、一両のT‐72の砲塔を砲弾が掠める。
ホラニスタン戦車三両は、東へ後退した。ウズベキスタン機甲部隊は、執拗にこれを追って国境を越え、ホラニスタン領内に進撃した。
「これでは、動きようがないわね」
草の間にしゃがみ込んで身を隠したスカディが、諦めの口調で言った。
眼前の道路を、ウズベキスタン陸軍部隊がひっきりなしに通過してゆく。今通っているのは、補給物資を満載しているトラックと、タンクローリー数台だ。先ほどは、初期型のオープントップのBTR‐60装輪装甲兵員輸送車が何両も通過した。もちろん。完全武装の歩兵を載せた状態で、である。
「早く亞唯ちゃんたちと合流したいのです」
焦れた調子で、シオは言った。
「まだ無理ね。我慢しなさい」
諭すように、スカディが言う。
奪ったピックアップは、草地のあいだに見つけた窪地に隠してあった。空から見ればばればれの隠し方だが、幸い航空機の姿はない。
「リーダー、左手前方に動きがあるのです!」
シオはスカディに注意を促した。
「トラックが何かを牽いているわね。火砲かしら」
「シルエットからするとD‐30/122ミリ榴弾砲のようですね! どうやら、砲兵大隊が展開する模様です!」
光学ズームで兵器を識別したシオはそう言った。スカディが、ため息をつく。
「D‐30の射程は通常榴弾でも十五キロメートル。どう見ても、ホラニスタン領内を砲撃する準備ね」
二体が見守るあいだにも、砲兵大隊は着々と砲列を敷き、射撃準備を進めた。砲員がウラル357トラックからD‐30を外し、特徴的な三脚砲架を開いて射撃位置に固定してゆく。指揮所が設営され、通信担当がアンテナを立てる。弾薬トラックが弾薬を下し、設営班が掘った穴にそれを納める。
「まずいわね。このままだと、ホラニスタンとウズベキスタンの全面戦争になってしまうわ。そうなれば、ウズベキスタン国内のホラニ人も黙ってはいないでしょう」
スカディが、深刻な表情で言う。
「最悪の場合は、他の中央アジア諸国も戦乱に巻き込まれるでしょう。そうなれば、ロシアの介入は必至。中国も巻き込んで、一気に中央アジアの地図が描き変えられるかもしれない」
「おおっ。あたいたちの活躍で、中央アジア共和国が誕生するのですね!」
「……なぜそこで感激の表情を浮かべるのかしら?」
「ほんの冗談なのです! ここはやはり、すべての責任を神田元総理に押し付けて、あたいたちは他人のふりをする、というのはどうでしょうか?」
シオは真面目な表情でそう提案した。
「それしかないわね」
渋々と、スカディが同意する。
どぉぉん、と遠雷のような音が響いた。砲兵大隊が、砲撃を開始したのだ。
第二十二話をお届けします。




