第十九話
「状況は、絶望的です。脱出の準備を、お勧めします」
公安警察の警部が、そう報告しつつ進言する。
ファン・デル・フック大統領と、ペデルツィーニ補佐官が、顔を見合わせた。……この狭い島で、一体どこに脱出すればいいのだろうか。
官庁街は、ロシア空挺部隊に二方向から攻勢を掛けられていた。その兵力は、推定で五百名。幸い、装備しているのは軽火器だけなので……おそらく、フローチェ国際空港から駆け足でやってきたのだろう……わずかな数の合衆国海兵隊と公安警察が立てこもっている官庁街を攻めあぐねている。しかし、ロシア空挺部隊ならば対戦車火器や迫撃砲なども装備しているはずなので、それらを装備した後続部隊が車両で到着すれば、防衛側は数と火力で押し切られてしまうだろう。
「脱出の算段が無いのであれば、降伏も考慮しなければなりませんね」
敬礼した警部が辞すると、隅の方で黙って立っていたパウリーナ・ノーウィッキ博士がぼそりと言った。
「それはまずい。常温核融合技術をロシアに独占されたら、世界は危機的状況に陥るだろう。場合によっては、第三次世界大戦を惹起しかねない」
懸念の表情で、デル・フックが言う。
「もちろん、核融合技術は渡しませんよ。ですが、降伏してわたしが進み出れば、ロシア人はわたしを連れて引き上げるでしょう。目当ては、常温核融合技術なのですから」
薄笑いを浮かべながら、パウリーナが自分の側頭部を人差し指でつつく。
「博士。それってまさか……」
ペデルツィーニが、唖然とした顔で問いかける。
「覚悟はできてますよ。ロシア人には、絶対に屈したくないですからね」
笑みを消したパウリーナが、やや悲し気な、だが愛情のこもった表情で同志たるデル・フックとペデルツィーニを見やる。
「常温核融合技術はまだ未成の技術です。完成させるには、わたしが必要。わたしが居なくなれば、まず完成させることは不可能です。いざとなったら、その手で行きましょう。これ以上、無駄な死人は出したくありません」
「まだ望みを捨てるのは早い。合衆国なら、何とかしてくれるかもしれん」
デル・フックが引き留める。
「そうですね。ですが、準備はしておいてもいいでしょう」
パウリーナが、白衣のポケットから肌身離さず持ち歩いているノートを取り出した。愛おしむかのようにそれをゆっくりと手で撫でつつ、デル・フックに歩み寄る。
「これを。わたしが居なくとも、このノートさえあれば、常温核融合研究は続けられるでしょう。事業を継続するなり、信頼できる国家に託すなり、お好きにお使いください」
差し出されたノートを、デル・フックは受け取った。好奇心に耐え切れず、適当なページを開いてみる。記述はポーランド語だったうえに、難解そうな数式や読み解くのに工学系の知識が必要とされるであろう複雑な図解だらけで、高等教育を受けたデル・フックにもまるで理解不能なしろものであった。デル・フックは、すぐにノートを閉じた。
「わかった。預からせてもらおう。ペデルツィーニ、どこかにいい隠し場所はないかな?」
「お任せ下さい」
ペデルツィーニが進み出て、ノートを受け取った。
サスキア共和国に、ロシア空挺部隊が侵攻し、合衆国海兵隊と交戦中……。
この情報は、複数のソースからSISにもたらされた。
SIS情報部が驚いたのは、『スフィンクス情報』の正確さであった。具体的な国名は掴んでいなかったにしても、ロシア空挺軍が東カリブ地域で軍事行動を起こす、という点は正確である。そして、その部分が正確であれば、他の部分も正確である、という推論が成り立つ。つまり、『支援のためオスカーⅡ級潜水艦が配置される模様。同艦には核兵器が搭載されており、未確認情報ではあるがすでに核兵器使用に関しては大統領の許可が下りている模様』という部分も、正しいはずなのだ。
SISは、ただちにこの情報をCIAに伝えた。
SISからの情報を受け取ったCIAは驚愕した。
状況から推測する限りでは、ロシア側の目的は常温核融合技術の奪取にある、と見ていい。奪取作戦そのものに、核兵器の出番はないはずだ。あるとすれば、奪取失敗の際に、同技術ごとサスキア島を消し去ってしまう……ロシアが手に入れられないのであれば、むしろ地球上から抹消してしまえという考え方……ためである、としか思えない。
CIAは急ぎその情報を大統領と国防総省に伝えた。CIA同様にこの情報に驚愕した国防総省は、同情報をサスキア派遣部隊に伝えるとともに、同海域に居るアーレイ・バーク級駆逐艦〈グレーヴリー〉に対し、警戒と対潜哨戒を命じた。
「どうやら、ドレッペル通り沿いにロシア軍が展開しているようね。そこに突っ込みましょう。左側を射撃できるように配置を変更しましょう」
無線傍受していたスカディが、そう指示する。
トラックの荷台に陣取るスカディ、シオ、ベルの三体は、AGS‐30二基をトラックの左側が射撃できる位置に据え替えた。スカディは後部に移り、左方と後方を射撃できる位置にPKP汎用機関銃を置く。
「リーダー。そろそろウェスター街だぜ」
亞唯が、運転席から声を掛ける。
「そのまま前進。ドレッペル通りとの交差点で左折して。そのまま突っ走って」
亞唯が、命じた。
ほどなく、前方の歩道に小さなバリケードが見えてきた。官庁街を攻撃するロシア空挺部隊が、背後からの奇襲を警戒して設けた哨戒線の一部だろう。
「先にそこを潰す必要がありますわね」
スカディが、PKPを持ち上げた。シオもAK12を手にした。ベルは、RGN手榴弾の投擲準備に入る。
亞唯が機転を利かせて、三回ほど短くクラクションを鳴らした。これを、ロシア兵が『味方だよ』の合図だと思ってくれれば儲けものである。
バリケードの後ろにいたのは、二名の兵士だった。いずれも、AK12装備だ。亞唯のクラクションで安心したのか、撃っては来ないが、それでも身をバリケードの後ろに隠して銃口をこちらに向けている。
雛菊が、わずかにアクセルを緩めた。トラックが減速しつつ、バリケードに近付く。
スカディが、いきなりPKPを撃ち出した。シオも、AK12セミオートで発射する。
ロシア兵二人が慌ててバリケードの陰に隠れた。その辺りのオフィスや商店から持ち出してきたらしい事務机やテーブル、椅子などで作ったバリケードに銃弾がばしんばしんと命中し、木屑や剥離した塗料片などが宙を舞う。
雛菊が、ぐっとアクセルを押し込んだ。増速したトラックが、バリケードに急速に近付く。
スカディとシオは撃ち続けた。AK12で撃ち返そうとしたロシア兵の一人が、スカディの銃弾を喰らって後ろ向きにひっくり返る。
バリケードの横を走り抜けようとしたトラックの荷台から、ベルが手榴弾を放り投げた。充分にタイミングを計って投げられたRGNは路面に落ちる前に起爆し、バリケードに隠れていたロシア兵に弾殻を浴びせた。
「とりあえず第一関門は突破ね。亞唯、次の交差点で左折。よろしくね」
PKPをトラック後部に据え直しながら、亞唯が命ずる。シオとベルも、それぞれのAGS‐30に取り付いた。
「そろそろ行くぞ!」
亞唯が、叫ぶ。
トラックは急減速すると、交差点に突っ込んだ。亞唯が急ハンドルを切り、ドレッペル通りに乗り入れる。
いきなり突っ込んできたトラックに対し、数名のロシア空挺兵が発砲した。
それに対抗するように、シオとベルがAGS‐30を撃ち始めた。ドレッペル通りに集まり、官庁街への突入準備を進めていたロシア空挺兵たちに、容赦なく三十ミリグレネードが浴びせられる。撃ち漏らしたロシア兵には、スカディがPKPの銃弾を放った。
トラックが疾走する。シオとベルは撃ち続けた。五秒ほどで、二十九発を撃ち尽くした……ドラム型の弾倉には三十発装填できるが、構造上一発は発射されずに残ってしまう……二体は、弾切れを大声でコールした。亞唯が、すぐさまハンドルを切って、路地の中に逃げ込む。スカディが発射するPKPの銃弾を置き土産にして、AHOの子たちの第一回突撃は終了した。
「全員、再装填と被害報告を!」
PKPの給弾カバーを開き、再装填の準備をしながら、スカディが叫ぶ。
「亞唯だ。フロントガラスにいくつか穴を開けられたが、問題ない」
運転台から、亞唯が報告する。
「雛菊や。エンジンは大丈夫やね」
続いて、雛菊が報告する。
「シオであります! 頭部に一発喰らいましたが、かすり傷なのであります!」
シオはそう報告した。頭頂部右側に被弾したが、人工皮膚と髪の毛がえぐれたものの、装甲外鈑は持ち堪えたので、機能に支障はない。
「ベルですぅ~。わたくしは大丈夫ですぅ~」
ベルが、言う。
「そう。わたくしも無傷。では、今度は方向を変えて突っ込みましょう。亞唯、ヴォレブラント通りに入って。デル・レイン通りにもロシア空挺兵が集まっているそうよ。そこを叩きます」
「よし。任せろ」
亞唯が、応じる。
AHOの子たちによる奇襲攻撃は、ロシア空挺部隊に深刻な打撃を与えていた。死傷者は、実に百二十名に及んだ。官庁街を囲む空挺部隊は、その半数を背後の警戒に割かねばならなくなり、重火器を運ぶ後続部隊が到着しないこともあり、突入計画は延期を余儀なくされる。
AHOの子たちによる第二回目の突入作戦が開始される。
今度は空挺部隊側も準備ができていた。路地の奥から接近してきたトラックに対し、すぐに銃弾が浴びせられる。
だが、火力はAHOの子たちの方が上であった。バックで接近してきたトラックの荷台から三十ミリグレネードと機関銃弾を浴びせられ、路地の出口に居た空挺兵たちはあっさりと撃ち倒される。
シオとベルは、ゆっくりと後退(前進?)するトラックから、グレネードを撃ちまくった。視界に入った空挺兵が、次々と榴弾の餌食となる。
シオとベルが三十ミリグレネードを撃ち尽くすと、亞唯がギアを入れ替え、雛菊がアクセルを押し込んだ。
三回目の襲撃準備をしているAHOの子たちに、CIA経由で耳寄りな無線情報が入る。フローチェ国際空港を出た車列が、官庁街に向かっているらしい。
「最初に襲った連中と同様な車列に違いないのであります!」
シオはそう言った。
「たぶん重火器を運んでいるのですぅ~。阻止したいのですぅ~」
ベルが、襲撃を主張する。
「そうね。先回りして待ち伏せましょう。亞唯、またルースブルーク通りへ向かってちょうだい」
スカディが、指示する。
「了解。ここからだと、カルマル通りを行けば近道だな。雛菊、行くぞ」
トラックはすぐに方向転換すると走り出した。目的地には、三分ほどで到着する。
「おっと、やばいぞ」
情報を得たのが遅かったのか、目当ての車列はすでに二百メートルほどの位置にまで迫っていた。こちらに気付いたのか、先頭のセダンからは早くも発砲が始まっている。
「亞唯、このまま前進! 道路を塞いで!」
スカディが命ずる。
一見すると無謀な命令に思えるが、スカディには勝算があった。一列縦隊の車列だと、前方の味方車両が邪魔になって射撃がしにくいと計算したのである。
すぐに、シオとベルがAGS‐30を撃ち始めた。先頭のセダンを手始めに、突っ込んでくる車両を手当たり次第に撃ち始める。スカディも、PKPを撃ち始めた。
たちまちのうちに、先頭のセダンと二台目、三台目のトラックが破壊され、路上に停止する。残る二台のバスと一台のセダンが、道路の左右に移動して射界を確保しつつ反撃しようとしたが、こちらもグレネードの連射をまともに浴びた。右側のバスは炎上し、左側のバスはハンドル操作を誤ったのか派手に横転してしまう。シオとベルは、弾倉が空になるまで……例によって一発だけ残ってはいたが……撃ち続けた。
「亞唯、引きあげて」
PKPを撃ち尽くしたスカディが命じた。残敵掃討をやっている暇はない。
「なんてことだ……」
ロシア空挺軍少佐は、頭を抱えた。
つい十五分ほど前までは、作戦は順調に推移していた。予定通り、主力は官庁街制圧の準備を整えた。多少の損害は出たが、それは想定内に留まった。部下たちの士気は旺盛で、まったく問題はなかった。空港から重火器が届き、それを配備次第、突入作戦が開始されるはずだった。
ところが、第一陣の増援部隊がいきなり消息を絶った。その後、主力部隊は二回に渡って背後から奇襲攻撃を受けた。一回目の損害は死傷約百二十名。死者の中には、主力部隊の指揮を執っていた空挺軍中佐も含まれていた。そのせいで、副指揮官であった少佐が全体の指揮を執るはめになった。
二回目の攻撃の死傷者は約八十名。すでに、合衆国海兵隊とサスキア公安部隊との戦闘で四十名ほどの死傷者が出ているので、今現在健在な部下は二百名ちょっとに減っている。しかも、こちらの混乱を知って、官庁街に立てこもっている合衆国海兵隊がここぞとばかりに反撃に出ているのだ。
さらに、あと少しのところまで接近していたはずの増援部隊第二陣も消息を絶った。先ほど聞こえた銃声と爆発音からして、敵の待ち伏せ攻撃を受けたのだろう。
重火器なし、増援なしで、どうやって任務を続行すればいいのだ……。
「少佐殿、敵襲です!」
部下の一人が、叫んで指差す。
路地のひとつから、激しい射撃が行われていた。連射されたグレネードが、急増のバリケードを吹き飛ばし、その後ろにいた数名の空挺兵も倒される。数少ないPKP汎用機関銃が射撃を開始したが、こちらもグレネードを喰らって吹き飛んだ。遮蔽物を求めて逃げ惑う空挺兵たちにも、容赦なくグレネードがお見舞いされて、弾殻が兵士たちを襲う。
少佐は自分のAK12を構えた。路地から出てきたトラック目掛け、セミオートで連射する。
トラックの荷台に据えられたAGS‐30の砲口がこちらを向いた。空挺軍少佐は、勇敢にも自分の足元で三十ミリグレネードが炸裂するその瞬間まで、射撃姿勢を保ちつつ冷静にAK12の引き金を引き続けていた。




