第六話
「まずいことになったなー」
バスローブ姿の畑中二尉が、シャワーのあとでまだ濡れたままの髪を掻きむしる。
シオは神田元総理の『アビロフ将軍およびシャルバド族長との会談を目的とした北部地方への旅行』に関して詳しく報告するために、畑中二尉と三鬼士長が宿泊しているツインルームを訪れていた。神田元総理一行が泊まっているスイートルームに比べるとはるかに狭かったが、さすがにアラチャ市内でも最高級のホテルだけあって、一般用ツインルームでもかなり豪勢なつくりである。
「なんとか翻意させられないのかー?」
まるでアメリカ製のような毒々しい緑色のペットボトル飲料を飲みながら、畑中二尉が訊く。
「スカディちゃんが説得していますが、今のところ不調なのです! 神田元総理の決意は、固いようです!」
「自説を枉げないからなあ、馬神田は」
椅子に座ってやり取りを聞いていた亞唯が、呆れたように言う。
「すでに国家再生党のスポークスマンが、公式に神田元総理に対しアビロフ元将軍とシャルバド族長が会談要請を行った、と発表したから、雑誌記者の話がガセではないことは明白だー。北部地方のラジオ放送も、ニュースとして伝えたからなー」
畑中二尉が、再び頭を掻いた。
「だが、どう考えてもこの会談に意味があるとは思えないー。まったくの成果無しに終われば、招請したアビロフ元将軍とシャルバド族長の面子に傷がつくー。成果を挙げるには、国家再生党側の譲歩が必須だが、この状況で国家再生党が歩み寄る理由も必然もないー。神田元総理をアラチャ市内からおびき出すための罠、としか思えんー。だが、その目的はなんだー。わからんー」
「拉致とか殺害を企んでるんとちゃうか?」
ベッドの上で寝転んでいた雛菊が、むくりと起き上がって言う。
「国家再生党側のVIPによる招待だー。これを妨害すれば、あちらの面子は丸潰れとなるー。国家再生党側が拉致や殺害を企むとは、思えんー」
「第三者を装って、神田元総理を襲うのでは?」
三鬼士長が、口を挟んだ。
「それはあり得るんだなー」
畑中二尉が、腕を組んだ。
「神田元総理の身に何かあれば、ホラニスタン政府の落ち度だと世間は見るはずだからなー。愛国行動党は赤っ恥をかくだろー。和平会談にも支障が出るはずだー。国家再生党側も一枚岩ではないからなー。会談を妨害しようとする一派がいるのかも知れんー。ひょっとすると、国家再生党が本当に会談を欲してる可能性もあるー。譲歩のタイミングを窺っていた時に、うまい具合に神田元総理が現れたので、利用しようと考えたのかもなー。神田元総理の説得に根負けして譲歩しました、という形にすれば、国家再生党側の面子は保たれるからなー。いずれにしても、市外へ出られてはあたしたちの任務がやりにくくなるー。なんとかやめさせねばならんー」
「OSCEやホラニスタン政府の力を借りられないのでありますか?」
シオは訊いた。
「もう借りたー。長浜一佐経由で日本大使とも連絡を取って、説得してもらったが無駄に終わったー。OSCEの担当者とホラニスタン政府も反対しているようだが、止められそうにないー。別な方法を考えねばならんなー」
「民主連盟党の方から説得してもらったらどうだい? 執行部の言うことなら、聞いてくれそうだけど」
亞唯が、そう提案する。
「それならもう無理なのです! 先ほど神田元総理が国際電話を党本部に掛けて、行くことを一方的に通告してしまったのです! 手遅れなのです!」
シオの言葉に、亞唯が不満そうな表情で口をつぐむ。
「いっそのこと、一服盛ったらどうや? 慣れない食べ物で下痢でも起こしてくれれば、諦めるんちゃうか?」
いたずらを思いついた幼児のような表情で、雛菊が言う。
「いいアイデアだが、だめだー」
畑中二尉が、即座に却下した。
「我々は、自衛隊員なのだー。そして、神田元総理も一応日本国民なのだー。危害を加えることは、できんー」
「では、行かせるしかないのですね」
三鬼士長が、念押しするように訊く。
「……その前提で、準備するしかないなー。まあ、スカディには最後まで粘って説得はしてもらうがー。残念だが、あたしと三鬼ちゃんは神田元総理に付いてゆくわけにはいかないー。北部地方は危険すぎるー。身分を偽っているとは言え、現役自衛官が拉致なんてことになったら、お偉いさんの首がぽんぽんと飛びかねないからなー」
「いずれにしても、二尉殿と士長殿が一緒に行くのは無理なのです! 神田元総理は、危険であることを理由に取材陣の同行を認めない方針のようです!」
シオはそう報告した。……マスコミの注目を浴びるのが大好きな神田元総理がそのように決断したということは、それなりの覚悟の表れなのだろう。
「そーなのかー。シオ、お前とスカディ、ベルの三体は、なんとか理由を付けて元総理の護衛任務を続けてくれー」
「それは大丈夫そうなのです! 神田元総理は通訳の篠原さんを連れて行かない意向のようなのです! 通訳に、あたいたちは必要となるはずなのです!」
シオは嬉しそうに言った。
「結構。亞唯、雛菊。お前らはシオたちのバックアップとして行ってくれー。方法手段その他は、考えておくー」
「了解だ、二尉。ところで、向こうの電力事情はどうなんだい? なんだか、あんまり電化が進んでいるようなイメージはないんだが……」
亞唯の語尾が、珍しく心細げに小さくなって消える。バッテリーで稼働するロボットにとって、電力の安定供給は文字通り生命線である。
「あー、そのことなら大丈夫だー。田舎の農村は無理だが、市街地や都市近郊、主要な街道沿いは大抵電化されているぞー。水力発電所が方々にあるからなー。充電には支障がないー」
畑中二尉が安心させるように言って、ペットボトルの緑色の液体を喉に流し込んだ。
スカディの説得にも関わらず、神田元総理は決意を翻さなかった。
「とりあえず、移動用の車両と護衛は揃えました」
内務省の課長級の役人が、渋い顔で神田元総理に告げる。
「車両? てっきり飛行機かヘリコプターを用意していただけるものと思っていましたが」
スカディの通訳を聞いた神田元総理が、無邪気に訊く。
「北部地方に、政府の航空機が侵入した場合、これを撃墜すると反政府勢力は主張しています。民間機についても、安全は保障できないと明言しています。ですから、民間エアラインも途絶状態ですし、こちらで航空機を用意することもできません」
重々しい口調で、内務省の役人が説明する。
「ホラニスタン空軍機は、普通に北部地方を飛行していると、新聞には書いてありましたが?」
傍で聞いていたシオは、そう質問した。
「反政府軍が持っているのは、肩撃ち式の地対空ミサイルと対空機関砲くらいなので、空軍機が高高度を飛ぶ分には安全です。しかし、低空を飛べば攻撃されます。ですから、着陸は自殺行為ですよ。実際、先週には民間の貨物機が一機、地方空港に着陸寸前に撃墜されていますしね。その機は、政府軍機と誤認されたために攻撃されたとアビロフ元将軍が釈明しましたが、おそらく嘘でしょう。こちらへの見せしめのために、墜とされたのです」
ため息混じりに、役人が説明した。
「しかし、今回の招請はアビロフ将軍も関わっているが……」
「アビロフ元将軍、ですね」
役人が、神経質そうに訂正する。愛国行動党側にとっては、アビロフは政府軍を解任された軍人であり、『現在将軍を詐称している元将軍』なのだ。
「反政府軍側の武装勢力の指揮系統は複雑で、アビロフ元将軍と言えどもすべてを掌握しているわけではないのです。護衛の件に関して直接、向こうに問い合わせましたが、必要最低限の兵力であれば、政府軍であっても、車両による国家再生党側支配地域への侵入に際し、安全は保障するという言質は得られました。然るべき場所まで行ったら、そこで国家再生党側の護衛と交替する手筈です。よろしいですか」
「むう。時間がかかるのは仕方ありませんな。ご配慮、感謝いたします」
納得した神田元総理が、役人と握手を交わす。
「ですが、護衛は必要ありませんよ」
いったんは安堵の色を見せた役人の表情が、神田元総理の一言で凍りつく。
「そんな。北部地方は危険です。護衛なしで乗り込むのは、無謀です」
「危険なのは承知しています。ですが、わたしは平和の使者なのです。銃を持った人たちに囲まれて旅するわけにはいかない」
至極真面目な表情で、神田元総理が言い張る。
「先生。北部地方の治安は悪いと聞き及んでいます。今回の旅における先生の目的は、アビロフ元将軍とシャルバド族長との速やかなる会談実現、だと思われますが」
見かねたスカディが、口を挟んだ。政府軍の護衛無しでは、AHOの子たちの任務がより困難になってしまう。
「その通りだよ、スカディ君」
「平和を尊び、武力を禁忌する先生のご意向は重々承知ですが、治安の悪い地域を護衛なしで旅するのはトラブルの元です。速やかに目的地へ着くために、護衛を受け入れた方が得策と愚考いたしますが」
スカディの言葉に、神田元総理が考え込んだ。
「そうだな。ホラニスタン国民に平和をもたらすのがわたしの使命だった。ここで意地を張る必要は、無かったな。和平実現のためには、妥協しよう」
神田元総理が、スカディに笑顔を見せた。……並みの女性ならばころりと参ってしまいそうなハンサムなナイスミドルの笑顔であったが、むろんスカディには通用しない。
「結構です。護衛をお借りしましょう。ですが、人数は必要最小限。武器もなるべく非力なものに止めていただきたい」
神田元総理が、そう注文をつける。
「承知しました」
役人が、不満顔で承諾する。
ホラニスタン政府が用意してくれた車両は、5ドアタイプのミツビシ・パジェロであった。もちろん運転手付きである。
護衛は結局十名に制限された。UAZ2360ピックアップトラック二台に分乗し、これを英語が堪能な陸軍中尉が指揮する。武装は各人が携行するAK74突撃銃とマカロフ拳銃、それにRGD5手榴弾に止められた。
「それは車内に持ち込んでもらいたくない」
パジェロの運転手を仰せ付かった陸軍伍長が手にしているAK74Sを指差して、神田元総理が言う。
スカディの通訳を聞いた伍長が、護衛指揮官である中尉に相談する。中尉が即断し、ピックアップに乗る兵の一人が、伍長のAK74Sと予備弾倉を預かることになった。身軽になった伍長が、パジェロの運転席に乗り込もうとしたが、再び物言いがつく。
「拳銃も置いていってほしい。わたしは武器を持った人間と、同じ車に乗りたくない」
伍長の腰の黒いホルスターを指差しながら、神田元総理がそう主張する。
「拳銃は自衛用の武器なのです! それくらいは認めてもいいのではありませんか?」
見かねたシオは、そう口を挟んだ。
「武器に自衛用も攻撃用もないよ。武器は武器。人殺しの道具だ」
真顔で、神田元総理が言い返す。
「人を殺す兵器などない。人を殺す人間がいるだけだ」
スカディが、ぼそりと呟く。
「何か言ったかね、スカディ君?」
神田元総理が、振り向く。
「何でもありませんわ、先生。出発いたしましょう」
「お前たちのためにタクシーを一台借りたー」
ホテルの部屋で、畑中二尉が説明した。
「神田元総理はマスコミの同行を拒否したからなー。そこで、スクープ狙いと称して二体のロボットを秘かに送り出し、一行のあとを追わせる、というカバーストーリーをでっち上げて、運転手とタクシーを手配したー。上手いことやってくれー。頼むぞー」
「運転手は信用できるのかい?」
片眉を吊り上げて、亞唯が訊く。
「前金は充分払ったー。無事戻ってくれば、残りの金額も払うし、『取材』が成功すれば、ボーナスも払うと約束してやったー。たぶん大丈夫だろー」
「またモスクビッチなんやろか?」
雛菊が、顔をしかめる。
「いや、ちゃんとした四駆を借りたぞー。まー、韓国車だからいまひとつ不安だがー。運転手には支度金を渡して、車中泊の準備をさせたー。ガソリン代その他必要経費もそこから出す約束だー。でも、とりあえずこれを持っていけー」
黒いバッグに手を突っ込んだ畑中二尉が、二十ドル札百枚の札束を取り出した。帯封を切り、目分量で半分に分ける。
「ピンチになったら、これを使って帰って来いー。あたしの個人的な予想および要請だが、神田元総理よりもお前らの方が、たぶん今後の日本にとって大事な存在だー。いざと言う時は、元総理を見捨てて逃げ帰ってこいー。いいなー」
約千ドルの現金をそれぞれに手渡しながら、畑中二尉が亞唯と雛菊に噛んで含めるように言い渡す。
運転席に丸腰となった伍長。助手席に山本秘書。セカンドシートに神田元総理とスカディ。収納式のサードシートにシオとベルという布陣で、パジェロが走り出した。UAZ2360の一台が先導し、もう一台が後続するという形で、アラチャ市街地を抜け出す。
良道が続いたのは郊外までだった。北部へ向かう街道に入ると、途端に路面が荒れ始めた。舗装はされているが、手入れが悪く、あちこちにひび割れや小さな穴がある。
「インフラ整備が行き届いていないのであります!」
がたがたと座席の上で揺さぶられながら、シオは言った。
「わたくしたちの任務は、なぜこんな貧しい国ばかりなのでしょうかぁ~」
神田元総理に聞こえない程度の小声で、ベルがぼやく。
「道路の整備にお金を掛けられる程の国はたいてい安定しているのです! あたいたちが解決に起用されるようなトラブルが少ないのです!」
「それもそうですねぇ~」
シオの言葉に、ベルが納得する。
北部地方へ向かう街道は、幅三十メートルほどの川の東岸に沿って伸びていた。緩やかな上り勾配が続き、徐々に高度が上がってゆく。対向車線を走る車の数は少なく、何らかの積荷を満載したトラックか、いかにも旧社会主義国らしいくすんだ緑や茶色に塗られたおんぼろのバス、それに乗り合いタクシーがほとんどを占めていた。
街道はやがて川が穿った谷間へと入っていった。両岸に山がせり出して、道幅も若干狭くなる。川の流れも、幅を狭めつつ、屈曲を増し始めた。
「緑が少ないのですぅ~」
窓外を眺めながら、ベルが言う。
河岸には、青々とした草地が広がり、そこかしこにポプラの並木や低木の群生が見られたが、山々は乾き切った薄いグレイに彩られており、木は一本たりとも生えていない。時折、日当たりの良い南斜面の一部にへばりつくように鮮やかな緑色の草本の群落が見られる程度である。それはさながら不器用な幼児が、緑色の画用紙を灰色のクレヨンで塗りつぶそうと努力した跡のようにも見えた。
「降水量が少ないのね」
前の席から、スカディがぽつりと言う。
「日本では、山イコール森林、ですからねぇ~。森林火災と山火事が同義の国から見れば、異様としか言い様がない光景ですぅ~」
ベルが、なぜか嬉しそうに言う。
谷間ゆえ、日没は早かった。太陽が西側の山嶺に隠れると、あっという間に周囲が暗くなる。伍長が、ヘッドライトを点灯した。しばらく走り続けたところで、先導車が減速し、左手に見えた石造りの橋へと折れる。
「ここ宿泊するようです」
伍長が、ロシア語で言った。
川の西岸は、続いていた山嶺が途切れ、北西南を山に囲まれた小盆地状の地形となっていた。橋の先、西へ向かって砂利道が伸びており、その両側に五十戸くらいの建物が建ち並び、集落を形成している。薄暗い街灯がぽつぽつ灯っており、家々の窓からも黄色い明かりが漏れているので、電気は通じているようだ。
集落の周りの平地は、くまなく耕されて畑となっていた。農業用水は、少し上流から用水路を使って河川水を引いてきて賄っているようだ。平地だけでなく、北側の山の斜面にも、かなり上の方まで段々畑が作られているのが、光学入力を光量増幅装置に通したシオには見て取れた。
神田元総理一行は、村の中でもひときわ大きな家へと案内された。一応民宿らしく、シャワールームまで付いている部屋を宛がわれる。白漆喰壁で絨毯が敷かれており、ベッド……と言うよりも、寝床といった方が適切か……も二人分ある。
部屋に落ち着くと、すぐに女性二人が食事を運んできてくれた。メニューは、川魚のから揚げ、羊肉の煮込み、野菜スープ、細切り野菜……もちろんニンジン入り……の盛り合わせ、茹でマカロニ、ナンという、このあたりの経済水準を考慮すればかなり豪勢なものであった。飲み物は、ポット一杯の紅茶が出された。
壁にコンセント……平型のピンが三本のG型……を見つけたシオたちは、さっそくアダプターを取り出すと、充電を開始した。食事が終わったところで、山本秘書が通訳にベルを連れて護衛指揮官の中尉と明日の打ち合わせに出かける。
第六話をお届けします。




