第十一話
「みなさん。首都から通信が入りました」
にこやかな笑みを浮かべてナカマシ大尉が顔を見せたのは、夕食が終わりに近付いた頃合であった。
「みなさんにとって、いいお知らせです」
調査団の面々から向けられる疑わしい視線にめげずに、大尉が続ける。
「どんなお知らせですかね?」
ピラフを載せたスプーンを宙に浮かせたまま、アルが問う。
「文化教育省から、みなさんをガーバナ遺跡にご案内するようにとの連絡が入ったのです。今、わたしの上官が現地部隊および空軍と調整中です。明日朝には、飛行機が用意できるでしょう。明日一日掛けて、じっくりとガーバナ遺跡をご覧いただけます」
「本当かね?」
真っ先に喰いついたのは、例によって亞唯の同時通訳を聞いていた大河原教授だった。
「あの遺跡が本格的調査を受けたのは、戦前の話だ。実見できるだけでも、ありがたい」
「大尉。当財団は、文化教育省にガーバナ遺跡に関する申請や要請を行ったことはないはずですが……」
越川一尉が、当惑した表情でそう尋ねる。
「文化教育省は、今回のみなさんの調査活動が順調に進んでいることを踏まえて、国内にある遺跡に対する外国の研究者の活動制限を大幅に緩和することを決めたそうです。ミトライ教授、あなたが長年行ってきた申請が、ついに認められたのですよ。おめでとうございます」
ナカマシ大尉が、ミトライ教授に笑みを向ける。
「ガーバナ遺跡見学も、いわば文化教育省の皆さんに対する広報活動ですな。こちらもアムパリ遺跡同様、わが国が誇りとする重要な文化遺産です。外国の方を交えた本格的調査をいずれ行いたいとの、文化教育省の意向の現れでしょう。ぜひ、ご覧になってください」
「ガーバナ遺跡か。イギリスで出版された書物に載っている白黒写真でしか見たことがないが、学術的価値はもちろん、芸術的価値も高い壁画が数多くあった。ぜひ、拝見したいものだ」
興奮したのか、珍しく語気荒く大河原教授が言う。
それに水を差したのは、越川一尉であった。
「教授。我々にはあまり時間的余裕がないと思いますが」
穏やかな口調の日本語で、越川一尉が諭すように言う。
「はっきりと期限を切られているわけではありませんが、シラリア側は今回の調査が長期間に及ぶことを望んでいません。財団の予算も、限られています。一日無駄にするのは、得策とは言えないでしょう」
「ふむ。中村君の意見ももっともだ。現在の遺跡調査をなおざりにするわけにはいかない。せっかくだが、お断りするとしよう」
亞唯が英訳した大河原教授の言葉に、デニス、メガン、アルの三人が、納得顔でうなずく。
「待ってくださいみなさん。これは、文化教育省の正式な招待ですよ。受けていただかないと、わが国と皆さんの属する国の友好関係に影響しかねません」
いささか慌てた様子で、ナカマシ大尉が言う。
「しかし、単なる遺跡見物のために、丸一日潰すのは気が進まないですな」
フォークで缶詰の魚の残骸をつつきながら、デニスが言う。……陸軍が持参した生鮮食品は日持ちの関係ですでに無くなっているので、昨日あたりから缶詰や乾燥品を多用したメニューになっているのだ。
「いやいや。ただの遺跡見物じゃありませんよ。文化教育省から、正式に調査許可が下りています。写真撮影、ビデオ撮影、測量、図面作成その他。試料採集も、微量なら問題なしです」
「ほう。そこまで許可が出ているのですか」
ミトライ教授が、驚いたように言う。
「むう。そこまで出来るのであれば、行ってみたい気もするが……」
大河原教授が言って、横目で越川一尉の顔をうかがう。
越川一尉が、石野二曹と視線を交し合った。石野二曹が、小さくうなずく。
この招待、本来の任務遂行にとっては障害でしかありえない。一日を無駄に過ごすうえに、肝心のブドワ農薬工場の側を離れることになるのだ。しかし、梅鉢歴史財団にしてみれば、たとえ一日だけの簡単なものだとしても、ガーバナ遺跡の直接調査はありがたい話である。これを蹴ってしまうのは、財団関係者としては不自然すぎる。
「たしかに、ガーバナ遺跡の鮮明なビデオ映像が撮影できれば、財団にとっても世界中のアフリカ史研究者にとっても大きな財産となりますね。……ですがやはり、本部と相談しないと」
あまり気乗りしないという表情で、越川一尉が言った。
「トーキョーの方へは、教育文化大臣名ですでに正式な連絡が行っているはずです。文化的国際交流を深めるためにも、ぜひガーバナ遺跡も訪れていただきたい」
ナカマシ大尉が、大げさなゼスチュアを交えて言う。
「まあ、一日くらいならいいではないですか」
文化教育省の軟化に気を良くしたのか、ミトライ教授が笑顔で言った。
「わたしもガーバナ遺跡は数回訪れたことがあるくらいで、詳しくはないのですが、案内くらいはできます。たまには息抜きも必要でしょう」
「いや、教授。あなたには、文化教育省から招待がきています」
「招待?」
大尉の言葉に、ミトライ教授が笑顔を消して怪訝そうな表情になる。
「大臣閣下が、明日の昼食をご一緒しながら、教授の遺跡保護計画について詳しくうかがいたいそうです。ランチミーティング形式ですので、服装は堅苦しくないもので結構だ、とのこと」
「ほう。となると、案内はできませんな」
ミトライ教授が、隣で大人しく座っているヘイゼルを見る。
「ヘイゼル。済まんがわたしの代わりに、皆さんをご案内してくれ。君は学生の頃、ガーバナ遺跡の動物壁画に関して一本論文を書いたはずだ。あれは、良くできた論文だった。案内くらいできるだろう」
ごほん、とナカマシ大尉が咳払いする。
「残念ですが、実はミズ・パークスも大臣とのランチに招待されているのですよ。閣下が、若い方のご意見もうかがいたい、とのことで。あと、現役の学生の方も二、三人同席して欲しい、とのことです。人選は、教授にお任せしますが、一人は女性を含めてください。よろしいですか?」
「怪しさ満点のご招待なのです!」
シオはそう断言した。デニスが、うなずく。
「同感だね。問題は、ナカマシが何を企んでいるかだが……」
「文化教育省まで動かしたとなると、直属の上官よりも上の連中が動いた感じですね。ひょっとすると、ドランボ国防相あたりの差し金かもしれない」
越川一尉が言って、足元の小石を蹴った。
例によってデニスとシオ、越川一尉とスカディの二人と二体は、キャンプから離れた砂礫の中を散歩と称しぶらぶらと歩んでいた。すでにあたりは漆黒の闇に包まれているが、キャンプの方角はガソリン式発電機から供給される電力で眩いほどに照明されていたし、月も出ていたので歩くには支障がない程度の明るさはある。
「丸一日ここを離れることになるわけですわね。盗聴器を仕掛けたり、荷物を徹底的に調べたりする時間は、たっぷりとあることになりますわね」
皮肉っぽい口調で、スカディが言う。
「あるいは、明日ブドワ農薬工場で何らかのイベントがあるのかも知れないな。原料の搬入。製品の運び出し。実験。お偉いさんの視察」
デニスが、推測を口にする。
「ミトライ教授が外されたのは、何か意味があるのでありますか?」
シオはそう訊ねた。シオのAIでも、ミトライ教授に対する『大臣との昼食』が、調査団のガーバナ遺跡行きから教授を外すための『口実』であることくらい、予測が付く。
「道中で、なにか仕掛けてくるかもしれませんね」
心配顔で、越川一尉が言った。
「ミトライ教授を、それに巻き込まないようにしたかっただけなのかも」
「あり得るな。しかし、まだ我々は連中に尻尾をつかまれていないはずだ。シラリア側が過激な行動に出るとは思えない」
デニスが、言う。
「それは同感ですが」
越川一尉が、半ば唸るようにして同意する。
「いずれにしても、用心するしかありませんわね」
わずかに眉を逆八の字にした懸念の表情で、スカディが言った。
翌早朝、いつもよりも早い朝食を済ませたアムパリ遺跡予備調査団一行は、二台のランドローヴァーに分乗するとウセッツア空軍飛行場へと向かった。
飛行場には、二機の飛行機が待ち受けていた。一機は、おなじみの高翼レシプロ単発機、セスナ172。もう一機は、古い低翼レシプロ四発旅客機、デ・ハビランド DH.114ヘロンであった。
「古すぎやろー」
雛菊が、さっそく突っ込みを入れる。
初飛行は1950年代。日本でも飛んでいたが、七十年代の前半に引退している。全長は十五メートルほど。全幅が二十二メートル近く。現代ならばコミューター機としても小型に分類されるほど小さい。
「でもこのサイズで四発機というのがかっこいいのですぅ~。爆撃機みたいなのですぅ~」
ベルが、喜ぶ。たしかに、細身の胴体に長大な主翼、四機のレシプロエンジンというスタイルは、第二次大戦中の高速爆撃機を髣髴とさせる。
ナカマシ大尉に促されて、ミトライ教授とヘイゼルがセスナ172に乗り込んだ。軽快なエンジン音を残して、ベストセラー軽飛行機が青空に舞い上がってゆく。
「みなさんはこちらです。さあ、どうぞ」
ナカマシ大尉が、ヘロンの胴体左後方にある乗降扉……いささか狭く、ハッチと呼びたくなるような大きさである……に掛けられたラッタルに、一同を導く。
内部はかなりせせこましかった。狭い通路を挟んで、座席が左右に一列になって並んでいる。その数は合計十席。本来は十四席だが、貨物輸送の便を考慮して後方の四席は取り外して使用していたらしい。
コックピットとのあいだには仕切り板があるが、そこには大きな開口部があり、自由に行き来できる構造である。雰囲気としては、飛行機というよりもマイクロバスの車内に近いだろうか。パイロット二名はすでにコックピットの中で、離陸前のチェックに余念がない。
シオたちAI‐10は、調査団の荷物を機内後方の貨物スペースに積み上げた。遺跡調査が許されたので、調査用具一式を持参したのである。濃紺の作業着を着込み、水色のベレー帽をかぶっている護衛役の空軍の兵士が、ネットを張って荷物が動かないように固定してくれる。
「これは、なんですか?」
シオは、隅に置いてある金属のコンテナを指差した。
「目的地のスワンナ飛行場へ届ける荷物だよ」
ランス・コーポラルの徽章を付けている兵士が、素っ気ない口調で答えてくれる。
ナカマシ大尉に促されて、調査団一行が着席した。一番前に大河原教授とデニス。二列目にメガンとアル。三列目に越川一尉と石野二曹。四列目には、ナカマシ大尉とウッカ曹長が座った。五列目には、護衛役の空軍の軍曹とランス・コーポラルが座る。軍曹はスターリング・サブマシンガンを、ランス・コーポラルはL1A1自動小銃を持っており、さらに腰に予備弾倉と拳銃、手榴弾のコンテナを下げるという重武装である。
「また貨物扱いなのですぅ~」
ベルが、愚痴った。
座席のないAI‐10たちは、仕方なく貨物スペースの床に腰を下ろした。座り方にも、やはり個性が出る。スカディは脚をそろえて崩した女性らしい横座り、亞唯は胡坐。雛菊は脚を投げ出して後部隔壁に背中をもたせ掛け、ベルはきちんと正座している。シオは、膝を抱えて体育座りをした。
コックピットから出てきた機長……徽章は空軍大尉だった……が、、調査団一行に対し簡単な挨拶を述べた。彼が引っ込むと、さっそくエンジンが左から順番に一機ずつ掛かり始めた。AI‐10の嗅覚センサーに引っ掛かるほどのレベルで、排気ガスの臭いが機内にも入ってくる。
ほどなく、滑走路に出たヘロンは離陸滑走を開始した。長大な主翼が揚力を生み出し、機体がふわりと浮き上がる。日本で飛行していたヘロンは初期型なので固定脚であったが、この機は後期型なので降着装置は機内収納できる。
シオは体育座りを解くと、窓にかじりついて眼下を眺めた。礫砂漠の色を規定しているのは、それを構成している岩石の色である。このあたりの地表には黒っぽい石が多く、上空から見ると地面は薄いグレイに見えた。緑色はひとかけらもなく、セメント袋の中身をぶちまけたかのような、わずかに起伏のある灰色の平原が延々と続いている。
「まさに不毛の地だね」
シオの脇から窓を覗きながら、亞唯が嘆息するように言う。
ヘロンが着陸したスワンナ飛行場には、滑走路しかなかった。
礫砂漠の真ん中に、コンクリートの帯が一本伸びているだけ。建物はもちろん、掘っ立て小屋もテントもない。
「国境哨戒の航空機が緊急着陸するための場所ですよ」
滑走路に立って唖然として周囲を見渡している一同に、機長が笑いながら説明してくれる。
「エンジントラブルとか、ですか?」
メガンが、訊く。
「んー。ご婦人にはあまり説明したくありませんが……滑走路脇に穴がありましてね。当飛行場唯一の『施設』です」
機長が、少し離れたところを指差す。そこには、木製の蓋と、風で飛ばされないように置かれた重石の丸石、それに砂の詰まったぼろぼろの麻袋が置いてあった。
「トイレ、やな」
雛菊が、言った。
一同は迎えに来ていたランドローヴァー二台に乗り込んだ。ナカマシ大尉とウッカ曹長も乗り込んだが、空軍の兵士たちは飛行場に残る。
礫砂漠の中を一時間。黄色い砂砂漠を突っ切って、さらに一時間。差し渡し二キロはあろうかという大きな丘の麓で、ランドローヴァーはようやく停止した。
ガーバナ遺跡の目玉である壁画は、丘の斜面に穿たれた横穴の中にあった。大河原教授を先頭に調査団五人が洞窟の中に入っているあいだ、AI‐10たちは手分けして周囲を警戒した。雛菊がランドローヴァーに残った陸軍の運転手を見張り、亞唯が少し高いところに上って周囲を警戒する。スカディは洞窟の中に入り、異常がないか確認した。ベルがナカマシ大尉とウッカ曹長に張り付き、シオは洞窟の前で立哨する。
調査は昼食……キャンプの調理係軍曹が持たせてくれたハムと卵のサンドイッチ……を食べた後も続けられた。越川一尉がスチールカメラ、石野二曹がビデオカメラを担当し、大河原教授が顔を壁面にこすり付けんばかりにして細部の観察を行い、ノートに細かくメモを取る。デニスとメガンとアルは、図面作りに励んでいた。紙と鉛筆、コンパスとコンベックス(鋼製巻尺)を駆使し、洞窟全体の図面を引き、その中に壁画の正確な位置と大きさを書き込んで、ナンバリングしてゆく。
「みなさん、そろそろ撤収準備に掛かってください。日没までに、ウセッツアに戻らなければなりませんからね。あのおんぼろ飛行機で夜間着陸はごめんですから」
のんびりとした時を過ごしたせいか、上機嫌でナカマシ大尉が告げた。
シオたちは装備の片付けを手伝い、それらをランドローヴァーに積み込んだ。全員が乗り込むと、二台の車両はスワンナ飛行場へのルートを戻り始めた。
『何か妨害があると覚悟していましたが、何もありませんでしたわね』
同じ車両に乗り合わせたスカディが、赤外線通信で言ってくる。
『まだ油断はできないのですぅ~。飛行機のエンジンが故障して、数日ここで足止め、とかいう魂胆なのかもしれないのですぅ~。きっと飛行場へ戻ると、分解したエンジンを前に機長が頭を抱えていたりするのですぅ~』
ベルがそう推測する。シオはうなずいた。
『それはあり得そうなのです!』
だが、ベルの予想は外れた。滑走路脇で紅茶を沸かして飲んでいた空軍の四名は、戻ってきた一同を機嫌良さそうに迎えてくれる。紅茶を飲み干した機長と副操縦士が、さっそくヘロンに向かう。離陸準備が行われているあいだに、空軍の護衛役軍曹が、ブリキのカップに入った紅茶を調査団一行に振舞った。
「困ったことになりました」
難しい顔をしたナカマシ大尉が歩み寄ってきたのは、機長が離陸準備終了を伝えてきた直後であった。
「どうしましたかな?」
短時間だが充実した調査に満足した大河原教授が、好意のこもった視線を大尉に向ける。
「第五師団本部から、命令がありまして。ニジェールとの国境でトラブルが生じたので、応援に行けと言われたのです。もっとも近くにいるのが、我々なので」
「大尉。わたしたちは外国人であり、しかも民間人で……」
抗議口調で言い出した越川一尉を、ナカマシ大尉が身振りで遮る。
「もちろん、みなさんには関係のないことです。このまま予定通り、アムパリ遺跡にお帰りいただきます。しかし、わたしは命令があった以上、最上級者として部下を指揮し、現場に赴かねばなりません。みなさんの護衛という任務を、一時的に放棄することになります」
「我々も、軍人である大尉の職務の邪魔をするつもりはないよ。護衛なら、向こうの飛行場にいるだろう。飛行中は、安全だろうし」
大河原教授が、同情する口調で言った。亞唯の通訳を聞いて、ナカマシ大尉が安堵の表情を見せる。
「軍曹、みなさんを頼めるか?」
ナカマシ大尉が、空軍の軍曹を見つめた。
「謹んで任務を引き継ぎます」
軍曹が、ぴしりと敬礼を決める。ナカマシが、答礼した。
離陸したデ・ハビランドDH.114ヘロンが、ゆっくりと旋回し、南への進路を定める。古い機体ではあるが、蒼空に浮かぶほっそりとした胴体と長大な主翼の組み合わせは、その名の通りヘロン(鷺)を思わせ、美しい。
「よし。我々も行くとするか。準備はできているな?」
ナカマシ大尉は、運転手の一人に声を掛けた。
「少尉の指揮で、トラック二台と一個分隊の兵を確保してあります」
堅苦しく、兵士が答える。
「よし。機密保持は万全だろうな」
「もちろんです」
「連中は卑劣な外国のスパイだ。表立って逮捕したり、国外追放したりすれば外交的に報復される。この方法が、一番安全なんだ」
ナカマシは、自分に言い聞かせるかのように言った。
「大統領閣下に逆らう奴には、死あるのみです」
ウッカ曹長が、さも当然、といった口調で口を挟む。
「その通りだな。よし、出発!」
ナカマシ大尉は声高らかに告げると、ランドローヴァーに乗り込んだ。
第十一話をお届けします。




