第二十四話
ダニエル・ロデ大統領が監禁されていると思われる建物は、ほぼ正方形を成している鉄筋コンクリート造りの二階建てビルであった。
南北に走る狭い舗装道路の西側に接するように建っており、北側には庭兼用の駐車場のような空き地が隣接している。周囲を囲っているのは、白ペンキが半ば剥がれてまだら模様になっている、古びた低い板塀だ。
ビルの向かい側と、北側は住宅地で、シンダーブロック造りで赤錆びたトタン屋根の家々が建ち並んでいる。南側は狭い空き地を挟んでトウモロコシ畑が広がっている。西側……裏手は荒地で、丈の低い草がまばらに生えているだけだ。
小型車二台がすれ違うのがやっとという狭い舗装道路を北に向かうと、商店が建ち並ぶ表通りの一本に繋がっている。南へ進むと、左右を薮に挟まれた緩やかだが長い坂の先に、廃材置き場らしき一郭がある。その向こう側は貧民街で、日干し煉瓦を使った粗末な民家が道の両側に建ち並んでいる。ただしこちらは、多くが空き家になっていた。エネンガルの経済成長に伴って、この田舎町でも西欧流の公共住宅が多数建築されたので、大多数の住民がそちらへ引っ越してしまったのだ。
見取り図を示しながら、ルイと連絡員が敵の配置を説明してゆく。ビルの東側、道路に面した位置にある正面ドアを塞ぐような形でシトロエンのセダンが駐車しており、中に二人のスーツ姿……まず間違いなく内務省のエージェント……が陣取っている。
南側には、ビルと木柵のあいだに挟まれるようにして、プジョーのミニバンが駐車。こちらにも、スーツ姿が二名残っている。
西側の庭には、ルノーのトラック二台が縦列駐車している。どちらも、運転席には二名の作業服姿の兵士……見た目はトラックの運転手だが……が居座っている。
「内務省の連中は、MP5Kを持っているようです。建物の中に入った二名が、携行していました。弾倉は、三十発の長いタイプを付けていました」
連絡員が、淡々と説明する。MP5Kは有名なドイツ製のサブマシンガン、MP5をコンパクト化し、ショルダーストックを廃して代わりにフォア・グリップを付けたタイプである。
「当然、拳銃も携行しているな。内務省なら、PA モデル1950だ」
増援の一同に向け、ベルランが解説してくれる。PA モデル1950は、フランス陸軍も以前採用していた9ミリ口径の自動拳銃である。
「トラックの連中は、車内にFAMASを隠しています。エネンガル国旗の腕章を巻いたシラリアの連中は、スターリング・サブマシンガン装備です。手榴弾を下げているのも、確認しました」
連絡員が、続ける。
「妙なのは、この幌付きトラックです」
ルイが描いた見取り図の中の二台のトラック……単なる長方形二個だが……を指差しつつ、連絡員が言う。
「前に駐車しているトラックには、エネンガル陸軍兵が乗っています。到着直後に、交替で建物の中に数分間だけ入っていました。おそらくトイレでしょう。人数は十五名程度。武器はトラックの中に置いてあるようです。通常の歩兵装備でしょう。重火器は、見えませんでした。問題は、後ろのトラックです」
連絡員の指が、トラックを表す長方形の上で、微妙に揺れた。
「誰も、降りてこないのです。少なくとも、俺が見ていた限りでは。陸軍の連中も、荷台に声を掛けたり気にしたりする様子が見られない。まず間違いなく、誰も乗っていないものと思われます」
「ふむ。空荷のトラックを持ってきたとは思えないな」
ベルランが、首を傾げる。
「重火器を積んでるんじゃないですか? 迫撃砲とか、無反動砲とか、重機関銃とか」
アルが、口を挟む。
「民間トラックを偽装するために、なにか無害な積荷を積んでいる可能性もありますね」
ルイが、意見を述べた。
「首都へ運び込みたい物資か。……いや、ドランボが持ち込んだ火器かもしれんな。事前にかなりの数のシラリア兵が、民間人を装ってエネンガル入りしていた様子なので、彼らに供給する軽火器の可能性もある」
デニスが、言う。
「シラリアからドランボ将軍が持ち込んだとすると……」
石野二曹が、ぼそりと言った。
「彼の切り札の可能性もあるのではないでしょうか」
「彼の切り札。まさか」
越川一尉が、顔色を変える。
「あり得るわね。たとえ少量でも、サリンをサン・ジュスタン市内に持ち込めば、戦術核兵器並みの切り札になるわね」
メガンが、凄みのある笑みを浮かべつつ言う。
「その可能性を排除できないとなると、二台目のトラックへの射撃は行えないな」
ベルランが、考え込んだ。田舎町とは言え、市街地である。サリンが漏れ出せば、大惨事だ。
「敵を近づけなければいい。最優先で、二台目のトラックを制圧しましょう」
ルイが、提案する。
制圧/救出作戦の詳細は、ベルラン主導で進められた。ベルランが指揮するエキップ『ブルー』は準軍事メンバー七人全員が配属され、主力となる。初期配置はビルの北側の民家のあいだ。ロケットランチャーとミニミで一台目のトラックを破壊し、北側の敵を完全制圧。その後ビルに接近し、二台目のトラックを確保すると共に通用口および北側の窓から内部に侵入。ロデ大統領の救出を行う。
デニスが指揮し、メガンとアルのCIAコンビ、それに越川一尉とルイが加わったエキップ『ヴェール』は、道路を挟んで向かい側の民家のあいだに配置される。『ブルー』発砲と同時にこちらも攻撃を開始し、路上駐車しているセダンの二人を制圧。その後ビルの正面入口を確保し、サリンが積まれている可能性があるトラックの確保を含む『ブルー』のバックアップを行う。状況によっては、屋内突入もあり得る。
石野二曹がAHOの子たちを率いるエキップ『ジョーヌ』は、ビル南側の畑地に隠れる。こちらも最初に行うのは、ミニバンの中にいる二人の無力化である。その後散開し、ビルの北側と西側を監視、脱出を企てる者がいれば無力化する。西側は荒地で視界が開けているが、南側の畑地はトウモロコシ畑であり、AHOの子の背丈よりも高く伸びているので見通しが悪い。北側から『ブルー』が突入した場合、敵がもっとも選びそうな脱出方向が南側であることを考えれば、結構重要な任務と言える。
この他に、バイクに乗った連絡員が『ルージュ』として表通りに近い路上で待機し、地元警察の動向や敵の増援を見張る手筈になっている。
各チームの連絡方法は、携帯電話を使用する。抵抗する敵は問答無用で射殺。無抵抗でも、銃弾を撃ち込んで無力化するという無慈悲な方針が決められた。人員にゆとりがなく、ロデ大統領を無傷で奪還することが至上命題である以上、悠長に捕虜を捕獲している時間も余裕もない。
「近所の住民対策は?」
一通り打ち合わせが終わったところで、メガンが質問した。途端に、ベルランの表情が曇る。
「事前に避難させるわけには行かないからな。まあ、射撃方向が基本的にすべてビルだから、我々が誤射したりする可能性は少ないと思う。だが、敵の反撃による流れ弾で死傷者が出ることはあり得るだろう。そのためにも、速やかに制圧を進めなければならない」
「いずれにしても、早いとこ始めないとな。護衛の増援が来ないという保障はないし、時間が経過すればそれだけクーデター側が力を付けちまう」
ルイが言って、自分のFAMASに弾倉をはめ込んだ。
「よし。作戦開始だ。トラックでぎりぎりまで近付いてから、降車展開する。いいな」
ベルランが、てきぱきと指示する。全員が、それぞれの方法で応諾の意を示した。
「さあ、盛り上がってきたのであります!」
トウモロコシが植わった畝のあいだを、シオは弾むような足取りで歩んだ。まだ未成熟な実が付いている段階なので、トウモロコシの丈は低かったが、それでも先端はシオの頭頂部よりも上にある。強い日差しを受けて、あたりにはイネ科特有の決して不快ではないが強く青臭い臭いが立ち込めていたが、AI‐10の嗅覚センサーはそれを分類分析できるほど高度なものではない。
シオの前では、スカディが歩んでいた。後ろには、爆薬と爆破道具を詰め込んだ袋二つを担いだベルが続いている。亞唯と雛菊のコンビは、ビルの西側を押さえるために二十メートルほど西寄りを歩んでいた。
「このあたりでいいでしょう。止まって」
腰を落とすという姿勢でそろそろと進んでいた石野二曹が命じた。ゆっくりと頭をトウモロコシの葉のあいだから突き出し、前方を窺う。
「窓に人影はないわね。ミニバンの中に二人いる。わたしが運転席の男を撃ちます。誰か、右側の男を撃ってくれない?」
「ではわたくしが撃つとしましょう。シオ、ベル。悪いけれどわたくしを持ち上げて下さらない?」
スカディが、志願した。
「合点承知なのです! ベルちゃん、手伝ってください!」
「はいぃ~」
シオとベルはそれぞれ片方の肩にスカディのお尻を載せた。タイミングを合わせて、そろそろと上へと上げてゆく。
「そこでストップ。……いいわ。少し下げて」
目標を確認したスカディが、命じた。事前に視覚的に目標を捉え、作成した擬似3Dマップ上で距離と射角を決定し、射撃計算とシュミュレーションを済ませておけば、実際の発砲の際に銃口位置のずれや姿勢の変化を計算して修正し、射撃するだけで、極めて正確に銃弾を送り込むことができる。
「突入一分前。ベル、亞唯と雛菊にも伝えて。シオ、十秒前からカウントを」
携帯電話を耳に当てていた石野二曹が、言った。
「了解なのですぅ~」
「合点承知なのです!」
シオはクロノメーターで秒数を数えた。
「十秒前! ベルちゃん、一秒前にスカディちゃんを持ち上げますよ」
「了解なのですぅ~」
シオの声を聞いて、石野二曹がFAMASを目の高さまで上げた。そろそろと、腰を伸ばし始める。
「五、四、三、二、一!」
シオはぐいとスカディのお尻を持ち上げた。
石野二曹が単射で発砲した。ほぼ同時に、スカディが一連射を放つ。
自分に合わせて零点規正を行っていなかったので、石野二曹の射撃は狙った位置からわずかにずれたが、射弾はしっかりと目標の頭部に命中していた。
スカディが放った七発の銃弾も、目標を確実に捉えていた。血飛沫を上げながら、ベージュのサマースーツを着た中年男性の頭部が、ダッシュボードに叩きつけられる。
「前進!」
スカディが、命じた。
シオとベルは素早くしゃがみ込み、肩に載せたスカディを地面に降ろした。すかさず、スカディが走り出す。シオとベルはすぐにその後を追った。背の低いAHOの子では、トウモロコシ畑の中では役に立たない。
石野二曹は、わずかに身を沈めた姿勢でFAMASを構え、引き金に指を当てた状態で、ビルの南面にある窓に順次銃口を向けた。今のところ、人影は見当たらない。
北側と東側からは、銃声が聞こえていた。先ほど聞こえた爆発音は、『ブルー』が発射したロケットランチャーの着弾だろう。作戦は、順調に推移しているようだ。トウモロコシ畑が切れる寸前で、スカディが脚を止め、ミニUZIを構えた。シオはその援護を受けながら、木柵まで突っ走り、その陰に隠れた。ベルも走って、シオの隣にうずくまる。
シオは立ち上がると、木柵の上からミニUZIの銃口を突き出した。
と、シオの外部音声入力に自動火器の発射音が届いた。ミニミでもFAMASでもない。もっと大口径の、自動火器だ。
「軍用プログラムの音声ファイルと照合しますと、20ミリ機関砲のようですねぇ~」
相変わらずののんびりした声で、ベルが言う。
「どうして20ミリ機関砲が撃っているのでしょうか?」
「わかりませんですぅ~」
ベルが、首を傾げる。
時間を突入寸前まで遡らせる。
『ブルー』を構成する八名は、民家の壁に張り付き、あるいは物置や打ち捨てられたごみの山、手入れの悪いパーム椰子の陰などに隠れて攻撃開始を待った。すでに、四丁のFAMASが、トラックの運転席にいる四人に対し狙いを定めている。LRACロケットランチャーと、二丁のミニミは、一台目のトラックに照準を合わせていた。この中にいる推定十五名のエネンガル陸軍兵士が、敵の最大戦力である。これを早期に無力化すれば、作戦成功の確率は劇的に高まる。
ベルランは腕時計を注視していた。すでに、『ヴェール』と『ジョーヌ』には突入開始タイミングは伝達済みだ。
秒針が十秒前を告げたところで、ベルランは自分のFAMASを構えた。指揮官である彼の発砲が、突入開始の合図となる。
脳内のカウントダウンがゼロになった瞬間、ベルランは引き金を引いた。
次の瞬間、ミニミの二人を除く部下が一斉に発砲した。
射弾はいずれも正確であった。トラック運転席の四名が、一回のバースト射撃でいずれも絶命する。
89ミリロケット弾も、一台目のトラックの荷台に正確に命中していた。轟音と共に炸裂した弾頭が、幌をばらばらに千切りながら吹き飛ばす。ミニミ二丁が火を噴き、仕上げの掃射を浴びせた。わずか数秒で、百発を越える5.56×45が叩き込まれる。
「行くぞ!」
ベルランは走り出した。FAMASを持った三名が、続く。目指すは、北側の通用口である。残る一人のFAMAS持ちが、二台目のトラックの後部を目指した。積荷を確認するのが目的である。もしサリンらしき兵器が積まれていた場合は、そこを固守する手筈だ。
と、二台目のトラックの幌が、いきなり内部から裂けた。
ライトグレイに塗られた大きな物体が、そこからぬっと現れる。
「馬鹿な!」
ベルランは叫んだ。無駄とは知りつつ、手にしたFAMASの銃口をそいつに向ける。
四角錐台を上下に張り合わせた形状の本体と、その前方に、先端を斜めに切り落とした六角錐を取り付けたようなボディ。本体下部に装着されている六本の脚。本体上部に取り付けられている、機関砲と同軸機銃を装備した装甲銃塔。
中型の、軍用ロボットだ。
クレメール・エレクトリック製。M621/20ミリ機関砲と、AA52/NF‐1機関銃を備える『ティグル』である。
ミニミ二丁が、いち早く射撃を開始した。だが、5.56×45では、ティグルの装甲は破壊できない。銃弾が、かんかんというむなしい音と共に、無情にも跳ね返される。
お返しに、M621が放たれた。耳をつんざくような甲高い連射音と共に飛び出したのは、HEI(高性能炸薬焼夷弾)だった。着弾し、炸裂した弾頭が、必死にミニミを撃っていた準軍事メンバー二名を粉々に吹き飛ばす。LRACの再装填を行っていた男も、身を寄せていたパーム椰子の幹もろともずたずたに引き裂かれる。
「逃げろ!」
FAMASを乱射しながら、ベルランは叫んだ。突撃銃と手榴弾で敵う相手ではない。
ティグルがぐるりと銃塔を旋回させ、脚をわずかに曲げてベルランらを狙った。7.62ミリ同軸機銃が唸り、逃れようとする準軍事メンバーを追う。たちまちのうちに、ベルランを含む四人が打ち倒された。残る一人も、再照準したティグルの銃弾の餌食となる。
銃塔上部のセンサーを一回転させて状況を確認したティグルが、軽快な動きでトラックの荷台から地面に降り立った。その名前……虎に相応しく、猫科の猛獣が新たな獲物を求めるかのように、低い姿勢で密やかに歩み出す。
『ヴェール』のメンバー……デニス、メガン、アル、越川一尉、ルイの五人は、『ブルー』が全滅するのを目の当たりにしていた。
すでに最初の目標であるシトロエンC6に残っていた二人の無力化には成功している。だが、予想だにしなかった軍用ロボットの登場で、五人全員が茫然自失の状態で固まっていた。
「おい! なんでエネンガルがロボット装備しているんだ!」
ようやく呪縛から解けたデニスが、ルイに詰め寄る。
「俺だって初耳だよ!」
「クレメールのティグルじゃないか! フランス製だろ!」
「知るか!」
「罵り合ってる場合じゃないですよ! 逃げますよ!」
アルが言って、すでに走り出したメガンの後を追う。
ティグルの銃塔がぐるりと旋回し、砲口がこちらを向いた。20ミリ機関砲が発射され、シンダーブロック製の民家の壁が、細片となって飛び散る。
越川一尉を殿にして、五人は走った。民家の裏庭を通り、壊れている境界柵のあいだを抜け、突然の騒ぎに怯えて逃げ惑っている放し飼いの鶏たちを飛び越えるようにして、南側へと逃れる。
「軍曹! いったん退避しろ。こっちは、軍用ロボットに追われてる!」
走りながら、デニスが携帯電話を使った。
石野二曹とシオたちは、トウモロコシ畑の奥に慌てて引っ込んだ。無線で連絡を受けた亞唯と雛菊も、合流する。
「クレメール・エレクトリックのティグルですかぁ~。おフランス製のロボットですねぇ~。フランス陸軍制式採用機種ですぅ~」
ベルが、なぜか嬉しそうに言う。
「20ミリ相手じゃあ、戦えないわね」
石野二曹が、FAMASを手にため息混じりに言う。M621が使用する20ミリ砲弾は、比較的低威力の20×102mm弾である。アメリカ製のM61バルカン砲や、そのAAA(対空火器)バージョンであるM167などと同一の弾薬であり、NATOスタンダードと言える20×139mmよりも威力は低い。とは言え、AHOの子のような小さなロボット相手なら、オーバーキルもいいところである。
「わたくしたちの持っている武器では歯が立ちませんですわね。ベルの爆薬をぶつけるほど近くまで寄れたら、別でしょうけれども」
悔しげに、スカディが言う。『ティグル』クラスのいわゆる『ミディアム・アーマード・ロボット』はほぼすべてが12.7ミリ機関銃弾に耐えるだけの装甲を備えている。これを破壊するには、20ミリクラスの機関砲か対戦車ロケットランチャー、あるいはそれ以上の威力を持った火器が必要となる。
「卑怯なのです! エネンガルにしろシラリアにしろ、軍用ロボットを装備しているなんて、『ミリタリー・バランス』に書いてなかったのです!」
シオは憤慨して言った。
「あかんわ。うち、虎とは戦えへんで」
雛菊が、泣きそうな表情で言う。
「馬鹿言ってんじゃないよ。縦縞すら付いていない虎なんて、偽物に決まってるじゃないか」
亞唯が、きつくない調子で叱る。
「せやけど……」
不満顔の雛菊が、黙り込んだ。
第二十四話をお届けします。




