第四話
三鬼士長が、AI‐10各体にロシア語とホラニ語の入ったROMカセットを配った。
「装着は終わったかー。それができたら、本日はお開きだー。明日朝、羽田空港からOSCEがチャーターしてくれた飛行機で、神田元総理と随員二名がホラニスタン入りするー。スカディ、シオ、ベルは羽田で元総理ご一行と合流、一緒にホラニスタン入りだー。同行取材する報道関係者も、チャーター機に乗せてもらえるから、あたしと三鬼ちゃん、亞唯と雛菊もその機でホラニスタンに行くー。明日早朝迎えに来るから、今日はお前らここでお泊りだー。四階は自由に動き回っていいが、エレベーターホールには出るなよー。あ、言うまでもないが充電はしておけー。では、解散ー」
ぱたぱたと手を振って、畑中二尉が解散を命ずる。三鬼士長が、ノートパソコンをシャットダウンした。
「明日朝までは長いなー」
頭の後ろで手を組んだ雛菊が、暇そうに言った。
「そうだ! 亞唯ちゃん、改造を受けたのではないですか? どのように変わったのでありますか?」
シオは亞唯にそう水を向けた。前回の任務で銃弾を浴び、使い物にならなくなった左腕を新品に換装する際に、西脇二佐によって小改造されたはずである。
「眼を交換してもらったよ。あんたらよりも、お高いレンズを入れてもらった。電子ズームに頼らずとも、高倍率で映像を捉えることができる。集光率もアップした」
自分の眼を指差しながら、亞唯が説明する。
「ソフトウェアも入れ替えて、画像処理機能も充実した。それと、ここにも眼がついたよ」
亞唯が、左腕を挙げて指先を皆に見せた。
「……また、趣味の悪いところにカメラをつけたものですわね」
スカディが、わずかに顔をしかめて言う。
「耳掃除する時とか、便利そうなのです!」
シオはそう言った。AI‐10には耳孔はなく、もちろん耳掃除の必要もないのだが。
「ま、後ろが見えるのは便利だけどね」
亞唯が左手を肩越しに背中に廻した。意を察したベルが、亞唯の背後で指を三本立ててみせる。
「三」
ぼそりと、亞唯が言う。
「盗撮とか便利そうやな」
雛菊が、笑う。
「ついでだけど、顕微鏡機能も付いている。光学だけで有効倍率八百倍だ。……何の役に立つか判らないけどね」
亞唯がそう言って、まるそれが自分の物ではないかのような無関心そうな表情を作って、左手を眺めた。
「いいかー。これからお前ら三体とあたしたちは赤の他人だぞー。気をつけろー」
羽田空港の駐車場で、スカディ、シオ、ベルに向かって、畑中二尉が釘をさす。
「承知しておりますわ」
自信ありげに、スカディが答えた。
今日の畑中二尉のいでたちは、カーキ色のパンツスーツに白のブラウスという、いかにも女性ジャーナリストっぽい感じであった。旅行に伴う荷物も、小さめのキャリーケースひとつにまとめてある。三鬼士長は紺色のパンツとジャケット、中に着たクリーム色の長袖Tシャツという畑中二尉よりもラフなスタイルで、カメラケースを首から下げている。助手役の雛菊が引っ張るキャリーには、黒いケースに入った撮影用機材がいくつも縛り付けてあった。
羽田の国際線旅客ターミナルは、駐車場からさほど離れていない。二手に分かれた一行は、他人のふりを続けながら連絡通路を進みターミナルまで歩んだ。スカディら三体は、待ち合わせ場所である三階出発ロビーで、神田元総理らの到着を待つことになった。一方の畑中二尉らは、一足先に同業者らと一緒に、搭乗手続きに入る。
「東方テレビに東方新聞。週刊紅玉に月刊世紀。見事に左傾マスコミばかりだね」
あたりを見回しながら、小声で亞唯が言う。
「そりゃそうや。今時、馬神田を取材しようというマスコミなんて、平和ボケした時代遅れの左翼くらいしかおらへんで」
雛菊が、笑う。
「まあ、CIAあたりの分析でも、事態が好転する見込みはなさそうだしなー。彼らがグッドニュースを持ち帰る可能性は極めて低いだろー」
こちらも小声で、畑中二尉が言う。
「愛国行動党と国家再生党。両者が手を組むなんて、奇跡でも起こらん限り無理だなー」
「奇跡ですか。たとえば、共通の敵が現れるとかしても、無理ですか?」
三鬼士長が、訊く。
「ゴジラでも出現すれば、手を組むかもなー。あ、だめだ。あそこ海がない内陸国だから、無理だー」
畑中二尉が一人突っ込みをして、笑った。
「来たようね」
スカディが、視線でエスカレーターの方を指す。
颯爽とやってきたのは、小ざっぱりとした濃紺のスーツ姿の神田元総理であった。六十近い年齢を感じさせないきびきびとした足取りだ。さすがに白髪は増えたが、髪はまだたっぷりと残っており、首相時代と同様の若々しさを感じさせる姿だ。男性としてはやや小柄だが、ハンサムな顔立ちをしており、女性の支持者が(かつては)多かったのもうなずける話である。
後に続く二人のうち、寄り添うように付き添っている中背の男性は、長年神田元総理を支えてきた個人秘書の山本であった。年齢的には神田元総理と変わらないはずだが、頭髪がかなり後退しているせいかはるかに年上に見える。数歩遅れて続く眼鏡姿の青年は、今回後援者の推薦で選ばれたロシア語通訳の篠原だ。ロシア留学経験があり、もちろんロシア語に堪能だが、ホラニ語はまったく判らないという。
神田元総理の登場に気付いたロビーの乗客たちが、ざわつき始めた。だが、著名な政治家が現れたとき特有のある種の畏怖や、熱狂を伴う騒ぎにはならなかった。……どちらかと言えば、希少だが可愛くはない珍獣が不意に現れたときの反応に近いだろうか。とりあえず熱心に見つめるが、誰も近寄らない、という状況である。
もちろん、そんな微妙な空気に気付く神田元総理ではない。自分たちを見つめる顔に対して、上機嫌の笑顔で手を振りながら歩んでいる。
「神田先生、初めてお目にかかります」
如才なく笑顔を作りながら、素早く歩み寄ったスカディが、神田元総理に向けてぺこりと頭を下げた。
「党事務局から先生方の通訳と助手を仰せ付かってまいりましたロボットです。わたくし、スカディと申します」
自己紹介したスカディが、シオとベルも紹介する。
「そうか、君たちが今回の任務に同行してくれるのだね」
スカディが手渡した、身分証明書代わりの民主連盟党事務局から付与された書類を検めながら、神田元総理がうなずく。
「ホラニスタンでの任務は、極めて重要なのだ。今現地では……」
書類を山本秘書に渡した神田元総理が、スカディ相手に一席ぶち始める。演説好き、というのも、彼の特徴のひとつである。ただし、上手くはない。熱がこもっているのはいいのだが、すべての事柄を熱く語るので、聞いている方はどこがポイントなのか判らず、さながら下手なアクションシーンが連続するB級映画のように、極めて散漫な印象しか得られないのである。
『暑苦しいお人ですねぇ~』
演説を聞き流しながら、ベルが赤外線通信で言った。
『越川一尉とはまた違った暑苦しさなのです! 越川一尉をアウトドア系の暑苦しさだとすれば、さしずめインドア系の暑苦しさでしょうか!』
シオはそう評した。
『書斎派の暑苦しさとも言えそうなのだわ』
スカディが、会話に加わった。
神田元総理の長広舌は航空会社の職員が搭乗手続きを促しに来るまで続いた。
羽田空港A滑走路を飛び立ったスカーレット航空のボーイング737‐800は、九時間あまりを掛けてホラニスタン共和国領空に入り、首都アラチャにあるアラチャ国際空港に無事着陸した。
神田元総理一行……スカディらAI‐10を含む……はすぐにホラニスタン政府差し回しの車に乗せられて、和平会談の場であるアラチャ・パレスホテルに向かった。だが、同行した報道陣に迎えの車はなかった。仕方なく、彼らはそれぞれターミナルの外でタクシーを拾うと、アラチャ・パレスホテルへと向かった。
「あちらはメルセデス・ベンツSクラス。こちらはおんぼろのモスクビッチ。えらく差がついたね」
クラシックな外観……西側で言えば、五十年代のアメリカ車くらいだろうか……のモスクビッチ412に乗り込みながら、亞唯が言う。
「贅沢言うなー。こっちの方が旧ソ連気分を味わえて、お得だろー」
助手席に乗り込んだ畑中二尉が、そんな無茶なことを言う。
「たしかに、旧ソ連気分は横溢しとるなー」
雛菊が、畑中二尉に同調した。
独立からすでにかなりの年月が経過したにも関わらず、ホラニスタンにはソビエト連邦の『臭い』が色濃く残っていた。アラチャ空港のターミナルビルは大きかったが、打ちっぱなしコンクリートを多用した大味な造りであり、利用客も少なく閑散としており、全体としてみれば殺風景と言えた。付随施設も清掃やメンテナンスは行き届いており、清潔ではあったが、どうしても古臭さは拭えず、二十一世紀の国際空港には見えない。垂直尾翼に赤旗をつけたアエロフロート機がエプロンに見当たらないのが、不思議なくらいである。
走り出したタクシーから眺める車窓も、またソビエト連邦じみていた。遠くに見える工場群の高い煙突は、先進国ならば絶対に操業停止処分を喰らうレベルの黒々とした煙を噴き出していたし、コンクリートブロックを等間隔に並べたような無機質な高層アパートが建ち並んでいるのも目についた。綿花畑の中に建てられた巨大なスタジアムも、妙に人気と色彩に乏しく、なんだかメソポタミアあたりの古代遺跡でも見るかのようだ。
信号待ちの交差点から見えた広々とした公園も、ポプラ並木のあいだに立派な石畳の遊歩道が設けられていたが、誰も散策もジョギングも犬の散歩もしておらず、杖を手にした老婆が独りぽつねんとベンチに腰掛けて、手入れの悪いバラとチューリップの花壇を眺めているだけだった。
市街地に入り、タクシーが速度を落とすと、さすがに周囲は賑やかになった。歩道を行き交うホラニ人男性の多くが、白い長袖シャツに黒っぽいズボン姿、あるいはそれにジャケットを引っ掛けた姿だ。女性は、鮮やかな青や緑、あるいは薄茶やクリーム色などのロングワンピース姿が多く、半数ほどはヘジャブを着用していた。若い女性の中には、ジーンズ姿で闊歩していた人もいたが、いずれも長袖……気温が低いせいもあるだろうが……であった。ニカーブをつけている女性は一人も見かけない。
ロシア系の男性も、服装は色彩がやや派手になっただけで、ホラニ系の男性と大差は無かった。女性はさすがにヘジャブ姿はなかったが、いずれも長袖着用で、肌を露出している人は皆無であった。
アラチャ・パレスホテルに着くと、畑中二尉ら一行はさっそくチェックイン・カウンターに向かった。先行していた日本からの報道陣……慣例としてどうしても大手マスコミが優先となってしまうので、フリーであり無名の畑中らがタクシーに乗り込んだのは最後だったのだ……の後ろに並び、順番を待つ。
「二尉……じゃない、仁井さん。ロビーのあの女性、見てください」
急に切迫した声で、三鬼士長がささやく。
「なんだー?」
「左側。新聞を読んでいる禿げたロシア系の向かい側に座っている東洋系の女性です」
「……んー。どっかで見たことあるなー」
畑中二尉が、首を傾げた。
「ほら。ウー中佐では?」
「……そうだ! よく見つけた、三鬼ちゃん。アリシア・ウーだ!」
半ば悶絶しながら、小声で畑中二尉がわめく。
「誰や、それ」
雛菊が、訊いた。
「人民解放軍参謀部第二部本部直属の中校。つまりは中佐だな。カオ部長の懐刀とも言われている、お気に入りだー。ウーは本名らしいが、アリシアはCIAが便宜上つけたあだ名だー。彼女を送り込んできたとは、中国もかなり関心を寄せているらしいなー」
「第二部っちゅうと、人民解放軍の情報部やな。まだ若そうに見えるなー。それに、結構美人さんやでー」
雛菊が、言う。漆黒のショートボブに、雪白の丸顔。長い睫に縁取られた大きな黒い眼と、小さめな桜色の唇が、目立つ。体格は、中国人女性としてはやや小柄だろうか。やや儚げで華奢な印象で、とても情報部の中佐には見えない。
「年齢は不詳だー。二十代説、三十代説、四十代説があるぞー。ま、あたしは四十代説を採るがー」
畑中二尉が、薄く笑う。
「任務はなんだろうか?」
亞唯が、言った。
「結構荒事を任されている女だー。だが、今回は情報収集か警護の指揮役だろー。一応、中国政府の要人も今回の件に関わってるからなー。亞唯、雛菊。彼女の映像を抑えといてくれー。貴重な資料になる」
「それなら、任せてくれ」
亞唯が言って、さりげない様子で左手をアリシア・ウーの方に向けた。顔はそっぽを向いたまま、指先のカメラで録画を始める。
「さっそく役に立ったで。さすがは西脇二佐やな。『こんなこともあろうかと』と準備しとったんや」
雛菊が、笑った。
「『ヴァスハヂャーシェイエ・ソーンツァ』 地元の週刊誌です。わたくし、記者のイヴァン・モロドフと申します。ちょっと取材させてもらってよろしいでしょうか?」
チェックイン・カウンターを離れた直後に、畑中二尉らはそう早口で名乗った中年男に捉まってしまった。
「……構いませんが」
畑中二尉は男を値踏みした。喋るロシア語は、訛りのないきれいなものだ。典型的な、ホラニ人らしい顔立ち。服装は、安物らしくいまひとつしっくりと合っていない茶色のスーツ。ネクタイは、地味な濃紺だ。ちょっと、役人臭くもある。……ジャーナリストを装っているが、実は公安関係者ではないだろうか。畑中二尉はそんな疑いを持った。
「ありがとうございます。日本の報道関係者の方ですよね?」
そう問われた畑中二尉は、偽装身分を名乗った。ついでに、三鬼士長も……もちろん偽装身分の方を……紹介する。
「さっそくですが、神田元首相の今回の任務の成否に関し、忌憚のないご意見を伺いたいのですが」
……あんな間抜け野郎に和平達成などできるわけないだろー。
畑中二尉の本音は、それであった。
事実、畑中二尉は神田元総理を嫌っていた。首相時代に財務省と組み、平和の美名のもとに防衛予算に大鉈を振るいそうになったからだ。結局、民主連盟党の主流派から反対されて、大鉈はどんどんと小さくなり、最終的にはトーンナイフ程度にまで縮小されたものの、防衛予算は削られてしまった。……軍事力を戦争抑止の手段とするならば、周辺諸国が程度の差こそあれ軒並み軍拡傾向にある東アジアで、日本のみが軍縮を行うことは、むしろ積極的に戦争発生を欲しているとしか思えぬ愚かな行為であろう。軍人……もちろん自衛官であるから本当は軍人ではないのだが……としての教育を受けた畑中二尉にとって、神田元総理は理解しがたい人物であったのだ。
だが、ここで神田元総理批判をするのはまずい。同行取材しているのは、みな神田元総理に好意的な左傾マスコミばかりである。目立つわけにはいかない。今回の畑中らの任務は、スカディら三体のサポートなのだ。
「神田氏の平和への信念は本物です。彼は公正中立な立場で、愛国行動党、国家再生党双方の利益を最大限に尊重し、調整するだけの能力が……」
畑中二尉は作り笑顔ででたらめを滔々と述べ始めた。モロドフ記者が、熱心にうなずきながらそれを小さな手帳に書きとめてゆく。
第四話をお届けします。




