第二話
「ミリンちゃん、何を見ているのでありますか?」
テレビの前に正座し、熱心に画面を見つめているミリンに、シオはそう問いかけた。
「政治討論番組です! わたしはセンパイほど知識が豊富ではありませんから、こうして勉強しているのです!」
嬉しそうに、ミリンが答える。
「そろそろチャンネルを変えるのです! あたいが見たい番組があるのです!」
「こらこら」
シオの主張に、雑誌を見ながらビールを啜っていた聡史が、口を挟んだ。
「せっかくミリンが勉強のためにテレビを見ているんだぞ。いっしょに仲良く見たらどうだ?」
「駄目なのです! 『妖精ブローチ』を見逃すわけにはいかないのです! 今日は先週の予告によれば、あたいのご贔屓の妖精『ギフさん』の過去が明かされる回なのです! 主役の『チバさん』との出会いが描かれるはずなのです!」
シオは駄々をこねつつ、テレビに指を突きつけた。
「それにこの番組、今回はパネリストがしょぼいので面白くないのです! いつもの半分死にかかっている骸骨左翼名誉教授も、中国のスパイ疑惑女優も、若禿げ小太り右翼メガネも、在日疑惑イケメン小説家も出ていないのです! 代わりに馬神田なんて出ているのです! これでは討論が盛り上がらないのです!」
「バカンダ……とは、神田元総理のことでしょうか?」
ちょうど司会者に指名され、得意げに自説を述べ始めた中年男を映し出したテレビの画面を指差しながら、ミリンが訊く。
「そうです! 馬神田育人もと首相なのです!」
「馬神田、というのは、馬鹿と神田という苗字をあわせた罵り言葉に思えるのですが」
自身なさそうに、ミリンが訊く。
「そうなのです! 世間では、馬神田で通っているのです!」
「どうして、総理大臣という要職にあった方が、そのように罵られているのでしょうか?」
ミリンが、首を傾げる。
「本物の馬鹿だからだよ」
聡史が、笑いながら言う。
「三年も続いた民主連盟党と人民連合党の連立政権を、衆院選の大敗で潰した張本人だ。ま、一番悪いのは派閥争いから党首選挙が混迷し、党内の少数左派が推していた馬神田を当選させちまった民主連盟党なんだがな。ともかく、首相に就任してから珍発言と迷走を繰り返し、有権者に呆れられて、選挙で民主連盟党は惨敗、下野。代わって自由同盟党が政権党に返り咲いたわけだ」
「そんなことがあったのですか」
ミリンが、うなずきつつ視線をテレビに戻す。
「本当に馬鹿なのです! この男は! 憲法9条と愛さえあれば、平和は守れる、とか本気で信じているのですから! 自称平和主義者でも、まだ骸骨左翼名誉教授の方が、現実的なことを言うのです!」
シオがそう言って、腕をぶんぶんと振り回す。
「ほら、今も沖縄独立論などぶち上げているのです! 沖縄が独立しても、その経済力はアフリカの中堅国家レベルなのです! フィリピンが経済大国に見えてしまうくらいの位置なのです! 自立国家として先進国としてのレベルを保つのは無理なのです!」
「まあ、さっきからぜんぜん盛り上がっていないことは確かだな。ミリン、チャンネルを譲ってやってくれ。明日からシオはまたアサカ電子へ行かなきゃならんし」
聡史が、諭すようにミリンに言う。
「そうなのです! またアルバイトに行かねばならないのです!」
シオが、ちょっと威張ったような口調で無い胸を張る。
「わかりました、マスター。センパイ、どうぞ」
ミリンが、素直にリモコンをシオに手渡す。
シオが、リモコンでチャンネルを切り替えた。誰も代表作を知らない国粋主義漫画家が熱弁を揮う姿が消え、ポテトチップスのCMが映し出される。
「さあ、ミリンちゃんも、一緒に『妖精ストレッチ』を踊るのです!」
シオがミリンを立ち上がらせた。テレビから軽快な音楽が流れ出し、子供向けアニメのオープニングが始まった。
「今日はどこへ行くのですか?」
シオは助手席に座っている畑中二尉にそう訊ねた。
三鬼士長が運転するバンは、東京都内を北上していた。車内には、すでに他のAHOの子ロボ分隊メンバー……スカディ、ベル、亞唯、雛菊も座っている。
「板橋区内にある情報本部が借りているオフィスだー。その一部を、我々が使用する許可をもらったー」
短く、畑中二尉が説明する。ちなみに、今日はローズピンクのニットのワンピースという、可愛らしい……あまり似合っているとは言えない……服装である。
川越街道を西進したバンが、とある交差点で北に折れる。速度を落とした三鬼士長が、狭い駐車場にバンを乗り入れた。中で切り返しを行い、バックで駐車スペースにバンを停める。
「よーし到着だー。みんな降りろー」
畑中二尉に命じられて、AHOの子たちはぞろぞろとバンを降りた。
「なにか祠のようなものがありますわね」
目的地らしい小さな五階建てビルの裏に、赤い鳥居とともに建てられた小さな祠を、スカディが目敏く見つける。
「祠というより、首塚だなー。聞いた話では、江戸時代にすぐそばの川越街道で、仇討ち騒動があったそうだー。返り討ちにあった若侍の霊が街道を通る者に斬りかかる、という事例が多発したんで、鎮魂のために付近の村の有志が祠を建てたらしいー。ま、良くある話だなー」
歩きながら、畑中二尉が説明してくれる。
「このビルの四階を、借りているぞー」
歩道に出た畑中二尉が、ビルを指差しながら言う。
都内ならばどこにでもありそうな、小さな雑居ビルであった。一階はコンビニ……青い兎のマークでお馴染みの、『ラビットマート』が入居している。
「隣は何屋だい?」
亞唯が、訊く。
「骨董屋さんでしょうかぁ~」
透明や色つきの石の結晶などがディスプレイされているショーウィンドウを見て、ベルがそう推測する。
「ラ・ゲリゾン。聞いたことあるで。パワーストーンのチェーン店や」
看板のフランス語を読んだ雛菊が、そう言う。
畑中二尉が、コンビニの通用口の隣にある雑居ビル入口から中に入った。スカディを先頭に、AHOの子たちも続く。シオは入口の上に金文字で書かれているビルの名称を見上げた。『岡本ビル』とある。おそらく、オーナーが岡本さんなのだろう。
エントランスは狭く、そして暗かった。郵便受け、階段の上り口、一基だけのエレベーター、それに奥にトイレがあるだけで、椅子も観葉植物もない。
「他の階には、どなたが入居していらっしゃるのですかぁ~」
エレベーターを待つあいだに、ベルが尋ねた。
「二階は結婚相談所と、占い師と、探偵事務所が入居しているー」
「おお! それは便利なのであります! 占いで恋愛運を占って、結婚相談所で相手を見つけてゴールイン。そして、探偵さんに浮気調査を頼めるのです!」
シオははしゃいで言った。
「いや、むしろ結婚して嫁さんに逃げられて探偵に探してもらうけど、見つからなくてついには占いに頼る、ってパターンやろ」
雛菊が、まぜっかえす。
「遊んでないで乗れー」
畑中二尉が、AHOの子たちの背中を押すようにして、エレベーターの箱の中に乗り込ませた。最後にノートパソコンを携えた三鬼士長が乗り込むと、狭いエレベーターの中は満員状態となった。
「三階には、小さな出版社が入居しているー。五階は、新興宗教団体の東京支部が入っているー」
「新興宗教ですかぁ~。危ない団体さんではないでしょうねぇ~」
ベルが、訊いた。
「水光教、という団体だー。明治時代に興った神道系の団体で、本部は九州にあるー。信徒の数も少ないし、教義もまともな団体だー。ま、密教の影響も受けているらしいから、怪しい風体の信者がちょくちょく出入りしているがなー」
エレベーターが、四階で止まった。どやどやと、一同が降りる。
「三階の出版社はどのような会社でありますか? こんな雑居ビルに入居しているところを見ると、エッチな本の編集でもしている会社なのでは?」
シオはそう訊いた。
「いや。エロ本は作ってないぞー。『ぬえ出版』という会社だー」
「『ぬえ出版』? ……『アンノウン・ワールド』を出している、あの『ぬえ出版』ですの?」
スカディが、喰い付いた。
「そうだー。なんだ、知っているのかー」
「……マスターが、毎月買っていますわ」
恥ずかしげに、スカディが答える。
「超能力とか、心霊ネタとか、トンデモ古代史ネタとか載ってる、オカルト系の月刊誌やな。スカぴょんのマスターが、オカルト好きとは知らなかったで」
意外そうな声音で、雛菊が言う。
「UFOオタクなだけですわ」
スカディが、慌てて言い訳した。
「二階に占い師! 三階にオカルト雑誌の編集部! 五階に新興宗教団体! 隣にパワーストーンの店! さらに裏手に首塚! なんとも怪しげな物件なのです!」
シオははしゃぎつつ言った。
「岡本ビルやのうて、オカルトビルやな」
雛菊が、笑う。
「負のエネルギーを、ひしひしと感じるのですぅ~」
ベルも嬉しそうに言う。
「よしお前ら、少し真面目になれー」
事務室に通じる扉を開けつつ、畑中二尉が言う。
「よく来てくれた、諸君」
事務室というにはあまりにも寂しく、長テーブルと椅子くらいしかない狭苦しい部屋の中で待っていたのは、長浜一佐だった。AHOの子たちはスカディを右端に素早く一列に整列した。
「楽にしてくれ、諸君」
長浜一佐に言われ、AHOの子たちは用意されていたパイプ椅子にそれぞれ腰を下ろした。
「もう察しが付いているとは思うが、集まってもらったのは新たな任務に着いてもらうためだ」
長浜一佐が、そう切り出す。シオは期待して次の言葉を待ち受けた。
「今回の任務は、護衛だ。ある人物を、守ってもらいたい」
「護衛ですか。わたくしたちが起用されるとなると、色々と複雑な事情があるのでしょうね」
スカディが、言う。シオはこくこくとうなずいた。訳ありの仕事でなければ、AHOの子たちに回ってくるはずがない。
「その通りだ。護衛対象は、大物だぞ。日本国首相だった人物だ」
長浜一佐が、もったいぶった調子で……だが、わずかに笑みを混ぜつつ告げる。
「元首相……ならば、警察の仕事じゃないかい?」
亞唯が、問う。
「通常はな。だが、今回は我々が守ってやらねばならない」
「どなたなのですかぁ~」
ベルが、期待を込めた口調で聞いた。
「うむ。神田育人元首相だ」
「よりによって、馬神田かい?」
亞唯が、露骨に嫌そうな顔をする。
「……そのような渾名でも呼ばれている人物だな」
長浜一佐が、苦笑しつつ認める。
「ま、最初から説明しよう。知っていると思うが、今中央アジアのホラニスタン共和国が内戦突入の瀬戸際まで来ている。実際には、すでに政府側と反政府側で小競り合いも行われているのが現状だ。内戦突入を防ごうと、他の中央アジア諸国、ロシア、中国、アメリカ、欧州連合などが関与を続けていたが、はかばかしい成果は上がっていない。そこで、打開策として欧州安全保障協力機構(OSCE)が中立的立場の国家からオブザーバーを招請し、対立するホラニスタン政府と反政府側の交渉に加わってもらおう、という案が浮上した。結果として、オブザーバー役に選ばれたのがアジアの国家であり、OSCE協力国でもある日本だ。直接利害を持たず、中立的な立場の大国で、政治的にも安定していると言うのが、その理由だろう。それに基き、OSCE議長から日本政府に対し、適切なオブザーバー派遣の要請があった」
長浜一佐が、いったん言葉を切って、唇を舐めた。
「やはりこれだけの大役となると、小物を送り出すわけにはいかない。日本政府は、首相経験者クラスが必要だと判断し、まだ健康な元総理に対し打診を開始した。だが、自由同盟党も民主連盟党もほぼ全員が断った。ま、当然だな。すでに内戦突入は不可避と公言する専門家がいる状態だ。引き受けても、事態の好転はまず望めないうえに、下手をすれば『内戦突入を防げなかった無能』として歴史に名を残すのがおちだからな。だが、一人だけふたつ返事で引き受けた男がいた」
「神田元総理ですね」
スカディが、言う。長浜一佐が、うなずいた。
「そうだ。どうやら本気で、内戦突入を阻止するつもりらしい。すでに、懇意の新聞記者あたりに、『平和の使者』としてホラニスタンに赴く、とか喋っているらしい」
「あー、脳内お花畑の馬神田らしいわー」
雛菊が、言う。
「紛争地帯に赴くのであるから、護衛は必須だ。だが、神田元総理は外務省の護衛を断った。平和の使者なのだから、護衛など必要ない、と言ってな。警視庁が民間の護衛を付けるように勧告したが、これも無視している」
「本人が、要らないといってるんだから、無しでいいじゃないか。あいつが死んでも、日本は別に困らないでしょう」
辛辣な口調で、亞唯が言う。
「むしろ、死んでもらった方がええんちゃうか?」
ぼそりと、雛菊が付け加える。
「……まあ、相変わらず妄言を繰り返して、民主連盟党内部からも煙たがられていることは事実だな。しかし、一応は日本国の行政の長だった人物だ。死ぬのならまだしも、誘拐されて身代金でも要求されたら、わが国の面子にも関わる。そこで、秘かに護衛する手段として、諸君らが選ばれたわけだ。神田元総理には、個人秘書とロシア語通訳が随行する。この三名の助手兼ホラニ語通訳として、三体が同行する手筈を整えた」
「ロボットの同行は、断らなかったのですかぁ~」
ベルが、訊いた。
「民主連盟党執行部に協力してもらい、強引に押し付けることに成功した。さしもの神田氏も、執行部に逆らえば次の選挙が危なくなるからね」
「小選挙区制の弊害ですわね。こんな馬鹿でも地盤さえしっかりしていれば何度でも当選してしまうのですから」
苦々しげに、スカディが評す。
「詳細は、畑中二尉が説明するが……この任務、実は護衛が主眼ではない」
姿勢を正した長浜一佐が、言った。
「主眼ではない、とおっしゃいますと?」
スカディが、怪訝そうに問い返す。
「今回、神田元総理の正式な肩書きは、OSCEの安全保障協力フォーラムによって任命された公的なオブザーバー、というものでしかない。わが国の内閣、外務省、衆議院、そして所属する民主連盟党いずれも、彼に対し何らの権限も権能も指示も与えていないのだ。しかしながら、残念なことに彼は自分のことを特命全権大使か何かと勘違いしている可能性がある」
「うわー。ありそうな話やな」
雛菊が、露骨に嫌そうな顔をする。
「諸君らは、神田氏の言動に注意を払い、その暴走を阻止して欲しい。これは、政府与党からの正式な要請に基く命令だ。権限を逸脱した約束や保障、その他日本の国益を損ねるような言動があった場合、あるいはあると思われる場合は、手段を選ばずこれを阻止しろ。ホラニスタンの紛争に、日本が巻き込まれるわけにはいかんのだ」
「よく理解しましたわ、一佐殿」
スカディが、うなずいた。
「よろしい。では、畑中二尉に任務の詳細を説明してもらおう」
長浜一佐が、畑中二尉にうなずいてみせる。進み出た畑中二尉が、入れ替わるようにAHOの子たちの前に立った。三鬼士長が、素早くノートパソコンを開き、机上にセットする。
第二話をお届けします。




