第十四話
サスキア共和国で極秘裏に常温核融合の研究が進められており、数年後には技術を確立して商業化できる可能性がある……。
CIAが掴んだこの情報は、国家情報長官を通じて合衆国大統領に伝えられた。
報せを聞いた合衆国大統領は、半信半疑であった。合衆国でも、官民挙げて核融合研究に取り組んでいるが、実用化はまだまだ先の話である。それに、『新たな動力源』というのは、紀元前の昔から大規模な詐欺のネタである。何かの陰謀ではないのか?
とりあえず大統領は、科学顧問やエネルギー省科学部などに対し検証を指示した。その結果は、事前の予想通り曖昧なものに終わった。つまり、『充分にあり得る話だが本当か否かの確証はない』という答えが返って来たのだ。
とは言え、このような革新的新技術が合衆国の敵対国……中国やロシアやイランや北朝鮮……に渡り、悪用されることは合衆国の国益を大きく損ねる事態となる。確証がなくとも、座視することはできない。事実として、背景は不明瞭だが、すでに一度ロシア人たちによる襲撃が行われているのだ。再襲撃のおそれもある。
急遽開かれた、副大統領、国務長官、国防長官、司法長官、エネルギー長官、国土安全保障長官、国家情報長官、CIA長官、大統領首席補佐官、国家安全保障問題担当大統領補佐官らが出席したミーティングで、合衆国軍のサスキア派遣が決定される。大統領に指示された国防長官は、すぐに統合参謀本部に派遣作戦についての検討を指示した。
サスキア共和国を含むカリブ海は、統合軍である南方軍(USSOUTHCOM)の縄張りである。そこには陸軍の特殊部隊である第7スペシャル・フォース・グループや、ジョイント・タスクフォース・ブラヴォーなど即応性も練度も高い部隊が所属しており、サスキアにすぐにでも展開できる態勢が整っている。
しかし、これらの部隊を動かすのはまずい、と統合参謀本部は判断した。これらエリート部隊は、注目度の高い部隊でもあるのだ。緊急出動させれば、大規模な麻薬絡みの作戦だと思い込んだ内外のマスコミがすぐさま注目し、サスキアに取材クルーを送り込んでくるだろう。目立たぬが実力のある小規模な部隊を、そっと送り込む方がいい。
ということで、サスキア共和国には合衆国海兵隊第2海兵師団から一個中隊が抽出され、派遣されることが決定した。名目は、『テロに遭ったサスキア共和国の支援と警戒』である。
命令を受けた中隊はすぐにトラックに乗り込み、駐屯地であるノースカロライナ州キャンプ・ルジューン北東五十五キロメートルほどのところに位置するチェリーポイント海兵隊航空基地に移動した。そこでサウスカロライナ州にあるチャールストン空軍基地より飛来したC‐17輸送機に詰め込まれ、南南東二千四百キロメートルに位置するサスキア共和国を目指した。
サスキアは島国であり、そこを防衛するには地上兵力だけでは不安がある。ということで、海軍も艦船を派遣する手筈を整えた。サスキアを含むカリブ地域は、合衆国海軍第4艦隊の担当地域ではあるが、同艦隊は固有の艦船を持たずに、他の艦隊より派遣された艦船を指揮下に入れて統制を行うだけである。
目立たないことが肝要ということで、派遣艦艇は一隻だけとされ、訓練航海に出発予定だったアーレイ・バーク級駆逐艦が急遽予定を変更し、東カリブ海へ向かうこととなる。
さしものアルチョム・グリャーエフも、クレムリンへ直に通じる伝は持っていない。
なるべくかかわる者を少数に留めたい……ことを秘密裏に運んだ方が、情報の価値を保つことができる……と考えたグリャーエフは、地元エカテリンブルクの有力者である統一ロシア党……政権与党の議員の一人に大統領にメッセージを伝えてくれるように依頼した。依頼された議員は怪訝そうだったが、グリャーエフとは浅からぬ仲だったゆえに、メッセージの伝達を承知してくれる。
反応は速かった。三十分後には、モスクワの大統領府補佐官の一人から、電話が掛かってくる。
グリャーエフは、秘話回線でないと喋れない情報であることを補佐官に説明した。すると、エカテリンブルクのFSB(ロシア連邦保安庁)支局に移動するように指示される。
慌てて車に乗り込んだグリャーエフは、部下の運転手に急ぐように命じた。支局に到着すると、すでに話は通っていたようで、すぐに奥まった一室に案内される。電話機数台が並べられた小部屋で、係員が指さす一台の送受話器を取ったグリャーエフは、先ほどと同じ補佐官に詳しい事情を説明した。聞き終えた補佐官から出た指示は、『支局内で待機せよ』であった。グリャーエフは別の一室……それほど重要ではないゲスト用の応接室らしい……に案内された。そこで出された熱いだけが取り柄の紅茶を飲みながら待つこと二時間。ようやく現れたFSB職員二人に伴われて、グリャーエフはシルバーグレイのラーダ・ヴェスタに乗せられた。ヴェスタは、真っ直ぐコルツォヴォ国際空港へと向かう。
そこで待っていたのは、空軍のアントノフAn‐72双発ジェット輸送機だった。グリャーエフは安堵の息を漏らした。これで、モスクワまで連行するのだろう。短時間でモスクワまで行けるように空軍のジェット機を用意してくれたということは、大統領が自分の話を真に受けてくれたということの証左である。つまり、グリャーエフが生き延びる確率が、大幅にアップしたことを意味する。
グリャーエフとFSB職員が乗り込むと、An‐72はさっそく離陸した。
高度を上げ、巡航を開始してからしばらくして、グリャーエフは機体が西ではなく東へと向かっていることに気付いた。右側に、太陽が見えるのだ。ウラル山脈の東に位置するエカテリンブルクからモスクワに行くには、当然西へと向かわわなければならない。
……このままシベリア送りか?
焦って腰を浮かせかけたグリャーエフだったが、FSB職員に緊張した様子は伺えない。『国家の敵』をシベリアに護送するというよりも、むしろ賓客に目的地まで付き添っている、といった風情だ。
飛行は二時間ほど続いた。やがて高度を落したAn‐72が、眼下の空港へ向け着陸態勢に入る。グリャーエフには、見覚えのある空港だった。トルマチョーヴォ空港だ。ということは、ノヴォシビルスクか。
すでに辺りには夕闇が迫っており、眩い照明に照らされた滑走路に、An‐72が静々と降りてゆく。タキシングが終わると、すぐにグリャーエフはアントノフから降ろされた。そのまま駐機場を歩かされ、別の機体の側まで連れて来られる。暗くてよく見えないが、今度の機体はAn‐72より大きい。
そこでグリャーエフは徹底したボディチェックを受けた。待ち受けていたスーツ姿の数人……女性も二人混じっていた……に、身体中を探られる。電子機器も用いた検査からようやく解放されたグリャーエフは、機内に連れ込まれた。扱いがFSBの連中よりも荒っぽいので、おそらく別組織の連中なのだろう。シートのひとつを指定され、そこに座るように命じられる。グリャーエフは、大人しく従った。
……長い。
グリャーエフはひたすら待ったが、機体は一向に離陸しようとはしなかった。待ちくたびれたグリャーエフの口から、あくびが漏れた。ここしばらく、ストレスであまりよく眠れていないのだ。座り心地のいいシートに背中を預けたまま、グリャーエフはつい居眠りを始めてしまう。
……どのくらい眠っていたのだろうか。
グリャーエフは、隣のシートに他人が座ったことに気付いて目を開けた。横を向くと、あのお馴染みの冷たい眼が、こちらを見据えている。
……連邦大統領だ。
一瞬だが、グリャーエフの血の気がさっと引いた。あの冷徹で知られる孤高の権力者が、隣に座っている……。
「待たせて悪かった。予定が長引いてね」
まだコートを着たままの大統領が、静かに言った。
「さっそく話を聞かせてもらおうか。概要は、補佐官から聞いた。君の口から、直接詳細を聞きたいのだ。本来なら、モスクワまでのフライト中は睡眠にあてるつもりだった。わたしの睡眠時間を犠牲にしただけの価値がある話を、君が聞かせてくれることを願うよ」
大統領の言葉に、グリャーエフは半ば怯えると共に、明るい希望の光を見出した。……大統領は、俺の話を疑っていない。あとは、常温核融合技術を手に入れることがどれだけ重要かを納得させればいいだけだ。
グリャーエフは、詳細を語り始めた。
かつてのソビエト連邦は、工業製品輸出大国であった。
冷戦期ソ連でも、最も多額の外貨を稼いでくれたのは、原油および石油関連製品の輸出であった。それに次ぐのが、天然ガスとその加工品である。
だが、それ以外に多種多様な工業製品が各国に輸出され、貴重な外貨を稼いでいた。鉄鋼、輸送機械、発電機、繊維製品、電気製品、工作機械、化学製品、通信機器、非鉄金属加工品……。まさに、重工業大国に相応しい輸出品の数々である。
東側同盟諸国や、アジア・アフリカの親ソ国の国民は、ソ連製の列車やバスに乗って職場に出かけ、ソ連製の農業機械を使って畑を耕し、ソ連製のトラックを運転して物資や商品を運び、ソ連製の工作機械を使って工場で働き、ソ連製の事務機器でオフィスワークをこなしたのだ。仕事を終えて帰宅した彼らは、ソ連製の冷蔵庫から出した飲み物を楽しみ、ソ連製の照明器具の下でソ連製のテレビを見て、ソ連製の時計を見て就寝時間を知り、床に就くといった生活をしていたのだ。
だが、ソビエト連邦の崩壊ですべてが変わった。
ロシア共和国の製造業は、国内の混乱と輸出量の激減で大打撃を受けた。東側ブロックの崩壊で、旧東側諸国にどっと西側や第三世界の商品が流入して来たのだ。品質的に太刀打ち出来ない旧ソ連製品は見向きもされなくなる。それどころか、ロシア国内でも西側商品が溢れ、国民がそれをこぞって手に入れようとする始末である。いまや、モスクワの街はイケアからニンテンドーまで、西側の商品に席捲されているのだ。
現在、ロシア経済は好調である。対外貿易は、常に黒字を計上している。だが、その内容は『お粗末』なものだ。外貨を稼いでいるのは、原油とその精製品、天然ガス、石炭、金とダイヤモンド、その他の鉱物といったところだ。輸入しているのは、各種機械類、自動車、医薬品、ハイテク機器など。
……まるで一次産品しか売る物がないアフリカあたりの発展途上国と同じではないか。とても、かつての重工業大国、技術大国の後継国家とは思えない。
航空宇宙産業と軍需産業に関しては、何とか高水準を維持しており、その製品は海外に売れているが、それらが稼ぐ外貨は大したものではない。航空機や兵器は高額なので、儲かる商売と思われがちだが、実はそれほどでもない。世界最大の航空宇宙/軍需企業であるボーイングでさえ、その売上高はGAFAM各社よりも低いのである。
もしも常温核融合技術が普及し、各国で商業化されれば、化石燃料の消費量は激減する。石油も石炭も天然ガスも途端に売れなくなるだろう。原子炉さえ、博物館行きの代物となる。太陽光発電も、自然破壊と土地の無駄遣いとしてゴミ箱行きだ。
化石燃料の輸出に依存していたロシアの対外貿易は、崩壊する。発電用、熱源用の燃料は、まったく売れなくなるだろう。輸送機械の燃料としての用途には依然需要があるだろうが、核融合炉の小型化や蓄電池性能の向上によってはこちらの先行きも暗い。
そしてもちろん、供給過多によって原油も天然ガスも石炭も暴落するだろう。他に売る物がない発展途上国は、どんなに安値でも必死で売り捌こうとするはずだ。ロシア産化石燃料は、誰も買わなくなるにちがいない。
ロシアにとって石油と天然ガスは、単なる輸出商品ではない。政治的、軍事的意味合いを含む『兵器』でもあるのだ。
中国に対しては、毎年大量の原油と天然ガスを輸出しており、同盟国としての信義を見せると共に、その防衛に多大なる貢献を果たしていた。中国の海軍力の伸長は目覚ましいものがあるが、まだまだ西太平洋で合衆国海軍を圧倒できるレベルではなく、インド洋への戦力投射も不十分である。この状況下で米中全面戦争となったら、合衆国とその同盟国は、中国経済封殺と継戦能力の破壊を狙って、海上封鎖に踏み切るだろう。その際に、中国で真っ先に不足するのが、石油系燃料である。したがって、ロシアが陸路によって石油を中国に安定供給できる……有事には、それを増加させることができる……ことを内外に見せつけることは、対中戦争の勝ち目が薄いと合衆国に認識させる効果があるのだ。……まあ実際には、世界一の貿易大国であり、世界の工場でもある中国の海が閉ざされてしまえば、その悪影響はとてつもなく大きなものになるのだが。
ロシア産原油はヨーロッパ各国にも輸出されており、天然ガスも同様である。この供給を行うことにより、ロシアはヨーロッパ諸国の『エネルギー安全保障』のカギを握っていると言っても過言ではない。特に、東欧、中欧各国はロシア産天然ガスを大量に消費しており、これを完全に断たれた場合経済に深刻な打撃を受けるおそれが高い。この事も、ロシアの安全保障に大きく繋がっているのだ。
……常温核融合技術が広まれば、ロシア経済は崩壊しかねない。経済は持ち堪えても、政変が起きるのは防げないだろう。
ロシア連邦大統領は、そう考えた。自己の権力を守り通すためには、この件に関して積極的な手を打たねばなるまい。
「話はよく判った。君が本当のことを言っており、わたしに隠し立てはしていないことについても納得がいった。わたしは、他人の嘘を見抜くのが得意でね」
グリャーエフの話を聞き終えた大統領が、薄い笑みを見せた。……だが、眼は笑っていない。
「君はしばらくモスクワに留まりたまえ。ちょっと考え事をしたい。邪魔しないでくれたまえ」
そう言って、大統領がシートに深く沈みこんだ。
グリャーエフは安堵して、大統領を気遣って反対側を向き、大きく息を吐いた。
……とりあえず、首はつながったようだ。さて、これから少しでも多く『ご褒美』を頂戴するために、どうやって大統領に取り入るか考えるとしよう。
一番いいのは、常温核融合技術をロシアが手に入れることだ。そう、大統領は考えた。技術を独占し、ヨーロッパ諸国や中国へは安価に電力を供給してやる。北米やアジア諸国には、ロシア国営企業が管理する核融合発電所を建設する。これで、世界はロシアに逆らえなくなるだろう。
それが無理なら、他国が常温核融合技術を手に入れることを阻止する。いざとなれば、すべての技術資料と技術者を滅殺してしまえばいい。
問題は、サスキアが遠いことである。モスクワからカリブ海まで、一万キロメートル近い距離がある。そして、ロシア連邦軍のグローバルリーチ(軍事用語としては、世界的展開/戦力投射能力)は、ソビエト連邦軍時代に比べ、大幅に弱体化している。冷戦時代には、キューバを通してカリブ海にも強い影響力を及ぼしていたのだ。
送り込めるのは、海軍艦艇と空軍機に乗せた若干の兵員だけだろう。ベネズエラの協力を仰げれば、万全だ。
そして、その作戦が失敗に終わった場合は……。
すべてに消えてもらうしかない。
第十四話をお届けします。
※念のため。本作の世界線ではロシアによるウクライナ侵攻は発生しておりません。




