第二十二話
「これは、いい機会だと思います」
デューク・アモアコを通じて、ナナ元国防相らの反クメルン派から寄せられた『協力要請』の内容を、エリザベス・サマリ霊媒長から聞いたクリスティーナ・ラーヴィは、開口一番そう言った。
「あなたもそう思いますか」
サマリ霊媒長が、深くうなずく。
「うまく行けば、セケティアの政界に合法的に影響力を及ぼせるようになります。少なくとも、ミスター・クメルンを失脚させることができますし、なおかつ反クメルン派に恩を売ることができれば、上出来でしょう」
クリスティーナは、そう続けた。
「霊たちも、特に騒いではいませんね」
視線を上向きにし、虚空を見つめながら、サマリが言った。
「はい。霊たちも、賛成してくれているようですね」
同じように、虚空を見つめながら、クリスティーナが言う。
「では、『将軍』を説得してみましょうか」
サマリ霊媒長が、優雅な身ごなしで立ち上がった。
「お供します」
クリスティーナも、腰を上げる。
「ふむ。面白い」
サマリ霊媒長の説明を聞いたアレグザンダー・ニャルコ将軍が、最初に発した言葉はこれであった。
「しかし……裏は取れているのでしょうな。すべてが、陸軍の罠、などということはないでしょうな」
「その点は大丈夫だと思いますわ。霊たちが落ち着いていますし、ミスター・アモアコも嘘はついていませんでした。アンドン市内の情報源からも、矛盾する報告は届いていません。それに、非公式とは言えCIAも絡んでいるとなると、まず安心していいかと」
サマリ霊媒長が、そう答える。
「なるほど。ではすべてがうまく行けば、反クメルン派による政権掌握。そしてあなたの念願の合法的政治活動開始、となるわけですな」
ニャルコ将軍が、にこやかな笑みを見せてサマリを見つめる。
「はい。手始めに、この子を送り出そうと思っています。まだ若いので、選挙には出れませんが、最良の霊媒として、政治活動を行ってもらいます」
サマリが、脇に控えているクリスティーナの肩に手を置く。
「結構なことです。この国の政治には、霊の力が足りない。精霊だけに頼った結果が、現在の政治の迷走と経済の低迷です。クリスティーナ、頼んだぞ」
ニャルコ将軍が、クリスティーナに視線を据える。
「将軍。そのお言葉は、いささか先走り過ぎかと……」
クリスティーナが、控えめに言い返す。ニャルコが、苦笑した。
「そうだったな。霊媒長、ミディアム・アーミィとしては、ミスター・アモアコが持ってきた提案に乗ることに賛成します。さっそく兵力を集め、詳しい打ち合わせの段取りを依頼しましょう。しかし……いささかタイミングが悪いですな」
「タイミングが悪いと申しますと?」
サマリが、やや首を傾げて訊く。
「ご内密に願いますが、とある作戦を準備中で、手元に戦力がそれほど残っていないのですよ。まあ、かき集めれば百人くらいは動員できますが、戦闘経験のある兵士として信頼のおける連中は半分程度でしょう。幸い、アナシュ『少佐』が残っていますから、彼に指揮を執らせましょう」
ニャルコが、そう説明する。
二回目のキタウ訓練基地襲撃作戦……ジョーが適当につけた秘匿名称は『キャットフィッシュ(鯰)』……に関する打ち合わせは、夜十時過ぎにアンドン市西郊の安モーテルの一室で行われた。
出席者は、CIA側がジョーとスカディ、ミディアム・アーミィ側がバーソロミュー・アナシュ『少佐』 それに、オブザーバー兼保証人といった形で、モーガン・ナナ元国防相が顔をそろえている。シオとベルも居たが、こちらは警護役を割り振られており、ジョーが渡してくれた拳銃を隠し持ち、窓とドアに張り付いて外の様子をうかがっている。亞唯と雛菊は、ジョーの立てた作戦計画に基づいて、CIAの現地協力者の車でキタウ訓練基地への事前偵察に出かけたので、不在である。
「まずは俺から報告させてもらおう。ニャルコ将軍は、この作戦に全面的に協力すると明言され、すでに兵員と装備の移動を命じられた。明日の夜明け前までには、キタウ基地の近くにすべて集められる予定だ。兵員数は約百名。重火器は、中迫が二門、RPG‐7が数基、汎用機関銃が数丁。とりあえず、頭数は揃えた。精鋭部隊とは言えないが、役には立つはずだ。指揮は、俺が取らせてもらう」
キタウ基地の周辺見取り図が広げられたテーブルを前に、アナシュが説明する。
「キタウ基地の守備は正規の国家人民憲兵隊が約百名。訓練生が百二十名。……助っ人が百名、というのはちょっと物足りないかな。ミディアム・アーミィにも都合のあることは理解しますが」
ジョーが、言う。
「奇襲効果でなんとかするしかありませんわね。訓練生の戦闘意欲は低いでしょうし、重火器も装甲車両もない。大火力で圧倒し、ミスター・ファタウだけを救出してさっさと逃げる」
スカディが、そう言って同意を求めるかのようにアナシュ『少佐』を見る。
「そんなところだな。ミスター・ファタウ救出の具体的なプランは?」
アナシュが、ジョーに訊く。
「ミスター・ファタウの監禁場所は見当がついています。当然鍵などが掛けられているでしょうが、破壊して進みます。……これには、得意な者が居ますので。突入チームは、こちらで編成します。少佐は、部隊を三つに編成していただきたい。脱出用車両の護衛と脱出ルート確保の支援班、主力である火力援護隊、それに突入チームを直掩する突撃隊」
「突撃隊の規模はどの程度を希望する?」
「三十名ほど、でしょうか」
アナシュの質問に、ジョーが答える。
「では、支援班に十名、火力援護に六十名、突撃隊に三十名だな。脱出路はこちらになるから、ここに支援班を置き、火力援護は迫撃砲班をここに。直射火力は二分してここと、ここ。突入チームはどこから入る?」
見取り図を指差しながら、アナシュが訊く。
「どこからでも突入できますが、ミスター・ファタウの監禁場所に近い方がいいですから、火力援護の位置からして、このあたりでしょうか」
ジョーが、スカディをちらりと見てから図上の一点を指差す。
「とすると、突撃隊もその位置に待機だな。……ミスター・ナナ。ご意見は?」
アナシュ少佐が、黙って見ていたナナに振った。ちなみに、今のナナ元国防相の服装は、スラックスに地味な色合いの開襟シャツというごく普通のものであり、もちろん女装もしていない。
「良い作戦だと思うが。確かに、ジョーの言う通り少し兵力が足りない気もするが、そこは致し方ないだろう。明け方に強襲するつもりなのかね?」
「はい。夜間ではミディアム・アーミィの皆さんの火力支援が難しくなりますから、同士討ちの危険もある。いずれにしても、夜明け近くにならなければ、ミディアム・アーミィの皆さんの準備が整わないでしょう。外は明るいが、まだ敵の大半が寝ている時間帯に奇襲するつもりです」
ジョーがそう答えた。
真夜中近くになって、ようやく亞唯と雛菊はキタウ訓練基地を見渡せる低い岩山の上にたどり着いた。
「忙しい作戦やな」
雛菊がぼやく。
「まあ仕方がない。ファタウ元副大統領がいつ殺されるかが判らないからな」
岩山の上で居心地のいい姿勢を探しながら、亞唯が答えた。
「夜のあいだに殺されへんやろか。夕食に一服盛って、朝になったら死んでる、とか……」
「ファタウは夜中にぽっくり逝くような年齢じゃないだろ。それは不自然すぎる。どう見ても不審死だし、国民のあいだから中立的立場の医者による検視をしろという要求が出るだろうし、そうなったら薬物の痕跡が見つかる。それに、毒を盛るくらいなら、殺しのプロであるシャウカン兄妹をわざわざ呼んだりしないはずだ。あたしの予想じゃ、事故を装って白昼堂々殺そうとするんじゃないかな。転落事故とか、車両事故を装ってね」
「せやろか……って、なんか来たで」
雛菊が、指差す。
ヘッドライトが、遠方から近付きつつあった。それも、複数だ。
「ヘッドライトの位置が高いし、左右に離れている。トラックっぽいな」
亞唯はその強化された眼でそう識別した。
「十台くらいおるで。こんな夜中に補給かいな」
雛菊が、訝る。
トラックの車列が、キタウ基地に近付いて減速する。
「げ。ZFB‐05までいやがる。しかも二両。補給じゃないぞ、これは」
光量増幅モードに切り替えて詳細を確かめていた亞唯が、うめく。ZFB‐05『新星』は、四輪の中国製軽装甲車である。軽装甲なので軍用ではなく、公安用車両に分類されるが、軍用トラックなどに比べればはるかに厄介な相手である。武装にも様々なバリエーションがあるが、これは80式7.62ミリ汎用機関銃を搭載したタイプのようだ。
ゲートを通過した車列は、基地内に入ると整然とした列を作って停車した。荷台から、続々と武装した兵士たちが降りる。その数、約百二十名。
「……とりあえず、スカディに報告だ。雛菊、伝令を頼む」
監視を続けながら、亞唯はそう依頼した。
「よっしゃ。まかしとき」
雛菊が立ち上がった。携帯電話は圏外だし、距離がありすぎて内蔵無線での通信も無理である。スカディに連絡するには、車と一緒に隠れているCIA協力者のところまで戻り、そこからまた車でしばらく走り、携帯の電波が繋がる村まで行く必要がある。
「アウハス少佐から報告です。トンデロ大尉率いる増援部隊は、無事到着。順次基地警備任務に就けるとのことです」
国家人民憲兵隊長、ジェレマイア・カナエ大佐は、そうスティーブン・クメルン内相に報告した。
「よろしい。素早い対応だった。感謝する」
疲れてはいたが、クメルン内相は無理やり笑みを浮かべ、部下を労った。
国家人民憲兵隊に、匿名で情報提供があったのは、五時間ほど前であった。ミディアム・アーミィの所属ではあるが、常勤の兵士ではない構成員たちに、緊急呼集が掛かったという。集められた彼らが向かうように指示されたのは、ノース・ウェスト州。
緊急の軍事作戦。ノース・ウェスト州。
報告を受けたクメルン内相の頭に即座に浮かんだのは、やはりキタウ訓練基地のことであった。明日中に、ファタウ元副大統領を殺害するように指示を出してある。それを嗅ぎ付けたミディアム・アーミィが、阻止しようと動き出したのではないか……。
アーチボルド・ファタウとミディアム・アーミィの関係は詳らかではないが、ミディアム・アーミィが慌ててノース・ウェスト州で軍事作戦を展開しようとしている、となれば、一番疑わしいのはやはりキタウ訓練基地への攻撃であろう。どのように知ったかは判らないが、ファタウ元副大統領の命が危ないと知って、その殺害を阻止しようとしている、と考えざるを得ない。
クメルンは、とりあえずカナエ大佐に対し、キタウ基地の防備を固めるように命じた。これを受けて、カナエ大佐が近隣基地から一個中隊ほどの兵力を素早く差し向けたのである。とりあえずこれだけの兵力を用いて警戒態勢を敷けば、ミディアム・アーミィ側も襲撃を諦めるだろう。明日の夜……いや、もう真夜中過ぎなので今日中には、オーブリー・シャウカン曹長がアーチボルド・ファタウ元副大統領の息の根を止めてくれるはずだ。……これがクメルンの見込み違いで、ミディアム・アーミィの目的が別のところにあったとしても、別に問題は生じないだろう。
「大佐。ご苦労だった。もう休みたまえ」
クメルンは部下に退出を促した。
「はい。閣下もお疲れのようです。お休みください」
カナエ大佐が、上司を労わるように言う。
「一仕事したらわたしも休むよ」
クメルンは、さっさと下がれ、という意味合いで手を振った。カナエ大佐が、小さく一礼してから、執務室を出てゆく。
カナエが消えると、クメルンは執務机の引き出しから大きな薬壜を取り出した。ねじ蓋を開け、中の白い錠剤を一振り手のひらに出し、そのまま口に放り込む。ボトルの水でそれを呑み下したクメルンは、大きく息をついた。
休んでいる暇はない。ただでさえ、内相と大統領代行の掛け持ちで忙しいのに、今は自分への支持拡大のために国民議会議員、経済界や産業界の要人、各国の外交官、マスコミ関係者、さらには各種団体の代表などと頻繁に会見しているのだ。もちろん、組織引き締めのために、部下や以前からの支持者への気配りにも時間を割かねばならない。
クメルンは薬壜を仕舞うと、積み上げられている未決書類に手を伸ばした。今呑んだアンフェタミンが効き始めれば、朝まで仕事ができるだろう。
雛菊が携帯電話を使って伝えた『キタウ基地に増援兵力が入った。中隊規模の歩兵百二十名と軽装甲車二両』という情報は、CIAがセケティア内に構築してある情報ネットワーク……と言っても、携帯電話を持っている協力者数名というのがその実態だが……を通じ、ジョーとスカディにも伝わった。
「まずいですわね」
幹線道路を北上するおんぼろのレイランド・トラックの荷台で揺られながら、スカディが言う。
「一個中隊が加わるとなると、この兵力では無理だな。夜中に急に増派したということは、襲撃を予期してのことだろう。警戒も厳重に違いない」
同乗しているアナシュ少佐が、そう分析する。
「裏を返せば、ミスター・ファタウが明日殺害されるという予想が、ほぼ確実なものになった、とも言えますけどね」
ジョーが、やや投げやりな口調で言う。
「どうしますの?」
スカディが、ジョーに訊いた。
「どうしようもないねぇ。このまま襲撃しても、まず確実に撃退されるよ。と言って、延期したらミスター・ファタウの命はないだろうし」
「何とかならんのか? CIAなら、無人機を飛ばしてもらうとか、空軍機を寄越すとか、やりようがあるだろう」
アナシュ少佐が、ジョーに詰め寄る。
「そんなことができるのなら、ミディアム・アーミィに助っ人を頼んだりしませんよ!」
ジョーが、言い返す。
「どこかに手を貸してくれる親切な武装組織さんはいませんかねぇ~」
ベルが、言った。
「少なくとも、セケティア国内にはいないな。近隣諸国でも、無理だ。セケティア政府が頼むんならともかく、俺たちが頼んでも手は貸しちゃくれない」
アナシュ少佐が、鼻を鳴らしつつ言う。
「はっと! シオは閃いたのです! 西アフリカと言えば、あたいたちのお友達がいるのであります!」
シオは挙手しつつそう発言した。
「お友達。……ああ、あの男ね」
スカディが、すぐにシオが誰のことを言っているのか理解する。
「彼ならば軍隊を動かせるのであります! お願いしてみるのであります!」
「お願いではなく、脅迫という方が正しいのではないでしょうかぁ~」
ベルが、笑顔で言う。
「え、どういうことだい?」
ジョーが、きょとんとした顔で問う。アナシュ少佐も、当惑顔だ。
スカディが、アナシュ少佐や同乗しているミディアム・アーミィ関係者に聞かれないように、日本語に切り替えて説明を始める。
「あ、あの件にも君たち絡んでたのか。それで、彼を脅せば手を貸してくれるんじゃないか、と考えたんだね。……うまく行くかな」
事情を聞いたジョーが、首を傾げる。
「あの件を公表されれば、失脚どころか隣国と戦争になりかねませんからね。手は貸してくれるでしょう。問題は、準備のための時間が限られていることですが……」
スカディが、言う。
「なおさら急ぐ必要があるのであります! すぐに電話するのです!」
シオはスカディを急かした。
「それはそうですが、いまここでわたくしが電話しても本人に取り次いでもらうまでに時間が掛かり過ぎますわ。ここはジョーを通じてCIAから圧力を掛けてもらった方が話が早いでしょう」
「そうだね! じゃ、さっそく本部に連絡するよ!」
ジョーが自分のスマホを手にした。幹線道路沿いなので、セケティアでも通話は確実に繋がるエリアである。
「どうなってんだ?」
日本語での盛り上がった会話を、目を丸くして見つめていたアナシュ少佐が、訊いた。
「わたくしたち、近所にお友達がいたことを思い出したのですぅ~。そのお方に頼めば、それなりの戦力を貸してくれるはずなのですぅ~」
ベルが、説明する。
「誰なんだ、そいつは?」
「訳あって正体を明かすわけにはいきませんが、かなりの大物なのです! うまく行けば、一個中隊くらい軽く蹴散らしてもらえるはずなのです!」
シオはうきうきしながら、そうアナシュに請け合った。
第二十二話をお届けします。




