第八話
翌朝、ホテルで朝食を済ませたアムパリ遺跡予備調査団一行は、相変わらず眼つきは悪いが物腰は丁寧なナカマシ大尉が手配したランドローヴァーに分乗し、ブルームフィールド国際空港へと向かった。軍用区域に乗車したまま乗り入れ、エプロンに駐機しているシラリア空軍双発ターボプロップ輸送機SC.7の真横に付ける。
「ショートSC.7スカイバン。ハコフグやな」
雛菊が、言う。かつて日本の海上保安庁で使用されていた際に、そのような非公式な愛称で呼ばれていたのだ。その名の通り、寸詰まりの箱状の胴体を持った、優美さとは程遠い実用一点張りの機体である。高位置の直線翼と、色気のない双垂直尾翼の組み合わせ。さらに固定式の車輪とくると、空挺部隊輸送用の軍用グライダーをも連想させる。全長十二メートルちょっと。翼幅が二十メートルくらいの、小さな輸送機である。
市内からタクシーでやって来たミトライ教授と助手のヘイゼルは、すでに機体脇で荷物を足元に置いて待ち受けていた。例によって、大河原教授とミトライ教授が、噛み合わない二ヶ国語での挨拶を交わす。
ナカマシ大尉に促され、一同はそれぞれ荷物を抱えたまま、側面の扉から機内に乗り込んだ。軍用輸送機らしい折り畳めるベンチシートが、キャビンの左右壁面にあり、AHOの子たちを含む八人と五体はそこに腰を降ろした。ナカマシ大尉と、曹長が機体後部の席に着くと、空軍の紺色の作業服を着たロードマスターが、扉を閉めた。すでに、操縦員二名は席に着いている。コックピットとキャビンのあいだに、仕切りなどはなく、きわめて『風通しのいい』機内設計である。
離陸すると、シオはさっそく窓にかじりついた。機体が北上するにつれ、鮮やかな黄緑色に覆われていた大地が、徐々にきな粉のような黄土色に変わってゆく。くねくねと蛇行する川沿いには辛うじて緑が残っていたが、それも徐々に細くなり、やがて消えてしまった。土地の色も、レンガ色に変化する。
やがて高度を下げたSC.7は、アッパー・イースト州のウセッツア空軍飛行場に着陸した。
「……なんにもないとこですねぇ~」
周囲を見渡しながら、ベルが言う。
確かに何もないところであった。周囲は、一面の礫砂漠だ。人家など、一軒もない。
「騒音問題は考慮しないでいいわね」
スカディが、辛辣な口調で言う。
「常駐機もいないようですね!」
その場でぐるりと一回転し、飛行場内を確認したシオはそう発言した。狭いエプロンは空っぽだし、格納庫らしい大きな建物も見当たらない。
飛行場設備の方も、最低限であった。管制塔兼無線塔の、鉄骨櫓がひとつと、色気の無いコンクリート製の建物……規模としては、大きめのコンビニ一軒分くらいか……がひとつ。小屋が数棟。砂漠の日差しに色褪せたのか、純白の吹流しがさびしげに、西からの弱い風を受けて揺れている。管制官や整備員などは常駐しておらず、責任者である士官と無線係、それに警備の陸軍歩兵が数名いるだけであった。その歩兵たちが、乗員を手伝って、着陸したばかりのSC.7に給油を開始した。もちろんタンクローリーなどなく、滑走路脇の小屋からドーリーに載せたドラム缶を人力で運んできて、手押しポンプで給油するという旧弊なものだ。
「SC.7よりも、トロピカル迷彩のホーカー・ハリケーンあたりが似合いそうな情景だね」
亞唯が、言う。
出迎えの車両は、すでにエンジンを掛けて待機していた。ランドローヴァーが三台と、古いベッドフォードRLトラック一台である。トラックには、護衛の歩兵一個分隊が乗っている。
ランドローヴァー二台に、予備調査団一行が乗り込む。残る一台に乗り込んだナカマシ大尉が、出発を命じ、四台からなる車列は北西にあるアムパリ遺跡目指して順次走り出した。
『シラリア環状列石群遺跡E‐16‐C』というのが、今回予備調査の舞台に選ばれた一群の遺跡に対し、ロンドンからやって来た大学教授と、アフリカ史の研究に生涯を捧げたウェールズ貴族と、考古学を趣味とするイギリス陸軍中佐の三人がその昔に付与した正式名称であった。
現場には、すでに調査団用のテントが張られていた。少し離れたところには、宿泊用のテント群も用意されている。
持参した機材をテントに収納、あるいはすぐ使えるように準備すると、研究者五人はさっそく調査に掛かった。まず行われたのは、実測調査であった。ミトライ教授が持参した古い調査記録を参照しつつ、トータルステーション(光波測距儀)や巻尺、ロープ、細い杭などを使って、遺跡の詳細な平面図の作成と『縄張り』が行われる。……建築現場における測量とたいして変わらない作業である。AHOの子たちはそれを手伝ったが、シオだけはスカディに命じられて、石野二曹と共にシラリア陸軍が準備してくれた設備の点検を行った。もっとも、真の目的はシラリア側の警備体制の確認である。
シオはガソリン式の発電機や日除けの下に設けられた調理設備、簡易トイレなどを点検しつつ、シラリア陸軍兵士の数を数えて類別していった。
「報告するのです! シラリア陸軍は総勢三十名です!」
休憩時間となり、調査団とミトライ教授、それに助手のヘイゼルが日除けの下に引っ込むと、シオはスカディににじり寄ってそう報告した。
「内訳は?」
「指揮官のナカマシ大尉、その副官のハソア曹長、通信兵が一名。ランドローヴァーの運転手が三名。支援班を指揮する軍曹が一名。調理係の伍長と、その助手。雑用係の二等兵が三名。護衛は、歩兵二個分隊。各分隊は、分隊長の伍長一名、L1A1を持ったライフルマンが五名。副分隊長格のランス・コーポラルが一名。ブレンL4A4軽機関銃を装備した機関銃班が二名。以上なのです!」
「7.62×51を使ってるとは言え、いまだにブレン・ガンというのが渋いのですぅ~」
傍で聞いていたベルが、嬉しそうに言う。
「問題は、ランス・コーポラルをどう日本語に訳すかだわ」
真剣な面持ちで、スカディが言う。
「直訳すれば、槍伍長やな」
そう雛菊が言って、笑う。
「上等兵と訳す場合が多いようですが、シラリア陸軍や英国陸軍のランス・コーポラルは、下士官なのでこの訳語は当てはまらないのですぅ~」
ベルが、そう主張する。
「兵長も、帝国陸軍では下士官ではなく兵だったから、この訳語も不適切だね。自衛隊の、士長も同様だけど」
亞唯が、言う。
「伍長の下の最下位下士官。二等伍長とか、どうでしょうか?」
シオはそう提案した。
「響きは悪くないのだけど、軍曹の場合何もつかないサージャントが最下位軍曹なわけよね。頭に二等をつけると、伍長よりも上の階級に思われそうだわ」
スカディが、そう指摘する。たしかに、ただの『サージャント』は、『ファースト・サージャント』や、通常二等軍曹と訳される『スタッフ・サージャント』より下の階級であり、三等軍曹などとも訳される。
「伍長補、とか、准伍長が適切やろうな。馴染みにくいけど」
雛菊が、言う。
「適切な訳語の案出は識者に任せて、ここは翻訳せずに『ランス・コーポラル』さんとお呼びするのはいかがでしょうかぁ~」
ベルが、そう提案した。
「そうね。賛成だわ」
スカディが、賛意を示す。
AHOの子たちは、その後も調査団の作業を手伝いながら、警備状況の偵察を行った。護衛の二個分隊のうち、一個分隊はすでにテントの中に引っ込んでいた。夜間の警備に備えて仮眠を取っているのだろう。残る一個分隊も、半数はテントの中だ。あとの数名も、遺跡の外ではなく内側ばかり注視している。……護衛とは名ばかりで、実際には監視役なのだ。
暗くなると、調査活動は終わりとなった。調理役の伍長と助手が作っているカレーのスパイシーな香りが、遺跡の方にも漂ってきている。もっとも、AHOの子たちの嗅覚センサーには適合しない臭いなので、シオらは気づかなかったが。
贅沢なことに、シラリア陸軍はテントの中に簡易シャワーを設置してくれていた。車で十分ほどの所に井戸があるので、水は潤沢に使えるのだ。AHOの子たちは、調査団の面々が身づくろいをし、食事を採っているあいだに、発電機に自らを接続して充電を行った。
消灯前に、デニスがシオを散歩に連れ出す。遺跡とは反対方向に砂礫の中を歩んでいくと、月明かりに照らされて岩の上に座っている大小の影が見えてきた。越川一尉と、スカディのペアだ。
「予想より、監視が厳しいな」
周囲に人の気配がないことを確認してから、デニスが口を開いた。
「そうですね。マークされていないのは、大河原教授とミトライ教授、それにヘイゼルだけでした。我々が動けば、確実に見つかりますね」
越川一尉が、お手上げだとでも言うように、満天の星空を見上げる。
「わたくしたちは、あまり監視されているようには感じませんでしたが」
スカディが、言った。デニスが、うなずく。
「最初は注視されていたけどね。ま、ロボットとはそういうものだ。そこにいることに慣れてしまえば、透明になれる。普段わたしたちが生活している場で天井に意識が向かないようなものだ。そこにあるのが、当たり前すぎてね。上から雨漏りがあって初めて、人は天井を見上げるものだよ」
「今夜は大人しくしているべきですね」
越川一尉が、言う。
「そうだな。スカディ、シオ。君たちは夜間秘かに警備体制の監視を行ってくれ。こちらが警戒しているのを、悟られないようにな。状況が許せば、明日の夜ブドワ工場まで予備偵察に行ってもらうぞ」
デニスが、シオとスカディを見つめて言う。
「承知しましたわ」
スカディが、うなずく。
「合点承知なのです!」
シオは右拳を突き上げた。
「提案があるのですが」
越川一尉が、言った。
「限定的に、AI‐10のどじっ子機能を復活させてはどうでしょうか。作業中に失敗するところを見せ付ければ、シラリア側のこの子たちに対する警戒が、さらに緩むと思いますが」
「いい考えだ。スカディ、頼めるかな」
デニスが、スカディを見る。
「お易いご用ですわ。シオ、よろしく頼むわね」
「やっぱりあたいは黄色ポジションなのですね! 任せておいてください! AHOの子のどじっ子ぶり、シラリア陸軍に存分に見せ付けてあげるのです!」
シオはどんと胸を叩いた。
翌日の作業で、シオたちAHOの子は様々な失敗をしでかした。
聞き間違い、命令の曲解、単純な作業ミス。躓いて転び、水をこぼし、突然フリーズして動かなくなる、など。
特にドジの回数が多かったシオは、すっかり名前をシラリア兵に覚えられてしまい、作業終了後には、何人かの兵士に慰められる始末であった。
『ここまでどじっ子ぶりを見せ付けておけば、ナカマシ大尉もあたいたちが工場を偵察に行くなど、思いもよらないと思います!』
作業終了後の充電を行いながら、シオは仲間に向けて赤外線通信で発言した。
『そうね。では予定通り、ブドワ工場に対する予備偵察を行うことにしましょう。あくまで予備なので、大勢で行くことはないわ。夜間とは言え、ロボットがすべて出払っては気付かれるおそれも高いし。二体で充分でしょう。わたくしと共に、行ってくれる方は?』
スカディが、志願者を募る。
『はい! あたいが行くのです!』
シオは勢い良く挙手して志願した。
『他の方は?』
スカディが、残る三体を見る。
『あたしはまずいね。抜けたら、大河原教授に気付かれちまう』
亞唯がそう言って、志願を辞退する。
『爆薬なしで工場に乗り込んでも、面白くないのですぅ~』
ベルが、乗り気でないことを表明する。
『うちが行ってもいいけど、シオ吉がその気なら譲るで』
雛菊が、そう言う。
はあ、とスカディがやたらと人間臭いため息をついた。
『では、わたくしとシオで行くことにしましょう』
……AHOの子たちが唸りをあげるガソリン発電機から充電を受けているのと同時刻。
アンソニー・ララニ大佐も、陸軍本部の執務室で、ピーター・ナナンド中佐から口頭で報告を受けていた。
「二日目も、妙な動きはなしか」
ナナンド中佐が報告を終えると、ララニ大佐は前かがみになっていた姿勢を戻し、執務机の後ろで椅子に深く座り直した。ちなみに、ナナンド中佐も椅子に掛けている。本来ならば上官に対しては立ったまま口頭報告すべきだが、ララニ大佐は椅子を勧めてから報告に入らせたのだ。ナナンド中佐と直接仕事をするのはこれが初めてだが、ララニ大佐はこの情報士官がかなり使える男だという判断を下していた。特に有能な下級者には、気さくに接して好印象を与えておくのが、ララニの流儀だった。
「ロボットに関してはどうだ? 正式な報告以外で、何か聞いていないか?」
ララニ大佐はそう訊いた。化学兵器製造プロジェクトを任されるくらいなので、ララニは科学関連の高等教育を受けており、当然ロボット工学に関する基礎的な知識は持っている。調査団に同行しているAI‐10の存在は、やはり気になる。
「ナカマシ大尉の話では、あれほど信頼性の置けない日本製品は生まれて初めて見たそうです」
生真面目そうな顔に似合わぬ笑みを浮かべながら、ナナンド中佐が言った。
「あまり性能は良くないようですな。大尉がウメバチ財団関係者に確認したところ、調査団人数に制限が設けられたことを鑑み、高性能なロボットを持参するのを自粛したとのことです」
「賢明だな」
「ところで、軍情報部の調査はどうなったのでしょうか?」
会話が途切れたところで、ナナンド中佐が訊いた。
「マシュー・ロックウッド教授。ジョナス・コールマン准教授。パティ・オブライエン准教授。三名とも、それぞれの大学に在籍していることは確認できた。論文の類も、確認できている。ロックウッド教授の方は、著作物も手に入れた。だがもちろん、この程度ではスパイの可能性を払拭できない」
やや投げ遣りな調子で、ララニ大佐は答えた。SISやCIAの力を以ってすれば、大学の教職員名簿を改竄するくらい朝飯前だろう。論文や著作物なども、以前から偽造身分を準備していたとすれば当然作ってあるはずだ。
シラリアの防諜組織は、三つある。主に国外での情報収集と分析を行う軍情報部。国内でスパイを含む反政府分子を狩る内務省公安警察局。同じく国内で活動し、要人や施設警護、あるいは警察の手に余るケースに乗り出してくる国家憲兵隊。
アムパリ遺跡調査団に属する怪しい教授と准教授について洗ったのは、軍情報部に雇われているイギリスとアメリカのエージェントである。その数は少なく、また能力にも限界がある。エディンバラとシャーロッツビルに直接乗り込ませて聞き込み調査でも行わせれば、もっと確実な情報が得られるだろうが、もしこの三名がスパイだった場合、まず間違いなくこちらのエージェントの正体がSISとCIAに掴まれてしまうだろう。貴重なエージェントを、この程度の情報収集活動で使い潰すわけにはいかない。
さらに、オーカワラ教授以外の二人の日本人については、お手上げ状態と言えた。日本にはエージェントがいないし、そもそも軍情報部には日本語を理解できる要員が一人も存在しないのだ。
「公安警察局の者が、一度尾行をまかれたと聞きましたが、問題はなかったのですか?」
軍情報部の予算不足と小世帯ぶりを憂うているララニ大佐に、ナナンドが尋ねる。
「ロックウッド教授にまかれた。安食堂に入って、裏口に抜けられたんだ。偶然だった、と公安警察局では判断しているようだ。経営者の話では、トイレを借りに来たので裏路地の共同便所を教えてやったら、裏口から出て行った、ということだ。そいつも含め、行動中に接触のあった人物を洗ってみたが、白と出た。いずれにしても、公安警察局の報告では、ロックウッドは対監視行動をいっさい行わなかったそうだ。……素人なのか、プロ中のプロなのか。これだけでは判断しがたい。……ところで、先ほどの報告にはなかったが、もう一人のエージェントからの報告はないのかね?」
ララニ大佐は、口調を切り替えると尋ねた。
「まだありません。異常があれば報告せよ、と命じてありますので、今のところ問題はないと判断しているのではないでしょうか」
「ふむ。ま、あいつは保険みたいなものだからな。役に立てばそれでよし。立たなくても……仕方あるまい」
ララニ大佐は立ち上がった。ナナンド中佐も、素早く立ち上がって姿勢を正す。
「引き続き、任務に当たってくれ。もし連中が本当にスパイならば、そろそろ動き出してもおかしくない。一応、ホッキ工場長とウッカ少佐には、特に注意するように連絡しておく。君も、ナカマシ大尉に同様に伝えてくれ」
「了解しました、大佐殿」
ナナンド中佐が、厳しい表情で小さくうなずいた。
第八話をお届けします。気付けば初投稿から一年経過しておりました。相変わらずアクセス数低迷中ですが、このまま二年目に突入したいと思います。今後ともどうぞよろしく。




