第十二話
内務省の執務室で、スティーブン・クメルン内相は渋い表情を取り繕いながら、内心ではほくそ笑みつつ机上に広げた地図と手描きの見取り図を見下ろしていた。
フフロ村強襲作戦の状況は、現地の陸軍部隊および国家人民憲兵隊部隊を通じ、無線あるいは電話回線を通じて逐次入手できている。補佐官の一人と国家人民憲兵隊の二人の下士官が、伝えられる情報を口頭でクメルンに報告するとともに、見取り図にグリース・ペンシルを使って部隊の移動や損害状況を書き込んでゆく。
作戦は、否もはや作戦とは呼べぬ単なる『戦闘』になってはいるが……は、クメルンの期待以上の『成果』を上げつつあった。
特殊任務中隊は、日本人人質の早期確保に失敗し、ミディアム・アーミィ側の反撃にあって徐々に損害を増やしている。フフロ村制圧を目指した空挺部隊も、かなりの火力に晒されて突入に失敗し、村の手前で立ち往生。そしてついに、迫撃砲部隊がフフロ村に対し砲撃を開始した。いまだ人質が捕らわれている場所すら特定できていないのに。
……ファウザン中佐に『脅し』を掛けておいたのは、正解だったな。
地図に記された軽迫撃砲を表すNATO式の兵科記号……横棒が加わった上向きの矢印と丸の組み合わせで、『雄』を表すマークに似ている……を指で押さえながら、クメルンは部下に気付かれぬようにこっそりと微笑んだ。空挺連隊長モーリス・ファウザン中佐に、万が一ミディアム・アーミィ側に大火力の火器があった場合に備え、こちらも砲兵火力を準備した方がいい、と勧めたのは、クメルンだったのだ。
さらに嬉しいことに、国家人民憲兵隊のドゥエイン・フォソン中尉から、CIAのロボットが突撃銃とトラックを借りて、フフロ村に向かったとの報告が入った。まさに、理想通りの展開である。
日本人人質の安否は不明だが、救出作戦は完全に失敗したとみていいだろう。陸軍の損害も大きい。CIAのロボットたちも、少人数かつ軽火器だけでは、大したことはできまい。
モーガン・ナナ国防相は面子を失う。サポート役に徹した国家人民憲兵隊は実害なし。それどころか、国家人民憲兵隊が入手した貴重な情報に基づく作戦を、いわば『手柄を上げる機会を譲られた』はずの陸軍がものの見事に失敗したことで、却ってクメルン内相の評価が高まることに繋がる。作戦に加わったCIAも面子を失うから、中国のご機嫌取りにもなるだろう。
「ヴィクター、あとは頼むぞ。我々の脱出を確認したら、その後は自己判断で降伏してよろしい」
アナシュ『少佐』は部下にそう告げると、ビグネロン短機関銃を手に建物を飛び出した。
「少佐、こちらです!」
日本人人質三人を連れたオーガスタスと、その部下がアナシュの姿を見つけて呼ばわった。その向こうには、サマリ霊媒長とクリスティーナ、彼女らの護衛役二名を連れたサブリーナの姿もある。
どかんどかんと、迫撃砲の弾着音が響く。アナシュ『少佐』はひやひやしながら建物のあいだを走り抜け、オーガスタスらに合流した。豊富な実戦経験の持ち主で、『撃ち返せる』敵が相手ならば臆することはないアナシュだが、避けることも反撃することもできない砲弾は、やはり怖い。
「車庫まで行くぞ。オーガスタス、先導しろ」
一瞥でサマリ霊媒長とクリスティーナの無事を確認したアナシュ『少佐』は、そう命じた。村の一郭に、使用できる車両をまとめて隠してあるのだ。人目に触れないようにしたのは、もちろん陸軍や空軍による空中偵察から逃れるためである。貧しい村に型が古いとはいえ四輪駆動車やトラックが何台も並んでいたら、確実に怪しまれてしまう。
「先導なら、この子にお任せください」
サマリ霊媒長が言って、クリスティーナの肩をぽんと叩く。
「彼女が?」
アナシュはクリスティーナをまじまじと見た。
「霊が、砲弾が落ちる場所を教えてくれます」
澄ました顔で、クリスティーナが答えた。
間歇的に迫撃砲弾が落下する中、アナシュ『少佐』率いる奇妙な一行……ミディアム・アーミィの戦士四人、ミディアム・グループの霊媒二人、その護衛二人。そして日本人人質三人の合計十一人……は村の中を駆け抜けた。
先頭をゆくクリスティーナが、時折停止や迂回を指示する。そのたびに、進路前方や直進していれば被弾したであろう位置に迫撃砲弾が落下し、炸裂した。
「よかった、無事だ」
車両を隠している大きな建物……穀物倉庫兼村の集会所……が無事であることを眼にしたアナシュ『少佐』は、胸をなでおろした。中には、トラック一台と四輪駆動車二台、それにサマリ霊媒長らが乗って来たルノーのミニバンが停まっている。
「待って」
駆け出そうとしたオーガスタスとアナシュ『少佐』の腕を、クリスティーナの小さな手が掴んで制した。
どかん。
皆が見守る前で、迫撃砲弾が穀物倉庫兼集会所を直撃した。弾殻が、車両の燃料タンクを破って引火したのだろう、すぐに炎と黒煙が吹き上がる。派手な爆発とともに、屋根の一部が吹き飛んだ。紅蓮の炎が建物全体に回り、もう一度爆発が起きて壁が崩れ、松明と化した屋根がぐらりと傾く。
「あああ」
サブリーナが、悲鳴とも嘆息ともつかぬ奇妙な声をあげる。
「少佐。他の車両は?」
サマリ霊媒長が訊いた。
「ない。あそこにあった三台……いや、四台がすべてだ。あとは自転車すらない」
首を振りながら、アナシュが答えた。
「とにかく、村の外へ逃げよう。このままでは砲撃にやられる」
気を取り直したアナシュ『少佐』が、逃げる方角……敵の増援部隊が来るのとは逆の方向……を腕で指し示す。
「撃ち方止め!」
ジョナサン・ダルコは大声で部下に命じた。
およそ十名と見積もられる敵との銃撃戦は、ジョナサンたちの『勝利』に終わった。敵は五体ほどの死体を残し、走って逃げてゆく。
とは言え、こちらの損害も少なくはなかった。頭部に一発喰らったローレンスは、屋根の上から転がり落ちて、今は地面の上で大の字になってこと切れている。
「とりあえず降りるぞ」
ダルコは、残った部下……マルコムとキンバリー……にそう命じた。屋根の上では、迫撃砲の砲撃を浴びた場合、逃げる場所がない。
屋根から滑り降りた三人は、こちらに向かって走ってくる一行に気付いた。アナシュ『少佐』たちだ。
「ジョナサン! 敵は?」
息を荒げながら、アナシュ『少佐』が訊く。
「前面の敵は撃退しました。ローレンスがやられましたが」
渋い表情で、ダルコは応じた。
「よし。こちらから脱出しよう。ジョナサン、お前たちも一緒に来い」
前方を伺いながら、アナシュ『少佐』が命じた。
「待ってください。車両が近付いてきます」
双眼鏡を使っていたキンバリーが、そう報告した。
「車両だと?」
アナシュ『少佐』が、自分の双眼鏡を取り出した。ダルコも、自分の双眼鏡を取り出し目に当てる。
「軍か国家人民憲兵隊のトラックだな。……ちょうどいい、あいつをいただこう」
双眼鏡を下ろしたアナシュ『少佐』が、にやりと笑う。
「オーガスタス、人質を前に立てろ。ジョナサン、後ろを頼む。全員、発砲を控えろ。陸軍であれ国家人民憲兵隊であれ、人質が居る以上こちらに逆らえないはずだ。なんなら、トラックと引き換えに一人くらい解放してやってもいい」
「なんか出てきたぜ」
EQ2080六輪トラックのハンドルを握る亞唯が、言った。
「……人質が居るようですわね。どういうつもりかしら」
スカディが、顔をしかめる。
「撃ってこないな。敵だと判りそうなもんだが」
亞唯が、言う。スカディが、うなずいた。
「交戦意図がないということかしら。もう少し近付いてみましょうか。ただし、慎重にね」
「こっちに用事があることは確かみたいだな。どうする?」
若干アクセルを緩めるように雛菊に指示を出しながら、亞唯が訊いた。
「近付きすぎるのは考えものですわね。そうね、三百メートルほど離れた位置で横向きに止まりましょう。亞唯、雛菊。すぐに逃げだせるように準備して」
スカディが、そう指示を出す。続いて、荷台のジョー、シオ、ベルにも状況と対応を、無線で伝達した。
「そろそろ止まるぞ」
亞唯が、ハンドルを切る。スカディはいつでも発砲できるように、97式自動歩槍を肩付けした。
「隊形を保ったまま前進! 銃口をトラックに向けるな! 戦う気が無いことを示すんだ!」
停止したトラック……近付いたので、国家人民憲兵隊のEQ2080だと判った……に向け移動するように、アナシュ『少佐』は命じた。
迫撃砲による砲撃はいまだ続いており、どちらの物とも判別できない銃声や爆発音は聞こえてくるが、今のところアナシュらに向けて撃ってくる者はいない。トラックからも、銃撃は無かった。……人質が居るのを知って、うかつに撃つべきではないと判断したのだろう。
一同は、小走りにトラックに近付いた。
「どうやら、目当てはこのトラックのようですわね。逃げる手段が欲しいのでしょう」
手にした銃器の銃口をあからさまにこちらに向けないようにして、急速に近付いてくる一団を見て、スカディがそう推測する。
「撃ってこないのは、トラックを壊したくないからか。で、どうする?」
亞唯が、訊く。
「ジョーに任せるしかないでしょう。トラックと人質三人を交換できるとは思えませんけれど」
スカディが、やや投げやりな口調で言う。
「おや。サマリ霊媒長とクリスティーナもいるぞ」
小走りの一団の中に、知った顔を見つけた亞唯が、驚きの声をあげる。
「まあ、ミディアム・アーミィは彼女たちの庇護者ですし、居てもおかしくはありませんけれど……ここで出くわしたのが吉と出るか凶と出るか……」
スカディが、首をひねる。
「ということで、援護を頼むよ。これ、預けとくから」
ジョーが、自分の97式自動歩槍をシオに預け、トラックの陰から歩み出す。
「さすがジョーきゅんなのであります! 度胸があるのであります!」
トラックに隠れて援護射撃の態勢を取りながら、シオは言った。
「同感なのですぅ~」
同じく援護射撃の態勢で、ベルが同意する。
こちらは六体。相手は十人以上。遮蔽物がある分こちらが有利だが、油断はできない状況である。
「ロボットか?」
とことこと出てきたジョーを見て、アナシュ『少佐』が驚く。
「あれは、CIAのロボットですわ」
同じく驚いた表情で、サマリ霊媒長が言う。
「知っているのですか、霊媒長?」
サブリーナが、訊いた。
「はい」
「まあいいでしょう。国家人民憲兵隊だろうが、CIAだろうが、状況は変わりません」
アナシュ『少佐』が言う。
一同は、トラックから五十メートルほど離れた位置で立ち止まっていた。相変わらず三人の日本人人質を前面に押し立て、オーガスタスとその部下が銃口を控えめに人質に突き付けている。
アナシュ『少佐』が、交戦意図が無いことを示すために、ロボットたちがよく見えるような位置で、手にしていたビグネロン短機関銃をダルコに手渡してから、数歩前に出る。
「わたしはミディアム・アーミィの幹部、バーソロミュー・アナシュだ! そのトラックを拝借したい!」
「あ、どうも。ボクはCIAのジョーだよ。ボクたちは、日本人人質の安全確保が目的なんだ。ミスター・アナシュ。あなた方の安全は保障するし、トラックも差し上げるから、人質を解放してくれないかな?」
トラックの前に居るロボットが、そう返答する。
「人質は解放できない! わたしにはその権限がない。だが、現状では我々も人質の安全を保障できない! このままでは、砲撃で人質が死傷する可能性が高い! 人質の安全のためにも、トラックを寄越したまえ!」
アナシュはそう言ってCIAのロボットに揺さぶりを掛けた。
「それは虫が良すぎるんじゃないかな、ミスター・アナシュ。トラックが欲しければ、そちらも何か譲歩すべきだよ」
CIAのロボットが、言う。
どかんどかん。
平行線を辿る交渉を嘲るかのように、かなり近い場所に迫撃砲弾が相次いで着弾した。風に乗った砂煙が、こちらにも漂ってくる。
「これでは埒が明きませんわね」
サマリ霊媒長が言って、クリスティーナの手を引いて進み出る。
「霊媒長!」
サブリーナがとっさに手を伸ばしたが、サマリはそれを華麗に躱した。付いて行こうとした護衛二人も身振りで押し留め、クリスティーナと共にトラックの方へ歩む。
「霊媒長、危険ですぞ」
アナシュ『少佐』は、二人の霊媒のあとを追った。
「少佐。任せてください。あのロボットたちは信用できます。ですから、わたしとクリスティーナが、ロボットたちの人質になります」
「なんですと?」
サマリ霊媒長の言葉に、アナシュは驚愕した。
「ジョー。わたしとクリスティーナが、あなた方の人質になります。代わりに、トラックをアナシュ『少佐』に使わせてあげてください。いかがでしょうか?」
さらにトラックの方に近付いたサマリが、ジョーに対しそう呼びかける。
「なんだかややこしいことになってますわね」
銃口を逸らしてはいるが、まだ97式自動歩槍を構えたままのスカディが、ぼそっと言う。
『うわー。そう来たか。スカディ、どう思う?』
ジョーからの無線が入る。
『あのお二人を人質にしても、こちらには全く利益がありませんわ。日本人人質と交換してもらえるとも思えませんし』
スカディはそう答えた。
『だけど、いずれにしても日本人人質はここから連れ出さないとやばいだろ。いっそ、このトラックで全員逃げるか』
亞唯が、無線で口を挟む。
『みんなで乗れるでしょうかぁ~』
ベルも、口を挟んでくる。
スカディは素早く計算した。こちらの六体。人質が三人。サマリ霊媒長とクリスティーナ。兵士たちが、九人。合計で、十四人と六体。ちょっと定員オーバーだが、乗れないことはない。
決断したスカディは、トラックのキャブから身を乗り出した。
「こうしましょう。サマリ霊媒長とクリスティーナは、こちらの人質として預かります。皆さんは全員、トラックに乗ってよろしい。安全な場所まで、お連れしますわ。とりあえず、休戦協定を結んで、この場を離れましょう」
スカディの提案を聞いて、ミディアム・アーミィの面々が顔を見合わせる。
「妥当な提案ですわね」
サマリ霊媒長が、すたすたと歩み寄り、スカディと視線を合わせた。
「乗せていただけます?」
「もちろん」
スカディは助手席のドアを開けて飛び降りた。サマリ霊媒長が歩み寄り、キャブに登ろうとする。
「霊媒長!」
困り顔のアナシュ『少佐』が、叫ぶ。
「大丈夫です。このロボットたちは、信用できますよ。霊が、そう言っています」
振り返ったサマリが言って、笑顔を見せた。
「クリスティーナ。あなたは荷台の方に乗りなさい。なすべきことは、判っていますね」
シートに納まったサマリ霊媒長が、言う。
「はい、霊媒長」
クリスティーナが、サマリを見上げてうなずいた。
第十二話をお届けします。




