第十二話
「あのピョース、五百ドルもボーナスをふんだくりやがったー」
ぶつぶつとこぼしながら、畑中二尉がホテルの部屋に戻ってくる。
「ピョース、って、どういう意味ですか?」
留守番をしていた三鬼士長が、訊いた。
「よい子の三鬼ちゃんは知らなくてもいい露語だー」
首を振り振り、畑中二尉が靴を蹴るようにして脱ぎ捨て、ソファにどっかりと座る。
畑中二尉に雇われ、亞唯と雛菊を北部地域へ運んだタクシー。電話連絡を受け、アラチャへ戻ってきた彼に、つい十五分前に畑中二尉は後金を支払ったところである。『取材』自体は失敗だからボーナスは無し、と突っぱねた畑中二尉だったが、運転手は危険手当の支払いを求めてごねた。本来ならば絶対に譲らない畑中二尉だったが、夜遅くなる前にやらねばならぬことがいくつかあったので、時間節約のために仕方なくボーナスを……運転手の要求額よりはかなり値切ったが……を支払ったわけである。
「それで、チケットは取れましたか?」
「明日朝イチのサマルカンド便を押さえたー。スカディらが上手く国境を越えられれば、午前中に合流できるだろー」
予定していなかった神田元総理のウズベキスタン入国。長浜一佐は、防衛省首脳部と協議の上、深刻な外交問題に発展することを避けるために神田元総理とAHOの子たちのウズベキスタン入国を極秘のうちに行うことを決めた。つまりは、密入国である。それを受けて畑中二尉は、ウズベキスタン内での彼女らの移動と、出国を手助けするために、ウズベキスタンに赴くように長浜一佐から命令を与えられていた。三鬼士長は、連絡役としてホラニスタンに留まることになっている。
「そういうわけで、明日に備えて早く寝るぞー」
だるそうにソファから立ち上がった畑中二尉が、バスルームへ向かいながら次々と衣服を脱ぎ出す。
砂利道を外れ、瑞虎は草原を西に向けて走り始めた。
一面の草原であった。丈は五十センチ前後だろうか。月明かりを受けて薄い灰色に見える草の大海原を、SUVが波を掻き分けるかのように進んでゆく。
地形はほぼ平坦だったが、ところどころに単調さを打ち破るアクセントのように低い丘や草に覆われていない岩山が見られた。樹木はほとんどなく、あっても樹高数メートルくらいのもので、独りさびしくぽつんと突っ立っているのが常だ。
「五キロ走ったで」
雛菊が、告げた。うなずいた亞唯が、寝息を立てていたファルリンを起こす。
「少し遠回りになるが、この村へ向かってくれ」
地図を取り出したファルリンが、亞唯に説明した。
「オフロードで国境を目指すとなると、ガソリンが足りない。念のため、早めに給油しておきたいからな」
「その村に、ガス・ステーションがあるのですか?」
シオはそう訊いた。ファルリンが、笑う。
「そんな気の利いたものはない。だが、遊牧民でも車は使うし、ガソリンの備蓄はあるはずだ。割高になるが、金さえ払えば売ってくれる」
「よし、雛菊。方位2‐3‐0だ。六キロほどで村に着く」
地図を確認した亞唯が、そう指示を出す。
「了解や」
雛菊が、ぐるりとハンドルを回した。
「……おかしいぞ」
亞唯が呟いたのは、進路変更から二キロほど走った時点だった。
「どうかしたの、亞唯?」
カーゴルームから身を乗り出すようにしながら、スカディが訊ねる。
「村のある方向から、顕著な赤外反応がある。暖房の熱にしちゃ大きすぎる」
「火事でも起きてるんか?」
運転を続けながら、雛菊が言う。
「いや。火災なら、もっと大きな赤外反応になるし、スポット的に捉えられるはずだ。まるで、村全体が暖められているかのようだ」
戸惑いの表情を浮かべながら、亞唯が続けた。
「いやな予感がするな。みんな、周囲に気を配ってくれ」
厳しい声が、ファルリンが言う。
「これは……大規模な火災だ」
さらに村に近付いたところで、亞唯が喘ぐように言う。
その頃には、シオの目にも村の様子がわかるようになっていた。村の建物……推定で五十戸ほどだろうか……がすべて、土台や骨組みだけになっている。そして、そこから放射される大量の赤外線。……焼け跡だ。それも、鎮火して間もない焼け跡。
雛菊が、焼け跡のそばで車を停める。周囲が静まり返っていることを確認してから、一同はぞろぞろと車を降りた。シオの嗅覚センサーにも、はっきりと識別できるほどの、焦げ臭い匂いがあたりに漂っている。
「失火でここまできれいに焼き払われるとは思えんな。人為的なものだ」
黒々とした焼け跡を見つめながら、ファルリンが言う。
「同感ですわね」
スカディが、うなずいた。
「むごい。村人は、どこへ行ったのだ?」
きょろきょろとあたりを見回しながら、神田元総理が訊く。
「……あっちに、集められているようだ」
視覚が強化され、一同の中でも一番夜目が効く亞唯が、村の南側にある畑地を指差した。
「ただし、全員横になっている。赤外反応もない」
「やはりな」
ファルリンが、ため息をつく。
死体は、全部で二百数十体あった。老人から乳児まで。おそらく、村の全員だろう。その向こう側には、家畜の死体の山。こちらも、牛、馬、驢馬、山羊、羊、鶏と多種多様だ。
「……なんてことを」
地面に跪いた神田元総理が、うめく。
「全員射殺されているようですわね」
死体を検めながら、スカディが言った。月明かりのもとでは、墨のように見える夥しい血が、倒れ伏している人々の衣服や地面を黒々と濡らしている。AI‐10の嗅覚センサーでははっきりとは判らなかったが、いまだ生臭い血の臭いが、あたりには立ち込めていた。わずかに漂う糞便臭は、恐怖から脱糞した人のものだろうか。
「レイプの跡がないのは、慰めですねぇ~」
十代の女性の死体を選んで調べていたベルが、そう報告する。
「殺ったのは正規軍じゃないね」
大量に落ちていた薬莢を拾い集めていた亞唯が、そう言った。
「使用弾薬が、ばらばらだ。7.62×39、7.62×54R、5.45×39、9×18、7.62×25。それに少ないけれど7.62×51と5.56×45もある。さらに、こいつ」
亞唯が、手のひらから全長五センチ半ほどのライフル用ボトルネック薬莢を取り上げる。
「幅一センチ程度でリム付き。.303ブリティッシュでありますか?」
シオは、そう識別した。
「民兵組織による虐殺のようですわね。誰がやったのでしょう?」
スカディが、ファルリンに訊ねる。
「このあたりで、充分に武装している連中はひとつしかない。ヘサール族だ」
苦々しげに、ファルリンが答えた。
「どんな連中や?」
雛菊が、訊く。
「過激な復古主義者だ。ある意味、原理主義者よりもたちが悪い。汎アラビア主義と結びついているから、拡大指向なのだ。ホラニスタン混乱のどさくさに紛れて、異端であるスーフィーを排除しつつ勢力の拡大を図っているのだろう」
「信じられん……」
ファルリンの言葉を聞いた神田元総理が、うなだれたまま首を振る。
「どう見ても、ガソリンは手に入らなそうやな」
焼け落ちた村を見やりながら、雛菊が言う。
「質問がありますぅ~。ヘサール族は、装軌車両を保有しているのですかぁ~」
かなり遠くの方まで行って、死体を調べていたベルが戻ってくると、そうファルリンに訊ねた。
「いや。持っていないはずだが」
「わたくし、あちらでキャタピラの跡を発見いたしましたぁ~。幅とめり込み方から見て、MBTだと思われますぅ~」
少しばかり喜色をあらわにして、ベルが報告する。
「第3旅団がこの虐殺に加わったのでしょうか?」
スカディが、首を傾げた。
「ベル。キャタピラ跡の周囲に薬莢はあったか?」
硬い声で、ファルリンが訊ねる。
「それは見つかりませんでしたぁ~」
「やはりな」
ファルリンが、納得顔でうなずく。
「どういうことだい?」
亞唯が、訊いた。
「第3旅団長サティコフは下種野郎かつ原理主義者だが、スーフィーを虐殺するような男ではない。MBTであれば第3旅団の所属だろうが、虐殺には直接関わっていないと思う。まあ、黙認はしているようだが。事前情報では、ヘサール族は国家再生党には加わっていなかったはずだが、こうして第3旅団とつるんでいる所を見ると、参加したのかもしれんな」
「味方するから、スーフィー虐殺を黙認しろ、と第3旅団に要求したのではありませんか?」
シオはそう推測を述べた。
「あり得るな。……とにかく、ここに居ても益はない。移動しよう」
ファルリンが、きびすを返した。なおも地面に跪いている神田元総理の肩を、優しげにぽんと叩く。
「行くぞ、神田氏」
神田元総理が、顔を上げた。
「……君は、村民が非武装だから、このような悲劇を招いたのだ、とか主張するのだろうな」
「まさか。わたしの知性を見くびらないでくれ。この村が武装しても、戦車まで持ち込んだ連中に敵うわけはない。この事件を、非武装中立主義に対する直接的な反証に使うつもりはない。むしろ言えるのは、硬直化した防衛政策の愚かしさだな。愛国行動党政権下で、彼らスーフィーの村は保護されてきた。それに安穏と乗っかって、この村は存続してきたのだろう。ホラニスタンという、危険極まりない後進国の一部であったにもかかわらず。国家再生党が蜂起し、愛国行動党と政府軍の力がこの地に及ばなくなってからも、彼らは銃を取ることも他の村落と集団安全保障体制を取ることもなく、流れに身を任せてきた。その結果が、これだ。可哀想だが、これが不安定な後進国の実態なのだ」
「後進国の、実態か」
よろよろと、神田元総理が立ち上がる。
一足先に瑞虎に乗り込んだベルと雛菊が、エンジンを掛けた。一同は、無言のまま車内に納まった。
「仕方がない。ここにある村で、ガソリンを買おう」
地図を再検討しながら、ファルリンが言う。
「……そこも焼かれてたりするんやないか?」
雛菊が、運転を続けながら冗談口調で言う。
「変なフラグを立てないように。二十キロほど、先ですね」
地図を覗き込みながら、スカディが言う。
「補給といえば、そろそろあたいたちも充電しておきたいところですが!」
シオはそう口を挟んだ。
「そうねえ。節約すれば、国境まで充分持ちそうだけど、何かトラブルがあれば心もとないわね」
心配顔で、スカディが言う。
「発電機から、直接充電できるのか?」
ファルリンが、訊いた。
「アダプターを持っていますから、なんとか。産業用の大型の発電機は無理ですけど、普通の十二ボルト直流程度でしたら、問題ありませんわ」
「ならば、ガソリン発電機を一台買ってもいいな。多少、値は張るだろうが」
難しい表情で言ったファルリンが、懐をごそごそと探った。小さな布袋を出し、中を覗き込む。
「あー、金なら、あたしも持ってるよ」
亞唯が、ポシェットから二十ドル札の束をつかみ出した。ファルリンが、笑顔になる。
「助かる。手持ちが、いささか少なくてな」
「あたいたちの充電に使う発電機なら、あたいたちがお金を払うのが筋なのです!」
シオはそう主張した。
がくん。
いきなり、瑞虎が揺れた。
ばすん。ばすん。
いやな音が、車体前部から伝わってくる。
「どうした?」
亞唯が、身を乗り出して訊ねる。
「あかん。エンジンが、止まってしもうた」
慌てたように、雛菊が言う。
「アクセルを踏んでも、反応がないのですぅ~」
運転台の下から、ベルの声がする。
ほどなく、瑞虎は完全に停止した。エンジンは、沈黙している。
「日本語ではほとんど死語と化している、エンコですわね」
スカディが、言う。
一同は、車を降りた。あたりは、見渡す限り一面の草原だ。むろん、人家の明かりなどはない。
亞唯が、ボンネットを開けた。白っぽい煙が、ぱっと立ち昇る。
「ファルリンさん?」
スカディが、期待を込めた視線を投げかける。
「いや、車のエンジンのことは、さっぱりわからん」
ファルリンが、残念そうに首を振る。
「神田先生?」
問われた神田元総理が、無言のまま恥ずかしそうに視線を逸らす。
「わたくし、パソコンのトラブルには詳しいのですが、自動車のトラブルはからっきしなのですぅ~」
ベルが、なぜか嬉しそうに言う。
「止まりかたからして、燃料系統の故障じゃないかな。あたしにも、お手上げだけど」
ポンネットの中を覗き込みながら、亞唯が言う。
「さすが中国製! 期待を裏切らないのです!」
シオは呆れ顔でそう言った。
「さて、どうしますの?」
スカディが、ファルリンに訊ねる。
「次の村まで歩くしかないな。二十キロメートルならば、夜明けには着けるだろう」
「あたいたちの足では、もう少し掛かりそうですが!」
シオはそう言った。脚の短いAI‐10の標準的な歩行速度は人間よりも遅いし、バッテリー節約の意味からもゆっくりと歩いた方がいい。それに、人間ならば大して邪魔にならない丈の草も、背の低いAI‐10にとっては厄介な障害物だ。
一同は出発準備を整えた。ファルリンが布袋からナンとチーズを引っ張り出し、食べ始める。
「神田氏。今のうちに食べておけ」
チーズを添えたナンを、ファルリンが神田元総理に押し付ける。
「あの村を見た後で、よく食欲が沸くな」
不承不承食べ物を受け取った神田元総理が、恨めしげに咀嚼を続けるファルリンを見やる。
「……もっと悲惨な光景を見たことがあるからな。とにかく、食べておけ。荷物を減らしておこう」
とは言え、携行すべき荷物は多くはなかった。ファルリンのAK47を始めとする武器弾薬。それと、残りわずかの食物と水くらいである。食物と水は、AI‐10たちが分けて持った。さらに、瑞虎車内に備え付けてあったハンドライトと発炎筒も、とりあえず持ってゆく。
一番夜目の利く亞唯を先頭に、一同は一列の隊列を組んだ。二番目に雛菊、次にAKを肩にしたファルリン。四番目がベル。五番目に、神田元総理が入り、全体の統制を採り易いその後ろにスカディが付く。シオは、殿を任された。
実に単調な行進であった。景色は代わり映えしないし、足元も常に同じようなイネ科の草に覆われているだけだ。白い半月と、わずかな夜風に瞬く星々に見守られながら、一同は黙々と歩んだ。ほぼ一時間に一回休憩し、ファルリンと神田元総理が水分を補給する。AHOの子たちの歩調に合わせてゆっくりと歩んでいるにもかかわらず、神田元総理はかなりの疲労を覚えている様子だった。見た目はまだ若々しいが、年齢が年齢のうえ、ろくに寝ていない影響が出ているのだろう。
やがて、東の空が白んできた。灰色だった空に徐々に色彩が戻り、青みががってくる。草原も、色を取り戻した。
「止まれ」
亞唯が鋭い声で命ずる。
「どうした?」
素早くしゃがみ込んで、AK47を肩から外したファルリンが、訊く。
「白っぽい煙が見える。遊牧民かな?」
亞唯が、右斜め前方を指差した。
「あたいには見えないのです!」
シオはそう言った。
「どうしますの?」
スカディが、訊ねた。
「時間からすると、遊牧民が朝食の支度をしているのかもしれないな。上手く行けば、馬を借りられるかもしれない」
「時間を節約できますが、わたくしたち乗馬機能は持っておりませんですぅ~」
ベルが、言った。
「遊牧民を雇って、乗せてもらえばいい。バッテリーも節約できるだろう。村まで連れて行ってもらって、そこで車を調達する。その手で行こう。異存はないな?」
ファルリンが、AI‐10たちに確かめる。神田元総理を含め、異論は出なかった。
第十二話をお届けします。




