第十九話
二機のMiG‐29Sが、高度三千フィートという低空を駆けてゆく。
カルシ・ハナバード空軍基地所属の、ウズベキスタン空軍機である。長機を操縦するのは、ファルク・ハイダロフ空軍大尉。僚機は、まだ若いアルチョム・ドゥラエフ少尉が操縦桿を握っていた。
両機とも、R‐60短射程空対空ミサイルを四基搭載しただけの、身軽な武装状態である。任務は、ホラニスタン国境沿いの哨戒だ。航空機の領空侵犯よりも、地上部隊の越境や難民の流入を監視するのが主目的なので、対空装備にも関わらず低い高度を飛行している。
通常はめったに行われない空軍機による哨戒だったが、ホラニスタンの内戦開始を受け、ウズベキスタン空軍は陸軍および国境警備隊との調整のうえ、その頻度を飛躍的に増加させていた。内戦が、ウズベキスタン国内に飛び火することを懸念していたのだ。ホラニ系の住民も多いし、ホラニスタンとは、国境線の位置をめぐって過去に紛争を起こしたこともある。用心に越したことはない。
湿度が低い土地ゆえに、空気は澄み切っており、天候も良いのでホラニスタン領内はかなり遠い場所までもくっきりと見通すことができる。風が強いと地表付近では土埃が舞い上がり、視程が悪いことが多いが、今日は風も穏やかだ。
「アルチョム。十一時、地上。街道。見えるか?」
ホラニスタン領内で異常を認めたハイダロフ大尉は、僚機に無線で呼びかけた。
「見えました。街道上に車列。……あれは、戦車ですね」
ドゥラエフ少尉が、そう返答する。
よく見えるように、機体をやや左側に傾けたハイダロフ大尉は、眼を凝らした。ホラニスタン領内、国境線に沿うように南に延びている二車線道路を、十台ほどの車列が走っているのが見える。先頭の三台は、明らかに戦車だ。その後ろを、小型の物を含むトラック数台が追走している。
低速哨戒中とはいえ、超音速戦闘機と地上車両との速度差は大きい。怪しげな車列は、すぐにMiG‐29の正横から後方に流れて行き、見えなくなった。ハイダロフ大尉は、視認報告を航空管制に報告すると、僚機を従えて大きな右旋回を行った。先ほどよりも若干国境線に近付き、もう一度車列を確認する。……ウズベキスタン陸軍のものに似た濃淡二色の緑とカーキ色の三色迷彩の戦車が三両。その後方に、中型トラックと小型トラックが合計七台付き従っている。
「戦車三、トラック七。確認しろ」
「戦車三、トラック七を視認。確認しました」
ドゥラエフ少尉が、長機と同数を数えたことを報告する。
哨戒任務に戻りながら、ハイダロフ大尉は車列の詳細を航空管制に報告した。カルシ・ハナバード空軍基地の情報士官が、これをホラニスタン陸軍第3旅団の戦車一個小隊、自動車化歩兵一個中隊であると評価する。
この評価情報はただちに空軍司令部に報告されるとともに、基地に詰めている陸軍の連絡将校を通じてカルシ市内に置かれている南西特別軍管区司令部にも伝達された。内戦開始以来、ホラニスタン正規軍が始めて国境沿いで兵力を動かした、という点を重く見た南西特別軍管区司令部は、指揮下の第25自動車化狙撃旅団に対し、このホラニスタン部隊の動向を注視するように命ずるとともに、対応部隊の編成と派遣を下命した。
これを受けて第25旅団長は、あらかじめ国境付近に前進させていた部隊の中から、戦車一個中隊、機械化歩兵一個中隊を抽出し、戦車中隊長を長とする戦闘群を編成、即時南下を命じた。
「後ろにも来たわね」
シオの背中を指で突きつつ、スカディが言った。
シオは振り向いた。いまだ豆粒ほどにしか見えない二両の車両が見える。どうやら、こちらを追尾しているようだ。
後方に現れた車両は、ぐんぐんと距離を詰めてきた。仕掛ける気だろうか。
「こっちの連中も距離を詰めてきたぞ」
車長用ハッチから頭を突き出したファルリンが、四周を肉眼で確認しながら言う。前方を走っていた二台が、右前方からなおも進路を激しく変更しつつこちらに向かってくる。
「十一時方向の小丘が怪しいな。待ち伏せするなら、絶好のポイントだ。どう思う?」
ファルリンが、スカディに振った。
「怪しいですわね。後方と右側から陽動を仕掛け、不用意に丘に接近したところで対戦車兵器を撃ち込む。あり得そうですわ」
スカディが同意し、小丘を睨んだ。まっ平らな上にせいぜい七十から八十センチくらいの丈しかない草がびっしりと生えているステップでは、車両による待ち伏せを秘匿するのは困難だ。だが、丘の陰ならば戦車すら隠すことができる。
「仕掛けよう。まずは右側の敵だ」
ファルリンが、提案した。
「妥当な選択ですわね。雛菊、ベル。進路変更。二時方向へ。速度このまま。亞唯、適宜発砲を許可します。優先目標は、無反動砲搭載車。わたくしは指揮に専念します。シオ、NVSTをお願い。弾薬が残り少ないから、注意してね」
「合点承知なのです!」
T‐72における12.7×107の搭載定量は、三百発である。今までの二回の戦闘で撃ちまくったので、五十発の弾薬ベルトは二本しか残っていない。
きゅるきゅるとキャタピラが軋む音を立てながら、T‐72が方向転換を行った。亞唯の操作で、砲塔がぐりんと動く。
目標にされたトヨタ・ハイラックス二台の動きがさらに激しくなった。接近するこちらと距離を保ちつつ、砲撃を躱そうというのだろう。
「雛菊、千まで詰めてくれ!」
アイピースに顔を押し付けたまま、亞唯が怒鳴る。
「了解や」
「やはりな。丘で待ち伏せしていたようだ。こちらもピックアップ二台。無反動砲に重機関銃だな」
車長用ペリスコープで見張っていたファルリンが、報告する。シオはちらりと振り返って状況を確認した。丘の陰から飛び出してきた白いピックアップトラック二台が、こちらへ向けて接近してくる。
T‐72は、三方から囲まれた状態となった。ピックアップトラックが総計六台。右前方に無反動砲と汎用機関銃。左前方に無反動砲と重機関銃。後方の二台の武装はまだわからないが、同じようなものだろう。
「……うざい動きしやがって……」
毒づきながら、亞唯は無反動砲搭載車の動きを分析し続けた。
自動車の運転に限らず、人間は似たような運動、行動を一定の時間繰り返すと、その中に必ず『癖』が生じるものである。亞唯はそれを見出そうと、目標の動きの観測を続けた。直線運動を開始してから転回を開始するまでの時間と移動距離。転回に要する時間。転回で落ちた速度を回復するための加速の様子。
きわめて人間臭い思考方法を目指して開発されたAI‐10の人工知能は、コンピューターが苦手とするパターン認識能力に優れているうえに、曖昧さを廃した記憶力のおかげで、その分析能力も優秀だ。
……よし。奴の癖は見切った。次にターンする時に決めてやる。
先ほどレーザーを当てた距離は九百七十メートル。ピックアップはその場で左右に動いているだけなので、こちらが接近している分しか距離は縮まっていないだろう。
「雛菊、ベル。速度を落としてくれ。あたしが指示したら、一秒以内に急停止できる程度に」
「了解や」
「了解しましたぁ~」
亞唯の指示に、二体が応諾する。
目標のピックアップが、急ハンドルを切った。車首が、見かけ上で左を向く。
亞唯はカウントを開始した。分析した限りでは、左方向へは十二秒から十五秒程度走ってから、逆方向へハンドルを切るパターンのようだ。
亞唯は時間をカウントしつつ、照準をピックアップに合わせ続けた。このT‐72は後期型なので、弾道計算機はデジタル式であり、レーザー照準器が得たデータは自動的に取得、入力されるので、砲手は目標の捕捉に専念できる。
十一秒。
「停止!」
亞唯の叫びに応じて、ベルがブレーキを踏む。あらかじめ減速していたものの、戦車とは急に停まれない乗り物である。急停止の衝撃が収まり、砲身が安定するまで、たっぷり二秒半は掛かった。
ピックアップが、左ハンドルを切る。
急転回により、ピックアップの見かけ上の左右の動きが、無くなった。
……いまだ。
亞唯はTPD‐K1レーザー照準器下部ハンドル右側の上部に付いているボタンを親指で押し込んだ。
轟音とともに、HEATが発射される。
半秒足らずの時間で飛翔した砲弾が、ピックアップトラックの後部に突き刺さった。弾頭が炸裂し、ピックアップトラックが粉々に吹き飛ぶ。
「お見事、亞唯!」
スカディが、賞賛の叫びを上げる。
雛菊とベルは、戦車砲発射直後に機動を再開していた。ベルがアクセルを踏み込み、T‐72が再び速度を上げて驀進する。
左前方から接近してきた一台が、搭載している重機関銃の射撃を開始した。発射プラットフォームも目標も高速で移動中なので、有効射程内にも関わらず精度は甘かったが、それでも数発がT‐72に命中する。一発は、戦車砲発射の轟音に怯えてうずくまっている山羊の足元で跳ね返った。
「ちょ、危ないのであります!」
シオは慌ててNVSTの銃口を左前方に向けた。T‐72内部にいる亞唯たちには12.7×107など屁でもないが、その上に乗っているシオとスカディにとっては、当たり所が悪ければ一発で機能停止してしまうレベルの脅威となる。もちろん、山羊ならば掠っただけでも致命傷となり得る。
シオはよく狙って二連射した。一発も命中しなかったようだが、敵車両が慌てて回避運動をさらに激しく行い始める。おかげで、着弾する機銃弾の狙いも大きく逸れるようになった。
スカディが、さらに右に進路を取るように雛菊とベルに指示する。とりあえず、包囲の突破を目指す格好である。亞唯が砲塔を回し、左前方から迫ってくるピックアップを狙って一発撃った。これは当たらなかったが、狙われた重機関銃搭載ピックアップが射撃を中止し、距離を置き始める。もう一台のピックアップが、走りながらB‐10無反動砲を放ったが、この砲弾は大きく外れた。有効射程外からの射撃なので、走行しながら撃ったのではまず当たる事はない。
後方から高速で追って来た二台が、機銃掃射を開始した。二台とも、重機関銃を搭載しているようだ。数弾がT‐72に命中し、甲高い音を立てて装甲に跳ね返される。一弾が、縛り付けてあったジェリカンのひとつを貫いた。軽油が破口からだくだくと流れ出す。
「スカディ! 大きく右旋回して後方の二台に接近してくれ! 一発ぶち込んでやる!」
亞唯が、語気荒く提案する。
「それがいいわね。雛菊、ベル。東へ向けて。亞唯の指示で、停止して」
同意したスカディが、命ずる。走行速度は、ピックアップの方が速いし、平坦地とは言え高速で複雑な動きを繰り返したのでは、履帯故障の原因となる。このまま追いかけっこを続けるよりも、敵の数を減らすチャンスがあれば積極的に仕掛ける方が、戦術的には上策であろう。
敵重機関銃の射撃を妨害しようと、シオは断続的にNVSTを撃ち続けた。50発弾帯を撃ち尽くし、フィールド・カバーを開いて最後の弾帯をセットする。
T‐72が旋回を終え、重機関銃を撃ちまくりながら接近してくるピックアップ二台に正対した。こちらの意図を察した敵車両が、左右に分かれて距離を置こうとする。
「雛菊、左を追え!」
亞唯が、目標を指定した。すかさず、亞唯が操行レバーを操り、左側に逃げたピックアップを追う態勢に入る。
狙われたピックアップが、蛇行しつつ逃げ出す。
走行したまま、亞唯が一発を放った。ピックアップそのものではなく、進路前方を狙った砲弾は、地面に当たって大きな土煙を生じる。ピックアップは急ハンドルを切り、これを避けた。一時的に、速度が落ちる。
T‐72は、この隙に一気に距離を詰めた。態勢を立て直したピックアップの運転手は、際どい二択を迫られた。速度重視か、回避運動重視か?
速度ではピックアップが上回っているのだから、ハンドルを切らずに加速を続ければ、射程外に逃れることはた易い。だが、回避運動を行わなければ正確な照準を行う余裕を戦車に与えることになり、はなはだ危険だ。といって、回避運動を繰り返していては速度が上がらず、また距離も稼げないのでいつまでも射程内に留まらざるを得ない。『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』で、いずれ仕留められてしまうだろう。
運転手が選択したのは、第三の方法だった。急ブレーキを踏み、ピックアップを停車させると、ドアを開けて逃げ出したのだ。……車両を隠すには丈が足りないステップの草も、伏せている人間ならば容易に隠すことができる。
運転手の意図を悟った荷台の戦士たちも、われ先にと飛び降りて、草の中に走り込んだ。彼ら下っ端のヘサール族戦士は、族長命令だから仕方なく戦っているだけなのだ。命は、やはり惜しい。
亞唯が、無人となったピックアップにHEATを撃ち込んで破壊した。静止目標だったし、距離も詰まっていたので、走行中の射撃でも射弾は正確だった。左手親指で同軸機銃の発射ボタンを押し、徒歩で逃げたヘサール族戦士を牽制してから、雛菊に進路変更を指示し、もう一台のピックアップを追尾しようとする。
しかしながら、新たな目標となったピックアップはすでに戦意を喪失していた。戦車砲の射程から逃れようと、アクセル全開で南東へと爆走している。
どうやら、他の三台も、相次ぐ損害に恐れをなしたようだった。いずれもが、射撃を中止し、遠ざかってゆく。
「なんとか追い払ったな。また集まってこないうちに、さっさとずらかろう」
ハッチから頭を突き出したファルリンが、言う。
「賛成ですわ。雛菊、ベル。元針路に戻ってちょうだい」
「了解や」
スカディの指示を受け、T‐72が再び西を目指して走り出す。
シオは銃弾を受けて中身の軽油が流れ出てしまったジェリカンを縛っていた縄を解いた。空のジェリカンを、ぽいと投げ捨てる。次いでシオは、怯えてうずくまっている山羊を宥めにかかった。優しく言葉を掛けつつ、背中をそっと撫でてやる。
「CIA筋から情報です。中国外交部を訪れていたリセンコ北京駐在大使が、ロシア大使館に戻りました。CIAは、フォン外交部長と会見したものと見ています。露中ともにホラニスタン内戦には介入しないとの合意がなされたものと、CIAのアナリストは推測しています」
安堵の色を滲ませた声で、石野二曹が報告した。
「とりあえず、内戦拡大回避だな。しかし、中国も偉くなったものだ。昔は、中共の役人がクレムリン詣でをしたものだがな。いまや、立場逆転。ロシア大使がわざわざ足を運ぶようになった」
長浜一佐が、薄く笑う。
「経済力で差が付きすぎましたからねえ。このままでは、開く一方だし」
越川一尉が、のんびりとした口調で言う。
「内戦の推移は?」
「情報不足ですね。東部では小競り合いが続いていますが、どちらもまだ本気を出していない感じです。愛国行動党側は、空軍の説得に手間取っている印象です。国家再生党側は、中部および北部から兵力移動の最中。おそらく、本格的軍事衝突の開始は明日以降になるでしょう」
手短に、越川一尉が説明する。
「とにかく、一刻も早くスカディたちを出国させなければならん。とりあえず、畑中君は配置に就いた……」
長浜一佐は、すでに何度も見返したためにすっかり頭の中に入っているホラニスタン西部の地図を見やった。あのどこかに、AI‐10たちと神田元総理がいるはずである。
「こっそりと抜け出せればいいのですけれど……なんだか、いやな予感がしますわ」
長浜一佐に倣って地図を見やりながら、石野二曹がぼそりと言った。
「なぜだか知りませんが、あの子たちが絡むと、事態が大事に発展する傾向があるように思うんです。サンタ・アナのときも、シラリアのときも、そうでしたし……」
「もう遅いよ、二曹。神田元総理と一緒に、内戦勃発を促進しちゃったんだから。充分、大事になってる」
笑いながら、越川一尉が言う。
「だといいんですけど」
懸念の表情で、石野二曹が首を振った。
第十九話をお届けします。




