第十一話
非常階段で一階まで降りた越川一尉と亞唯、雛菊の一人と二体は、フロントが預かっているであろう客の車のキーを手に入れようと、正面ロビーの方へ向かった。しかし、その辺りにはすでに宿泊客や従業員を保護しようと、数名のサスキア公安警察隊員が入り込んでいた。
「計画変更だ。とりあえず、外へ出よう」
手にしたグロック26を後ろ手に隠そうとしながら、越川一尉が指示した。拳銃なら隠せるが、亞唯の持つR5突撃銃は隠しようがない。テロリストと間違われたら、問答無用で撃たれるだろう。
一人と二体はホテル一階のレストランの方へと向かった。ここなら、裏口や搬入口があるはずだ。
テロリストたちが客と従業員を強引に狩り集めたので、レストラン内はがらんとしていた。厨房入り口を見つけた越川一尉は、スイングドアを抜けて厨房に入った。ステンレスの鈍い輝きとスパイスの芳香に包まれた厨房を抜けると、片側に段ボール箱を積み上げてある短い廊下に出た。その先に、開け放たれたままの扉があり、眩い日差しが廊下に差し込んでいる。
越川一尉は慎重に外を窺った。人影はない。そして、残念なことに自動車はおろか自転車一台すら見当たらない。
「よし、亞唯はここで待機。雛菊、お前は右へ行け。俺は左へ行く。車を確保したら、畑中二尉に電話しろ」
越川一尉はそう指示すると、グロック26をポケットに押し込んで走り出した。
「……悪漢の追跡に使う車としては、違和感がありますわね」
風に縦ロールの金髪をなびかせながら、スカディが言った。
越川一尉と雛菊が手に入れた車は、オープントップバスであった。ルーフの無いバス……つまりは、オープンカーのバス版である。客を乗せて島内の景観の良い場所を巡る、観光用のものだ。
よく見かけるオープントップバスは、二階建てバスを改造した大型のものが多いが、このバスはミニバスを改造したタイプで、乗車定員は十六名ほどの小さなサイズである。白衣の女性を含む一同はそれに乗り込み、一路フローチェ国際空港を目指していた。ちなみに、運転しているのは越川一尉、その隣でナビゲーターを務めているのは雛菊である。
「射撃するには適してるけどな」
R5を構えながら、亞唯が言う。
「さて、そろそろ事情を話してくれると嬉しいんですがね。あなたの正体と、この一件の事情を」
畑中二尉が、通路を挟んで隣の座席に座っている白衣の女性に話し掛けた。ちなみに、女性の隣の席にはシオが座っており、白衣の女性が良からぬ行動に出れば、すぐにでも制圧できるように待機している。
「名前は……勘弁してほしい。とあるプロジェクトの責任者だと言っておこう。
そのプロジェクトというのは……」
ぴろぴろぴろという電子音が、白衣の女性の話を遮る。
スカディが、自分のスマートフォンを操作した。電子音が停まる。
「はい、スカディです」
電話に出ながら、スカディが身振りで白衣の女性に話を続けるように促す。
「プロジェクトの内容は……まあ、革新的なある発明を具現化するものだ」
白衣の女性が、言葉を濁す。
「それ、危ない兵器とかじゃないのか?」
亞唯が、突っ込み口調で訊く。女性が、首を振った。
「断じて兵器ではない。そこは保障する。まあ、軍事への利用はできるだろが、例えればそれは革新的なジェットエンジンがいずれ軍用機にも使われるだろう、といった程度のことだ。人を殺めるような兵器など造っているわけではない」
「どんなプロジェクトなのですかぁ~」
ベルが、問う。
「革新的かつ歴史的、とでも言おうか。人類の幸福に大きく貢献するものだ。とにかく、このプロジェクトが成功し、商業化されれば世界は変わる、と言っても過言ではない」
「なぜはっきりと言わないのですか?」
英語だとあまり語尾を伸ばさない畑中二尉が、ずばりと聞く。
「わたしはプロジェクトの責任者だが、計画全体を統括しているわけではない。情報を、独断で他者に漏らすことはできない」
女性が、済まなそうに言う。
「では、あなたの上司に当たる方はどなたなのですかぁ~」
ベルが、訊いた。
「それも、勘弁してくれ」
「ファン・デル・フック大統領なのでは?」
シオはそう訊いてみた。
白衣の女性が、一瞬固まった。だが、その厳しい表情はすぐに和らぎ、恥じらいのこもったような薄笑いを浮かべる。
「そうだな。そのくらい、ロボットでも推理できるな。そこは認めよう。このプロジェクト、デル・フック大統領が関わっている」
「国家的極秘プロジェクト、と。で、襲ってきた連中に心あたりがあるのですね?」
畑中二尉が、畳み掛けるように訊く。
「ああ。プロジェクトの出資者の一人にロシア人がいる。彼がやったのではないかな。プロジェクトを乗っ取るか、開発情報を奪取して他者に売り付けるか。それは、絶対に阻止しなければならない。グリャーエフのことだ。協力者が居るにしろ、売却を目論んでいるにしろ、付き合っているのは碌な連中ではないからな」
「グリャーエフ? まさか、アルチョム・ルキヤノヴィッチ・グリャーエフか?」
畑中二尉が、驚く。
「父親の名前までは知らないが、アルチョム・グリャーエフだ。エカテリンブルクの」
白衣の女性が、答える。
「うおー。やばいことになったぞー」
畑中二尉が、日本語でうめく。
「どうしたのでありますか?」
シオは、訊いた。
「アルチョム・グリャーエフは有名なロシアン・マフィアだー。KGBの大佐だったルキヤン・グリャーエフがソ連崩壊後にマフィアに転身し、大成功を収めて犯罪帝国を作り上げたー。その後継者となった息子だー。父親同様とんでもない悪党だぞー。このおねーさんが何を造ってるのかはわからんが、世界を変えるなんて代物をこいつやその仲間が手に入れて悪用したら、とんでもないことになりかねないー」
畑中二尉が、そうまくし立てる。
「お話の途中ですが、ミスター・モリーナから現状報告が入りましたわ」
スマホを耳に当てたまま、スカディが口を挟んできた。白衣の女性にも理解できるよう、英語である。
「ロシア人たちの車列は空港に到着したとのこと。CIAはすでに到着し、空港警察および公安警察要員と協力し、離陸阻止のために滑走路閉鎖を試みましたが、銃撃されて失敗しました。沿岸警備隊は、ようやく陣容が整いましたが、空港到着までにはあと十五分は掛かる見込み。警備艇一隻が沿岸に急行しましたが、市街地が邪魔で搭載機銃でイリューシンを射撃できる見込みはないとのこと」
「離陸後に射撃して撃ち落とせないのでありますか?」
シオは訊いた。
「無理だ。サスキア沿岸警備隊の警備艇は三十口径マシンガンしか積んでない。二十ミリとは言わないが、せめて五十口径マシンガンを積んでいれば、可能性はあるんだがな」
亞唯が、首を振る。
「わたしの仲間たちが多数拉致されているはずだ。撃墜するのは、勘弁してくれ」
白衣の女性が、言う。
「冷戦の頃なら、プエルトリコにF‐16が常駐していたんだがな。低速の輸送機くらい、あっさりインターセプトして強制着陸させられるんだが」
運転しながら、ぼやくように越川一尉が言う。
「うーん。こちらには突撃銃がある。スカディ、イリューシンを狙撃できる場所がないか聞いてくれ。タイヤかコックピットを狙えば、人質は無事だろう」
畑中二尉が、言った。
「ターミナルビルにも武装兵が居るので難しい、とのことです」
スマホで会話したスカディが、そう報告する。
「撃たれるんじゃ近寄れないか。なんとかして、敵の銃撃を防がないと離陸阻止は難しいな」
畑中二尉が、悩む。
「なんとか連中を止めてくれ。もし、ロシア政府がこのプロジェクトを引き継いで完成させたりしたら、世界は暗黒時代を迎えることになるぞ。あなた方が何者でどこの国に属しているかは正確には知らないが、おそらくそんな事態は望むまい」
白衣の女性が、言う。
「おねーさん、ロシア人嫌いなのですか?」
シオはそう訊いた。
「……わたしはポーランド人だぞ?」
白衣の女性が、真顔でシオを見つめ返す。
「近寄れればいいんなら、こいつに装甲板でも取り付ければええんやな」
運転台から、雛菊が冗談口調で言う。
「装甲板の前に屋根が必要だがな。どこかに、戦車をレンタルしてる店はないか?」
亞唯が、きょろきょろとあたりを見回す。
「はっと! シオは閃いたのであります! 撃たれても大丈夫、ではなく、撃たれないようにすればいいのであります! 酒屋に寄って、あるだけのウォッカを買い占めて積み込むのです! ロシア人なら、もったいなくて発砲できないはずなのです!」
ちょうど道路脇にビールの看板を見つけたシオは、思い付きでそう言ってみた。
「悪くないアイデアだが、このあたりで売っているウォッカじゃ足りないと思うぞー」
畑中二尉が、投げやりに突っ込む。
「撃たれないために、自爆覚悟で突っ込むというのはどうでしょうかぁ~」
ベルが、いかにも彼女らしい発想で発言する。
「撃たれたら爆発して、飛行機が壊れたり滑走路に穴が開いたりするようにすれば、怖くて撃てないのではないでしょうかぁ~」
「それはそうやけど、いくらベルたそでもそれほどの爆弾持ってないやろ」
運転台から、雛菊が突っ込みを入れる。
「わたくし、さきほど興味深い看板を見つけたのですぅ~。一尉殿、次の交差点で左折してくださいぃ~。ちょっと港の方へ寄り道することになりますが、そこへ行けば大量の爆発物があるはずなのですぅ~」
ベルがそう言って、にこっと笑う。
スマートフォンを握りしめたまま、ルイス・モリーナは全力疾走した。
「待った! そいつらはテロリストじゃない。撃つな!」
ポケットから取り出したCIAのIDカードを打ち振り、空港ゲートのひとつを警備している公安警察官に向け叫ぶ。びくついた表情で、走ってくるオープントップバスに自動拳銃を向けていた警察官が、拳銃を握った腕をおろした。説明を求めるかのように、ルイスを見る。
「あー、連中はCIAの協力者だ」
息を喘がせながら、ルイスは簡単に説明した。
ゲートを抜けたオープントップバスが停まった。
「ミスター・モリーナ。状況は?」
真っ先に降りてきたスカディが、問う。
「もう積み込みを終えている。空港ビルを占拠していた連中も、乗り込んだ。すぐにでも、離陸するぞ」
「今、うちのロボットが自爆覚悟で離陸阻止に向かってます。失敗した時のことを考えて、少し離れた方がいいかもしれません」
スカディのあとに降りてきた畑中二尉が、早口で言った。
ルドニコフ元大尉は、イリューシンIL76の前部胴体右側面にある大型ドアを開いて、そこから頭を突き出すようにして空港ビルの方を見張っていた。隣では、SS77汎用機関銃を構えた部下が、離陸を邪魔する奴がいればすぐに蜂の巣にできるように待機している。逆側の左側面でも、部下たちが同様にして警戒中だ。
翼下の四基のソロビヨフ・ターボファンエンジンがうなりを上げ、イリューシンの巨体が離陸滑走を開始した。ゆっくりと動き出した機体が、徐々に速度を上げてゆく。
と、ルドニコフの眼が動きを捉えた。一台の大型車が、フェンスを突き破って滑走路目掛けで突っ込んでくる。……なぜかバックで、しかも低速で。
部下が素早くSS77の銃口を大型車に向けた。だが、その指は、引き金を引けなかった。ルドニコフも、発砲指示を出せないまま、硬直していた。
大型車が、タンクローリーだったからだ。しかも、荷台の大型タンクの側面には『SASKIA GAS』『LPG』とでかでかと描いてある。
大型のプロパンガスローリー。あれが爆発したら、とてつもなく大きな火球が生じ、激烈な衝撃波が生まれるだろう。イリューシンなど、紙のように押しつぶされてしまうに違いない。
前進してくるのであれば、運転席を狙えばいいが、後進中なのでそれは無理である。タイヤを狙うのは可能だが、もし撃ち損じてタンクに命中したら、確実に爆発するだろう。
……運転している奴は、自殺願望でもあるのだろうか。
「もうちょっとバックや、シオ吉。ベルたそ、ハンドルちょい右」
タンクローリーのタンクの上にしがみついている雛菊が、運転しているシオとベル……シオがアクセル担当、ベルがハンドル担当である……に指示を出す。
三千五百ガロン……約一万六千リットル入りの大型タンクローリーである。全長は九メートル近い。島内で独自のバルク貯槽を持っているホテルなどの大口ユーザー向けに、プロパンガスを供給して廻るための車両である。
「よし、いいぞ」
雛菊の隣でしがみついていた亞唯が、身体を起こした。R5を肩付けし、イリューシンのコックピットに向け、威嚇射撃を行う。
亞唯の威嚇射撃は当然のことながら一発も当たらなかったが、IL76の乗員たちの精神には大きな打撃を与えた。タンクローリーが滑走路上に侵入したこともあり、機長が慌てて離陸滑走を中止する。
「大尉!」
部下が、ルドニコフを見つめる。
「慌てるな。俺は死にたくないし、捕まりたくもない。まだ、取引材料はたくさんある」
内心焦ってはいたが、ルドニコフは部下にそう言い渡した。
越川一尉と畑中二尉、ルイス・モリーナらCIAの面々と、白衣の女性を含め手早く打ち合わせを行った。
「最優先すべきは技術者たちの安全。次に奪われた資料の奪回です。テロリストたちは、グリャーエフにカネで雇われただけでしょう。逃がしても、害はない」
白衣の女性が、そう主張する。
「つまりは、逃がしてやる代わりに資料と人質を置いていけ、と申し出るのですか?」
ルイスが、問う。
「確かに、長引いたら向こうも態度を硬化させるでしょう。もっとも、我々に決められることではないが。ミスター・モリーナ。CIA側で善処していただけませんか?」
越川一尉が言う。
ルイスが、少し離れたところでスマホを掛けた。小声でしばらく会話してから、通話を切る。
「上司の許可が出ました。技術者全員の身柄と、盗られた資料の全面返還。これがなされるなら、イリューシンを離陸させても構わない、とのことです」
イリューシンとの交渉は、空港管制塔から無線で行われた。ルイスによる提案は、あっけないほどあっさりと『テロリスト』側によって受け入れられた。
『誠意』の証として、AHOの子四体によって滑走路上に置かれたタンクローリーは、早々と移動させられた。もちろん、ロシア人たちが裏切った場合に備え、主脚タイヤをいつでも狙撃できる位置にR5を構えた亞唯が配置される。
盗まれた資料を持って、拉致された学者や技術者たちが続々とIL76から降りてくる。空港ビル内で待ち構えていた白衣の女性が、一人一人を確認して手にしたノートにチェックをいれてゆく。
「これで全員解放されましたね。資料の方は……たぶん多少は盗られたままだと思いますが、確認のしようがない。ま、約束は果たされたと言っていいでしょう」
二十分後、白衣の女性がルイスと越川一尉に向かって言った。
離陸許可が出ると、すぐにIL76は滑走を開始した。浮き上がるとすぐにランディング・ギアを収納し、海からの射撃を警戒しているのか島の上で螺旋状に上昇し、高度を稼いでゆく。
「大失敗だったな」
イリューシンの機内で、トム・スミットがルドニコフに声を掛けた。
「ああ。お恥ずかしい限りだ」
ルドニコフは力なく言った。グリャーエフに合わせる顔がない。いや、それどころか、殺されるかもしれない。
「ロシアへ帰っても、大丈夫なのか?」
スミットが、訊いた。
「大丈夫なわけない。うちのボスは切れやすいからな」
ルドニコフは苦笑した。
「……もしよかったら、仕事を世話しようか?」
ややあって、スミットがそう切り出した。
「これだけの人数。質も高い。アフリカなら、まとめて雇ってくれるところがあるだろう。もちろん、それなりの仲介料はいただくつもりだが」
……そうか。
この機は、直接ロシアへ向かってるわけではないのだ。当面の目的地はマリ共和国。西アフリカである。軍用輸送機の一機くらい行方不明になっても、誰も騒がない土地柄だ。
ルドニコフはにやりと笑った。ロシア人をやめて、アフリカで新たな人生を始めるのも悪くない。噂に聞くヤシ酒は、そんなに不味いのだろうか。
「仲介料はいくらだ? ドルかユーロか? 後払いでよければ、それなりの額を出すぞ……」
二人の男はさっそく交渉を開始した。
第十一話をお届けします。




