第七話
ヒュンダイ・サンタフェの車内は狭苦しかった。
別に車内レイアウトに問題があるわけではない。現代的なSUVとしては標準的な造りで、後部のカーゴスペースなどは決して狭くはない。しかしそれらのスペースには様々な物品が山ほど積み込まれ、さらには後部座席にまではみ出してきており、車内の閉塞感を強めていた。
寝袋に毛布。アルコールストーブと、その燃料。金属とプラスチックの食器類。大量の食料……紐で結わえたナンの束、ビスケットの箱、種々雑多な缶詰類、ドライフルーツ、ナッツ類、何種類かの果物を詰め込まれて膨れている麻袋、網袋に入った玉葱などなど……と、十数本のペットボトル飲料。ハンドライトとポータブルラジオ。暇つぶし用か、あるいは焚き付け用なのか、古雑誌の束。
亞唯はその車内で胡坐をかいて座り込んでいた。相棒の雛菊は、民家のひとつで充電中だ。亞唯は体内クロノメーターで時刻を確かめた。もうそろそろ、帰って来る頃合だろう。
サンタフェは小さな集落を貫く砂利道に停まっていた。戸数はわずかに十数戸。南側が開けた、山間の平地に開かれた農村である。すべての建物が、日干し煉瓦の壁と、手作りの焼成瓦葺きの平屋建てという、『寒村』の呼び方がしっくりとくる貧しげな集落である。
畑中二尉が雇い、亞唯と雛菊が乗り込んだタクシーが行った、神田元総理を北部地方へと送り届ける車列の追尾の第一日目は、さしたるトラブルもなく順調に終わった。道路が空いていたのは、尾行を行ううえでは好都合でもあり、また不都合でもあった。見失うおそれが少ないから、距離を開けて追尾しても問題ないが、他の車に紛れることができないので、尾行が発覚する危険性は高くなる。
この尾行では、亞唯の強化された『眼』が大いに役立った。視線が通る場所ならば、数キロ離れても決して見失わずに追尾できたのだ。また、事実上一本道であることも幸いだった。北部地方への迂回路は複数あるが、いずれも細く、かつ路面状況が悪く、そして回り道となる。神田元総理らの車列が街道を外れる可能性は、限りなく少ないと言えた。
車列が左折して橋を渡り、西に伸びる道に入ったのを見届けたところで、運転手は尾行を打ち切った。この先は行き止まりなので、その手前にある村に宿泊するはずだ、と運転手が説明する。亞唯と雛菊は念のため、近くにサンタフェを停車させると、橋の付近まで徒歩で偵察に出かけた。暗視能力を駆使し、車列が完全に停止しており、護衛の兵士たちが分散して周辺の警戒を行っているのを確認してから、車に戻る。
亞唯としては、村が見えるところに車を隠し、スカディらを見守るつもりだったが、運転手はすぐ先にある集落での民泊を主張した。以前にも泊めてもらったことがあるので、そこで身体を休めたいと言う。街道からは少し外れることになるが、早起きして街道沿いで張っていれば、北上する神田元総理らの車列を見過ごすこともないので、問題ない。運転手はそう説明した。
反対しかけた亞唯だったが、その集落が電化されていると聞かされて、考えを変えた。まだ一日目、このあたりは政府軍の支配下にある地域である。夜間にトラブルが生じるおそれは少ないだろう。ここはその集落でフル充電しておくほうが、得策である。運転手も、車中泊より民泊の方が快適だろう。まだ先は長いのだ。疲労を溜めさせることもない。
そのようなわけで、街道をさらに北上したサンタフェは、橋から二キロほどの位置で街道を外れ、一車線の砂利道を低速で五分ほど登り、このささやかな集落に到着したのである。運転手が顔見知りらしい住民と手早く交渉し、宿泊と食事、亞唯たちの充電を承知させ……現在に至るわけである。
「終わったでー。交替や」
サンタフェの前部ドアを開けた雛菊が、車内に乗り込んできた。
「状況は?」
「問題なしや。静かなもんやで」
「よし。後を頼むよ」
後部ドアを開けた亞唯は、夜気の中に降り立った。あたりは、しんと静まり返っている。電化されているとは言っても、街灯などなく、日本の街中であれば深夜でも光を放っている自動販売機や終夜点灯の看板などもなく、住民もすでに寝静まっているのであたりは真っ暗だ。もっとも今日は快晴状態で、半分欠けてはいるが明るい月が昇っており、光量増幅機能を使わなくとも結構遠くまで見通すことができる。澄んだ空気と高い標高のおかげもあるのだろう。
……人間なら、風流とか感じるのだろうか。
通常の光学入力だけで、月明かりに照らされている山嶺を見やりながら、亞唯はふとそんなことを考えた。
「よし、そこがいい」
トラックの助手席に座ったヌーリ・シャルバドが命じた。
古臭いボンネットタイプの四トントラック、GAZ‐53二台と、中型バスLAZ695は、街道を外れると道路脇の草地へと乗り入れた。ヘッドライトを消灯し、エンジンを切る。ちなみに、亞唯たちが登っていった脇道からは、三百メートルと離れていない位置である。
シャルバド族の戦士たちが、続々とトラックとバスを降りた。その数、三十名。これに、指揮官であるヌーリ、その副官ミラード、通信技師のアールミーン、それにラフシャーン・シャルバドを加えた総勢三十四名が、襲撃隊となる。
ラフシャーンとミラードを連れ、街道から見えないようにトラックの陰に入ったヌーリは、二人の分隊長とその補佐二人を呼び寄せた。地図を取り出し、手で覆って光量を小さくしたハンドライトを点灯する。
「奴らが止まったのがここ、ガッサーという村だ。人口は三百人ほど。先ほどもたらされた情報によれば政府軍は常駐していないが、銃器を保有している住民はいるそうだ。当然、ほとんどの連中は政府支持者だ。カンダの護衛は、説明したとおり十人程度。ロボットも同行しているが、民生用の小さな奴だ。脅威にはならん。いいか、住民は抵抗しない限り無視しろ。もちろん、抵抗した場合は容赦するな……」
ヌーリは、細々とした作戦を打ち合わせた。分隊長補佐の一人と運転係り三名がこの場に留まる。ラフシャーンと分隊のひとつが先行し、状況を偵察する。本隊はその後を、重装備……といっても、RPG‐7対戦車ロケットランチャーが二基とRPD軽機関銃が一丁だけだが……を運ぶ。
「よし。装備を確認しろ」
ヌーリは小声でそう命じた。部下たちが、武器をチェックし、歩いても不要な音を立てたりしないかを確認する。
ロボットが省電力モードから復帰するのは、設定したタイマーが切れた場合か、あるいは事前設定した事態が発生した場合である。
後者には、デフォルトの設定とユーザーによる設定、あるいはロボット自身が省電力モードに入る前に行った設定がある。デフォルトの設定では、一定以上の大音量や急激な温度変化、あるいは大きな振動の感知、外皮センサーへの強い刺激などが挙げられる。他人が助けを求めてきたり、そばで火災が発生したり、被害が生じるほどの地震に遭遇したり、起きるように叩かれても反応しないのでは、家庭用ロボットとしては失格である。
シオたちに与えられた軍用プログラムにおいては、『自己ないし自己が所属する部隊』が『脅威に晒される事態』になったと推測される状態、になった場合には、省電力モードより復帰する機能が備わっていた。
そのようなわけで、部屋の隅で体育座りをしていたシオは、即座に省電力モードから復帰した。『銃声』と認識される音声入力があったからだ。
「7.62×39だわ。敵襲ね」
省電力モードに入らず、『起きて』警戒していたスカディが、そう識別する。たしかに、聞こえてきたのは、ばしばしと叩きつけるような感じの、AK47やAKMの単射音だ。政府軍の護衛が携行しているAK74の、軽いが鋭い射撃音とは、明らかに異なる。
「北東、真東、それに南南東。三箇所同時に聞こえるわ。偶発的戦闘とは思えませんわね。計画的、組織的な襲撃でしょう」
頭をぐるりと巡らせて、音源を確かめたスカディがそう断定した。
「なんだ、何が起きた」
寝床から、神田元総理がむくりと起き上がる。
「姿勢を低くして下さい、先生。危険です」
スカディが、すかさず神田元総理を抑えようとする。
「いかん。銃撃戦ではないか。止めなくては」
持参したスウェットスーツ姿の神田元総理が、立ち上がって部屋を出ようとする。
「いけませんわ、先生。まず間違いなく、襲ってきた連中の目標は先生です。じっとしていてください」
「ならばなおさらわたしが出て行かねばならん。一般市民を巻き添えにするわけにはいかない。スカディ君、そこを退きたまえ」
止めようとするスカディを、神田元総理が押し退けようとする。
『馬鹿ですが度胸はあるみたいですねぇ~』
ベルが、赤外線通信で呆れたように言う。
「シオ、ベル。状況を偵察してきてちょうだい」
神田元総理に抱きついて止めているスカディが、そう命じた。とりあえず襲撃の規模や戦闘の様相がつかめなければ、対応のしようがない。
「了解なのです、リーダー! ベルちゃん、行きますよ!」
敬礼したシオは、廊下に通じる扉を開けた。ベルが、後に続く。
ぱぱぱぱぱっ、という、AK74らしき自動銃をフルオートで放つ音が聞こえた。だが、7.62×39数発の発砲音のあとで、沈黙してしまう。……政府軍の護衛の一人が、撃ち倒されたのだろうか。
外へ出たシオとベルは、周囲の偵察を開始した。人工的な光源はないが、月明かりであたりは結構明るい。
「あれは、政府軍の兵士の方ですねぇ~」
東の方を見ていたベルが、指差す。
村のメインストリートを、二人の兵士が必死になって全力疾走してくるのが見えた。そのままシオたちから三十メートルほど離れた家の軒下に転がり込み、東へ向けてAK74を乱射する。
すぐに応射が行われた。闇の中から飛翔してきた数十発の弾丸が、土壁や柱、地面に降り注ぐ。数発が兵士の身体を捉え、二人がのけぞるようにして倒れた。
『シオ、ベル。ごめんなさい。山本秘書に逃げられたわ。保護してちょうだい』
スカディから、通信が入る。
「面倒な秘書さんなのです!」
シオはぼやきつつ山本秘書の姿を探してあたりを見回した。
「いたのです!」
山本秘書の姿はすぐに見つかった。ちょうど兵士二人が倒れた民家の横手から、ひょいとメインストリートに出てくる。
追いかけようと脚を踏み出したシオだったが、メインストリートを東側から小走りに近付いてくる一団に気付いて動きを止めた。……人数は、十五名ほどだろうか。どう見ても、政府軍兵士でも住民でもない。
襲撃者だ。
「どうなっているのかね!」
シオとベルの背後に、ぬっと神田元総理が現れた。
『リーダー、抑えていてくれなければ困るではないですか!』
シオは無線でスカディに文句を言った。
『偽装身分を考慮すれば、あまり強引なことはできないでしょ?』
無線で言い訳しつつ、スカディも現れる。
月明かりに照らされて接近する襲撃者の一団に気付いたのか、山本秘書が東の方へと歩み出す。襲撃者の方も気付いているはずだが、丸腰なのを見て取っているのだろう、足は緩めない。
見る間に両者の距離が縮まった。山本秘書が、ブロークンなロシア語で話しかける。大げさな身振りを交え、襲撃者の行いを非難しているようだ。
ばしん。
何のためらいも見せず、襲撃者の一人がAK47を単射した。銃声がメインストリートに響き渡り、山本秘書が、仰け反って倒れる。
「山本君!」
神田元総理が、走り出した。AI‐10たちが止める間もなく、メインストリートに飛び出してしまう。
「どうしますかぁ、リーダーぁ~」
ベルが、スカディを見やる。
「神田元総理を連れて逃げるのは、無理そうね」
恨めしげに西の方を見やりながら、スカディが言う。周囲は山に囲まれているのだ。逃げ場は無い。
「とりあえず、連中の目的は神田元総理の殺害ではないようですね!」
神田元総理の後ろ姿を見送りながら、シオはそう言った。山本秘書はあっさりと射殺した襲撃者たちだったが、近付いてくる神田元総理には銃口を向けたものの、だれも発砲していない。
「拉致目的でしょうかぁ~。このまま神田元総理を見捨てて、逃げると言う手もありなのではないでしょうかぁ~」
ベルがそう提案する。目的が神田元総理にしかないのであれば、襲撃者がわざわざ同行していたロボットを探すことはないだろう。こちらが闇に紛れてしまえば、神田元総理を連れてさっさと引き上げてくれるはずだ。
「そうしたいのは山々ですけれど、任務の都合上もう少し神田元総理を守ってあげるべきでしょうね。銃声が聞こえないところをみると、護衛の方々は制圧されてしまったようですし。残念だけど、とりあえずわたくしたちが出てゆくしかなさそうね」
スカディが、肩をすくめつつ言う。
「とりあえずここは見送って、あとで神田元総理奪還を図る、というのはどうでしょうか?」
シオはそう提案した。
「できない相談ね。襲撃者たちは車両を用意しているでしょう。これをわたくしたちが追尾するのは、まず無理。いったん神田元総理を見失ったら、見つけ出すのは不可能に近いでしょう。たぶん、わたくしたちが出て行ってもいきなり撃たれたりはしないでしょう。もし危害を加えられそうになったら、電撃で反撃しつつ銃を奪い取ります。よろしくて?」
スカディが、そう決断する。
「了解なのです、リーダー!」
「了解しましたぁ~」
「……諸君らは恥ずかしくないのか? 一般市民しか居住しない村に武装して乗り込み、非武装、無抵抗の外国人を殺害し……」
山本秘書……胸板を撃ち抜かれて即死状態であった……をかき抱きながら、神田元総理が襲撃者たちに猛抗議する。
襲撃者たちはほぼ無反応であった。……神田元総理が日本語で喚いているのだから、仕方ないが。
シオたちは非武装かつ無抵抗であることを強調しようと、両手を挙げて近付いていった。何丁ものAK47が向けられたが、幸い発砲する者はいない。
襲撃者たちの身なりは、いかにも遊牧民的だった。だぶだぶのズボンに、袖なしか袖ありの上着……こちらもかなりだぶだぶである。被り物はさまざまで、ターバン状に布を巻きつけている者や、フェルトの小さな帽子を被っている者、ベレー帽のような平たい帽子の者、モンゴル人のようなとんがり帽子の者、そしてもちろん無帽の者もいる。その無帽の一人……まだ若く、長身の髭面……がロシア語で言った。
「そこで止まれ、ロボット。通訳はできるか?」
「はい。ロシア語は理解できます」
スカディが、素直に答えた。
「ではカンダに伝えろ。身柄は預からせてもらう。危害を加えるつもりはない。我らについてくるように」
スカディが、若者の言葉を日本語に直して神田元総理に告げる。
「誘拐というわけか。理由を聞かせてもらおうか」
丁寧に山本秘書の遺体を寝かせた神田元総理が立ち上がると、若者を見据えてそう質問を放った。スカディが、ロシア語に訳す。
「あとで説明する。来い」
素っ気なく、若者が応じる。
「この村から移動するのであれば、よかろう」
神田元総理が、うなずいた。
「準備だ」
若者が、ホラニ語に切り替えると……どうやら、彼が襲撃隊の隊長らしい……部下に命じた。
「兄上。ロボットはどうします?」
SKSカービンを持ったまだ年若い男が、隊長に訊く。
「三体はいらん。一体を残して、破壊しろ」
素っ気なく、隊長が答えた。
SKSの若者が、身振りで二人の部下を選び出した。うなずいた二人が、手にしたAK47をシオとベルに向ける。
『シオ、ベル。わたくしが陽動を掛けますから電撃でその二人を倒しなさい!』
スカディが、無線で命ずる。
シオとベルは身構えた。AK47を持った戦士の指が、引き金に掛かる。距離は三メートルほど。初弾が外れてくれれば、接近して致死レベルの電撃を送り込むことは充分に可能な距離である。
だが、シオとベルの準備は無駄に終わった。
「やめろ! これ以上の暴力は許さんぞ!」
もちろんホラニ語は理解していなかったが、動きと雰囲気で何が行われようとしていたのか、理解したに違いない。神田元総理が、シオとベルの前に回りこみ、銃口に対して立ちはだかる。
AK47を腰だめに構えていた二人の戦士が、驚きの表情で神田元総理を見つめる。
「元首相。馬鹿なことはやめるんだ」
SKSカービンを持った若者が、薄笑いを浮かべつつ銃口を神田元総理に向けた。
「わたしは本気だ!」
若者の表情と動きから、何を言われたのか推察したのだろう。神田元総理が、そう力強く言い放って若者を睨みつける。
『度胸だけは、一流ですねぇ~』
赤外線通信で、ベルが感心したように言う。
「よせ、ラフシャーン」
隊長が手を伸ばし、SKSカービンの銃口を下げさせる。
「兄上」
SKSの若者が、隊長を見上げる。
「さすがに元日本の首相だ。度胸は見上げたものだ。きっと、祖先はサムライだろう。彼の勇気に免じて、ロボットは生かしておいてやろう。よく聞け、ロボット」
隊長が、スカディを見た。
「生かしておいてやるが、一切抵抗するな。通信も行うな。逆らえば、こいつが死ぬことになる」
隊長が、銃口で神田元総理を指す。
「よく理解しましたわ。抵抗すれば、神田先生に危害が加えられるのですね」
「そうだ。お前らも理解したか?」
隊長が、シオとベルを見据える。
「合点承知なのです! 逆らえば神田元総理が殺されてしまうのですね!」
「みなさんの言うとおりにしなければ、神田元総理のお命が危ないのですねぇ~。わかりましたぁ~」
シオとベルは、こくこくとうなずいた。……抵抗しない、と約束していないところがミソである。
「よし、撤収する。トラックを呼べ」
隊長が、大きな身振りで無線係りに命令する。
第七話をお届けします。




