第二十一話
「第4棟内、捜索完了。異常ありません!」
駆け寄ってきたランス・コーポラルが報告した。
「よし」
サイラス・ウッカ少佐は短く応じた。
追い詰めたスパイに対する捜索は着々と進捗していた。二重の包囲網の中にある建物は、一個小隊の陸軍兵士によって、片端から隅々まで掃討されている。敵はおそらく、二足歩行型の小型ロボット数体。
「やはり、あのコンテナが怪しいですね」
臨時にウッカ少佐の副官役を務めている陸軍中尉が、手にしたスターリング・サブマシンガンの銃口で前方にあるスチール製のごみ用コンテナを指す。
「同感だな。いずれにしろ、敵の逃げ場は無い」
ウッカ少佐は笑みを浮かべた。陸軍兵士一個中隊。内務省国家憲兵隊員五十名以上。ブレン軽機関銃十丁以上。さらに数基のM79/90ミリロケットランチャーに囲まれたのでは、戦車ですら逃げおおせることは不可能だ。
B1エリアの発電機部品置き場の内側扉が爆破されている……。
国家憲兵隊員から内線で寄せられた情報に、ララニ大佐は驚愕した。
ブドワ農薬工場の内郭でサリン製造が行われていることを知る者は、さほど多くない。直接製造に携わっている作業員でも、それほど化学の知識が必要とされていない立場の者は、単に強力な殺虫剤を作っていると信じ込まされているほどだ。機密保持には、それを知る者の数が少ない方が都合がいいのは、自明の理である。
当然のことながら、もっとも機密性が求められるサリンの前駆物質であるメチルホスホン酸ジフルオリド保管庫の工場内における正確な位置を知る者は、サリン製造プロジェクトに関与する者の中でも、ごく一部に限られていた。具体的に言えば、わずかに七人。ララニ大佐。レナルド・ホッキ工場長と、副工場長。警備責任者であるサイラス・ウッカ少佐と、その副官。生産ラインそのものの責任者と、製品管理を任されている技術者の二人である。
スパイどもが、偶然に保管庫を爆破したとは思えない。となれば、どこかで情報漏れがあったとしか、考えられない。意図的に保管庫を爆破した以上、当然のことながらキャニスターは持ち出されているだろう。
「保管庫……いや、部品置き場を封鎖させろ! 誰も、中に入れてはならん!」
ララニ大佐は怒鳴るように受話器を通じ命じた。
「ソトア伍長、急いで工場長か副工場長を捕まえて、B1の発電機部品置き場に向かわせろ! 内部をチェックさせるんだ!」
受話器を放り出したララニ大佐は、控えていた下士官を指差して命じた。伍長があわてて敬礼し、転げるように臨時作戦室を出てゆく。
ララニ大佐は、無線のマイクを取り上げた。トークスイッチを押し、ウッカ少佐をコールする。
「はい、こちらウッカです」
「少佐。まずいことになった。スパイどもが、『エージェントA』を入手した可能性が高い」
苦い声で、ララニは告げた。エージェントAは、メチルホスホン酸ジフルオリドの当工場における秘匿名称である。そしてもちろんBが、IPA化合物の秘匿名称となる。
ウッカ少佐が息を呑む音が、無線越しに聞こえた。
「準備はよろしいかしら、みなさん」
スカディが、訊く。
「完了なのです、リーダー!」
「いつでもかまへんでぇ」
「準備できていますですぅ~」
三体が、それぞれ応じる。
「では。参りましょう」
スカディが、ごみ用コンテナの縁ににじり寄った。そちら側に兵力が集中しているところから見て、おそらくそのあたりに指揮官がいるはずだ。縁から顔だけを覗かせ、音声出力を最大にして、包囲している兵士たちに呼びかける。
「包囲しているみなさんにお伝えします! 今すぐ、降伏しなさい!」
しーん。
兵士たちが、一斉に動きを止めた。多くの眼が、スカディに集中する。
と、あちこちから笑い声が上がった。当然であろう。追い詰められて逃げ場を失った相手から降伏勧告を受けるなど、冗談としか思えない。まさに、『お前が言うな』状態なのだから。
「笑っている場合ではありませんですわ。これを、御覧なさい」
スカディが、手で合図する。
シオはすっくと立ち上がった。そして、くるりと振り返って、背中にロープで括りつけてあるメチルホスホン酸ジフルオリドのキャニスターを、兵士たちに見せ付ける。
「サリンの前駆物質、メチルホスホン酸ジフルオリドです」
大音量で、スカディが説明した。
「……本物だ」
ウッカ少佐は絶句した。工場警備責任者として、エージェントAのキャニスターの形状外見は、熟知している。
「撃つな! 射撃を控えろ!」
ウッカ少佐は無線のマイクをつかむと、急いで陸軍と国家憲兵隊の各小隊長に命じた。指揮下の部隊は、化学兵器防護対策を、今のところ何も施していないのだ。エージェントAのキャニスターに銃弾で穴が開けば、それだけで大惨事になりかねない。
スカディの合図を受け、今度は雛菊が立ち上がった。シオと同じようにくるりと振り返り、背中のキャニスターを見せ付ける。
「こちらがIPA化合物。両者を混ぜ合わせれば、強力な化学兵器、サリンが合成されます」
スカディが、説明を続ける。
兵士たちのあいだに、ざわめきが起こった。
警備増援の陸軍はもちろん、元からこの工場の警備を担当している国家憲兵隊の小隊長クラスでさえ、サリン製造プロジェクトについては知らされていない。だが、農薬工場としては異例とも言える厳重な警備体制、さらに定期的に行われる化学防護服を着用しての訓練……もちろん、高濃度殺虫剤漏洩事故を想定した訓練だという触れ込みだが……、さらには外国のスパイに狙われているという事実から、ここが実は化学兵器生産工場ではないか、と疑っている国家憲兵隊員は多かった。そして当然、それら噂話は、増援として送り込まれた陸軍兵士たちの耳にも入っている。
「わたくしたちはロボット。神経剤など浴びても、平気です」
スカディが、続ける。
「しかし、あなた方はそうではありません。ごく微量のサリンを経皮吸収しただけで、死んでしまいますわ。さあ、サリンを合成されたくなければ、ただちに降伏するのです」
畳み掛けるように、スカディが告げる。
……本気か。
ウッカ少佐の額に、冷たい汗が浮かんだ。
たしかに、ロボットならばサリンは無害である。ただ単にキャニスターの中身を混ぜ合わせただけならば、生成されるサリンの量はそれほど多くはない。殺傷力を最大限に発揮するには、よく攪拌して合成を行ったうえで、エアロゾル状にして撒布する必要があるのだ。しかしながら、原始的な方法……例えば、エージェントAのキャニスターを開けてエージェントBの中身を注ぎ入れる、といったやり方でも、ここにいる全員を殺傷するくらいのサリンを作り出すことは可能だ。
「降伏する気はないようですね。仕方ありませんわ。サリン合成、開始!」
スカディが、高らかに命じた。
キャニスターを背負った二体のロボット……シオと雛菊が、後ろ向きのまま近付き、キャニスター同士をがちんと打ち合わせる。
とたんに、真っ白な煙がごみ用コンテナから吹き出した。タイミングよく、ベルがF2発煙手榴弾を発火させたのだが、そんなことは固唾を呑んで見守っていた兵士が知る由もない。
白煙は、あっという間にAI‐10たちの姿を覆い隠し、周囲に広がり始めた。
パニックが生じた。
元々、化学兵器は心理兵器でもある。訓練された兵士は、手にしている兵器で対抗できる敵に対しては、それほど怯えることはない。攻撃的な振る舞いは、それだけで強固な心理的支えを生むものだからだ。だが、対抗不能な敵……しかも、残酷な死を広範囲に、しかも確実にもたらす敵の前では、訓練も誇りも度胸もほとんど意味を持たない。
ほぼ全員が、持ち場を離れて煙とは反対方向に駆け出した。中には、武器を放り出した者や悲鳴をあげている者もいる。
「あれはサリンじゃない!」
ウッカ少佐は叫んで兵士たちを押し止めようとした。エアロゾル状のサリンは、薄い霧のように見える場合があるが、あれほど濃密な煙として視認できるものではない。
だが、兵士たちは訊く耳を持たなかった。ベルが二発目、三発目の発煙手榴弾を発火させたので、白い煙は量を増しつつ、急速に広がってゆく。国家憲兵隊員たちも、陸軍兵士同様持ち場を放棄し、逃げ出していた。その後を、白い煙がさながら巨大な亡霊の指のごとく、音もなく追いかけてゆく。
「今のうちです!」
スカディが、命じた。
四体のAI‐10は、白い煙に紛れて走り出した。超音波センサーがあるから、前方の障害物は探知できるが、煙で視程が悪いために全力疾走はできない。それでも、二分ほどで煙の外に出ることができた。
「このまま、南側のフェンスまで突っ走ります!」
スカディが先頭に立って、走り出す。
脱出は順調に進んだ。
工場外縁のフェンスを切断しているところで、一個分隊程度の陸軍兵士に発見され、銃撃を受けたが、ベルが残った発煙手榴弾を発火させると、兵士たちは慌てて逃げていった。
フェンスを潜り、礫砂漠を走る。無線で連絡を受けていた作戦班のランドクルーザーは、すぐ近くまで出迎えに来ていた。運転席の越川一尉が低速で走らせたままの状態で、石野二曹がドアを開け、AI‐10たちを一体ずつ車内に引っ張り込む。窓から身を乗り出してM24/29軽機関銃を構えたデニスが、工場内に牽制射撃を行って、これを援護した。
越川一尉の運転で、ランドクルーザーは南方へ突っ走った。遠方に追ってくるサラディン装甲車らしき姿がちらりと見えたが、すぐに引き離す。
三十キロメートルを突っ走ったランドクルーザーは、小道で待っていたルイのトラックとつつがなく合流した。支援班の三人も、すでに待ち受けている。
「おや、はじめまして!」
メチルホスホン酸ジフルオリドのキャニスターを背負ったままランドクルーザーを降りたシオは、ルイと並んで待っていた初老のアフリカ系男性に挨拶した。ルイが、笑う。
「ロボットじゃ見抜けないか。ユベールだよ」
「ユベールさんは、もっと若かったのでは?」
スカディが、首を傾げる。
「変装さ。帰りは、別のトラックを装う必要があるからな」
ルイが言って、トラックのドアの所に描かれたマークを指差した。白い円環の中に、猛禽類らしい鳥の横顔が描かれている。型紙を押し付けて、塗料スプレーを吹き付けたのだろう。
「こいつは、エサマ大統領の親族企業である運送会社のマークなんだ。もちろん、まともな企業じゃない。外国企業と組んで密輸に手を染めているとも言われているし、内務省と結託して怪しい物も運んでいる。内務省ビルの地下から死体を運び出して処理しているのも、ここの連中だしな。というわけで、このマークと偽造書類さえあれば、たいていの検問はフリーパスだ。下手に積荷を調べて、危ないものでも見つけちまった日には、家族共々収容所送りにされかねないからな」
「なら、往きもこのマーク使えば良かったんちゃうか?」
雛菊が、当然浮かぶ疑問を口にする。
「いやいや。ある意味目立ちすぎるマークだからな。偽装が持つのはせいぜい半日。下手に使うと、シラリア中のドライバーが報奨金目当てにこの車を探す、ってなことになりかねない。……そうだな。日本で言えば最大のヤクザ・グループを騙っちまったようなもんだな。使うのは、命がけだよ」
「よし、全員乗り込め。出発するぞ」
装備を積み込み終わったデニスが、命ずる。
ダベルク市と首都ブルームフィールドを結ぶ地方道に乗り入れたルノー・トラックは速度を上げた。
ちなみに、擬装用の積荷は綿花の行李に積み替えられていた。外国産の米をシラリア北部から南へと運ぶのは、無理がありすぎる。
スカディによる突入班の行動報告が終わると、シオは大佐とドランボ将軍の会話内容……正確に言えば大佐の受け答えだけだが……を再生して、一同に聞かせた。
「クーデターねえ。いや、いくらドランボ将軍でも、難しいでしょう」
メガンが、首を捻る。
「エサマ大統領を謀殺し、その後釜に座るという形ならば、不可能ではないな」
デニスが、言った。
「最近、最精鋭の第6旅団が演習を繰り返し、ドランボ将軍が頻繁に視察しているという情報もあった。ひょっとすると……」
「まあ、いずれにしても、俺たちの任務には直接関係ありませんよ」
越川一尉が、指摘する。
「検問だ。みんな、静かにした方がいい」
幌の隙間から前方を監視していた亞唯が、そう告げた。石野二曹が、夜目の効かない人間たちのために一本だけ点けていた小型のハンドライトを消す。
減速したトラックが、ゆるゆると停止する。検問所の係員のきびきびした英語と、ユベールの訛りの強い英語でのやり取りが、かすかに聞こえてくる。
やがて、ギアの入る音が聞こえた。ユベールが、サンキューとメルシーを繰り返しながら、トラックを発進させる。
荷台の検査はなかった。
「さすが鳥の横顔マークなのです! 霊験あらたかなのです!」
シオは感心してそう言った。
「ま、SISによる偽装工作のおかげでもあるがな」
少しばかり自慢げに、デニスが言った。
「具体的に、どのような工作をなさったのですかぁ~」
ベルが、訊く。
「いちいち挙げていったらきりがないが、一番手間が掛かったのはディオリ・アマニ国際空港にイギリス空軍のハーキュリーズを飛ばしたことだね。在ニアメー大使館の武官にも、四輪駆動車二台を借りて国境の町までドライブしてもらった。シラリアの諜報関係者にばればれの状態でね。我々は今、ニジェール国境へ向け砂漠の中をひた走っている、とシラリア側は思い込んでいるはずだ」
夜が明けたのは、ブルームフィールド市へあと二十分ほどの位置であった。市街は例によって迂回し、さらに南下する。眩い朝の光を浴びながら、トラックはエネンガルへの街道を突っ走った。さらに二回、検問があったがこれも荷台検査なしで通過する。
国境が近付くと、トラックは脇道へと逸れた。いったん停車し、運転席から降りたルイが、車体色と同じ色の塗料スプレーで鳥の横顔マークを消しに掛かる。
「国外への運び出しは下請けにやらせているからな。国境越えは怪しまれる。それに、推測だがさすがに国境では積荷の検査を行うように内務省から命令が出てるだろう。そこで、国境越えは砂漠を突っ切る」
カラースプレーを吹き付けながら、ルイが説明した。
脇道を数分走ったトラックは、礫砂漠の中に乗り入れた。硬い地面を探しながら、低速で南へと向かう。特に標識などもない国境線を越え、トラックは無事にエネンガル共和国内に入った。行き当たった小道を東へと辿り、サン・ジュスタン市へ向かう街道に乗り入れる。
「ここまで来れば、一安心ですわね」
スカディが言って、にこりと笑った。
トラックは、昼前にサン・ジュスタン市街に入った。それを通り抜け、サン・ジュスタン国際空港を目指す。
空港に待ち受けていたのは、フランス空軍のラウンデルを付けたC.160トランザール輸送機であった。ターボプロップ双発の、戦術輸送機である。
デニスとメガンとルイが、責任者らしいフランス空軍中佐と慌しく打ち合わせを行う。
「よし、諸君。得られた証拠品をすべて預けるんだ。この機が、アセンション島まで運んで、SISに引き渡してくれる」
打ち合わせを終えたデニスが、AI‐10たちにそう命ずる。
シオは背負っていたキャニスターを、フランス人たちの手を借りて金属コンテナに収めた。緩衝材をたっぷりと隙間に詰め込まれたコンテナが、後部ランプから機内に運び込まれる。IPAのキャニスターも、別なコンテナに収められて機内に収容された。書類は袋に入ったまま、大きなスーツケースに入れられ、フランス空軍中佐が自ら手にして機内に消える。証拠品押収時の映像を納めたRAMチップは、石野二曹が各体から集めて、ノートパソコンを抱えた女性下士官に手渡された。
エンジンが始動し、後部ランプが閉まる。C.160はエプロンを離れると誘導路に乗り入れた。ナイジェリアのラゴスから飛んできたエネンガル航空のA320の着陸を待ってから、滑走路に乗り入れる。
AHOの子たちを含む全員が、C.160の離陸を見守った。高翼の機体が浮き上がり、ゆっくりと高度を上げてゆく。胴体下部の張り出しに、主脚が納まる。
「よし、ミッション・コンプリートだ!」
アルが、喜色も露に宣言した。
「ご苦労だった、みんな。特に諸君。今回の任務成功は諸君らのおかげだ。礼を言わせてくれ」
デニスが、AHOの子たち五体を順繰りに見ながら、笑みを浮かべる。
「おいおい。DGSEの協力は?」
ルイが、突っ込んだ。
「それも、忘れちゃいないさ。だが、DGSEはSISに結構借りがあったよな。チャド、ソマリア、ユージニア、アルジェリア、コソボ、キファリア、イエメン、ドラハ、リベリア、イフリーキヤ……」
デニスが、指を折りながら国名を並べ立てる。
「頼むからやめてくれ。……ところで、これからどうするんだ? とりあえず、例のホテルの部屋は押さえてあるが」
窮したルイが、話題を変えた。
「ちょっと他に廻らねばならない国があるんでね。一晩だけ厄介になるよ」
デニスが、言った。
「わたしたちも一晩だけ休ませて。明日、ダカール経由で帰国するわ」
メガンが、言う。
「俺たちはチャーター便を呼ばなきゃなりませんから、何日か厄介になる必要がありそうですね」
越川一尉が、言う。AI‐10のようなロボットは、テロ対策のために通常のエアラインの利用は制限されているのだ。
「ま、ゆっくりしていってくれ。シラリアと違って、エネンガルは平和ないい国だからな。とりあえず、迎えの車を呼ぼう」
ルイが言って、携帯電話を取り出した。
第二十一話をお届けします。




