第七話
AHOの子ロボ五体を含む調査団一行は、ナナンド中佐に促されて、二台のランドローヴァーに分乗した。持参した調査用の機材などは、もう一台のランドローヴァーに兵士たちの手で積み込まれる。……おそらく、車中でこっそり中身を調べるつもりなのだろう。
シオは、デニスと共に二台目に乗り込んだ。同乗者は、メガンと雛菊のペア、アルとベルのペア、それに石野二曹だ。後部座席が対面式ベンチシートの古いランドローヴァーなので、四人と三体なら余裕で座ることができる。運転席とその隣には、シラリア陸軍のドライバーと護衛が座った。
ナナンド中佐らが乗る車両に先導される形で、三台のランドローヴァーはシラリア人民共和国の首都であるブルームフィールド市の中心部を目指して走り出した。
走行中、シオはずっと黙っていた。AHOの子たちは事前に越川一尉から、シラリア国内では建物や車の中に常に盗聴器が仕掛けられているという前提で行動しろと、言い含められていたのだ。
空港と市街を結ぶ二車線道路は見事なまでに空いていた。たまにすれ違う車は、その多くが大小のトラックで、いずれもがこれでもかと言うほど荷台に貨物を山積みにしていた。……日本であれば、確実に過積載でパトカーに追いかけられるレベルが、ここでは普通なのだ。
市街地へ入ると、道路は結構混み始めた。シオは暇つぶしに行き交う車を観察した。三分の一くらいが、トヨタ、ホンダ、ニッサンなどの日本車だった。あとは、プジョーやルノー、シトロエンなどのフランス車、BMWやメルセデス、アウディなどのドイツ車、それにフィアットなど、欧州車が大半を占めている。ほとんどが中古車らしく、型式の古い車ばかりだった。
「変な字を描いた車がいるのですぅ~」
ベルが、窓外を指差す。
中古のバン……トヨタの白いハイエースが、路上駐車していた。側面に、漢字が五文字書いてある。最初の三文字は、『川田工』と読めたが、その次の文字はどう見ても漢字ではなく、単なる短い線の組み合わせで、最後の文字はハングルに見える。
「川田工務店、と書きたかったみたいね」
石野二曹が、笑いながら言った。
「シラリアにそんな工務店があるのでありますか?」
シオは首を捻った。もし有ったとしても、シラリア人に漢字が読めるとは思えない。
「日本車の中古には、二種類あるのよ。日本から直接輸入される中古車と、中東や東南アジアから来る中古車。後者は、日本の中古車が輸出され、そこでしばらく使われてから、アフリカに来る、というパターンも多いの。日本から直接輸入された中古車は、高く売れるのよ。日本人は車を丁寧に扱うという評判だからね。おそらくあの車は、日本から直輸入した中古車だと偽装するために、現地のディーラーが見様見真似で漢字を書き入れたんだと思うわ」
「詐欺やな」
雛菊が、断じる。
ほどなく、車列は市街地にあるホテルの前に停車した。
「ほー。お高そうなホテルやなー」
頭を上向けて見上げながら、雛菊が言う。
三階建てで、レンガ色の外壁と、純白の幕板のコントラストが鮮やかだ。窓は桟の多い古典的なタイプで、青緑色。いかにもイギリス風の、良い意味で保守的かつ古臭い感じが漂うホテルである。
ロビーがまた格別であった。白漆喰の高い天井から下がるシンプルなシャンデリアと、ゆっくりと回転しているシーリングファン。落ち着いた色合いの布張りのソファーと、パステルカラーのクッション。コーヒーテーブルやローボードは黒檀製で、ぴかぴかに磨き上げられている。壁に掛けられている数枚の絵はいずれも風景画で、柔らかな色使いと光線を意識しつつ、穏やかなイングランドの田園風景を描いたものだ。
おそらく、イギリス植民地時代から営業している由緒あるホテルなのだろう。貧乏国家シラリアの中では、一流ホテルに違いない。
「なんだか、ヘミングウェイがタイプライターでも叩いていそうですね」
ロビーを見渡しながら、石野二曹が満足そうなため息混じりに英語でつぶやく。
「いや、むしろサマセット・モームの方が似合いだね」
デニスが、微笑みつつ言う。
「そうですね! アメリカ人のヘミングウェイよりも、英国人のモームの方が相応しいのです!」
シオはそう言った。
『いや違うで、シオ吉』
隣にいた雛菊から、赤外線通信が送られてくる。
『違うのですか?』
『おっちゃんのセリフの言外の意味は、たぶん違うと思うで。モームは、英国情報部に在籍したことがあるんや。いわば、おっちゃんの大先輩やで。そのあたりも含めて、ああ言ったに違いないで』
『ほう! そうだったのですか! 文豪にしてスパイとは、かっこいいのです!』
シオは驚いてそう返信した。
「では、わたしはこれで失礼します。何か御用がありましたら、このナカマシ大尉になんなりとお申し付け下さい。ではアラン、あとは頼むぞ」
ナナンド中佐が、部下の背中を気安い調子でどんと叩く、というブリティッシュ・アーミーの流れを汲む陸軍の士官らしからぬ振る舞いをしてから、調査団一行に一礼した。そしてきびすを返し、副官を含む部下をぞろぞろと引き連れてホテルを出て行った。あとに残ったのは、ナカマシ大尉と、その部下の曹長だけだ。
「わたしは312号室におります。用件がありましたら、すぐにご連絡下さい。アムパリ遺跡には、明日朝九時に出発いたします。それまでに、ロビーに集合をお願いいたします。今日のところは、寛いで長旅の疲れを癒してください。市内の治安は良好ですが、お出かけになるのはあまりお勧めできません。ホテルに申し出ていただければ、ガイドを手配します。では」
ナカマシ大尉が、フロントカウンターに向けて合図すると、すぐにわらわらとボーイが現れた。調査団メンバーの荷物を持ち、それぞれの部屋に案内を始める。シオは大人しくデニスのあとに付いて行った。
調査団の六名は、全員が隣り合った個室を宛がわれていた。AHOの子たちも、それぞれの『マスター』と同室である。
「さて。少し散歩に出ようかね」
部屋で紅茶を一杯飲み終わったデニスが、腰を上げた。
「お供いたします!」
座っていたシオも、立ち上がった。
階数表示が針式の、やたらと降下速度の遅いエレベーターに乗って一階まで下り、フロントカウンターに古風なキーを預ける。街路に出て、ぶらぶらと歩き出したデニスのあとを、シオは短い脚をせかせかと動かして付いて行った。
三分ばかり歩いたところで、デニスが身振りでシオに対し、横に並んで歩くように指示を出した。
「よし。ここまで来れば盗聴の心配はないだろう。この散歩は、尾行の状況を確認するためのものだ。まず間違いなく、内務省の連中が跡をつけて来ているはずだが、それがどの程度かを見極めるんだ」
「おおっ! スパイ映画の基本ですね!」
一応周囲を慮って小声で、シオは返した。
「すれ違った人や通り過ぎる車、建物などに気をとられた振りをして、背後を見るんだ。何回か繰り返して、画像を比較しろ。同じ服装の人物や、同じ車種で同じ色の車両があれば、十中八九尾行だ」
「合点承知なのです!」
シオはデニスの指示通り、数回背後の映像を詳細に記録した。その間、デニスは正面に視線を固定したまま、一定のペースで歩み続けている。
「青地にグレイの柄物の半袖シャツと、ブルージーンズの若い男性が、何度も確認できるのです!」
解析を終えたシオは、そう報告した。
「上出来だ。いいスパイになれるぞ。車両はどうだ?」
視線を前方に固定したまま、デニスが訊く。
「同じ車は見当たらないのであります!」
「よし。車は大通りを流しているんだろう。シオ、次の角でわたしが立ち止まるから、その寸前に君は後ろを見るんだ。青シャツがどんな反応をするか確かめろ」
「了解なのです!」
シオはタイミングを見計らって、交差点に面した角にある建物の看板をみる振りをして、後ろを向いた。直後に、デニスがいきなり立ち止まった。ポケットから折り畳んだ地図を取り出し、眺め始める。
「青シャツが急に姿を隠したのです!」
シオはそう報告した。
「尾行者確定だな。さて、もう少し賑やかなところへ行こうか」
地図をポケットに仕舞ったデニスが、交差点を右へと曲がる。
やがて二人がたどり着いたのは、地元民で賑わう露天市場であった。カラフルなビーチパラソルや、鮮やかな青や黄色、オレンジ色のビニールシートを張った日除けの下で、派手な原色を多用した柄物のワンピースを纏ったおばちゃんたちが、様々な商品を並べて売っている。
頭の上に買った品物を載せて歩んでいる老若の女性たちに混じって、シオはデニスと共に市場を歩んだ。こうした市場の常として、商品は多彩だった。野菜、果物、芋、米、川魚、加工肉などの食品類。鍋やポット、カップなどの調理用具、食器類。バケツやビニール袋、籠などの雑貨類。布地や衣服の類。飲料や菓子、軽食などを売るスタンドも目につく。
乳児や幼児を背負っている女性も何人か見かけたが、いずれも背中ではなく、腰の辺りに帯のような幅広の布で縛りつけるようにしていた。ヒップが豊かで後方に大きく張り出しているアフリカ系女性としては、合理的な背負い方なのだろう。
「喉が乾いたな」
デニスが言って、水売りのスタンドに近寄った。売り子の太ったおばちゃんが、シオに目を留めて微笑みながら、現地語らしいシオには理解不可能な言葉で話しかけてくる。
「こんにちはなのです!」
シオはとりあえず英語で挨拶した。
デニスが、水の入ったペットボトルを指差した。おばちゃんが、一本とってデニスに渡してくれる。ペットボトルの他にも、表面にメーカーのロゴが印刷された透明ビニールパック入りの水と、普通の透明ビニール袋に水を詰めたものも並べられていた。値段は、ペットボトル>パック>袋となっている。容量はたいして変わらないので、品質に差があるのだろう。……ビニール袋入りは、その辺の井戸で汲んだ水が入っているに違いない。
デニスが、地元通貨であるシラリア・ポンドの一ポンド札を出した。おばちゃんが、シラリア・シリングのコインでお釣りを返してくれる。ちなみに、一ポンド=二十シリングである。
デニスが、ペットボトルの水を飲みながら歩き出す。
「ふむ。どうやらもう一人いるようだな」
「もう一人? 尾行者なのでありますか?」
「そうだ。水売りのシラリア人女性はうちの協力者でね。何人か使って、ここへ着く前の路上で尾行の有無を確認してもらっていたんだ。尾行は二人。よくある、下手なやつと上手いやつの組み合わせだな。おそらく、青シャツの男は新米で、自分ひとりで尾行していると思っているんだろう。対象に尾行が一人だと思わせて安心させる手だよ」
「映画で見たことがあるのです!」
シオははしゃいで言った。本物のスパイになったような感じで、ものすごく楽しい。
「これなら、偶然を装って撒いても問題ないな。よし。君に任務を与えよう。この先の路地の入口で、待機するんだ。わたしはその先にある店に入る。追って来た者がいれば、じっくりと観察してやれ。喋ったりはするなよ。話し掛けられたら、日本語で返してやれ。阻止はしなくていい。判ったかな?」
「合点承知なのであります!」
シオは右腕を突き上げた。
デニスが市場を抜け出し、薄暗い路地に消える。シオは、路地の入口で仁王立ちになり、周囲の監視を開始した。さりげない様子でこちらを伺いながら、例の青シャツが眼の前を通過する。何人かが、シオのことを凝視しながら通り過ぎたが、これはロボットに興味を持った一般人だろう。
五分ほどで、デニスが戻ってきた。
「これで、連中かなりやり難くなっただろう。では、本格的に撒きにかかるぞ」
市場を今度は反対側へと突っ切ったデニスが、街路へと出る。しばらく歩いた彼は、一軒のパブのような店に入っていった。シオも続く。
デニスはテーブル席やカウンターには眼もくれずに、すたすたと店内を横切り、キッチンへと入り込んだ。経営者らしい初老のシラリア人にうなずきかけてから、驚きの表情を浮かべている料理人の手に、ポンド紙幣を握らせつつ、デニスが裏口を開ける。
狭い路地には、後部ドアを開けたタクシーが一台、待ち構えていた。かなり型は古いが、しっかりと手入れされているシボレーだ。デニスが、左右すら確認しないままそれに乗り込む。シオも続いた。
シオが扉を閉める前に、タクシーが走り出す。路地から通りに出たあたりで、シラリア人らしい黒い肌の運転手男性がフランス語で喚き始めた。
「なんだなんだ。ロボット連れなんて、聞いてないぞ」
「おっと、すまん。シオ、運転手君に対してはブラインドモードで対応してくれるかね。映像だけでいいから」
フランス語と英語を素早く切り替えながら、デニスが言う。
「了解なのであります!」
シオは運転手の男性を対象に、ブラインドモードを起動させた。こうすれば、対象者の映像は即時消去されるので、メモリー内には残らない。
基本的に、家庭用ロボットはマスターやその家族の行動を逐一記録しているし、視覚として捉えた映像は常時録画状態にある。だが、ごく普通の人でも、ロボット相手とはいえ知られたくない秘密や恥ずかしい行為のひとつやふたつ、持っているはずだ。その場合に利用されるのが、ブラインドモードである。ロボットに口頭で命ずるか、事前設定しておけば、ロボットは指定した対象者や時間帯、あるいは特定の行動に関する記録を即時消去してくれる。別名、『見て見ぬ振り』モードである。
「紹介しておこう。エネンガル在住の、フランスの古い友人だ。今はアンリ、で良かったかな?」
英語とフランス語をちゃんぽんにして、デニスが言う。
「最近その名は使ってない。ルイ、で頼む」
ぶすりとした声音で、運転手が答える。ちょっと訛っているフランス語だ。
「あたいはシオなのです! よろしくなのです!」
シオもROM内を参照し、フランス語で挨拶した。
「シオか。可愛い名前だな」
「勘違いするな、ルイ。彼女の名前はフランス語由来じゃない。日本語だよ」
笑いながら、デニスが言う。
「あたいのマスターは猫派なのです! したがって、その名はつけないと思います!」
シオはそう主張した。フランス語で『シオ』は仔犬の意味になる。
「日本語でシオはなんと言う意味なんだ?」
ルイが訊く。
「セル(塩)なのです!」
「変な名前だな」
ルイが、笑う。
「ところで、何か掴んでないか?」
真面目な声音に戻ったデニスが、訊く。
「例の工場か? 最近、材料の搬入はないみたいだな。未確認情報だが、製造も止めているらしい」
信号待ちのためにブレーキを掛けながら、ルイが言った。
「ほー。そんなことを知っていらっしゃるフランスのご友人となると、ルイさんはDGSE(フランス対外治安総局)の方なのですね!」
シオはそう決め付けた。
「おいおい、なんなんだ、このロボットは」
迷惑そうな声音で、ルイが言う。
「わたしの助手だよ。シオ、そのあたりは黙っておいてくれたまえ。DGSEは西アフリカに強いからね。SISも、いろいろと情報をもらってるんだ。特にシラリアに関しては、輸入品のほとんどがエネンガルの港と道路、鉄道を経由して運ばれるからね。色々と、貴重な情報をもたらしてくれるんだ」
デニスが、説明する。
「それよりも。こっちが聞きたい話があるんだが。シラリア陸軍の第6旅団が、やたらと派手に演習をしまくっているんだが、ありゃどういうわけだ?」
デニスの説明を遮るようにして、ルイが訊いてくる。
「特に情報は入っていないよ。そいつは、直接ブルームフィールドの連中に聞いてくれないか?」
「そうか。ま、シラリアがエネンガルに戦争を吹っかける可能性はゼロに等しいから、心配はしていないが」
くすくすと笑いながら、ルイが言う。
「そうですね! 戦争になったら、シラリアに勝ち目はないです!」
資料ROMを検索しながら、シオはそう言った。陸軍の総兵力は、シラリアが上回っているが、装備はエネンガルの方が上である。空軍力に至っては、雲泥の差がある。そしてもちろん、内陸国であるシラリアには海軍がない。
「ありがとう。色々参考になったよ。ところで、最近エネンガル国内はどうなんだい?」
細かい情報のやり取りが終わると、世間話の口調でデニスがそう話しかけた。
「順調……と言いたいが、結構きな臭くてな」
ぶすっとした口調で、ルイが言う。
「次期大統領の座をニヤ国防相が狙ってたんだが、支持者集めに失敗して、事実上失脚状態になっちまった。後継は、ラミ外相にほぼ決定だな。そのせいで、ニヤはロデ大統領を恨んでいる。ここだけの話だが、ニヤ国防相によるクーデターの噂もある」
「西アフリカの優等生国家で、クーデターか」
「ま、やっても絶対に成功しないだろうがね。ニヤは海軍出身だ。海軍は全面支持してくれるだろうが、陸軍の支持は一部しか得られないだろう。空軍は、ロデ大統領支持派だしね。内務省も警察も、味方にはならない。どう見ても、兵力不足だ。閣内には、ニヤの友人も多いが、いまさらニヤ派には戻らないだろう。州知事あがりで庶民派のラミ外相は、国民にも人気があるし。まず無理だね」
「不仲の大統領と国防大臣か。まさかシラリアに、エネンガルが見習うべき点があったとは驚きだね」
デニスが、笑った。
「エサマとドランボは仲良すぎだろ。できてるんじゃないのか?」
ルイも、笑う。シオもけたけたと笑った。それくらいの冗談なら、理解できる。
「……では、そろそろ降ろしてもらおうかな」
笑いが収まると、デニスが言った。
「あいよ」
ルイが、ぐいとハンドルを切ってシボレーを路肩に寄せて、停めた。
シオはドアを開けると、敷石がひび割れている歩道に降り立った。デニスが、続く。
「おい、デニス。忘れてるぞ」
窓から首を突き出すようにしながら、ルイが言う。
「忘れ物はないはずですが!」
シオはそう言った。性能のいい自立ロボなので、交通機関から降りるときには必ず目視点検を行い、自分とマスターが持ち物を残していないかチェックする機能が備わっているのだ。
ルイが、無言で腕を車外に突き出した。察したデニスが、ポケットに手を突っ込む。
差し出された二十ポンド紙幣を、ルイの黒い指が掴む。
「メルシー、プロフェッサー」
第七話をお届けします。




