第十八話
「こちらが管制室になります」
監視兵が、ごく普通のスチールの扉を開ける。
ディーン・アトウッド文化担当官とジョーの組に付いて来たのは、監視兵一人と訓練生一人だった。監視兵に促されて、アトウッドとジョーは管制室へと足を踏み入れた。
広さはごく普通の学校の教室ほど。映画やアニメなどでよく見られるように、壁一面にびっしりと多数のモニターが埋め込まれている……などということはなく、二列に分かれて並べられている事務机の上に、大型の液晶ディスプレイが数台置いてあり、その前にキーボードやマウスがあるだけで、一見するとちょっと変わったデスク配置の事務所といった雰囲気だ。ディスプレイの多くは4×4に区切られており、そこに監視カメラのライブ画像が映っている。一部のディスプレイに映し出されているのは画像ではなく、矯正施設の簡略化された平面図で、色分けされた小さな円や四角形が多数表示されている。ジョーはそれを、それぞれ警戒用センサー類の管制用、電気錠関係の管制用、収容房や各部屋の現況表示用のディスプレイだと判断した。
左手の壁はスチールの棚になっており、そこではカメラ映像を記録する多数のハードディスク類が低い唸りをあげて稼働していた。天井ではエアコンがせっせと冷気を噴き出し、電子機器が放つ排熱との静かな戦いを繰り広げている。
「ようこそ」
事前に連絡が来ていたのであろう。事務机に座っていた二人のうちの一人が、立ち上がってアトウッドを迎える。階級章は、軍曹だ。ジョーは、あえて前に出ずに、アトウッドの後ろに控えていた。賢いロボットだと思われて、警戒されるわけにはいかない。
打ち合わせ通り、アトウッドがさっそく技術的な質問を軍曹にぶつけ始める。もう一人の兵士……階級章は伍長だ……は、その様子を気にしつつもモニター監視の任務を続けるようだ。ジョーとアトウッドのお目付け役の監視兵は、管制室全体を見渡せる出入口付近に留まる。ジョーには、訓練生がぴったりと張り付いた。
ジョーは物珍し気に見えるように、あちこちを見渡しながら管制室をぶらぶらと歩んだ。時折、丁寧な口調で訓練生に質問を浴びせて、彼のITスキルを推し量る。その結果、訓練生君はスマホ持ちだが、コンピューター関連の知識はほとんど持ち合わせていない、ということが判明した。……これは好都合である。
ジョーは見学に飽きた、という体を装って、ハードディスクの並ぶ棚に背を向けて立った。視線は、アトウッドと軍曹に向ける。アトウッドは文系人間だったが、事前にジョーがレクチャーしたので、かなり突っ込んだ技術的質問を軍曹にぶつけ、完全に気を逸らすことに成功しているようだ。
ジョーの視線につられ、訓練生の眼も自然とアトウッドと軍曹に向けられた。伍長は、アトウッドと軍曹の会話を聴きながらモニター監視を続けている。監視兵の注意も、動きを止めたジョーからは離れている。
チャンスだ。
ジョーはさりげない動きで右手を後ろに回した。袖口から伸びたUSBケーブル……もちろん一端はジョーの腕にあるポートに繋いである……を指先で掴み、ハードディスクドライブのUSBポートに挿入する。人間なら、手探りでやらねばならないが、直前にUSBポートの位置を三次元的に『記録』しておいたので、迷うことなく一度で突き刺すことができる。
接続が確立したところで、ジョーはCIA謹製の侵入プログラムを流し込んだ。プログラムが空き領域を見つけ、そこに展開し、すぐに作業を開始する。
侵入プログラムの最初の仕事は、メインフレーム内での作業領域メモリーの確保であった。あまり多くのメモリーを確保すると、通常の業務処理に負担が掛かって異常検知されてしまうので、一部は画像記録用の複数のハードディスク内に仮想メモリーを作って対処する。
準備が整ったところで、侵入プログラムは仕事を開始した。最初の目的は、管理者アカウントの乗っ取りである。
ドゥーゼ・システムズのこの『統合管理警備システム』は、閉鎖系コンピューターネットワークである。つまり、有線無線を問わず、ネット回線と接続していないのだ。
このようなシステムの利点は、外部からのハッキングに極めて強いこと、である。たとえハッカーが管理者アカウントのパスワードを知っていたとしても、自分のマシンからハッキングすることが物理的に不可能なのだから。
その裏返しとして、そのようなシステムはメンテナンス面での不都合を甘受しなければならない。サービス企業から更新プログラムや修正パッチがネット回線を通じて送られてくることもないし、不具合が生じても遠隔で診断や修復が行えないのだ。
それに加え、キタウ基地は西アフリカの小国の、しかもかなり僻地にある。ドイツ国内はもちろん、事業展開しているヨーロッパや北米ならば、メール一本でドゥーゼ・システムズの技術者を呼び寄せる、といったことも可能だが、顧客の少ないアフリカでは、それも難しい。
そのような状況ゆえに、ジョーは当システムにおいて管理者アカウントは通常のシステムよりもより大きな権限を有していると踏んでいた。管理者権限で一部のシステムを切り離したり、プログラム内容を変更したりするなどの『現場での応急処置』が出来なければ、何らかの不具合が発生した際に長期間システムがダウンしてしまうおそれがあるからだ。
すでにジョーは、CIAがドゥーゼ・システムズに関して集めた情報から、管理者アカウントのパスワードが『英単語ひとつと幾つかの数字』である可能性が高いと判断していた。
数字はおそらく、四桁から八桁程度。最近は『安全のために』やたらと長いパスワードが推奨されているが、人間の記憶には限界があり、出鱈目な数列や文字列を大量に覚えておくのは至難の業である。その結果、安全なはずの長いパスワードを、メモ用紙やポストイットに書き付けてすぐに参照できる場所に貼り付けておいたり、自分が絶対に忘れない単語や数字を組み合わせて流用したりして、セキュリティレベルを下げてしまうことになる。完全に覚えて置ける短いパスワードを、頻繁に変更するのが、ことパスワードに関しては正解なのだ。
パスワード破りによく使われるのが、『辞書攻撃』である。パスワードに使われそうな単語や数列を総当たりで試してみる、という『下手な鉄砲数打ちゃ当たる』的な力づく攻撃だ。ただし、ほとんどのシステムがパスワードの入力回数に制限を設けているので、試行が繰り返されればシステムが反応し、入力をブロックしてしまうので、よほど甘いセキュリティのシステムでない限り上手くはいかない。
そこでジョーが今回採用したのは、データロガーを使う方法であった。
データロガーとして有名なのは、キーロガーであろう。キーボードによる入力時の信号を記録するプログラムであり、暗証番号を盗むなどの犯罪行為によく使われるものだ。ジョーが使ったのは、キーボードだけではなくマウスやタッチパッド、タッチパネルなど入力デバイスすべてを記録できるタイプのデータロガーであった。これが、内部LANを通じて管制室内の端末のひとつに仕掛けられる。同時に、プログラムがその端末を通じて、接続している専用液晶ディスプレイの制御を乗っ取った。
監視カメラの映像を映し出していたディスプレイのひとつが、いきなりブラックアウトした。驚いた伍長が身を乗り出し、マウスを動かしたりキーボードを叩いたりして反応を見たが、ディスプレイは暗いままだ。伍長はディスプレイの電源を確認し、ケーブルが緩んでいないかを確認し、他のディスプレイに異常がないことを確認したうえで、上司を呼んだ。
「軍曹。ナンバー4が異常です」
呼ばれた軍曹が、アトウッドに断りを言ってからその場を離れ、ブラックアウトしたディスプレイに寄った。伍長同様に電源その他を確認し、接続してあるキーボードとマウスをチェックする。もちろん、ディスプレイは暗いままだ。
軍曹が首をひねりながら、アトウッドの視線を遮るようにキーボードに屈み込み、立ったまま慣れた手つきで何かを入力した。データロガーが、キー入力を記録し、それが管理者アカウントのパスワードであると判定する。
かくして、ジョーの送り込んだ侵入プログラムは、正規の管理者アカウントを稼働開始から七分ほどで入手することに成功した。
カーク・モランと名乗っているアル、それにシオとベルのコンビに割り当てられたのは、監視兵……階級は伍長……一人と訓練生三人であった。
収容区画へ行くには、監視兵が常に張り付いているゲート一か所を通り抜けるだけでよかった。通常の刑務所などよりも『緩い』が、仮に収容施設の外へ脱出できたとしても、そこは国家人民憲兵隊の訓練基地内であり、武装した兵士や訓練生がうじゃうじゃいるのだから、経費節減のためにわざと甘めに造ってあるのだろう。
伍長が、二重になった鉄格子のゲートの解錠を監視兵に依頼する。監視兵が、デスクの上の小さなディスプレイにタッチペンを押し当て、管制室に電気錠の解錠を依頼した。管制室が監視カメラ映像、周辺のセンサー反応状況等を確認し、解除信号を送る。ブザーが鳴り、伍長が一枚目の鉄格子扉を押し開けた。アルとシオ、ベル、伍長、それに訓練生三人が、二枚目の鉄格子扉の前まで行ったところで、一枚目の鉄格子扉が閉まり、施錠される。監視兵が、手でがちゃがちゃと動かして、鉄格子扉の施錠状態を確認し、さらにディスプレイを覗き込んで正常に施錠されたことを確認してから、二枚目の鉄格子扉の解錠を管制室に依頼する。
救出対象のヤクブ、サーポン、ハンブラーの三人が収容されている監房の場所は、ミディアム・アーミィから渡された資料ですでに判明している。収容区画に入ったアルは、そちらとは反対方向に案内するように伍長に依頼した。まずは、収容者の住環境を確認したいという名目で、空き監房を見せてもらう。
『あー、みんな、聞こえるかい? とりあえず管理者権限ですべてのシステムにアクセスできるようになったよ。シオ、ベル。行動開始していいよ』
ジョーから、通信が入った。多少電波が弱くなるが、収容施設内で無線が通じることは、ミディアム・アーミィの資料で確認済みである。監視兵たちも、内線電話や館内LANのバックアップ用に、無線機を常備している。
『では、ベルちゃん、お願いしますなのです!』
シオはジョーからゴーサインが出たことを、身振りでアルに告げながら無線を送った。
『わかりましたぁ~。では、ジョーきゅんお願いしますなのですぅ~』
ベルがそっと監房を出ながら、そう無線を送る。
ジョーはUSBポートを通じ、『工作』を開始した。
まずは、収容区画の一部……アルたちがいる処から、ヤクブ、サーポン、ハンブラーの三人が収容されている監房付近へのルート上……を映している監視カメラのライブ映像を、昨日同時刻に記録されたものと差し替える。この手の画像はほとんど動きがないので、偽装を見破られるおそれはまず無い。
モーションセンサーにも手を加え、監視用ディスプレイ上では正常に見えるように工夫しつつ、オフにしておく。
それが済むと、ジョーは陽動を開始した。アルたちの近くにあるモーションセンサーに、テスト用信号を送って反応があったかのように偽装する。
すぐに、監視役の伍長が気付いた。隣にある監視カメラのディスプレイ上で、センサーに連動して赤枠表示された映像をマウスでクリックし、拡大表示にする。
「軍曹、センサーN18が反応。ですが、カメラに異常なしです」
伍長が、ディスプレイを注視したまま報告する。
「また異常か?」
軍曹が、駆け寄る。ちなみに、先ほどの『ディスプレイブラックアウト』は、パスワード奪取成功直後にジョーが正常に戻したので、『原因不明のまま原状復帰』ということで放置されている。
軍曹がキーボードを叩き、該当センサーの動作状況のログを呼び出した。
「また反応です」
伍長が、言う。
「収容区画に行ったのはクワエ伍長だな」
別のディスプレイ……アルたちが映っている……の画像を確認した軍曹が、ベルトに付けた無線機を抜いた。
「クワエ伍長。こちら管制室。済まんがゲストの案内を中止して、センサーを見てきて欲しい。第6通路、監房28の前だ」
アルに断りを言って、監視兵のクワエ伍長が足早に去る。
さっそく、アルが陽動を開始した。早口で二人の訓練生に質問を浴びせ、釘付けにする。シオも負けじと残る一人の訓練生に向かってあることないこと聞き始めた。
その隙を衝いて、ベルがそっとその場を離れる。
『ジョーきゅん。行動開始しましたぁ~』
無線で報告したベルは、足音が響かない程度の小走りを始めた。時間の余裕はあまりない。
天井にはいくつものモーションセンサーが設置されているし、要所要所には監視カメラの姿があるが、どちらもジョーが『無力化』してくれているはずである。ベルは『12』と札が付いている監房の前で足を止めた。セケティア・タイムズの新聞記者、サミュエル・ハンブラー氏が収監されている監房である。
『ジョーきゅん、12番を開けてくださいぃ~』
ベルの要請に応えて、ジョーが電気錠を解錠する。
「何だね、君は?」
監房内に踏み込んだベルに驚き、痩身の初老の男が身構える。
「わたくし、お味方ですぅ~。『トライロバイト』さんですねぇ~」
ベルがCIAが使っている自分の暗号名を口にしたので、ハンブラーが驚きながら若干警戒を解く。
「これは正規の作戦ですぅ~。ご協力を願いますぅ~。あなたと他二名を、当施設から脱走させますですぅ~」
「脱走? 何が目的だ?」
ハンブラーが、訝る。当然だろう。いくらCIAの協力者とは言え、独房にいきなり妙なロボットがやって来て『脱走します』と言われて、ほいほいと付いて行く気にはなれない。
「詳しいことはあとでお伝えしますぅ~。とにかく、時間が無いのですぅ~。後のお二人、ミスター・ヤクブとミスター・サーポンの説得も手伝って欲しいのですぅ~」
「アンブローズとナサニエルも助けるのか。色々と政治的思惑がありそうだな。まあ、久しぶりにスコッチを味わうのもいいかもしれんな。よし、連れて行ってくれ」
ハンブラーが、微笑んだ。
「スコッチがお好きですかぁ~。あなたとは気が合いそうですぅ~」
ベルは笑顔になると、ハンブラーを監房の外へと導いた。
第十八話をお届けします。




