第十一話
フフロ村にミディアム・アーミィが持ち込んだ無線機に、妙な通信が入ったのは午後二時十五分頃のことであった。
発信者は名乗らず、一方的に『本日午後二時三十分に、フフロ村に対し陸軍と国家人民憲兵隊による強襲が行われる』と二回繰り返した。無線当番を務めていた女性兵士が、すぐに不明発信元に対して正しいコールサインの使用と再送を求めたが、返って来たのは雑音だけであった。
……いたずらではない。
女性兵士はそう判断した。この周波数は、部隊ごとに事前に取り決められたもので、発信は緊急時のみに制限されており、さらに軍や内務省の傍受を防ぐために一日二回変更されている。今日は一度も送受信をしていないので、部外者がここフフロ村に居る部隊がこの時間に使用している無線周波数を知っているはずがない。
つまり、発信者は内部事情に詳しい者だ。
女性兵士は無線機を設置してある部屋を飛び出した。
部下から報告を受けたバーソロミュー・アナシュ『少佐』は、腕時計を見た。
午後二時十九分。……無線での警告が本当ならば、あと十分ほどで攻撃が始まる。
この短時間で、全員が脱出の準備を整えることは不可能だ。それに、これが陸軍や国家人民憲兵隊の罠だった場合は、慌てて逃げ出せば却ってそこを狙って攻撃されるだろう。最善手は、やはり迎撃だろう。その準備は、ほぼ整っている。まず迎撃して時間を稼ぎ、人質と霊媒長……現時点で最優先で守らねばならぬ対象……の移動準備を整える。
「ミラベル! 無線に戻って将軍に連絡だ! ヴィクター! 非常呼集! おそらく敵は隣村から来るはずだ。ティモシー! 機関銃を高い位置に据え付けろ! オーガスタス! お前は人質の移動準備だ! サブリーナ! 霊媒長にも移動準備をさせろ! ジョナサン! 三人連れて周囲を警戒しろ! 敵はどこから来るか判らんぞ!」
アナシュ『少佐』は矢継ぎ早に指示を出した。
アナシュ『少佐』の命令で、手近の民家の屋根に登ったジョナサン・ダルコは、敵の姿を求めて周囲を見回した。
「ジョナサン。あそこ、変じゃないですか?」
女性の部下の一人で、双眼鏡を覗いていたキンバリーが、それを眼に当てたまま腕を真っすぐに伸ばして指差す。
「どこだ?」
訊きながら、ダルコも自分の双眼鏡を覗いた。
「なんか、土盛りみたいなものがあります。以前は、無かったような気が……」
キンバリーが言う。ダルコは、双眼鏡をわずかに動かして土盛りとやらを探した。
あった。
三百メートルほど離れたところに、わずかに不自然な土盛りのようなものがあった。ひとつだけならば見落としていたかも知れないが、同じくらいの土盛りが八個くらい、たいして広くない箇所に……テニスコート二つ分くらいか……散在している。
……あやしい。
昨日はそんなに風も強くなかった。乾いた土が吹き寄せられたなどということはないだろう。何らかの野生動物が地面を掘った可能性はあるが、それにしても不自然である。
ダルコは双眼鏡で観察を続けた。と、そのひとつがわずかに持ち上がるかのように動いた。
「ありゃ敵だ! 射撃用意!」
ダルコは双眼鏡を仕舞うと、下にいる味方に『敵発見。交戦する』というハンドサインを送ってから、SIG510‐4を肩付けした。
「マルコムは右端から、ローレンスは左端から。キンバリーは中央手前の敵を狙え。俺はその奥を撃つ」
ダルコはそれぞれに目標を割り当てた。……歩兵戦闘では標準的な手順である。各自が撃ち易い目標を狙うと結果的に複数が同じ目標を撃つことになり、非効率となる。それに、狙われていない敵は落ち着いた精密射撃を行うことが可能なので、こちらの被害が出易くなってしまう。
「撃て!」
ダルコは命じた。三人の部下が、セミオートで撃ち出す。SIG510‐4の遠射性能はオリジナルには負けるが、それでもかなり良好である。
ダルコも自分のライフルを撃った。ダルコが三発目を放った直後に、敵の反撃が始まる。
「始まったようね」
ぱんぱんぱんという遠い銃声を聞きつけたスカディが、ぼそりと言った。
AI‐10たちは、光学ズームと電子ズームを併用して映像を拡大し、戦況を見守った。
じきに、戦火はフフロ村の周囲すべてに広がった。たたたたたっ、という汎用機関銃らしい銃声も混じるようになる。
「くそっ」
特殊任務中隊長、ヒューバート・アニン少佐は毒づいた。
理由は不明だが、奇襲は完全に失敗していた。フフロ村の周囲に展開している部下たちは果敢に反撃しているが、火制されて一歩も動けずにいる。特に、屋根の上に据えられた機関銃からの射撃は正確無比で、すでに何名もの部下が被弾していた。このままでは、全滅しかねない。
「早く来てくれ、大尉」
アニン少佐は、百五十名の空挺部隊員を引き連れてフフロ村に向かっているであろうクワレイ大尉の、一秒でも早い到着を念じた。
クワレイ大尉に率いられた百五十名の空挺部隊員を乗せた92A式装輪装甲車四両と、東風EQ2102トラック六台が、フフロ村に接近する。
外縁まで三百メートルを切ったところで、村内に一瞬大きな火炎が生じた。次の瞬間、先頭の92A式装輪装甲車に細長い弾体のロケット弾が命中し、タンデム弾頭の一発目が前面装甲を撃ち抜いた。二発目が車内に突入して炸裂し、車体上部が爆発によって引き裂かれる。
使用されたのは、ロシア製の対戦車ロケットランチャー、RPG‐29であった。『ヴァンピール』(吸血鬼)の愛称を持つ、百五ミリ口径の肩撃ち可能な発射機である。RPGという名称ではあるが、たいていの人が思い浮かぶRPG‐7やその発展型とは異なり、長さ百八十五センチほどの後装式円筒形ランチャーで、有効射程は五百メートルという歩兵携行用としてはかなり『大型』の兵器である。
発射された弾体は、対戦車用のPG‐29V。その貫通力は、側面からならば爆発反応装甲を持つ最新MBTでさえ仕留められると言われているほどなので、装輪装甲車の前面装甲程度であれば、いかなる角度からでも易々と撃ち抜くことが可能だ。
92A式装輪装甲車が爆発した直後、別な位置から簡易な三脚に据えられたAGS‐30自動式グレネードランチャーが発砲を開始した。ロシアオリジナルの30×29mmは、西側標準の40×53mmよりも低威力だが、対人用のHE(高性能榴弾)であるVOG‐30Dの殺傷力はかなり高い。後方を走るEQ2102に向けて、毎秒六発というハイレートで発射された擲弾が、地面や走るトラックに当たって炸裂し、弾片を撒き散らす。たちまち二台のトラックが擱座し、もう一台がキャブに直撃を受けて走行不能となった。
空挺部隊は大混乱に陥った。
「霊媒長! 避難のお支度を!」
血相を変えて部屋に飛び込んできた女性兵士が、叫ぶ。
「すでにできています」
エリザベス・サマリ霊媒長は落ち着いた声でそう答えた。
銃声が聞こえるほんの少し前から、サマリとクリスティーナは霊の動揺を感じ取っており、危機が近付いていることを知った。護衛の二人にそのことを告げ、異常事態が迫っていることをアナシュ『少佐』に報せようとした矢先に、銃声が聞こえ始める。こうなっては警告しても無意味、と判断したサマリは、全員に逃げる支度をするように告げて、準備が整ったところで、女性兵士が飛び込んできた……というところだ。
「こちらへ」
女性兵士が、民家の外へ一同を導いた。二人の護衛がSA FN自動小銃を構え、サマリとクリスティーナを庇うような位置に移動する。
「あちらに、トラックと四輪駆動車を隠してあります。すぐに、『少佐』が合流するはずです」
女性兵士が、サマリの了承を得ないまま駆け出した。護衛二名を左右に従えて、サマリとクリスティーナも走り出した。
三台目の92A式装輪装甲車が、装甲車隊を指揮していたヨッハス中尉共々爆発四散したところで、空挺部隊を指揮していたクワレイ大尉の自制心がついに切れた。
作戦開始前は、楽な任務だと考えていた。数名程度の死傷者は覚悟していたが、空挺部隊がフフロ村に駆け付けるころには特殊任務中隊による人質救出は終わっており、クワレイ大尉の仕事は残敵掃討になるだろうという予想であった。むしろ、手柄を立てたいがゆえに、特殊任務中隊が人質救出に失敗し、クワレイ大尉自らが精鋭の部下を率いて村内に突入、見事人質を救出するというおいしい展開にならないか、と密かに期待していたほどだ。
ある意味その期待通りに、特殊任務中隊は救出作戦に失敗し、ミディアム・アーミィの反撃にあって窮地に陥っているようだ。だが、窮地に陥ったのはクワレイ大尉も同様であった。装甲車三両が鉄屑と化し、トラック隊も身動きが取れない状態なのだ。周囲にろくな遮蔽物は無く、兵士たちは擱座したトラックを盾にして反撃しているが、村から想定外の高火力を浴びせられて、続々と死傷している。
無理にフフロ村に突撃すれば、さらなる銃火を浴びて全滅必至。壊れたトラックを捨てての退却も、狙い撃たれて失敗するだけだ。この場に留まって反撃を続けたとしても、損害が増えるばかりで埒が明かない。
……もっと火力が必要だ。全滅しないためにも。
無線で窮状を総指揮官のモーリス・ファウザン中佐に報告し、救援を要請しようと、擱座したトラックの後ろで無線機のマイクを握っていたクワレイ大尉は、その考えを捨てた。ファウザン中佐なら、村内に居るであろう日本人人質の安全を気遣って、消極的な手しか打ってくれないだろう。それでは、部下が全滅してしまう。
プリセットされていた周波数を、93式六十ミリ迫撃砲二個小隊を指揮するランピー中尉の無線周波数に素早く切り替える。
「リチャード! クワレイだ。砲撃開始! 村内から対戦車火器で猛攻を受けている。急いで支援砲撃をくれ!」
『大尉殿、中佐の承認は?』
戸惑ったようなランピー中尉の返信が返ってくる。
「時間がない! このままじゃ作戦失敗どころか全滅しかねない! とにかく撃て! 責任は俺が取る」
クワレイ大尉はマイクに向けて怒鳴った。
『了解。座標指示を』
「既設定でいい。適宜修正指示を出す。初弾から効力射だ。急げ!」
どかん。
爆発音が響き、断続的に続いていた重機関銃の発射音が途絶えた。まず間違いなく、最後の92A式装輪装甲車がやられたのだろう。
間隔を開けて据えられた八門の93式六十ミリ迫撃砲が、リチャード・ランピー中尉の合図で一斉に火を噴く。
93式六十ミリ迫撃砲は、通常の歩兵部隊ではなく、空挺部隊や山岳部隊、軽歩兵部隊などの機動性の高い部隊での運用を想定して開発された迫撃砲である。全備重量は二十三キログラム程度と軽量ながら、五千五百メートルを超える有効射程を持つ。最大発射レートは、一分間に二十発。通常の迫撃砲同様、砲身と砲床、脚部の三つに分解して運搬することができ、最低五人いれば砲弾と共に移動して展開、射撃を行うことが可能だ。
高い弾道を描いて発射された榴弾は、相次いでフフロ村に降り注いだ。数秒後に、二斉射目が降り注ぐ。榴弾内部に仕込まれた金属球が、弾殻と共に弾け飛び、立ち並ぶ民家を続々と打ち壊し始める。
「あ、あかんで、これ」
雛菊が慌てる。
フフロ村に、十数個の爆煙が立ち上っている。ばすんばすんというくぐもった爆発音が、遅れて聞こえてきた。
「迫撃砲のようだな。軽迫みたいだけど、やばいぞ」
亞唯が、身を乗り出す。
「人質救出を諦めたのでしょうかぁ~」
ベルが、言った。
フフロ村突入を意図したらしい車両隊が、村の手前で阻止されて苦戦しているのは、ここからでもよく見えた。村の周囲に分散して展開しているらしい部隊が、村内に入れぬまま射すくめられている状況も、把握している。
どう見ても、救出作戦は失敗である。
「これは、介入を検討した方がいいのでは?」
シオはそう提案した。
救出失敗だけならば、AHOの子たちの出番はない。陸軍と国家人民憲兵隊が撤収し、ミディアム・アーミィが逃げるのを指をくわえて見ていればいいだけだ。だが、この砲撃はいただけない。弾着から見る限りでは、正確な観測に基づく精密射撃ではなく、味方支援のための面的制圧射撃になっている。これでは、村内にいるであろう人質に被害が及びかねない。
「仕方ないね。介入しよう。ボクたちの最優先任務は、人質の安全確保だからね。中尉、CIAとして要請しますが、トラックを借りていいですか?」
ジョーが、フォソン中尉に訊く。
「えーと、上官からは皆さんに全面的に協力しろ、と言われていますので、それは構いませんが、お前たちは作戦には一切手出しをするな、とも命じられておりますから、お手伝いはできませんけど……」
フォソン中尉が、困り顔で答える。
「それで結構。武器もお借りできます?」
ジョーを半ば押しのけるようにして、スカディが訊く。さすがに、拳銃一丁だけであの修羅場に乗り込むのは無謀すぎる。
フォソン中尉が部下に命ずると、すぐに六丁の97式自動歩槍と二十数本の予備弾倉が提供された。AI‐10たちは各自それを取り、予備弾倉をポケットやポーチや懐の中に突っ込んだ。ベルが手榴弾を所望したが、残念なことに国家人民憲兵隊は通常任務の際は手榴弾を携行しないのが標準と聞かされて諦める。
フォソン中尉を伴って、AI‐10たちは丘を駆け下りた。中尉に命じられて、運転手がEQ2080トラックを明け渡す。すぐさま、運転台にスカディと亞唯と雛菊が乗り込んだ。亞唯がハンドルを握り、その下に雛菊が潜り込む。スカディは、助手席のサイドウィンドウを開けて、97式自動歩槍をいつでも撃てるように身構えた。残る三体は、荷台によじ登る。
「中尉、ご協力感謝します!」
ジョーが、手を振りながら言う。
スカディの指示で、EQ2080が走り出した。
『ジョーきゅん、リーダー。走り出したはいいですが、作戦は考えてあるのでありますか?』
シオは無線でそう質問した。
『まずは接近ですわね。国家人民憲兵隊のトラックなので、陸軍に撃たれたりすることはないでしょう。ミディアム・アーミィの方は砲撃で混乱しているはず。ツキに恵まれれば、その混乱に乗じて人質救出。それが無理ならば、人質の保護。つまりは、状況によってはミディアム・アーミィに手を貸してあげることになりそうですわね』
スカディが、そう返答する。
第十一話をお届けします。




