第二十一話
「撃ってきたぞ!」
ファルリンが叫び、頭をハッチの中に引っ込めた。
その直後、29号車が放った砲弾がT‐72の右側五メートルと離れていないところを通過し、七十メートルほど先に着弾した。少し遅れて28号車が撃った砲弾は、左側十数メートルの位置に着弾し、盛大に土煙を巻き上げた。……一見すると、より近くに着弾した28号車の射撃の方が脅威に思えるが、直接射撃の場合は着弾位置の遠近はあまり関係がない。むしろ、28号車の射撃は距離をつかみ損ねたことにより射距離不足となった外れであり、水平方向のわずかなずれで射撃をミスした29号車の方が、より正確な射撃を行ったと言える。
「雛菊、ベル! このまま直進だ! 距離が詰まったら、やられるぞ!」
弾着を観測しながら、亞唯が叫ぶ。
「は、反撃した方が良くはないか?」
神田元総理が、ファルリンに訊く。
「ほう。ようやく無抵抗が良策でないことを学習したか」
ファルリンが、にやりと笑う。
「冗談を言っている場合じゃないだろう」
「悪い悪い。亞唯、どうだ?」
ファルリンが、亞唯に振る。
「無理だね。まず当たらないよ。砲弾の無駄遣いだ。こうして撃ってきているというのは、向こうが焦っている証拠だね」
首を振りつつ、亞唯が言う。
「よし、30は東進、南側を押さえろ。28、西進だ!」
嬉々としてヌーリは命じた。
先ほどからの射撃は二両合わせて十発以上を費やしたが一向に当たらず、無駄に終わってしまったが、少なくとも目標の注意を逸らす効果はあったようだ。そのあいだに、東側の街道上を南下した30号車は、良路で無理なく速度が出せたことにより、目標よりもかなり南に位置することができた。
30号車が東進し、目標の南側を塞ぐ。ヌーリの乗る29号車がそのまま目標を追い、北側と東側を押さえる。28号車が西進し、目標の西への離脱を防ぐ。
包囲の完成である。目標は、三両の戦車の有効射程内に閉じ込められ、進退窮まるだろう。任意の一両に仕掛ければ、残る二両によって装甲の脆弱な側面と背面に、十字砲火を浴びることになる。
……カンダ。お前の負けだ。
「あかん。逃げ場がのうなってしもうた」
雛菊が、情けない声をあげる。
T‐72は、とりあえずTDAを作動させて作った煙幕の中に隠れながら、でたらめに走り回っていた。頂点に戦車を配した一辺が二キロメートルほどの正三角形の中心に、閉じ込められた格好である。
「こうなったら、切り札はあの二人か」
亞唯がアイピースを覗き込んだまま、無線を使った。
『スカディ、シオ。聞こえるかい? こっちは進退窮まっちまったよ……』
『状況は把握しているわ。戦車は仕留め損ねたけど、ピックアップを一台乗っ取ってそちらを追っているところよ。一か八か、西側の戦車に仕掛けてみます。タイミングを見て、西へ逃げてちょうだい』
ピックアップの荷台から、スカディがそう応じた。
スカディとシオが乗っ取ったピックアップは、亞唯らのT‐72の西側に陣取っている戦車に近付いてゆくところであった。幸いにして、乗っ取られたことは悟られていないらしく、戦車からも随伴しているトラックからも、銃砲弾は飛んでこない。
『どうやって仕掛けるのですか?』
運転するヘサール族戦士をAK74で脅しつけながら、シオは無線で訊いた。RPGは壊れたままだし、ヘサール族が置いていった武器の中にも対戦車兵器はひとつもない。12.7×107を使うDShK重機関銃は、古いながらも強力な兵器だが、T‐72の装甲鈑の前では無力だ。
『それを今から考えましょう。シオ、百メートルほどのところで止めて』
スカディが、指示を出す。
シオは運転手に命じ、戦車とトラックから百メートル離れた位置にピックアップを停めさせた。あまり接近しすぎると、ロボットが乗っていることがばれてしまう。
『あの戦車にも、戦士が跨乗しているわね』
荷台から戦車を観察しつつ、スカディが無線で言う。
『先ほど見た戦車もそうでしたね! タンクデサントなのです! 戦争映画ではお馴染みなのです!』
『なぜかしら? トラックが随伴しているのだから、跨乗は必要ないのではないかしら』
スカディが、そう疑問を呈する。
『ロシア戦車の伝統だからではないでしょうか?』
シオはとりあえず思いついた回答を口にした。
『どうも解せないわね。……あら、よく見るとハッチが開放状態ね』
『本当なのであります!』
シオは光学ズームを用いてハッチ付近を詳しく観察した。……どうやら、紐のようなもので縛り付けて、閉鎖できないようにしてあるようだ。
と、戦車の上に陣取っているムスリム戦士の一人が、身を乗り出した。開放状態のハッチの中に、手にしたAKの銃口を突き入れ、何かを怒鳴る。言葉までは聞き取れなかったが、語調からすると罵声のようだ。
『……どうも、戦車の中の人と跨乗している戦士は、仲がよろしくないようね』
スカディが、言った。
『まるで脅しているように見えるのです! これは、映画でよくあるパターンなのではないでしょうか? つまり、戦車の中の人は、ムスリム戦士に脅されて無理やり戦車を動かしているのでは?』
自信なさげに、シオは言った。
『シオ、運転手を尋問して!』
鋭い調子で、スカディが命ずる。
運転手のヘサール族は協力的だったが、残念なことに詳しいことは知らなかった。ヌーリが戦車を『借りた』いきさつは、知らないのだ。だが、彼によれば戦車の上にいる戦士はヘサール族ではなく、西部地域の部族にも見えないという。
『戦車の乗員が戦闘を無理強いされていると仮定するならば、戦車の上のムスリム戦士を排除すれば、戦車はこれ以上の戦闘を行わない可能性が高い、ということね』
スカディが、そうまとめた。
『亞唯ちゃんに連絡するのです!』
シオは無線で亞唯を呼び出し始めた。
「結構」
ヌーリは、携帯電話を切ると、砲塔の中に潜り込んだ。
ヘサール族の捜索班の集合が、ひとつを除いてようやくようやく終了した。これで、カンダの逃げ場は完全に無くなった。あとは、仕掛けるのみ。
「28、30。前進を開始しろ。油断するな。適宜発砲を許可する。操縦手、こちらも低速前進だ」
ヌーリは無線と口頭で、指示を下した。
「行きますわよ!」
一声宣言してから、スカディがDShK重機関銃を撃ち始めた。
大口径機銃弾が、かんかんかんとT‐72の砲塔に当たって跳ね返る。砲塔の後ろに陣取っていたムスリム戦士が、全員突風に煽られた紙くずのように跳ね飛ばされる。
スカディが、狙いをトラックに移した。慌てて伏せたり荷台から飛び降りた戦士たちに、銃弾が容赦なく浴びせられる。
シオも窓から身を乗り出し、単射でAK74を放った。十発ほど撃ったところで、スカディから無線が入る。
『そろそろ逃げますわよ!』
シオは急いで身を引っ込め、銃口を運転手に向けて発進を促した。まごまごしていると、戦車から撃たれるおそれがある。
当の戦車は、すでに動き出していた。砲塔も動いており、砲口が走り出したピックアップの方に向けられる。
「蛇行運転するのです!」
シオは喚いた。死にたくない運転手が、必死になってハンドルを切る。
だが、戦車は発砲しなかった。砲塔がさらに廻り、スカディの銃撃を受けてすたずたになったトラックに正対したところで、ぴたりと止まる。
トラックでは、銃撃を生き延びた数名の戦士が、負傷者を介抱しているところであった。砲口がこちらを向いたことに気付いた戦士たちが、ぎょっとして動きを止める。
同軸機銃が火を噴いた。撒き散らされた銃弾が、ムスリム戦士たちを容赦なくなぎ倒す。
雛菊とベルが操縦するT‐72が、西へ向かって驀進する。
スカディとシオが『襲った』T‐72……28号車は、これに対しいかなる阻止行動も起こさなかった。追いかける29号車と30号車に対しても、何の対応も取らない。……まだ、同僚が人質状態にあるのだ。迂闊には動けない。
「しつこいな。まだ追ってくるぞ」
ハッチから頭半分だけ突き出して、後ろを窺っていた神田元総理が、呆れたように言う。
「もう少しの辛抱だ。あと一キロ足らずで国境だよ」
内蔵GPSで位置を確認した亞唯が、言った。ちなみに、もうTDAは切ってあるので、白煙はたなびいていない。
どん。
T‐72の左前方に、土煙があがった。追っ手が、射撃を再開したのだ。
「時間切れが迫って焦っているな。先ほどよりも、精度が甘いぞ」
着弾位置を確認しながら、ファルリンが言う。
「国境標識が見えたで!」
雛菊が、喜色もあらわにそう報告した。
このあたりのホラニスタン‐ウズベキスタン国境は、人為的国境線であり、したがって直線である。柵やフェンスなどで区切られているわけでもなく、約1キロメートルごとに頂部を赤く塗られた石柱が地面に埋め込まれているだけだ。ただし国境線の両側は密入国を防止するために草が刈られているので、視覚的に認識することは容易である。
「あと五百メートル……四百メートル……」
雛菊が、残距離をカウントし始めた。
「三百メートルですぅ~」
雛菊の三百メートルの声に、ベルが唱和する。
「二百メートル!」
次のカウントには、亞唯とファルリン、それに神田元総理まで加わった。
「百メートル!」
三体と二人の声が、狭い戦車内に響き渡る。
「ゼロ! やった! ウズベキスタン入りやで! 逃げ切ったわ!」
雛菊が、歓喜の声をあげた。
次の瞬間、戦車砲弾が唸りを上げてT‐72の砲塔を掠め、二百メートル先の地面に突き刺さった。
「なんでや! もうウズベキスタン領内やで! 反則や!」
雛菊が喚く。
「雛菊、ベル! このまま直進しろ! 射程外へ出るんだ!」
亞唯がそう指示を飛ばす。
なおも数発、追っ手から戦車砲が放たれたが、いずれも外れてくれた。T‐72は、順調に国境線から離れてゆく。だが……。
「あかんやん~」
雛菊が、情けない声をあげる。
二両のT‐72は、国境線をものともせずに、なおも追尾してくる。
「馬鹿か奴らは。戦車で国境を侵犯するなど、戦争行為ではないか」
憤然として、神田元総理が言う。
「他人のことを言えた立場ではないと思うがな」
ファルリンが、小声で突っ込む。
「地図によれば、南西方向に岩山が低在する複雑な地形がありますぅ~。とりあえずそこに逃げ込んではいかがでしょうかぁ~」
操縦席の底から、ベルが提案する。越境が必要とされる場合に備えて、国境付近に限り隣接国の詳細な地図も資料ROM内に入っていたのだ。
「それ、採用や」
雛菊が皆の賛意を待たずに、操向ハンドルを操作する。
スカディとシオの乗るピックアップトラックは、無事にウズベキスタン領内に走り込んだ。
左手の方には、亞唯たちを追ってウズベキスタン領内に侵入した二両のT‐72が見えている。後続してきた数台のトラックとピックアップトラックも、国境を続々と越えてゆく。
『亞唯ちゃん、右を見てください!』
一台の車両を認めたシオは、そう無線で伝えた。ジープタイプの車両が、三キロほど離れた位置に停車している。
『UAZ469ね。ウズベキスタン軍か国境警備隊だわ』
スカディが、そう識別する。
シオは光学ズームを使ってUAZ469を詳しく観察した。側に立つ士官らしい一人が、双眼鏡を使って南の方を見ている。隣にいる護衛役か運転手か、肩にAKを掛けた兵士は、慌てているのか怒っているのか、大きく腕を振り回しているようだ。
『まずいわね。越境がウズベキスタン側にばれてしまったわ。早急に姿をくらます必要があるわね』
スカディが、言う。
『戦車は目立つのです! 亞唯ちゃんたちをこのピックアップで拾って逃げるのです!』
シオはそう提案した。
『それがいいわね』
スカディが、同意する。
雛菊とベルが操縦するT‐72は、低い岩山が点在する地帯に走り込んだ。草はほとんど生えておらず、地面の上には大小の岩屑が厚く積もっており、T‐72が走行するそこはさながら岩石質の切通しに設けられた何車線もある砂利道のようにも見える。おそらく、元々地面から突き出た低く巨大な岩塊だったものが、長年の風化により脆い部分が崩れ、固いところだけが岩山として点々と残ったものであろう。上空から見れば、さながら飛び石を無数に配した池のように見えるに違いない。迷路とまではいかないが、岩山がよい目隠しとなってくれるので、追っ手を混乱させるにはもってこいの地形であった。
「30、右へ回れ。油断するな!」
ヌーリはそう無線で命じた。
厄介な地形であった。見通しが利かないので、下手をすれば見失ってしまう。車内備え付けの地図……国境地帯防衛を任務とする部隊だから、当然隣国内の国境付近の詳細な地図は常備している……を見た限りでは、それほど広い地形ではないが、戦車二両で包囲するのは無理だ。愚策ではあるが、勘に基いて追跡するしかない。
「ヘサール族め」
ヌーリは毒づいた。ヌーリの部下や直接雇った傭兵が乗るトラックは、こちらに追随してきたが、ヘサール族の捜索班は岩山の手前で停止してしまったのだ。無理もない。下手にこの迷宮の中に非装甲車両単独で入り込んで、敵戦車と鉢合わせすれば、確実に命がないのだ。これ以上は、契約の範囲外というのだろう。協力を無理強いしようにも、国境を越えたせいで携帯電話は通じなくなってしまったし、向こうの無線周波数も判らない。
二両のT‐72は、二手に分かれると岩山のあいだに突っ込んでいった。
がりがりがり。
いやな音が、戦車内に響いた。次いで、どすんという鈍い衝撃が伝わる。
「あかん。真っ直ぐ進めへんで。ベルたそ、停めてや」
雛菊が、喚く。
「どうした?」
亞唯が、操縦席の方を覗き込む。
「履帯まわりのトラブルではないでしょうかぁ~」
ベルが、のんびりとした口調で言う。
「ちょっと見てくる」
亞唯が砲手用ハッチを開け、砲塔の外に這い出した。ファルリンがすかさず車長用ハッチを開け、援護の態勢に入る。
「だめだ、こりゃ。右側の履帯が外れちまってる」
車体の上から下を覗き込みながら、亞唯がそう報告した。
「直るんか?」
操縦手用ハッチから頭を突き出した雛菊が、問う。亞唯が、首を振った。
「あたしたちじゃ無理だと思う。戦車を捨てて、徒歩で逃げるべきだろうね」
「そうしよう。全員、携帯火器だけ持つんだ。神田氏、あんたは山羊を頼む。置いていくのはかわいそうだからな」
ハッチを抜けて砲塔の上に膝をついたファルリンが、そう神田元総理に指示する。
岩山を回りこんだ途端、眼前に戦車が現れた。
ペリスコープを覗き込んでいたヌーリの心臓が、どくんと跳ねた。幸い、敵戦車は側面をこちらに向けて停止している。距離は、三百メートルというところか。
間違いなく、T‐72戦車だ。見覚えのある、濃淡二色の緑とカーキ色の迷彩塗装。
だが……。
ヌーリは急いで無線機に呼びかけた。
「30、今停止中か?」
小規模な歩兵戦闘の経験が豊富なヌーリは、同士討ちの危険については熟知している。眼前のT‐72には誰も跨乗していないが、味方の30号車の可能性も排除できない。
「いえ、走行中です、29」
すぐに、応答が返って来る。
……間違いない。眼前にいるのは、カンダの戦車だ。
「撃て!」
ヌーリは叫んだ。
「ですが……」
砲手が、ためらう。
「撃て!」
ヌーリはアイピースから眼を離すと、置いてあったSKSをつかんだ。銃口を、砲手の側頭部に押し付ける。
銃身部分を握っただけで、どうあっても発砲は不可能な状態だったが、レーザー照準器を覗き込んでいる砲手のためらいを取り払う効果はあったようだ。砲手が、主砲発射ボタンを押し込んだ。
どん。
発射音と同時に、ヌーリはアイピースに眼を押し当てた。
砲弾は、すでに敵戦車に命中していた。砲手は、車体側面というT‐72の弱点を正確に撃ち抜いていた。搭載弾薬の誘爆は起こしていなかったが、燃料に引火したのだろう、炎が上がっているのが見える。
……まさか。
ヌーリはいやな予感に捕らわれた。なぜ戦車が停止していたのか、という疑問が不意に浮かび上がったのだ。
理由もなしに、逃げている戦車が停まるわけはない。カンダはすでに戦車を捨て、徒歩で逃げているのではないだろうか? 無人の戦車を撃ってしまっただけではないのか?
だが、ヌーリの心配は杞憂に終わった。砲塔のハッチから、人影が飛び出したのだ。しかも、炎をまといながら。
オレンジ色の炎で明るく輝く人影は、砲塔から地面に飛び降りた。続いてもうひとつ人影がハッチから出てこようとしたが、上半身を出したところで力尽きた。ハッチから噴き出した炎が、崩れ折れた人影を炙る。
飛び降りた人影も、地面に倒れ伏すと、すぐに動きを止めた。炎が、その背中で踊っている。
……やったぞ、ラフシャーン。お前の仇は討った。
第二十一話をお届けします。




