第十四話
薄紫色に見える遠方の山並みを背景に、機関銃の発射音と、機関銃のような早口のロシア語で喋るレポーターの声をBGMに、黒煙をあげて炎上する平屋建ての一軒家が映し出されている。
スイッチングのミスか、一瞬画面が真っ暗になってから、すでに親しみを覚えるほどに見慣れてしまった国営放送のアンカーマンの顔に切り替わった。初老の禿頭のアンカーマンが、その広い額に縦筋を作って、視聴者に何かを語りかける。
三鬼士長はリモコンでチャンネルを切り替えた。ロシア語はいまだ理解不能で、ルームサービスでコーヒーを頼むことも難しいほどだ。だが、リポーターやアンカーマンの言葉を理解できなくとも、あるいは映し出されているキリル文字を読めなくても、ホラニスタンがどのような状態に陥ったのかは明白であった。……ついに内戦状態に突入したのだ。
民放テレビ局のスタジオには、ホラニスタン東部の模式化された地図が持ち込まれていた。いかにも急ごしらえらしく、数箇所に不揃いな大きさの赤丸がつけられている。交戦があった場所だろう。いずれも、首都アラチャからは遠く離れている場所だ。
引いた画面に映像が切り替わり、いかにも元軍人といった風貌の男性が、地図を指差して解説を始める。三鬼士長は、視線をサイドボードの上の電話機に移した。そろそろ、畑中二尉が乗ったウズベキスタン航空のYak‐40がサマルカンドに到着する時刻である。到着次第、電話をくれることになっているはずだが、まだ電話は鳴っていない。期待されたスカディらからの連絡も、まだ入っていない。
「内戦が激化する前にウズベキスタン入りしてくれるといいんだけど」
ぼそりと呟いた三鬼士長は、リモコンでチャンネルを切り替えると再び背中を丸めてテレビ視聴にもどった。
「どうやら、始まってしまったようです。イタル・タスとインターファックスが、フラッシュ(至急報)です。ロシア外務省の報道官が、ホラニスタン共和国が事実上の内戦状態にあることを認めました」
石野二曹が、淡々とした声で報告する。
「これほど急展開するとはな」
長浜一佐が、唸る。
「神田元総理拉致事件が、いわば触媒となってしまいましたね」
諦め口調で、越川一尉が言う。
「まったくだ。拉致を実行した連中の主たる目的が内戦突入を確実化することにあったとすれば、完璧に近い成功を収めたことになるな」
憤然とした表情で、長浜一佐が応じる。
「とにかく、起こってしまったことは仕方がない。我々ができることは、この件に関して日本の責任は皆無である、ということをアピールするための印象操作しかない」
「印象操作……ですか?」
石野二曹が、怪訝そうな表情で長浜一佐を見た。
「そうだ。まあ、実際に行うのは政府与党の仕事になるが。大衆は、本質を知りたがらないし知ろうともしないものだ。写真に例えれば、その一部を手で隠せば、人々はちゃんと見せろ、手をどけろと言って怒るが、写真の裏側はもちろん、写真が撮られた経緯や誰が撮影したかにはまったく興味がないのが普通だ。さらに、写真に写っていない部分を推し量ろうなどとは決して考えない。写真というものは、現実に起こった事象を、瞬間的かつ一方向から、しかもごく一部分だけを切り取って記録したものに過ぎず、どのようにでも誇張や捏造、脚色に修正が可能なのに、写真一枚見ただけで……つまりは、自分の眼に映った情報だけですべてを知ったかのような気になって満足してしまうのが、大衆なんだ」
「大衆にこちらの都合のいい情報だけ披瀝し、満足させ、それ以上の追及を躱す……。情報操作の、基本ですね」
越川一尉が言う。長浜一佐が、うなずいだ。
「そうだ。今回の件で言えば、神田元総理は単なる巻き込まれた被害者であり、日本および日本政府も同様の被害者だ、という印象を世界の人々に植え付ける必要がある。大衆が記憶するのは細部ではなく、主に印象だけだからな」
「印象操作。つまりは、宣伝工作というわけですか」
石野二曹が、なんとなく納得顔で言う。
「そう。宣伝だな。宣伝は、つまるところ悪印象を払拭し、好印象を持たせるための手法だ。商品も、タレントも、政治的プロパガンダも同じことだ。……残念ながら、日本人はこれが下手くそだ。外交下手なのも、無理はないな」
「実質上同一民族同士で外交をやっていましたからねぇ。武将同士が黙って酒を酌み交わしながら肚の探りあい、なんて外交やってたら、そりゃ上達しませんよ。外交に失敗すれば異民族に滅ぼされる、なんてシビアな外交戦を何百年も続けてきた外国人相手に、敵うわけない」
笑いながら、越川一尉が言う。
「そうだな。おっと、脱線しすぎたようだ。AFPとロイターも、タスのフラッシュを引用する形でホラニスタン内戦突入を報じたぞ」
ノートパソコンのディスプレイに眼を落としながら、長浜一佐が伝えた。
「FOXでもテロップです」
付け加えるように、石野二曹が言う。
「こうなったら、一分一秒でも早く神田元総理をウズベキスタンに脱出させて、いわばアリバイ作りをさせるしかありませんね。今回の内戦突入には、関わっていませんという」
越川一尉が、ため息混じりに言う。
「そうだな。AI‐10たちと畑中君がうまくやってくれればいいのだが……」
長浜一佐が、壁の時計に眼をやった。ひとつは、ホラニスタン時間に合わせてある。針は、午前九時四十分を指していた。日本との時差は、四時間となっている。
「わかった。報せてくれてありがとう」
丁寧に礼を言ったヌーリは、携帯電話での通話を終えた。
内戦開始は、本来ならば歓迎すべき報せである。国家再生党支持者対愛国行動党支持者の戦いとなれば、必ず後者が勝つ、とヌーリを始めとするシャルバド族戦士たちは信じ込んでいた。『正義の戦い』である以上負けるわけがない、という確信もさることながら、大衆レベルでは国家再生党の潜在的支持者が、愛国行動党のそれを上回っていると考えられていたからだ。局地的ないし短期間の内戦であれば、正規軍の過半数を抑えている政府側が有利だが、全国的かつ長期に渡る内戦であれば、大衆を味方に付けた方の優位は揺るがない。
にもかかわらず、これまで国家再生党側が先制攻撃を手控えていたのには、ひとえにロシアの存在があった。国家再生党側が一方的に内戦を始めてしまっては、政府側により『反乱軍』のレッテルを貼られてしまううえに、ロシア正規軍に正規の外交手順を踏んだ上での軍事介入の口実を与えてしまうことになりかねない。さしもの国家再生党側も、ロシアと戦うだけの力は持っていなかった。それに、先制攻撃は周辺諸国の反発を確実に招きかねない。内戦に勝利するだけが目的ではないのだ。勝ったはいいが、四面楚歌状態になってしまうのでは、その後の国家運営に齟齬をきたす。
しかし、今のヌーリにとって内戦開始の報せは、ありがたくないものであった。これで、第3旅団は政府軍との交戦に追われ、ヌーリへの協力を行う余力を失ってしまうだろう。カンダの追跡は、独力で行わなければならない。
ヌーリはすでに、かなりの手勢を集めていた。北部から引き連れてきた約二十名の部下の他に、主に少数民族系の戦士二十名ほどを、金で雇っていたのだ。カンダと対決するには充分すぎる戦力ではあったが、捜索となると数が足りなすぎる。
いまのところ、第3旅団による街道検問では、カンダらしき人物を発見できていなかった。西部地域は、道路そのものが未発達で、数も少ない。地元住民の助けを借りたとしても、検問を避けて西へ向かうことは難しいはずだ。
となれば、カンダはいまだにシリクマール市付近に潜伏しているか、あるいは街道を避けて草原を踏破し、西へと向かっているか……。
おそらく後者であろう。潜伏もいい手だが、カンダとしては一刻も早くホラニスタンから出たいはずだ。内戦が開始となれば、なおさら。
ヌーリは携帯をふたたび握り締めると、記憶してある番号を押した。こうなったら、ヘサール族の組織力と武力に頼るしかあるまい。自分たちは先行し、ウズベキスタン国境付近でカンダを待ち構える態勢を取る。狩りの要領だ。ヘサール族を勢子として使い、カンダが草原から飛び出してきたところを、仕留めればいい。
「アシュカーンか? ヌーリ・シャルバドだ。すまんが、至急ヘサール族の幹部と連絡を取りたい……」
ヌーリは電話に出た連絡員と、早口で会話を始めた。
ディーゼル発電機は、やかましい音を立てながら陽気に発電を行って、AI‐10たちのバッテリーを満たしていった。端子が二ヶ所あるので、一緒に拾ってきたコードを使えば、二体が同時に充電することができる。T‐72の操縦を行っているということで、まず最初に雛菊とベルが長いコードを開放された砲手用ハッチから引き込み、充電を行っていた。
「しかし……戦車がこれほど乗り心地が悪いとは、意外だったな」
砲手席に収まった神田元総理が、ぼそぼそと言う。
「空気チューブを使ったタイヤというのは、人類が発明したもっとも偉大な道具のひとつだと、わたしも思う」
笑いながら、ファルリンが言う。
「あれがなければ、車社会など到来しなかったろうな」
「神田先生、動く時は気をつけてくれよ」
砲塔内壁面に手を付いて身体を支えている亞唯が、忠告する。
「必ずどこかに掴まって動くんだ。そうしないと、あちこちぶつけて怪我をするぞ」
「うむ。心得ておこう」
神田元総理が、素直に亞唯の言葉を受け入れる。
T‐72は、人家などひとつも見えぬだだっ広い草原を順調に走っていた。国境までは、残り約百キロメートル。天候は晴れで、強い日差しが降り注いでいるが、気温はほとんど上がらないままだ。乾いた風が、延々と続く草地をなぶり続けている。
「そろそろ、国境越えの手段を考えなければならないわね」
シオと並んで砲塔の後部に掴まり立ちをして、周辺警戒に当たってるスカディが、言う。
「ホラニスタン陸軍のマークをつけた戦車でのこのこ出て行ったら、ウズベキスタン軍にATMをぶち込まれてしまうのであります!」
シオは笑顔で言った。
「どうでしょう。こっそりとウズベキスタン陸軍のマークをつけて堂々と国境越えするというのはいかがでしょうか?」
「……そんなマンガみたいな手が通用するわけないでしょう。もう少し、まともな案をお出しなさいな」
「ならば、やはり戦車を捨てて徒歩で国境越えするしかないと思うのであります!」
挙手しつつ、シオはそう意見した。
「それが現実的ね。国境に近付いたら、適当な所に戦車を隠して、日没を待ちましょう。あとは、夜陰に乗じて国境越え。そんなところかしら」
「よし。雛菊とベルが終わったよ」
砲手用ハッチから、ひょいと亞唯が顔を出した。スカディとシオに、充電用端子を押し付ける。
「あたいはあとでいいのです! 亞唯ちゃん、お先にどうぞ」
シオはそう言って端子を返そうとした。
「いや、あたしは神田先生のお守りをしているだけだからね。見張りをやっているあんたが、先にやってくれ」
亞唯がそう言って、端子をシオの方に押しやる。
「正しい判断ね。シオ、先に充電なさい」
自分の充電用ポートに端子を繋ぎながら、スカディが言う。
「了解なのです、リーダー。では亞唯ちゃん、お先に失礼するのです!」
納得したシオも充電を開始した。
しばらくは、静かな……もちろん、大小二基のディーゼルエンジンが立てる騒音と、キャタピラのけたたましい音は別だが……走行が続いた。車内も、すっかり静かになっていた。揺れと騒音にも関わらず、疲れと睡眠不足からファルリンと神田元総理が寝入ってしまったのだ。
やがて充電を終えたスカディが、端子を亞唯に渡した。シオのバッテリーもようやくフル充電状態となった。シオは端子を外すと、繋がっている長いコードをくるくると巻き始め……たところで、異変に気付いた。
「西住殿! 二時の方向に敵影ですぞ!」
トラックらしき黒い陰が、進行方向右側に出現していた。距離は、たっぷり二千メートルはあろうか。
「誰が西住殿よ」
呆れながら、スカディが二時方向を凝視する。
「遊牧民っぽくはないわね。亞唯、ちょっと見てくれない?」
「あいよ」
スカディの呼びかけに応えて、亞唯が砲手用ハッチから顔を出す。車長用ハッチからも、ファルリンが頭を突き出した。戦車内に備えてあったらしい双眼鏡で、二時方向を見る。
「ボンネットタイプのトラック二台。軍用っぽいね。第3旅団かな?」
亞唯がそう識別する。
「こちらの進路を遮るつもりらしいな」
双眼鏡を覗き続けながら、硬い声でファルリンが言う。
「一戦交える気かしら。亞唯、念のためにHEAT装填を」
スカディが、命ずる。
「了解」
亞唯が、素早く砲塔内に引っ込む。
「なんだ? 戦闘は許さんぞ」
騒ぎに気付いて目を覚ました神田元総理が、うろたえたように言う。
「悪いな、先生。そいつは近付いてくる相手に言ってくれ」
亞唯が車長席に手を伸ばし、砲弾選択ボタンを押した。次いで砲手席側に引っ込み、解除ボタンに指を掛ける。
「先生、腕を引っ込めておいてくれ。さもないと、右腕を持ってかれるぞ」
「なんだと?」
訝りながらも、神田元総理が腕を体の前に持ってきて、身を小さくする。
がしゃんとやかましい音がして、自動装填装置『カセトカ』が作動した。砲尾が上方に上がるように開き、後部から伸びてきたラマーが砲弾を薬室に勢いよく送り込む。間髪入れず、装薬も装填された。ふたたびがしゃんという音とともに、砲尾が閉じられる。……いかにもロシア製品らしい、スマートさやハイテク臭など微塵も感じさせない力ずくの『原始的』な自動装填機構である。
「スカディ、3VBK装填完了だ」
亞唯が、開いたままのハッチに向かって報告した。
「先頭のトラックにDShK38/46重機関銃。二台目にB‐10無反動砲。重武装だな」
なおも双眼鏡を覗き続けながら、ファルリンが言う。
彼我の距離は、すでに千メートルを切っていた。トラック二台は、なおもこちらの進路を遮るようなコースを突き進んでいる。
「軍ではなさそうね。遊牧民スタイルだわ」
砲塔の陰に身を隠したスカディが、言う。
「ああ。十中八九、ヘサール族の連中だろう。無反動砲を持っている少数民族など、西部ではあいつらだけだ」
ファルリンが、苦々しげに言う。
「敵意は感じられませんね! 無警戒なのです!」
シオはそう言った。砲口や銃口は前方を向いたままで、こちらを狙ってはいない。オープンの荷台に乗る戦士たちも、普通に腰を下ろしたままだ。
「こちらを第3旅団の戦車だと思っているのでしょう。ここは、交戦せずにやり過ごすのが得策だと思いますわ」
スカディがそう言って、ファルリンを見る。
「そうだな。地図によれば、近くに村がある。交戦となれば、遠くまで音が聞こえるはずだ。追っ手の注意を引きかねない」
「ですが、上手くやり過ごせるのでありますか? 向こうは、こちらの進路を遮る気まんまんのようですが!」
シオはそう疑問を呈した。
「方法はある。幸い、神田氏は交戦に反対のようだしな。役立ってもらおう」
にやりと笑ったファルリンが、ハッチから引っ込んだ。
「さあ神田氏。これを被るんだ」
ファルリンが、車内にあった戦車兵用ヘルメット……防寒帽に羊羹を三本貼り付けたような、ロシア戦車兵特有のヘルメットだ……を取り上げ、神田元総理の頭にむりやり被せる。
「な、何をするつもりだ?」
「席を替わってくれ。神田氏、あんたは今からこの戦車の戦車長だ」
「なんだと?」
神田元総理が、呆れる。
「交戦したくないのだろう? ならば、うまくあいつらを追っ払ってくれ。連中、こちらを第3旅団の戦車だと思い込んでいるようだ。たぶん、道を尋ねたいとか、ただ単に挨拶したい程度の理由で、こちらの進路を遮るつもりなのだろう。適当に、あしらうんだ」
「あしらうって……ばれるに決まってるだろう!」
「大丈夫。ホラニスタンには東洋系少数民族も多い。これをつけていれば、顔もわからん」
ファルリンが、塵除けの戦車兵用ゴーグルを、神田元総理の手に押し付ける。
「だいたい、わたしはロシア語が判らないんだ!」
「わたしが通訳する。わたしが言った通りに喋ればいい」
「そんな! 騙せるわけがない」
ぶるぶると首を振りながら、神田元総理が拒否する。
「問題ない。下手くそなロシア語を喋る兵士くらい、陸軍にはごろごろしている。徴兵されてから、ロシア語を覚えたなんて奴もいるくらいだからな」
「君がやればいいだろう!」
「だめだ。わたしが知る限り、ホラニスタン陸軍に女性の戦車乗りはいない。あんたがやるしかないよ。さもなければ、トラック二台に不意打ちを掛けて殲滅するしかない。遺憾ながら、死体が新たに三十ほど転がるだろうな」
死体が転がる、と聞いてついに神田元総理が抵抗を断念した。一声唸ると、しぶしぶとゴーグルを受け取って、装着する。狭い砲塔内で苦労して身体をひねり、ファルリンと入れ替わって、車長席に行く。
「おわっ」
がくんと戦車が揺れ、神田元総理が頭をハッチの縁にぶつけた。幸い、ヘルメットのパッドが衝撃を吸収してくれる。
「気をつけてくれよ、先生。常に、何かに掴まっていないと危ないんだから」
亞唯が、少しばかり心配そうに言う。
「す、すまん」
素直にそう答えた神田元総理が、そろそろと車長用ハッチから頭を突き出した。肩を見せないように注意しながら、ゆっくりと頭を巡らせる。
第十四話をお届けします。




