第二話
「お貸ししたいのはやまやまですけどねぇ……」
高村聡史は語尾を濁した。
いつものアパートの中である。ちゃぶ台を挟んだ向かい側には、アサカ電子の深町主任研究員の姿がある。聡史の左手には、シオが正座していた。テニスの試合を観戦する観客のように、その頭部が聡史と深町氏が言葉を発するたびに左右に振られる。
「おっしゃりたいことはよく判ります。家事ロボットを長期に渡って貸し出すことにより、生活に支障が生じるのですね」
黒縁の眼鏡の位置を直しながら、深町が言った。
「まあ、そういうことです」
聡史はうなずいた。シオをアサカ電子に貸し出したことで、聡史の懐は大いに潤った。だが、居ないあいだはかなり不便を感じていたし、なにより寂しかったのだ。帰ったときに『お帰りなさいなのです!』というシオの声が聞こえないと、なんだか他所の家に上がりこんだような居心地の悪ささえ感じてしまう。それに、四百五十円のコンビニ弁当を独りで掻き込むよりも、シオが作ってくれた百二十円のカップラーメンを、シオに見つめられながら啜る方が、はるかに美味く感じるのだ。
「そこでご提案ですが」
深町が、ずいと身を乗り出す。
「もしよろしければ、別のAI‐10をお貸しいたします」
「貸す?」
「最新ロットの、AI‐10を無償レンタルします。メンテナンス費用その他はすべてアサカ電子持ちで。シオさんの役目が終わった際には、そのまま当社にご返却していただくか、高村さんに安価に売却という形にさせていただく、という条件でどうでしょうか」
「うーん」
聡史は唸った。これは、かなりおいしい話である。事実上只で、もう一体ロボットを所有できるのだ。シオが居ないあいだ、家事はそのロボットに任せればいいし、その子がいれば寂しくもあるまい。問題は、シオである。嫉妬したり、疎外感を感じたりはしないだろうか?
「シオ。お前はどう思う?」
「あたいに妹分ができるのですね! それなら大歓迎なのです! あたいが不在のあいだもこれで安心なのです!」
シオがはしゃいだ声をあげる。
……どうやら杞憂だったようだ。シオは、ロボットが増えることを前向きに喜んでいる。
「結構です。その条件で、シオを貸しましょう」
聡史はそう深町に告げた。シオに異論がなければ、こんなおいしい話を蹴ることは無い。
「ありがとうございます。では、こちらの書式にサインを。今回シオさんをお借りする期間は、二週間程度と見ております」
書類カバンを開けた深町が、二枚の紙をちゃぶ台に載せた。
「それから、こちらにもご記入を。シオさんのオプションを注文した時と同じ書式です。お貸しするAI‐10の髪や声質を指定してください。最終試験ラインから直接引き抜いてきますので、明日の朝には、ご注文通りの新しいAI‐10をお届けできるでしょう……」
「おはようございます、マスター! AI‐10‐004C‐00129です!」
AI‐10が、ぺこりと頭を下げる。
髪はシオと同じ漆黒だが、大きな白いリボンでボリュームのあるサイドテールにまとめてある。着ているのは、ショートパンツとTシャツ。声質は、シオよりも若干幼い感じである。
「あたいはシオなのです! よろしくなのです!」
シオが半歩前に出て、自己紹介する。
「よろしくお願いします、先輩!」
元気良く、新入りAI‐10が挨拶した。
「センパイ……いい響きなのです。これからあたいの事は、センパイと呼んでください!」
「承知しました、センパイ!」
「この子の教育、しっかり頼むぞ……って言っても、今日の午前中だけだが」
聡史はシオの肩をぽんぽんと叩いた。昼過ぎには、アサカ電子の人が来てシオを連れて行ってしまう。聡史はこれから仕事に行かねばならないから、午後からはこの新人ロボットが一体で留守番することになる。
「えーと。とりあえず名前を決めなきゃならんな」
「あたいの名前が塩ラーメン由来ですから、マスターの今日の朝食から命名するのはどうでしょう? ずばり、『納豆』ちゃんでは?」
真顔で、シオが提案する。
「却下だ。納豆は大好きだが、女の子の名前に相応しくない」
「なら、『お○め』ちゃんはどうでしょう?」
「商標名はなおさらまずいだろ」
「では、やはりラーメン関係ですね。『醤油』ちゃんでどうでしょう?」
「安易過ぎる」
「ちょっとひねって『塩バタコーン帆立風味』ちゃんとか」
「ひねり過ぎだろ、それ」
「でもやはり、センパイとしては塩に関連したネーミングがいいと思うのです。『砂糖』ちゃんはどうでしょうか?」
「あんまり可愛くないな」
「じゃあ、『胡椒』ちゃんでは?」
「……ちょっと懐かしいな。二体でコンビ組んでお笑いでも始めるつもりか?」
「もう少しひねるべきでしょうか。では、『豆板醤』ちゃんとか」
「いきなり中華だな。却下」
「『ニョクマム』ちゃんは……」
「響きが可愛いかも知れないが、却下だ。だが、調味料からってのは、いいな」
聡史は脳内で調味料リストを調べ始めた。女の子っぽい名前といえば……。
「おい。『味醂』ちゃん、ってのはどうだ?」
「ミリンちゃんですか! 外国の女の子の名前のようで可愛いですね!」
シオが笑顔で喜ぶ。
「お前の名前、ミリン、にしようと思うんだが、どうだ?」
聡史は、新人AI‐10にそう告げた。
「可愛くって素敵な名前だと思います! ありがとうございます、マスター。センパイ!」
サイドテールを揺らしつつ、ミリンがぴょこんぴょこんと頭を下げた。
「じゃ、俺は仕事行って来るから。シオ、ミリン。あと頼んだぞ」
携帯で時刻をチェックした聡史は、手早く靴を履いた。見送る二体に軽く手を振ってから、玄関ドアを開ける。
「……ということでマスターもお出かけしたので、改めてよろしくなのです、ミリンちゃん!」
「よろしくお願いします、センパイ!」
ぴょこぴょこと、ミリンが頭を下げる。
「ではまず、マスターに関するデータをお渡しするのです!」
シオはアクセスパネルを開くと、ケーブルを取り出した。シオの意図を察したミリンが、自分のアクセスパネルを開ける。シオは、ケーブルのプラグをミリンに接続し、今までに溜め込んだ聡史個人に関する膨大な量のデータを転送開始した。身体のサイズ、好み、癖、生活リズム、所有する被服類のリスト、よく視聴するテレビ番組、さらにはトイレ使用の平均タイムといった何の役に立つのか判らない細々としたデータまで、すべてがミリンのメモリーに注ぎ込まれる。
「では次に、関連データもお渡しします!」
聡史の部屋の詳細なサイズ、アパート内にある家電製品の操作法や食器のリスト、掃除の標準的な方法、近所の地理、聡史の友人知人のリストなどが、続々と転送される。
「これだけ知っていれば、たいていのことはできるのです!」
転送が終わると、シオはケーブルを回収した。
「ありがとうございます、センパイ!」
ミリンが、感激もあらわにぴょこんぴょこんと頭を下げる。
「ところで、センパイはなぜアサカ電子に行かれるのですか?」
可愛らしく小首を傾げて、ミリンが訊ねる。
「あたいは通常のAI‐10とは異なる特殊な経験を積んでいるのです! それゆえ、貴重なパーソナル・データの持ち主なのです! アサカ電子はそれを分析して、新たなロボットの開発に役立てようとしているのです!」
「さすがセンパイです! どんな経験をされたのですか?」
「それは秘密なのです! ある処である物を壊したり、さる処でさるお方を助けたり、色々やったのです!」
「よく判りませんが、凄いですね!」
ミリンが、腕をぱたぱたと動かして感激を表現する。
「アサカ電子の迎えが来るまで時間がありますから、とりあえずお掃除をしましょうか! 手本を見せるので、見ていてください!」
シオは押入れを開けると、掃除機を引っ張り出した。
「はい! よろしくお願いします、センパイ!」
ミリンが、嬉しそうにぴょこぴょこと頭を下げる。
今回シオが連れて行かれたのは、神奈川県西部の開成町にあるアサカ電子開成工場であった。
案内された狭い倉庫のひとつ……折りたたみ式の長テーブルと椅子が運び込まれ、会議室のようなレイアウトになっている……には、お馴染みの姿が三つあった。スカディ、ベル、雛菊である。
「これはこれはみなさん! お久しぶりなのです!」
「久しくはないでしょう。サンタ・アナから戻って半月足らずじゃないの」
スカディが、そう指摘する。
「まあええやないの。シオ吉、会いたかったでぇ」
歩み寄った雛菊が、シオをぱたぱたと抱擁する。
「わたくしも、お会いしたかったのですぅ~」
ベルが、にこにこと手を振る。
「また集められたということは、なにか事件でも起きたのでしょうか?」
パイプ椅子に腰掛けながら、シオは訊いた。
「そのあたりは何も聞いていないわね。みなさんは、どうかしら?」
スカディが、ベルと雛菊に振る。
「わたくしも知りませんですぅ~。昨今の報道などを見ても、わたくしたちがお役に立てそうな日本に関連する事件事故等は起きていないようですがぁ~」
ベルが、首を振りつつ言う。
「せやなー。中央アジアで内戦が始まりそうな報道があったけど、関係ないやろか」
「ホラニスタンね。当面は、大丈夫でしょう」
雛菊の言葉に、スカディがうなずきつつ言う。
「よーし、お前ら待たせたなー」
勢い良く引き戸が開き、畑中二尉がその小柄な姿を見せた。続いて長身の三鬼士長が、やや前かがみになりながら続く。
三人目に入ってきたのは、シオたちの知らない男性だった。年齢は三十代前半くらいで、色黒。身長は百七十センチくらいだが、かなりの筋肉質で、がっしりとした身体つきだ。
少し間を置いて、四人目が入室してくる。おなじみの長浜一佐だ。五人目に入ってきた石野二曹が、がらがらと扉を閉める。
座っていたシオは椅子から降りた。スカディを右手に、四体が整列する。
「よく集まってくれた、諸君。単刀直入に言おう。もうひと働きしてくれ」
長浜一佐が、四体をそれぞれ確認するように見ながら、告げる。
「AHOの子ロボ分隊、再結成ですわね。承知いたしました、一佐殿。で、どのような任務ですの?」
リーダーたるスカディが、訊く。
「潜入任務だな。詳しいことは、畑中二尉から説明させる。その前に、彼を紹介しておこう。今回の任務では、彼が実質的に諸君らの上官となり、全般指揮を執ることになる。情報本部所属の、越川一尉だ」
長浜一佐が、色黒男性を促した。色黒男性……越川一尉が、一歩前に出てにこやかに笑う。顔が浅黒いせいか、歯の白さがやけに目立った。
「越川一尉です。よろしく」
(イケメンですか、なにか違和感がありますねぇ~)
ベルが発した赤外線通信が、シオに届いた。
(そうですね! 素直にイケメンに分類するには、抵抗があります!)
シオも通信を返した。顔立ちの分析結果は、明らかにハンサムの数値に達しているのだが、どこか引っ掛かるものがある。
(暑苦しいイメージがあるわね。色黒のせいかしら)
スカディが、赤外線通信に割り込んできた。
(古臭いタイプのハンサムやね。昭和のイケメンやで)
雛菊が、そう発言する。
(それなのです! まさに昭和のイケメンなのです!)
シオは納得した。昭和時代の、フィルム撮影されたスポ根ドラマの主役みたいな、汗臭い二枚目を髣髴とさせる男である。
「今回の任務、経緯は複雑だが……基本的にはイギリス当局からの協力要請に我々が応えた形になる。諸君らを直接名指しで、貸して欲しいと頼まれたのだ」
長浜一佐が、説明を始める。
「イギリス当局となると、SISでしょうかぁ~。となると、あの方しか思い浮かびませんがぁ~」
ベルが、嬉しそうに言う。
「あのおっちゃんやな」
「ミスター・シップマンね」
雛菊とスカディが、相次いで同一人物に言及する。
「デニスさんが、さっそく借りを返してもらいに来たのですね!」
シオはそう発言した。長浜一佐が、うなずく。
「そういうことだろうな。詳しい処は畑中君に説明させよう」
長浜一佐が、一歩退く。促されて前に出た畑中二尉が、長テーブルに携えていた資料の束と、透明な液体が入ったスプレー容器をばしんと置いた。その隣で、三鬼士長が背中を丸めてノートパソコンを開く。
「よーし。ブリーフィングを始めるぞー。お前ら席について楽にしろー」
畑中二尉が、指示を出す。シオたち四体のAI‐10は、それぞれパイプ椅子に腰を落ち着けた。
第二話をお届けします。




