第二十三話
ルイがホテルを訪ねて来たのは、昼食後のことであった。
「すまん。力を借りたい」
ルイがそう言って、疲労の色を隠せない様子でソファにどさりと腰を落とし込む。
「事情を説明してくれ。……嫌な予感しかしないが」
デニスが言って、対面のソファに腰を下ろした。AHOの子たちを含む他のメンバーが、ルイを取り囲むように集まる。
「フランス政府は、DGSEに対し今回のクーデターを阻止するように命じた。だが現在、駐エネンガルのDGSE職員のほとんどが、クーデター派に加担する内務省の連中に監視され、動けないうえにまともに連絡すら取れない状態だ。フランス大使館もクーデターに加担している警察部隊に包囲されている。人手が足りない。だから、手を貸してほしい」
「手を貸したいのはやまやまだけど、上の許可がないと……」
言いかけたメガンに、ルイがポケットから出した携帯電話を差し出した。
「DGSEの秘密回線だ。エネンガルの携帯電話網はフランス・テレコムが大部分を設置したからな。これでアメリカ大使館に掛けて確認してくれ。すでに、外務省がアメリカ政府に泣きついているはずだ。正規の大使館員や海兵隊は政治的立場から手を貸すのは無理だが、CIAなら力になってくれるんじゃないかな」
懐疑的な表情で携帯電話を受け取ったメガンが、寝室の方に下がりながら番号を打ち込み始める。
「で? この少人数でどうしようというつもりかな?」
片眉をわざとらしく吊り上げるという芝居がかった懸念の表情を作って、デニスが訊ねる。
「鍵はダニエル・ロデ大統領にある。長期安定政権を築き上げ、来年の選挙で後継者たるラミ外相の圧勝が予想されていることからもわかる通り、彼はシラリア国民に絶大な人気がある。そして陸軍の大半も、彼の支持者だ。付け加えるならば、ロデは終始一貫して親フランス政策を貫いてきた。今現在、ロデ大統領はクーデター派……具体的に言えばシラリアのジェームズ・ドランボ将軍に捕まって、人質状態になっている。それゆえ、エネンガル陸軍はクーデター鎮圧に乗り出せないでいる。これを、奪還する」
「……勝算はあるんですか?」
疑わしそうに、越川一尉が口を挟んだ。
「ある。現在、ドランボ将軍はロデ大統領を別荘から拉致し、南西部からサン・ジュスタン市へ向けて車両で連行中だ。これを待ち伏せして、大統領を奪還する。ロデ大統領の身柄確保を国民に公表し、ついでに三軍に対しクーデター派一掃命令でも出してもらえれば、今回の件は終わる。ニヤ国防相の権力基盤は、今ははまだ脆弱だ。だが、シラリア陸軍最強の部隊である第6旅団がエネンガル入りし、サン・ジュスタン付近に到達して首都圏を制圧すれば、反クーデター勢力はその勢いを失うだろう。ニヤ政権が組織固めを行い、エネンガルとシラリアの合併が既成事実化してしまう。今、サン・ジュスタン市内ではクーデター派が優勢だ。ニヤに同調する陸軍と内務省の一部、それにシラリアが事前に送り込んだらしい、エネンガル国旗の腕章を付けたシラリア陸軍部隊が活動中だからな。ここにロデ大統領を連れ込まれれば、奪還は難しくなる。到着するまで、あと二時間ほど。この二時間のあいだに、ロデ大統領を奪還できれば、クーデターを潰せる」
力強い口調で、ルイが説明した。
「車両。なぜ航空機を使わないのでしょう?」
石野二曹が当然沸いた疑問をぶつける。ルイが、にやりと笑った。
「エネンガル軍の航空機は、ヘリコプターを含めほとんどが空軍の所属なんだ。空軍は、現政権支持だ。クーデター派は、危なくて使えないよ」
「確認が取れたわ。いいでしょう。わたしとアルは協力するわ」
寝室から戻ってきたメガンが、携帯電話をデニスの手に押し付ける。デニスが立ち上がり、番号を入力しながら寝室へと入ってゆく。
「で、具体的な作戦行動は?」
アルが、訊いた。
「南西部の海岸沿いにあるロデ大統領の別荘スタッフには、うちの情報提供者がいた。その連絡によれば、大統領はドランボ将軍指揮する一隊に拉致され、車列で出発したそうだ。とりあえず確認できたのは四台。セダン、ミニバン、トラックが二台。いずれも、民間車両だ。陸軍の反クーデター派の襲撃を警戒して、他の車に紛れ込もうという魂胆だろうな。人員は、シラリア人らしい迷彩服姿が数名。スーツ姿……おそらくエネンガル内務省の連中が同じく数名。トラックはかなり大型らしい。護衛の兵士が乗り込んでいるとなると、歩兵一個小隊くらいは覚悟しないとまずい。DGSEが荒事に備えて準備していたエネンガル人による準軍事チームを召集したが、クーデターのせいで七人しか集まらなかった。これに、俺の上司と俺を含めての九人では、人数が足りない。そこで、あんた方に手伝ってもらおうというわけだ」
「エネンガル陸軍の手を借りられないのでありますか?」
シオはそう訊ねた。
「俺は空軍にはコネがあるが陸軍にはない。上司も同様だ。陸軍にコネのある奴は、内務省の監視下にあって連絡すら取れない。それと、陸軍の中にもニヤ国防相支持派はいる。下手に陸軍部隊に協力を持ちかけて、その中にクーデターを支持している奴がいたら、よくて逮捕、悪けりゃその場で射殺されるのがオチだ」
ルイが、肩をすくめつつ言った。
「別の連絡員が、車列を追尾している。現在、ルト・アルビューに入って北東方向に進んでいるそうだ。真っ直ぐ、サン・ジュスタンを目指しているのは間違いない。市内のどこを目指しているかは不明だ。リビエール兵舎か、内務省か、あるいは国営テレビ局か。いずれにしろ、市内に入る前に待ち伏せして、ロデ大統領を奪還するつもりだ」
「よし。SISも協力するよ」
寝室から出てきたデニスが、携帯電話を越川一尉に渡した。
「しかし、フランスも必死だな」
越川一尉の背中を見送りながら、デニスがぼそりと言う。
「必死にもなるさ。今回のクーデター騒ぎで、CAC40(ユーロネクスト・パリの主要四十銘柄による株価指標)がどれだけ落ち込んだと思う? エネンガルには、トタルを筆頭に、EDF、アクサ、サフラン、アルストム、CA、ルノー、ソシエテ・ジェネラル、フランス・テレコム……みんな、億ユーロ単位の金をつぎ込んでるんだ。ニヤ国防相は今はフランス政府に対しいい顔をしているが、どうせ裏でエサマとドランボのコンビに操られているだけだ。この二人が本格的に権力を握り、新生エネンガルが人民共和国化すれば、フランス資本の現地法人も提携企業もみんな国営化だ。損害は、間接的なものを含めると軽く百億ユーロを越えるぞ。……財界を敵に廻したら、大統領は確実に再選に失敗する。政権交代だよ」
「だろうな。で、今回はまともな武器を貸してくれるんだろうな?」
「任せろ。DGSEの武器庫を開放するから」
デニスの質問に対し、ルイがうなずきつつ請合う。
「またプラストライトをたっぷりと用意して欲しいのですぅ~」
ベルが、さっそく注文をつけた。
「ひとつ問題が」
ずっと黙ってやり取りを聞いていた石野二曹が、口を挟んだ。皆の注目を浴びながら、AHOの子たちに訊ねる。
「みんな、敵味方識別に自信がある? ロデ大統領を、ちゃんと見分けられるかしら?」
「それなら、問題ありませんわ。朝からテレビで散々、ダニエル・ロデ大統領閣下のお姿は拝見しましたから。顔さえ確認できれば、誤認の可能性は皆無です」
スカディが、AHOの子たちを代表するように答えた。
ホテルを出た一同は、ルイの運転するフォルクスワーゲン・トランスポーターに無理やり乗り込んだ。
「表通りは警察が規制している。裏通りを行くぞ」
運転しながら、ルイが説明する。
間口の狭い商店や酒場……いずれも閉店状態だった……が建ち並ぶ裏通りや、住宅街の狭い道を抜けて、トランスポーターがたどり着いたのは倉庫街だった。一棟の倉庫のシャッターの前にだらしなく座り込んでいた若い男が、通りの左右をさりげなく窺ってから、ルイに向け合図する。トランスポーターを降りたルイが、向かい側の倉庫のシャッターを数回、間隔を置いて叩く。
すぐにシャッターが開いた。運転席に戻ったルイが、ドアを開け放ったままトランスポーターを発進させ、倉庫の中に乗り入れる。
倉庫で待ち受けていたのは、ルノーの大型トラック、ケラックス一台と、七名の男性だった。一人は黒髪のヨーロッパ系。他の六人はエネンガル人らしい黒い肌をしている。全員が、Tシャツやポロシャツに、ジーンズやハーフパンツを合わせたラフな格好だ。すでに武器を手に、あるいは肩にしている。二人が自衛隊も採用しているミニミ分隊支援火器、一人がLRAC89/89ミリ対戦車ロケットランチャー。残りは皆FAMAS突撃銃だった。
AHOの子たちを含む一同はぞろぞろとトランスポーターを降りた。
「よく来てくれた。ベルランだ」
ルイの上司らしいフランス人が、英語で名乗りながらAHOの子たちを除く全員と握手を交わす。
「時間が惜しい。さっそく武器を点検してくれ。諸君らには、ミニミを一丁、それにFAMASを用意した。ロボットたちには、こちらの方が使い易いだろう」
ベルランが、古びた木製テーブル上からミニUZIを取り上げた。イスラエル製の名サブマシンガン、UZIをコンパクト化し、ストックを単純な側方折り畳み式のスチールワイヤーにしたタイプである。
「爆薬はどこなのですかぁ~」
ベルが、きょろきょろとあたりを見回す。
「ほらよ」
準軍事メンバーの一人が、白い布袋を二つ手渡す。
「ありがとうございますですぅ~」
受け取ったベルが、さっそく中を覗きこんで爆破用具の点検を始める。
一同もそれぞれ武器を受け取り、点検を開始する。一丁だけ渡されたミニミ分隊支援火器は、デニスが受け取った。FAMASは、二十五発箱弾倉しか使えない初期型のF1だった。
片腕が使えない亞唯が、ミニUZIではなく拳銃を所望する。爆薬を大量に携行するベルも、同様に拳銃を要求した。準軍事メンバーの一人が、奥からマニューリンPP自動拳銃を二丁、数本の予備弾倉と一緒に持ってきてくれる。ドイツ製の有名なワルサーPP自動拳銃の、フランス版ライセンス生産品である。
シオも自分のミニUZIを点検した。ストックを伸ばし、右脇に抱え込むようにして構えれば、安定した射撃ができそうである。渡された弾倉は、二十五発用の短いものであった。
準軍事メンバーの一人が、LU216手榴弾も配った。人間には二発、ロボットには一発だ。ベルは、例によって辞退する。
「教科書どおりの待ち伏せポイントですわね」
迎撃地点を眺めながら、スカディがそう評する。
倉庫から二十分ほど走って到着したルト・アルビュー……つまりアルビュー街道のとある一地点は、たしかに対車両アンブッシュを仕掛けるには、絶好の場所であった。見通しのいい草原を突っ切って真っ直ぐ走ってきた二車線道路は、正面にある森を避けるようにちょっときつめの右カーブを描いている。カーブが終わったあたり、左側には小道があり、森によって視界が遮られたそこはトラックを停めておいても目立たない。その向かい側には、小さな薮があって、隠れるのに都合がいい。
カーブの内側……つまり道路の右側は荒地で、むき出しの土と人が隠れるには小さ過ぎる岩がごろごろと転がっているだけだ。
カーブに沿うように森の中に隠れ、車列の接近を待つ。車列は、カーブの手前で速度を落とすだろう。タイミングを見て小道からトラックを前進させ、道路を塞ぐ。車列が停止、あるいは急減速した所で、攻撃を開始する。護衛が乗っているであろうトラック二台は、ロケットランチャーとミニミの掃射で潰す。ミニバンとセダンはFAMASで精密射撃を行い、ロデ大統領以外は無力化する。
仮に敵が車列から逃れ、道路の右側に脱出しても、そこには遮蔽物がない。こちらの十字砲火に晒されるだけだ。
「事前にピックアップしておいた主要な道路沿いの迎撃ポイントのひとつだ」
少しばかり自慢げに、ベルランが説明する。
「ボス。車列の詳細が判りました。先頭からプジョー807、シトロエンC6、ルノー・ミディアムが二台です。モト(バイク)で追っている奴によれば、大統領はシトロエンの可能性が高いと」
携帯電話を折り畳みながら、ルイが報告する。
「あとどのくらいだ?」
「ブリュを過ぎたあたりですから……二十分前後で来ますね」
「よし、配置に着こう」
ベルランが、準軍事メンバーに指示を飛ばし始める。
AHOの子たちは、石野二曹の引率のもと、カーブが終わった地点の右側にある薮に配置された。トラックによる封鎖を強引に逃れようとした車両があった場合に、これを阻止することと、道路の右側に徒歩で逃れる敵がいた場合、これを無力化することが任務である。
「これでは、わたくしの出番がないのですぅ~」
藪の中で、ベルが愚痴る。
「人質を取られていなければ、地雷でも仕掛けてもらうんだけどね」
石野二曹が、残念そうに言う。
「まあええやん。これだけの火力があれば、負けるわけないで。大統領に、流れ弾が当たらないかが心配なだけや」
雛菊が言って、くすくすと笑った。
AHOの子たちは、車列がやってくるのをじっと待った。ロボットゆえ、待つことは苦にはならない。本来ならば愛玩用ロボットらしく、じっと待っているうちに焦れたり退屈したりするプログラムが備わっているのだが、今は軍用プログラムに従って行動しているので、そのような『無駄な』感情表現は最小限に抑えられている。
街道上の交通量は、それなりにあった。結構なスピードで、上下線ともに車が走り抜けてゆく。車種はほとんどが大小のトラックであった。クーデター側の兵力が足りていないせいで、道路閉鎖が完全には行われず、トラック輸送による物流そのものは平時と同様に行われているのだ。もちろん、武器や兵員をサン・ジュスタン市内に持ち込もうとすれば、阻止されるのだろうが。
と、森の中から越川一尉が走り出してきた。道路を横断し、AHOの子たちが隠れている薮に分け入ってくる。
「中止だ、中止。装備をまとめて、トラックに乗れ」
大げさな身振りを交えて、越川一尉が命ずる。
「どうしたのですか?」
石野二曹が、訊いた。
「車列が、この手前の町で止まっちまったそうだ。市内には入らず、しばらくそこに居座るらしい。待っていても、来ないよ」
残念そうな口調で、越川一尉が説明する。
ヴァルドリエス。ルト・アルビュー沿いにある、小さな町である。
ルノー・ケラックスは、その町の郊外にある空き地に停まっていた。荷台に残っているのは、デニスら英米日の情報機関メンバーと、AHOの子たち。それに、ベルランだけである。運転席には、準軍事メンバー二人が、休憩中を装って座っている。あとのメンバーとルイは、連絡員との接触と車列の偵察に出かけている。
「俺だ。入るぞ」
ルイが一声掛けてから、後部の垂れ幕をめくって荷台によじ登ってきた。手に、ダンボールの大きな切れ端を抱えている。続いて入って来たのは、見覚えのないエネンガル人の青年だった。小脇にヘルメットを抱えているので、バイクで車列を追尾していた連絡員だろう。
「ジローの指揮で、三人残してきました」
荷台に腰を下ろし、グリースペンシルでダンボールに見取り図を描きながら、ルイが報告する。
「どうやら、内務省のセーフハウスのひとつみたいですね。市内の状況が落ち着くまで、そこに居座るつもりのようです」
「兵力は、確認できた限りでは約三十名です」
連絡員が、ぼそぼそと報告を始める。
「ドランボ将軍と思われる小柄な人物を含む迷彩服のシラリア人が五名。これは、いずれも建物の中に入っています。スーツ姿の内務省の連中が六名。このうち二名が建物の中。陸軍らしい作業服姿……これはトラックの運転手を装ってますが……こいつらが四名。さらに、トラックの荷台に隠れている戦闘服姿の陸軍さんが約十五名。合計約三十名を目視しました。建物の中に元からいる人員は、確認していません」
「三十か。予想より、少ないな」
ベルランが、顎を撫でる。
「よし、できた。これを見てくれ」
ルイが、ダンボールに描き上がった見取り図を、皆が見えるようにかざした。
第二十三話をお届けします。




