第九話
予定通りの時刻に、デューク・アモアコのデュカトが迎えに来てくれる。
エリザベス・サマリ霊媒長と、クリスティーナ・ラーヴィの二人は、わざわざ外まで見送りに出てきてくれた。その背後には、SA FN自動小銃を肩に掛けた二人の護衛の姿がある。
サマリ霊媒長は背筋を伸ばし、気品が感じられる堂々たる立ち姿だったが、クリスティーナの方は背を丸め、うつむき加減で半ばサマリの陰に隠れるように立っている。……さながら、母親の脚にしがみついている人見知りの幼児のようだ。少年だと看破されたことのショックが尾を引いているのだろう。
「この場所のことは、ご内密に願います」
別れの挨拶をしたAI‐10たちに、サマリ霊媒長が言う。
「もちろんです。誰にも伝えませんよ」
ジョーが、請け合った。まあ、どう見ても一時的に支持者の家を借りているだけなので、AHOの子たちが立ち去ればさっそく移動するのだろうが。
「それと……」
サマリが言葉を切り、目線とわずかな首の動きだけで、クリスティーナを指し示す。
「もちろん、秘密は守りますよ」
こちらも、ジョーが請け合った。
「安心しました。では、ごきげんよう」
サマリが一礼する。AI‐10たちも頭を下げ、別れの言葉を口にしながらデュカトに乗り込んだ。
例の街でアモアコに別れを告げ、待っていたトランスポーターに乗り換えたAI‐10たちが、無事にセーフハウスに戻ると、留守番電話に一件のメッセージが残っていた。発信先は在アンドン合衆国大使館で、内容は、『すぐに指定の番号に連絡すること』
ジョーがあらかじめ教えられていた番号に掛け、相手の大使館員……おそらく、CIAだろう……と短い会話を交わす。
受話器を置いたジョーの表情は、複雑だった。喜び半分、当惑半分といったところだ。
「どうしたんや?」
雛菊が、訊く。
「いい報せは、国家人民憲兵隊が日本人人質三人が捕らわれている場所を特定したらしい、ということ。ちょっと懸念があるのは、制式決定はまだらしいけど、陸軍が特殊部隊を使って救出作戦を強行する模様、ということだね」
ジョーが、考え込みながら説明する。
「人質が見つかったのは確かに朗報ですが……救出作戦はたしかに懸念がありますわね」
スカディが、言った。
「ジョー、ここの陸軍特殊部隊の技量はどうなんだい?」
亞唯が、訊いた。
「アフリカの基準からすれば、質は悪くないと思うよ。もちろん、西側先進国の特殊部隊に比べれば、ひどいものだけどね。SASを十点とすれば、せいぜい四点くらいだね」
ジョーが言った。
「国家人民憲兵隊さんが見つけたのに、なぜ陸軍さんが救出を行うのでしょうかぁ~」
ベルが、訊いた。
「国家人民憲兵隊には、特殊作戦に特化した常設の部隊が無いんだよ! 陸軍なら、陸軍司令部直轄で空挺連隊がある。まあ、そこは名前だけでろくに降下訓練もやっていない、実質エリート軽歩兵連隊なんだけど、傘下に特殊任務中隊という部隊があって、そこが人質救出訓練なんかやってる。たぶん、その部隊が起用されるんじゃないかな」
「不安しかないのであります!」
シオは言った。ジョーが、うなずく。
「発展途上国のこの手の軍事作戦は、失敗例が多いからねえ。しかも、マルタでのエジプト軍によるハイジャック機突入とか、FSBのモスクワ劇場占拠事件や北オセチアのベスラン学校占拠事件とかは、大惨事になってるからね。日本も、アルジェリアのGIS(特別介入グループ)が強行解決したイナメナス人質事件(日本ではアルジェリア人質事件と呼称されている)で、何人も人質を失っているだろ? ハイジャック事件以外の、日本がらみの大規模人質事件で、発展途上国の軍隊や警察が強行突入とかやってきれいに解決できたのは、ペルーの日本大使公邸占拠事件か、サンタ・アナの日本大使館占拠事件くらいしかないんじゃないかな?」
「そうですねぇ~。とくに後者は完璧といっていい成功だったのですぅ~」
ベルが、嬉しそうに言う。
「そうだね。人質全員無事。突入部隊の死者も無し。犯人グループは全員を射殺ないし逮捕。……あれ?」
ジョーが、あとの五体が全員にやにやしていることに気付き、首を傾げる。
「あ、まさか、サンタ・アナの件、君たちが関与していたなんてことは……」
「さあ。どうでしょうか?」
ジョーの問いに、スカディがとぼけた。
「なるほどねー。CIAの評価じゃ、サンタ・アナの陸軍も警察も、並のレベルだったのに、あそこまで完璧な作戦をやってのけたのは、そういうわけだったのか」
「CIAとSASの協力も大きかったですけどね」
スカディが、ほぼ関与を認めるかのように言う。
「詳しくは聞かないよ。どうせ教えてくれないだろうし。でも、これだけは言っておくよ。いい仕事だったね。同業者としては、敬服するよ」
「ありがとうございますなのです!」
シオはぴょこんと頭を下げた。ジョーにそこまで褒められると、やはり嬉しい。
「で、話を戻すと、セケティア側はこの作戦にボクたちを積極的に関わらせたい意向らしい。今夜、国防省で打ち合わせを行うから来てくれってさ。またボクとスカディとシオで行ってこようと思うんだけど」
ジョーが、話を再開する。
「積極的に関わらせる? あたしたちに銃を持たせて突っ込ませようっていうのか?」
亞唯が、怪訝そうな表情を浮かべる。
「そこまで詳しい話は出ていないけど、少なくとも現場に立ち会って欲しいらしい」
ジョーが、首を振りながら答える。
「CIAさんにも手柄を譲るから、もっと情報支援が欲しい、ということではないでしょうかぁ~」
ベルが、そう推測した。
「かもしれないね。とりあえず、打ち合わせに出席することに反対はないよね?」
ジョーが、全員の意向を確かめる。反対は、無かった。
「よし。じゃあ、ボクはCIAに報告を入れるよ。作戦に参加するにしろしないにしろ、情報提供はしたいしね。みんなは、待機していてくれ」
ジョーが告げる。
夕方迎えに来たCIA差し回しの車に乗り、ジョーとスカディ、それにシオはセケティア国防省に向かった。
アンドン市街は街灯が少なく薄暗かったが、官庁街は眩いばかりにライトアップされていた。これには、テロ対策という意味合いもあるのだろう。交差点に停められた92A式六輪装輪装甲車など、四方八方から強い光を浴びせられて、まるでモーターショーに出品された車状態だ。ただし、その傍らに立っているのは美しいボディラインを強調した女性コンパニオンではなく、突撃銃を肩に掛けた兵士たちだったが。
国防省は、凡庸な外観の鉄筋コンクリート造りのビルであった。だが、外周には高さは一メートルほどだが、厚みは四十センチはある鉄筋コンクリート製の塀に取り囲まれていた。自動車爆弾対策であろう。
出迎えてくれた下士官……腰には拳銃を収めたホルスターが下がっている……に連れられて、三体のAI‐10はエレベーターに乗った。二回もボディチェックを受けたうえで、97式自動歩槍を吊っている兵士二人が警護している会議室に入室を許される。
まだ指定時刻前だが、会議室にはすでに五人のセケティア人が待ち受けていた。三人は、前回の内務省での打ち合わせにも参加していたメンバーだった。内務相のスティーブン・クメルン。国防相のモーガン・ナナ中将。国家人民憲兵隊隊長のジェレマイア・カナエ大佐だ。残る二人はいずれも陸軍の軍服姿で、この三人より下座に座っている。
「よく来てくれた。部下を紹介しよう。陸軍空挺連隊長、モーリス・ファウザン中佐だ。こちらが、同連隊特殊任務中隊長、ヒューバート・アニン少佐」
ナナ中将が、勧められて会議テーブルに掛けたAI‐10たちに、新顔を紹介する。ジョーが挨拶し、スカディとシオを例によって『部下』だと簡単に紹介した。
シオは新顔のふたりをじっくりと観察した。ファウザン中佐は細身で長身。眼光鋭く、いかにも有能そうな感じだ。アニン少佐はやや小柄だが、かなりの筋肉質で、こちらも眼光が鋭い。どちらも、軍人としては有能そうに見える。
通常の軍隊では、連隊長は大佐が、中隊長は大尉が務める。連隊長が中佐なのは、おそらく空挺連隊と呼称してはいるものの、実際にはその規模は大隊に毛が生えた程度しかないのであろう。見栄を張りたがる発展途上国の軍隊には、よくある話である。一方、中隊にも関わらず少佐がトップなのは、規模が中隊より大きいのではなく、階級が高めのエリートが集まっているからではないか、とシオは推測した。小隊を大尉が率いたり、一個班を中尉が指揮したり、分隊の中に曹長や軍曹がごろごろ居るというのは、特殊部隊あるあるである。
「まず、状況を説明しよう。カナエ大佐」
ナナ中将が、国家人民憲兵隊長を指名した。カナエ大佐が、手元のファイルを参照しながら、日本人人質が捕らえられているミディアム・アーミィの基地を特定するに至った経緯を、秘匿すべき情報……特に、情報提供者に関する諸情報……を出さないように留意しながら、AI‐10たちに説明してゆく。
「……そのようなわけで、人質の奪還作戦決行を意図した次第だ」
カナエ大佐の説明が終わると、その上司であるクメルン内相が、話を引き取った。
「しかし残念なことに、警察にも国家人民憲兵隊にも、困難な人質救出を行えるだけの精鋭部隊は存在しない。そこで陸軍に作戦の遂行を依頼したわけです」
クメルンが、ナナ中将の方を見やる。
「たしかに、ファウザン中佐率いる空挺連隊は精鋭部隊であり、中でもアニン少佐の特殊任務中隊は精鋭中の精鋭で、過去に人質救出任務を成功させた実績もある。しかし……この期に及んで蒸し返すのはいささか気が引けますが、本当に今回の作戦、CIAとの共同作戦にするおつもりですかな?」
ナナ中将が、クメルン内相を見返す。
「空挺連隊や特殊任務中隊の実力を見くびるつもりはありませんよ、中将。ですが、この作戦、失敗は許されません。CIAの協力は不可欠だと思いませんか?」
クメルン内相が、諭すように言う。傍らでは、カナエ大佐がふんふんとうなずいている。
「ですが、CIAといえどもできることは情報提供くらいでしょう。まさか、彼女らに銃器を持たせて一緒に突入させるつもりではないでしょうね?」
ナナ中将が、失礼にあたらないように曖昧な手の形で、AI‐10たちを指差してみせる。
「ジョー。君たち、戦闘能力は付与されているのかね?」
クメルン内相が、訊いた。
「まず申し上げておきますが、ボクは男です」
ジョーが、きっぱりと言った。
「これは失礼」
ナナ中将が、形だけ詫びる。
「戦闘能力についてですが……これは極秘情報です。申し訳ありませんが、詳細は明かすわけにはいきません。ですが、銃器を扱うくらいなら、可能とだけは申し上げておきます」
ジョーが、慎重な物言いをした。
「内務相は、この作戦をCIAとの共同作戦として行いたい意向だ。そちらの要望があれば、CIA要員が主導するかたちでもいい、というお考えでね。わたしと……」
ナナ中将が、そう言いながら二人の部下……ファウザン中佐とアニン少佐……を見やる。
「……中佐と少佐は、中途半端な共同作戦は失敗の原因となる、と思っている。諸君もプロならば、共同作戦の困難さは承知しているだろう」
軍事に限らず、複数の組織が関わる『困難で複雑な共同作業』は、その関わる組織の数が増えるほど失敗の可能性が飛躍的に増大する。ナナ中将の懸念は、もっともな話である。
「わたしとしては、CIAの関与は成功確率を上げる効果の方が大きいと思っているんだがね」
クメルン内相が、言った。
「持っているノウハウ、偵察手段、ハイテク兵器。それらとアニン少佐の部下の力量が組み合わされれば、ミディアム・アーミィの小部隊など問題になるまい」
『ふーん。クメルン内相が、CIAを加えようとごり押ししている。ナナ中将は、それに反対している。という図式ね。陸軍としては、外国人の介入を嫌って自分たちの手だけで任務を遂行したい、と考えるのは妥当だけれども……クメルンがCIAの関与に拘るのは、ただ単に成功確率を上げたい、だけでは無さそうね』
スカディが、赤外線通信でジョーとシオにそう発信した。
『失敗した時の保険なのでは? CIAに責任を押し付けてしまえるのであります!』
シオはそう返答した。
『それだけだとまだいいんだけど……今現在、セケティアの行政府は実質的にクメルン内相が仕切ってるんだよね。これ、セケティアの国内政治に今回の作戦とCIAを利用している可能性もありそうだよ』
ジョーが、言う。
「どうでしょう。この作戦に、CIAも積極的に参加していただきたいのですが」
クメルン内相が、ジョーに迫る。ナナ中将は、苦い表情でこれを見つめていた。内閣の序列的には、国防相よりも内務相の方が上なのだろう。反対意見は述べることはできても、阻止はできないのだ。
『うわぁ。どうしようか』
困ったジョーが、赤外線通信で助けを求めてくる。
『ここは、サラリーマンの伝家の宝刀「ご提案はいったん社に戻り、上司に報告の上ご検討させていただきます」を抜く時なのです!』
シオはそうアドバイスした。
『情報提供は問題ないでしょう。でもわたくしたちが戦闘に参加するのは問題外。充分な準備とバックアップなしでの人質救出作戦など、絶対に無理ですわ。失敗したらそれこそ、全責任を押し付けられて詰め腹を切らされるのがオチ。ジョー、訊きたいのだけど、CIAは人質救出に使えるような準軍事要員を早急に当地に派遣できるような態勢にあるのかしら?』
スカディが、訊いた。
『当初から、CIAは本件に準軍事要員を投入する意図は無いし、もしその必要があったとしても西アフリカにまとまった人員はいないよ! 合衆国三軍もこのあたりには常駐していないからね! 仮にギニア湾にCSG(空母打撃グループ/航空母艦を中核とする任務部隊)がいたとしても、ボクの権限じゃ安物ドローン一機すら飛ばしてもらえないよ!』
ジョーが、喚くように伝える。
『いずれにしても、ジョーきゅんの権限では決められない話なのであります! ご意向は必ず上司に伝え、前向きに検討させていただきます、とかなんとか常套句で逃げるのが上策なのです!』
『そうね。それが良さそうだわ』
シオの提案に、スカディが同調する。
「えーと、情報提供に関しては、全面的に協力させていただきます。ボクたちの参加については、上司の許可が必要ですので、後程ご返答させていただきます。その他のCIAの要員の派遣についても、ボクの一存では何も申し上げられませんので、上司に報告して指示を仰ぎたいと思います」
散々迷ったあげく、ジョーがそんな『優等生的』な返答をしてその場をごまかそうとする。
「そうか。ではせめて作戦に立ち会っていただけないだろうか。そう、オブザーバー的、あるいはアドバイザーとして、でもいい。安全に関しては、カナエ大佐の部下を付けるから安心して欲しい。どうかね?」
ジョーの答えにいったん気落ちした表情を見せたクメルン内相だったが、気を取り直したかのようにそう提案してくる。
『参加に拘るのは、やはり政治的意図があるのかな?』
ジョーが、そう疑う。
『リーダー、内務相の発言に、嘘の気配はないのでありますか?』
シオは訊いた。
『特に嘘は言っていないようね。多少のストレスは認められるけど、意見が対立する相手がいる会議のような場で、発言にストレスが掛かるのは普通のことだし。ねえ、ジョー。クメルン内相の真意が判るような質問をしてくれないかしら。例えば……そうね、もし作戦が失敗した場合の対処、とか。それならば、わたくしたちを失敗した時のスケープゴートにしようとしている可能性を推し量れますわ』
スカディが、言う。
「オブザーバー的立場なら、お断りするわけにはいかないと思いますが……失礼ですが内相閣下、万が一作戦が失敗した場合、次はどのような対応をなさるおつもりですか?」
ジョーが、スカディの依頼通りに質問する。
「失敗した場合? それはあり得ないよ。まあ、アニン少佐の部下に死傷者が出たり、人質全員を無事救出できなかったりする可能性はあるが、失敗はない。ファウザン中佐が充分な兵力を投入してくれるし、カナエ大佐の支援もある。失敗は、ないよ」
苦笑気味に、クメルン内相が答える。
『嘘を言ってますわね。クメルン内相は、失敗があり得ないと確信してはいませんわね』
スカディが、即断した。
『ということは、やっぱりボクたちを失敗した時の言い訳に使うつもりなのかな?』
ジョーが、訊いた。
『間違いなくそうなのであります! 汚い奴なのであります! 今回の作戦、なるべく距離を置くべきなのであります!』
シオはそう主張した。
『でも、成功させないといけないのだわ。少なくとも、人質奪還の可能性はあるのだし』
スカディが、言う。
『となると、少しでも手助けになることは積極的にやらなきゃならないよね。つまりは、現場に行かなきゃならないわけだ。現場に行って、特殊任務中隊を応援するか、成功を祈るのが現実的対応、ってことだね。やれやれ』
ジョーが、諦めの感情を示す符号付きで、スカディとシオに通信を送った。
第九話をお届けします。




