第十七話
「罪滅ぼし?」
石野二曹が、訊く。
「はい。もう、ナナンド中佐の言いなりになって皆さんを騙すのはいやです」
きっぱりと、ヘイゼルが言う。
ナナンド中佐が用意した作り話は、ヘイゼルの弟が勤務する部隊がブドワ農薬工場に警備増援として送り込まれた、というものであった。ヘイゼルが頼めば、内部潜入の手引きをしてもらえるはずだ。
ヘイゼルはサン・ジュスタンに赴き、偶然を装って調査団メンバーと会い、弟がブドワ農薬工場にいることを漏らす。スパイが喰い付いて来たら、協力を約束して潜入の詳細を聞き出し、指定された電話番号に報告しろ……。
「……なんか、無理やりな作り話だな」
アルが、嫌そうな顔で感想を述べた。ヘイゼルが、寂しげな微笑を浮かべてうなずく。
「わたしはサン・ジュスタン大学の聴講生でもありますから、ここでみなさんに偶然出会う可能性は低くはありません。ですが、やはり不自然ですよね」
「このホテルへはどうやって? ナナンド中佐に教えられたの?」
石野二曹が、訊く。
「サン・ジュスタンに着いてから、現地の……おそらくはシラリアの情報機関の人と接触し、このホテルに皆さんがいることを教えてもらいました」
「そいつに、何か持たされなかったか? あるいは、身体を触られたり……」
「盗聴器の心配なら、まずありません。メモ一枚受け取っていませんし。素人なりに尾行にも気をつけましたが、異常はありませんでした」
ヘイゼルが、すこしはにかんだ様に答える。
「ちょっと、待っていてくれ」
アルが言って、立ち上がった。意図を察した石野二曹も立ち上がる。
「シオ、ベル。彼女を見張っていてね。妙な動きをしないように。外部に合図するような行為にも、注意ね」
日本語で、石野二曹が指示を与える。
少し離れたテーブルまで移動したアルと石野二曹は、小声で相談を開始した。近寄ってきたウェイターには、百CFAフラン紙幣を与えて退散させる。
「ナナンド中佐の対応が早すぎますよ。これは、絶対にDGSE内に内通者がいます」
石野二曹が、断言する。
ヘイゼルに電話が掛かってきたのが、今日の午前十時ごろ。皆がこのホテルに入ってから、いくらも経っていない頃合である。
「俺たちがサン・ジュスタン入りしたのを、内通者が知って連絡。おそらく、ナカマシ大尉のドジで窮地に陥っていたナナンド中佐が、とっさにヘイゼルを使った起死回生の策を思いつき、手配。そんな感じだな。作り話の稚拙さも、それを裏付けているような気がする」
アルが、考えつつ言った。
「ヘイゼルは、本当のことを言っていると思いますか?」
「……やけに冷静なのが引っ掛かるが、そこがもっともらしいとも言えるな。俺たちを騙すつもりなら、普通もっと感情を露にしないか?」
「いずれにしても、わたしたちでは手に負えない事態ですね」
石野二曹の言葉に、アルがうなずく。
「アメリカ大使館に電話を掛けよう。メガンとデニスに、相談だ。それと、DGSE内部に内通者がいることも報せなきゃならん」
アルが立ち上がって、先ほど追い払ったウェイターを手招いた。
とりあえずヘイゼルを信用する。ホテルは見張られているという前提で行動する。ヘイゼル自体がナナンド中佐に踊らされている……裏切ることを見透かされている……可能性も考慮する。
デニスとメガンの助言を受けたアルと石野二曹は、そのような方針を決めた。
当初の目的である食事を手早く終えたアルと石野二曹は、ヘイゼルを連れてホテルの部屋へと戻った。寝室のひとつにヘイゼルを押し込め、志願した亞唯と雛菊に見張らせる。寝室のテレビは、適当なチャンネルに合わせて点けっぱなしにしておいた。……隣室の会話を聞かれないための用心である。
やがて、他のメンバー……デニス、メガン、越川一尉が、ルイを伴って戻ってきた。
「さっそくだが、頼むよ」
デニスが、ルイに向かって言う。
「メガン。手伝ってくれ」
ルイが、下げてきたブリーフケースを開けながら言った。箱型の機器をふたつ取り出し、メガンを伴ってヘイゼルが押し込められている寝室に向かう。
「あれはなんですかぁ~」
ベルが、首を傾げる。
「嘘発見器と盗聴器探知装置だ」
デニスが、説明した。
ほどなく、ルイが戻ってきた。
「嘘は言ってないね。プロの工作員なら別だが、素人じゃこいつは騙せない」
嘘発見器……ポータブルの検流計にスマートフォンをくっつけた様な形状だった……をブリーフケースに仕舞いながら、ルイが言う。
「盗聴器は?」
「なかった」
あっさりと、ルイが答える。
「では、状況を整理しつつ説明しよう」
デニスが、大使館経由で知った全般的状況……アメリカ政府とイギリス政府の動き、ブドワ農薬工場における証拠隠滅作業の開始などを、アルと石野二曹に対して順序立てて説明してゆく。
「そのようなわけで、我々には新たな指示が下された。可及的速やかに、ブドワ農薬工場に再度潜入し、サリン製造の決定的な証拠をつかめ、とのことだ」
デニスが、そう説明を締めくくった。
「そいつは……厄介な任務ですな」
アルが、顔をしかめつつ。上司であるメガンを見やった。
「悪いけど、やるしかない状況よ」
素っ気なく、メガンが応じる。
「一尉……」
石野二曹が、助けを求めるかのように越川一尉を見る。
「諦めろ、二曹。一佐から直接命じられた。CIAとSISに全面的に協力しろ、だそうだ。すでに日本政府は反テロの立場からアメリカとイギリスの行動を支持する、と言明している。やるしかない」
越川一尉が、ゆっくりと首を振りながら言う。
「ともかく、一回は侵入に成功しているわけだからな。スカディ、侵入そのものはまた君たちに頼むことになると思う。いいかね?」
デニスが、スカディを見下ろして訊く。
「命令とあれば参りますわ。ですが今度はシラリア側もそれなりの警戒態勢にあるはずです。一筋縄ではいかないのでは?」
「そうだな。成否はフランスがどこまで助けてくれるか、に掛かってくるが……」
デニスが、期待を込めた視線をルイに向ける。
「あんまり当てにしないでくれよ。農薬工場の近くまで運ぶのは問題ない。脱出も手伝ってやる。武器その他装備も調達する。だが、本国からはシラリア国内での戦闘行為は厳禁されている。荒事は、あんたたちだけでやってくれ。いいな」
「それで結構。で、いつまでに運んでくれる?」
壁の時計にちらりと視線を走らせながら、デニスが訊く。
「今夜は無理だ。手配が間に合わないし、いずれにしろ夜間は国境が閉鎖されているからな。明日の朝イチで国境越えしよう。そうすりゃ、遅くとも午後半ばにはダベルク市まで行ける。どうせ、夜間侵入を考えてるんだろ?」
「無論だ。では、早朝出発だな。こちらにも準備が必要だから、ちょうどいい」
「具体的に、どうやって国境を越えるの?」
メガンが、訊く。
「長距離トラックに乗せる。大きな声じゃ言えないが、人員や物資を秘かに送り込むために何度もやっている方法だ。常連の運転手を使うから、荷台まで調べられることはまずないし、あっても賄賂でいくらでもごまかしが効く。そうだな……」
ルイが腕を上げて、腕時計を見た。
「午前四時に、迎えに来てやる。空港まで移動し、エネンガル軍のヘリで国境まで移動。トラックと運転手、装備は国境に準備しておく。そこで待機して、午前六時の国境開放と同時にシラリア入り、でどうだ?」
「悪くないな。どうだね?」
デニスが、他のメンバーを見る。
「異議ありませんよ」
越川一尉が、言った。メガンが、無言のままうなずく。
「軍のヘリコプターを動員できるとは! なかなかいいコネをお持ちですね!」
シオは誉めそやした。
「エネンガル空軍には結構上のほうに友人がいてね。かなり無理が効くんだ。で、実際のところどんな作戦を考えているんだ? それによって、用意してやる装備も違ってくるが……」
ルイが、デニスに訊ねる。
「前回同様、こっそりと侵入だな。ばれたら、重火器をぶち込んで混乱させ、その隙に脱出だ」
「ハリウッド映画みたい」
メガンが、小声で突っ込む。
「重火器か。あまり良いものは、用意してやれないぞ」
ルイが、言う。
「旧式なもので構わんよ。ただし、弾薬は多めに用意してくれ。牽制のために乱射する必要がある」
デニスが、そう注文をつけた。
「爆薬もたっぷりと用意してくださいぃ~。もちろん、作業用工具類、信管、時限装置なども一揃いお願いしますぅ~」
ベルも、さっそく注文をつける。
「一応、リストは作っておいた。これだけ、揃えてくれ」
デニスが、メモ用紙をルイに手渡す。
「国外脱出は、どうする? エネンガルまでトラックで行くか?」
メモ用紙の内容を目で確認しながら、ルイが訊ねた。
「そのつもりでいる。追っ手が掛からなければ、それが一番安全だろう。ニジェール入りは、プランBでいいだろう」
デニスが、そう答える。
「シラリアのイギリス大使館に駆け込む、とかいう選択肢はないのでありますか?」
シオはそう訊いた。
「この作戦は、明白にシラリアに対する主権侵害だ。ゆえに、『表』の手段はなるべく使いたくない。その手は、プランCだな。他の手が尽きたら、ブルームフィールドのイギリス大使館かアメリカ大使館に逃げ込むことにしよう」
デニスが、言う。
「問題は、DGSE内部に内通者がいそうだ、というところだな」
メモをポケットに仕舞ったルイが、腕を組む。
「本国採用者はまず白だろうが、こうなると現地採用職員は全員疑って掛からにゃならん。そのせいで、協力態勢に多少影響が出るかも知れないが……そこは勘弁してくれよ」
「その程度は、我慢するさ」
デニスが言って、ヨーロッパ人らしく優雅に肩をすくめてみせた。
「さてそれでは諸君。フランス人には聞かせたくなかった情報を伝えよう」
ルイが帰ると、デニスがそう切り出した。
「我々の作戦を側面支援するために、ホワイトハウスが協力してくれることになった。強引な偵察活動は断念し、国連に働きかけて査察団を送り込ませる方法を選択した、とシラリア側に思い込ませるというプランだ」
「どうやるのですかぁ~?」
ベルが、訊く。
「よくある手さ。首席補佐官あたりが、懇意の記者を呼んでオフレコ前提で話をする。意を汲んだ記者が知り合いに情報を漏らす。そうすると翌日の新聞に『ワシントンの消息筋』とか『政府高官』が、大統領はサリン製造疑惑のアフリカ某国に対する査察が行われるよう、国連に強く働きかける意向だ、と語った……みたいな記事が載るわけだ」
「なるほど。遠まわしにシラリアに偽情報を与えるわけですわね」
スカディが、うなずく。
「ちなみに、イギリス政府も同様な工作を行う予定だ。複数の情報源から同じ情報が得られれば、信憑性が増すからな。……作戦の準備状況だが、シラリア駐在のSISを動かして、ダベルク市に一時的なアジトと潜入用車両を準備させる。同じメンバーを使って、偽情報も流す予定だ。ニジェールに逃げたと思わせて、我々はエネンガルを目指す、という寸法だな」
一同は、細々とした作戦の細目を打ち合わせた。一通り終わったところで、越川一尉が切り出す。
「それで……ヘイゼルをどうしますか?」
「せっかくですから、利用させてもらいましょう。彼女に騙されたふりをして、ナナンド中佐を担ぎましょう」
アルが、そう提案する。
「……彼女の弟を利用すると言う案を受け入れたという形にしたうえで、あえて彼女に偽情報を与える。例えば、ブドワ農薬工場偵察は一週間後にデルタ・フォースが行う、とかね。そして別ルートで、ヘイゼルがこちらに内通している、という情報を流す……と言うのは、やり過ぎよね」
メガンが、冗談めかして言った。
「それじゃ、拷問されちまいますよ」
アルが、抗議した。
「ま、その手が一番確実にシラリア側に偽情報を与えられるが……確かにやり過ぎだな。当面は、国連査察云々という偽装に沿った情報を与えておくのが妥当だろうな。ただし、ナナンド中佐を担ぐためにも、弟利用作戦にこちらが興味を持ったことにしておいた方がいいだろう。そうだな。弟と直接接触したいので、彼を四日後にブルームフィールドに寄越してもらう、ということにしておこう。うまく行けば、工場の警備が緩むかもしれない」
「期待薄ですがね」
越川一尉が、言う。
「で、最終的に彼女の処遇は?」
メガンが、訊いた。デニスが、難しい顔で唸る。
ヘイゼルがシラリアを……より正確に言えばエサマ政権を裏切ったことは、いずれ発覚するであろう。そうなれば、処刑は確実である。
「フランスとエネンガルは当てにならないとなると、我々で何とかしてやる必要があるが……」
デニスの上目遣いの視線が、越川一尉を捉えた。
「いやいや。日本は関係ないですよ」
越川一尉が、逃げる。
今度はデニスの視線が、メガンに向けられる。
「あの娘、半分はイギリス人でしょう。SISがなんとかしたら?」
「むう。……仕方がない。死んでもらうか」
デニスが、言う。石野二曹が、驚きに目を見開く。
「おっと! ついにデニスが裏の貌を見せたのです! 抹殺宣言なのです!」
シオは思わず言った。
「さすがにSIS工作員。容赦ありませんですわね」
さしものスカディも、驚いたように言う。
「スパイ業界は非情なのですぅ~」
ベルが、例によっておっとりとした声音で言う。
「いやいや。本当に殺すわけじゃないぞ。書類上、死んでもらうだけだ」
デニスが、慌てたように言い訳を始めた。
「死んだ者を追求したり逮捕したりする奴はいないからな。シラリア側に死んだと思い込ませることに成功すれば、安全だ。ヘイゼルをイギリスに亡命させることはさすがに無理だが、どこかの目立たない英連邦国のパスポートをこっそり作ってやるくらいなら、わたしの権限でも可能だ。彼女が死んだとなれば、弟に危害が加えられることもあるまい。そのあたりが、落とし処だろうな」
ナナンド中佐に嘘の報告をすることを承諾したヘイゼルがホテルをあとにすると、一同は早々とベッドに入った。AHOの子たちは、念のためドアの外や窓の外を警戒する。充電は、交替で行った。
「ところで、亞唯。あなた、今回の任務どうするのかしら?」
寝ている人間たちを慮って、小声でスカディが訊く。
「片腕でも、足手まといにはならないよ。だけど、全力は発揮できないね」
正直に、亞唯が言った。
「工場内への侵入は、きついかも知れないわね。場合によっては、バックアップにまわってもらうけど、いい?」
「リーダーの命令なら、従うよ」
亞唯が、素直にうなずく。
現地時間午前四時五分前に、ホテルの前にフォルクスワーゲン・トランスポーターが停まった。運転席のルイが、早く乗るように手を振って急かす。
ぎゅうぎゅう詰めになったトランスポーターは、まだ真っ暗な街路をひた走った。
「どうやら、尾行はないようだな」
バックミラーに視線を走らせながら、ルイが言う。
二十分ほどで、トランスポーターはサン・ジュスタン国際空港に併設されているエネンガル空軍基地に着いた。あらかじめ話を通しておいたのだろう、ゲートの空軍憲兵が、ルイの顔を見ただけでノーチェックで通してくれる。
トランスポーターが乗りつけたのは、明るく照明が当てられたエプロンの一郭であった。フラッドライトの黄色い光の中に、ユーロコプターAS532クーガー大型輸送ヘリコプターが鎮座している。
「ようこそ、みなさん」
ぞろぞろと降り立った一同を出迎えてくれたのは、エネンガル空軍の士官であった。
「エミール・アズ中佐と申します。詳しいことは……聞かされておりませんが、皆さんをシラリア国境までご案内します。どうぞ、機内へ」
にこやかに、アズ中佐が言う。一同はさっそく機内へと乗り込んだ。暗視ゴーグルを着けた機長と副操縦士が、エンジン始動手順に入る。機付き長が、皆にヘッドセットを配った。音声入力レベルを自在に操れるAHOの子たちには、もちろん必要のないものだ。
アズ中佐の見送りを受けて、クーガーがふわりと舞い上がった。万が一シラリアの諜報員に見張られていた場合を考慮し、針路をいったん南へと向け、しばらく飛行してから西に転じ、充分にサン・ジュスタン市から離れた所でようやく北に向かう針路を取る。
一時間ほどで、飛行は終了した。薄暮の中、草がまばらに生えた平地に置かれた蛍の光のように淡い黄色い三つのライトの真ん中に、クーガーが降り立つ。
「さあ、行こう」
機長と握手を交わしたデニスが、皆を促した。
少し離れたところに停まっているルノー・ミディアムシリーズ中型トラックに向け、一同は歩んだ。待っていたドライバーが、ハンドライトを点灯する。
「ユベールだ」
ルイが、中年のずんぐりとした体型のドライバーを短く紹介する。
幌で覆われたトラックの荷台には、ぱんぱんに膨らんだ黄土色のジュート袋が山積みとなっていた。……擬装用に、後部にだけ積んであるのだ。
「米か?」
腕を伸ばし、ジュート袋をぽんぽんと叩きながら、アルが訊く。
「タイ産米だ。エネンガルもシラリアも山ほど輸入しているから、目立たない」
ルイが、説明した。
「装備の方は、どうだ?」
デニスが、訊いた。
「とりあえず言われたものは揃えたよ。数は揃ってる。……質は、あんまり追求しないでくれ」
ルイが、黒い顔をゆがめて酸っぱいものを口に含んだような顔をする。
「とりあえず使えれば、文句は言わんよ」
「じゃあ、装備を確認してもらおうか」
荷台に上がるように、ルイが促した。
第十七話をお届けします。




