第二十六話
日本では主に新華社として知られている新華通訊社は、中華人民共和国の国営通信社である。国務院に所属する事業組織のひとつであり、実質的には共産党中央宣伝部の監督下にある。したがって、新華社が報じた内容は、中国政府の意向ないし共産党の発言と捉えても差し支えはない。
その新華社が、国家国際発展合作署(国務院直属で対外援助を司る部署)の総裁の談話を配信したのは、セケティア国民議会招集の前日のことであった。その中で総裁は、対アフリカ援助の見直し……事実上の削減……を図ることを表明し、その『見直し対象国』の筆頭にセケティア共和国を挙げた。その記事は当日中に、中国国内の各新聞の電子版、テレビ等が取り上げ、各国の通信社もこれを引用する形で配信を行った。セケティアへはロイターが配信する形で伝わり、各新聞社、テレビ局、ラジオ局が大きく取り上げることとなった。
セケティア国民議会本会議は荒れた。
もちろん、その原因は超党派有志が提出した『ダドジ大統領解職決議案』にある。クメルン派が国政の混乱の理由は大統領の実質的不在にあると指摘、速やかな解職と新大統領の就任を求めたのに対し、反クメルン派が解職は不当であり、さらなる国政の混乱を招くと反対意見を述べる。お互い、自派にとって有利な意見を述べてくれる医者を証人として召喚しており、彼らが述べる難解な精神医学用語の数々が、さらに事態を混乱させる。仕切り役の国民議会議長が空席なことも、議事の進行を阻害した。
二回の休憩を挟んで実に五時間二十分以上を尽くして行われた舌戦の末、決議案は採決に持ち込まれる。
採決の結果は、賛成は過半数を超えたものの、解職に必要な議員総数の三分の二には届かず、決議案は廃案となった。
「とりあえずひと安心ですな」
モーガン・ナナ元国防相はそう言って、居並ぶ面々を見渡した。
アンドン市内にあるホテルの一室である。広い室内には、反クメルン派の国民議会議員の主だった人々が集っていた。ミッチェル・クワケ教育相やペネロピ・ダワ保健衛生相などの、現役閣僚の姿もある。
ダドジ大統領解任決議案が廃案となったことにより、日和見していた議員たちが離反し、クメルン派はさらにその数を減らしている。反クメルン派はその分勢いを増しており、次の国民議会議員選挙では確実に勝利を収めることだろう。問題は、派閥自体がクメルン内相の大統領就任を阻止することを目的として結集された各派の寄せ集めである、ということである。経済政策を始め主要政策に限ってみても、各派の主張はばらばらで、一応『グループ』という体裁は整えていたものの、議会で統一会派を組むなどということは不可能に近い。その政策の不一致を少しでも修正し、意見の溝を埋めて、反クメルン派の結束を高める。そして、次の大統領選挙で、統一候補としてアーチボルド・ファタウ元副大統領を担ぎ出す。これが、ナナ元国防相らの当面の目的であった。
「お集りの皆さん。今日は、ご紹介したい人物がおります」
ナナ元国防相は、そう切り出した。
「すでに、我々はミディアム・グループの政治部門を合法であると認め、国政選挙への参加を含む広範な国政への関与を容認することを受け入れました。近日中にその法案は国民議会に提出され、過半数の賛成を得て成立することでしょう。そこで本日は、一足早いですがエリザベス・サマリ霊媒長が推薦する、当グループに参加することになる人物を、ご紹介したいと思います」
控えていた秘書のひとりが、ナナの合図を受けて引っ込み、すぐに小柄な人物を連れて現れた。
クリスティーナ・ラーヴィである。
「この少女が?」
議員の一人が、驚きの声をあげる。
「クリスティーナ・ラーヴィです」
クリスティーナが、堂々たる態度で名乗り、ぺこりと頭を下げる。
「君、幾つだね?」
別の議員が、訊いた。
「十五歳です。ご懸念は、わかります」
クリスティーナが、笑みを浮かべる。
「被選挙権どころか、選挙権さえありませんから。ですが、霊媒としての能力には自信があります。皆さんのお役に立てると、自負しております」
「霊媒ですか。ちょっと試させてもらいましょう。今、この室内に霊が幾ついますか?」
霊媒としての素質が高い女性議員の一人が、問う。
「大小合わせて十三ですか。そこの天井の隅に赤いものが二つ。そこの床の上に緑色がひとつ。そちらの女性の頭の上に白いのがひとつ。後は小さいですね。そこの眼鏡を掛けた方の前に青いのが二つ……」
「青いのが二つ? それは、精霊じゃないのか?」
一人の議員が、首を傾げる。
「……そこの花瓶の側にも、水色の霊が……」
「君、そこに居るのは精霊だよ」
別の議員が、花瓶を指差しながら怪訝そうな表情で言う。
「え、あれって精霊なんですか? てっきり、未熟な霊だと思ってましたが」
クリスティーナが、戸惑う。
「……って、君精霊が視えるのか? 女の子なのに!」
初老の議員が言って、驚きのあまり腰を浮かし掛ける。
室内が、ざわつく。基本的に、精霊が視えるのは男性のみ。祖先の霊が視えるのは、女性のみのはずである。『女の子』のクリスティーナに、精霊が視えるはずがないのだ。
「君、この部屋の中にその……未熟な霊は幾つ見えるのかね?」
商務省の副大臣が、訊く。
「えーと、九つ見えますね」
「いや、ここに居る精霊は六つだけだぞ」
先ほどの初老の議員が言って、首を振る。
「違いますよ、ミスター・アッダイ。視えるのはわたしも六つだけですが、あと三つ気配が感じられます。合計九つであってます」
若手議員の一人が、言う。
「精霊も視える霊媒師……これは、凄いことになるぞ」
別な議員が、畏怖の念がこもった口調で言う。セケティアの歴史……共和国成立以前を含め……の中でも、精霊と霊を共に視ることができた人物は、存在しないのだ。
……まあ、クリスティーナの場合本当は男なので、精霊は元から視えていたのであり、それを『未熟で対話のできない霊』だと思い込んでいただけの話である。サマリ霊媒長を始めとする周りに居た人々も女性ばかりだったので、当然精霊を視ることができず、クリスティーナの勘違いに気付かなかった……というのが真相である。
「ところで」
室内のざわめきが静まると、クリスティーナが切り出した。
「ダドジ大統領閣下に、一度お目にかかりたいのですが」
「大統領に? それは、構わんが……」
ナナ元国防相が、理由を問うかのようにクリスティーナを横目で見やる。
「霊媒長と相談しましたが、大統領閣下の不調には、霊が介在している可能性が高いのではないか、という結論に達しました。今まで、霊媒に閣下を診せたことがおありですか?」
クリスティーナの問いに、議員たちが顔を見合わせる。
「無いのであれば、ぜひお目にかかって、診てみたいのです」
きっぱりと、クリスティーナが言う。
翌日さっそく、モーガン・ナナ元国防相らに付き添われて、クリスティーナは大統領官邸に出向き、実質的に軟禁状態にあるエリオット・ダドジ大統領に面会した。
「大統領不調の原因が判りました」
面会が終わると、クリスティーナが同行した議員らにそう告げた。
「祖先の霊が激怒して、呪っているのです。大統領のご先祖様は、どこに祀られているのですか?」
「大統領の一族は代々同じところに住んでいたはずだ」
ダドジ大統領に近しい議員の一人が答える。
「では、わたしを大統領の故郷に連れて行ってください。たぶん、霊をなだめる方法が判ると思います」
「さっそく手配しよう」
ナナ元国防相が、そう返答する。
その翌日、ナナが信頼する陸軍少佐とその部下に連れられ、クリスティーナはダドジ大統領の故郷であるイースタン州のミンタ村を訪れた。そこでは、中国の東方鉱業集団によるレアアース鉱山開設に向けた試掘が行われていた。
「この奥ですね」
安っぽい金網フェンスで囲まれた試掘区域の先を、クリスティーナが指さす。ゲートには現地採用の警備員が配置されていたが、少佐が物陰に引っ張って行って、その手に幾許かの紙幣を握らせてやると、内部の『見学』を快く許可してくれる。
「ここで霊が騒いでいますね」
クリスティーナが、試掘口らしい縦穴のひとつを覗き込む。中には、わずかに雨水が溜まっていた。
「少佐。これを」
付近に無造作に積み上げられていた土砂の中から、ある物を見つけた軍曹が、それを少佐に差し出した。受け取った少佐は、それをしげしげと眺めた。黄ばんだ白色の欠片。……骨の一部らしい。
「ここにいる霊が、それは自分の肉体の一部だと主張しているようです」
クリスティーナが、無感動に言う。
「人骨か。じゃあ、ここは……」
少佐が、試掘口を見下ろす。
「昔の墓地跡だったのでしょうね。おそらくは、数百年前の。時の流れと共に忘れ去られてしまった。そこを、中国人が掘り返した。試掘の許可を出したのは、ここで生まれ育ったダドジ大統領本人。だから先祖の霊が怒って、不心得者の子孫に罰として呪いを掛けた。そんなところでしょう」
淡々と、クリスティーナが説明する。
「少佐。見てください」
軍曹が、土砂の中から新たに掘り出した物を、少佐とクリスティーナに見せる。
頭骨だった。下あごは失われているが、人間の物であることは一目でわかる。
「中国人め。我々の祖先の墓を暴いたというのに、埋め戻すことすらしないのか」
吐き捨てるように、少佐が言った。
「アフリカ人を見下していますからね、やつら」
軍曹が、言う。
「とにかく、埋め戻しましょう。その上で、霊に謝罪と慰霊の儀式を行います。村人たちにも参加してもらう必要がありますね。村長に話を通さねば。中国側とも、調整しなければなりません」
クリスティーナが、言った。
「上官に連絡します」
少佐が言って、携帯電話を取り出す。
村民による試掘口埋め戻しと謝罪兼慰霊儀式の申し入れは、当初東方鉱業集団側を困惑させたが、実害はないと判断されたために許可はすぐに下りた。
クリスティーナの主導で、儀式は滞りなく行われ、数々の怪しげな供物と共に、試掘口は村人たちの手作業で丁寧に埋め戻された。再び掘り返されることが無いように、その上に小さな塚が築かれ、英語と中国語で書かれた警告看板が設置される。
その夜、エリオット・ダドジ大統領は突如正気を取り戻した。
ダドジを担当していた医師は、これをベンゾジアゼピン系薬物の継続投与と、長期にわたる心理療法の結果によるものと判断した。
正気を取り戻したダドジ大統領がまず最初に行ったのは、アーチボルド・ファタウ元副大統領の名誉回復と、復職であった。
正確に言えば、復職ではなく、再就任となる。副大統領はその職が空席である場合に限り……新任時も同じであるが……大統領が指名し、国民議会の承認を得れば就任することができる。国民議会では、反クメルン派はもちろん、無所属議員の多くもファタウの復帰を歓迎し、賛成多数により副大統領就任が承認される。ダドジ大統領は、ミディアム・グループの国政参与も認める談話を発表し、ミディアム・アーミィに対して武力闘争の放棄を呼びかけた。一方で、親中・知中派を標榜するクメルン派……つまりは、反ダドジ派でもあるわけだが……の力を削ごうと、自らもはっきりと親中国の姿勢を打ち出す。ただし、国内の反中勢力やミディアム・グループの意向も汲んで、『節度ある親中』を強調する。
スティーブン・クメルン内相は苦境に立たされていた。
元々、ダドジ大統領との関係は良好であった。共に親中姿勢であり、実務能力の高い内相としてダドジ政権を支えていたのだ。
だが、今のダドジにとってクメルンは明らかな敵である。廃案になった『解職決議案』の提出には用心深く名前を連ねてはいないが、発起の中心人物であったことは隠しようがないし、実質的にダドジ大統領支持派となっている反クメルン派と対立しているのも事実だ。
こうなれば、残された道はふたつ。ダドジと和解し、内相の地位を死守する。あるいは、中国の支援を当てにして攻勢に出て、次の大統領選挙でダドジの再選を阻止する。
現状で後者は難しいと判断したクメルンは、いわば敗北を認め、若手議員を介してダドジ大統領と接触し、和解の道を探ろうとする。だが、その試みは失敗に終わった。ダドジ大統領は、アーチボルド・ファタウ副大統領殺害の試みの裏に、クメルンがいたことを半ば確信しており、それを許すつもりはないことが判明したのだ。それどころか、大統領代行として数々の越権行為があったと判断し、内相罷免の準備さえ進めているという情報が入る。
こうなれば、非常手段に訴えるしかない。
クメルンは、中国大使に連絡を取った。中国の全面的バックアップがあれば、国家人民憲兵隊の戦力だけでクーデターを成功させることが可能であろう。
在セケティア中国大使館の通信室で、アリシア・ウー中校は再び秘話モードにした電話の受話器を握っていた。
『スティーブン・クメルンが一線を越えた』
淡々とした調子で、カオ部長が言う。
『クーデターの準備を進めているという分析がなされた。これは、極めて危険だ』
「では、失敗確実だという評価ですか?」
『我が国が全面的に支援を行えば、成功するだろう。だが、セケティアにそれだけの価値はない。それに、成功したとしてもトップに立つのがクメルンのような愚物では、クーデターを成功させる意味がない』
「同感です」
アリシアは、短く応じた。
『ダドジ大統領は、親中姿勢を維持すると公的に表明している。さらに、ミディアム・アーミィの活動も抑え込んでくれるだろう。国務院は、現状に満足している。したがって、クメルンの行動は阻止せねばならない』
「では、さっそく脅しを掛けましょう」
『いや。すでにその段階は過ぎた。ここに至っては、速やかにクメルンを抹殺するのが最上の策だ。我が国の支援を受けられないと知れば、第三国への亡命を選択する公算が高い。下手をすると、こちらの手が出せない国家に亡命されるおそれがある。今のうちに、始末しておくべきだ』
アリシアは上官に聞こえないように、送話口を手で覆ってため息をついた。もう何十回もやっているが、やはり暗殺任務は気が重い。
『外交部の連中に支援を頼んでもいいが、『処置』そのものには巻き込まずにやってくれ。現地人もなるべく使わないように。秘匿優先だ。手段は任せる。可及的速やかに、大事にならないように頼む』
カオ部長が命ずる。
……となると、至近距離で射殺が一番確実だろう。バックアップと逃走手段確保に部下を使うだけで事足りる。狙撃と言う手もあるが、準備に時間と手間が掛かる。ターゲットが待ち構える狙撃手の射程内に、のこのこと都合よく現れてくれるのは映画だけである。至近距離からの暗殺なら、こちらからターゲットに近付いて殺れる。幸い、メーキャップの専門家を一人連れてきている。彼女の手を借りれば、クメルンの至近まで怪しまれずに迫れるだろう。
「了解しました。なるべく早く、クメルンを始末します」
アリシアはそう答えた。
第二十六話をお届けします。




