第二十六話
「よーしおまいらー。長きにわたる任務ご苦労だったー」
畑中二尉が、AHOの子ロボ分隊の面々を労う。
例の岡本ビルの会議室である。今回も、相手をしてくれているのは畑中二尉だけだ。長浜一佐も石野二曹も三鬼士長も居ない。
「CIAからは、非公式に謝意が届いているー。そこそこ恩は売れたみたいだなー。ミョン・チョルスと合衆国高官との会談は、お流れになってしまったが、大統領の親書は別ルートで渡すことになったらしいー。もちろん、詳しいことは教えてもらえなかったがなー」
とりあえず一件落着したことで気を緩めているのか、のんびりとした口調で畑中二尉が言う。
「ミョン・チョルスはどうなったかご存知ですか? 今回の一件で、降格や処罰がなされたという情報はありませんの?」
スカディが、訊く。
「まさか、粛清なんてことはないだろうな」
亞唯が、言った。
「そこまではしないやろ。最悪でも収容所送りやね」
半笑いで、雛菊が言う。
「炭鉱労働者として強制労働というのはありかも知れませんですぅ~」
ベルが、言う。
「田舎の小工場の管理責任者あたりに左遷、というのはどうでしょうか」
シオはそう言った。
「みんなひどいなー。いや、今のところ、ミョンが処罰されたという情報は入ってきていないぞー。まあ、処罰があったとしても官報に記載されたり新聞に載ったりするわけじゃないから、確かなことは言えないんだがー」
畑中二尉が、笑う。
「せっかく助けたのですから、地位を追われたりしたら困りますからね。せいぜい恩義に感じて、合衆国側に少しでも譲歩する姿勢をみせてもらいたいものですわ」
スカディが、強めの口調でそう言う。
「まあそうだなー」
畑中二尉が、同意する。
「しかし、海上自衛隊まで巻き込むとは驚いたな。長浜一佐が、手を回したのかい?」
亞唯が、訊く。畑中二尉が、首を振った。
「いやー。一佐殿は今回の件一切関わっていないぞー。実はあたしもよく知らないんだが、もっと上の方から海幕の方に協力要請が降りてきたらしいー。たぶんCIAが国務省と国防総省に働きかけて、内閣官房あたりに電話させたんだろうなー。あるいは、ホワイトハウスが直々に動いたのかもしれんー。カナダ海軍の潜水艦借りるなんて、簡単にはできない芸当だからなー」
「わたくしとしましては、ソヒョンさんがどうなったかひじょーに気になるのですがぁ~」
ベルが、訊く。
「イム・ソヒョンならお咎めなしでソウルに戻ったぞー。CIAがイム・ドンヒョン会長と取り引きして、孫娘の即時解放も条件に入れたらしいー。まあ、ちょっとした譲歩だなー。ソウルに戻った後、ソヒョンがどうなったかまでは知らんー。いずれにしても、もうほっといても無害な存在だろー」
畑中二尉が、嬉しそうに言う。
「では、ハンビ・グループはそのままですの?」
スカディが、訊く。
「そのままだなー。株価も下がってないし、組織再編の動きもないー。臨時の人事異動も無さそうだー。まあ、CIAとしてはハンビ・グループはこのまま大手財閥として存在し続けてくれた方が、色々と都合がいいからなー」
「在韓米軍基地の改修工事とか、格安で請け負わされそうだな」
亞唯が、言った。
「まあそれくらいは当然やらされるだろうなー。北朝鮮内での事業展開する際に、CIA要員が紛れ込んだりすることもあるだろー。経済特区に作られた工場の中にシギント(電子情報収集)用のアンテナが密かに埋め込まれたりとかなー」
にやにやしながら、畑中二尉が言った。
「CIAとしても、旨味が多かったわけやね。手間暇かけてソヒョンの口を割らせた甲斐があったってもんや」
雛菊が、くすくすと笑う。
こってりと絞られた。
ミョン・チョルスは厳粛な面持ちで総書記の元を辞した。
だが、その顔つきとは裏腹に、心は大きく弾んでいた。金正恩は、今回の一件を受けて、合衆国に対する態度を軟化させる意向を示したからだ。あくまでも『我が国の発展のために利用する』という立場ではあるが。
立哨している護衛司令部の兵士に断ってから、ミョンは広々としたテラスに出た。先代の金正日は、合衆国の特殊部隊による暗殺や拉致を病的なまでに恐れており、常に過剰な数の護衛兵を引き連れていたが、金正恩は客観的に見て合衆国がそのような『暴挙』に出ることはない……少なくとも現状においては……と判断しているので、父親よりもはるかに少ない人数の護衛で満足している。
テラスの端まで歩き、手すりを掴む。空気は冷たいが、晴れているので日差しが心地よい。空気も澄んでおり、遠くの山々の稜線が背景の空とくっきりとしたコントラストを成している。
ここは北朝鮮国内にいくつもある最高指導者専用の『特閣』(別荘)のひとつである。場所は、熙川市の南、平安北道と平安南道と慈江道の三道が交わる地点にある妙香山だ。『山』と言い慣わされているが、実際には『山系』であり、豊かな自然と美しい景色に恵まれた、北朝鮮でも有数の観光地である。
ミョンはポケットに手を突っ込んで煙草を取り出し、一本点けた。銘柄は、『コンソル』(建設の意味)で、金正恩総書記も愛用している煙草だ。金正恩もヘビースモーカーなので、下っ端の使用人や兵士はともかく、ミョンくらいの『ゲスト』ならば特閣内のどこで一服しても咎められることはない。
拉致されたことに関しては、安全確保を怠ったとしてかなり怒られたが、金正恩はかなり上機嫌であり、きつい言葉の割には怒気はあまり感じられなかった。それどころか、会見の終盤には監禁されていたことに対し労いの言葉を掛けられたし、今回の一件を糧としてさらに有益な助言を期待している、とまで言われた。そこで好機を見出したミョンは、調子に乗るなと自分を戒めつつ、合衆国は我が国との関係改善を切望するゆえに救出に動いてくれたのだと説き、その意向に沿って融和策を取ることは我が国の利益となる、と金正恩に説いて、曖昧ながら同意を取り付けることに成功したのである。
合衆国と我が国の差異は、驚くほど大きい。朝鮮民主主義人民共和国の国内総生産は、合衆国でもっとも経済規模の小さい州であるヴァーモント州……北東部にあるが州内は山地と森林が大部分を占めており、州都モントピリア市は人口わずか八千人程度という全米最小の州都として知られている、『田舎州』である……にすら負けているのだ。軍隊も、現役の総兵力では拮抗しているが、その予算規模には天と地ほどの開きがある。なにしろ、合衆国の国防予算は朝鮮民主主義人民共和国の国家予算どころか、国内総生産よりも多額であり、なんとGDPの四十倍以上もあるのだ。……まともにやり合って勝てる相手ではない。
こちらの切り札は少ない。核兵器。いまひとつ信用できない中華人民共和国という同盟国。そして、いざという時は人質にも味方にも使える『便利国家』である大韓民国。
朝鮮民主主義人民共和国は、過酷な生き残りゲームを戦っていると言える。失敗すれば、死は免れない。成功しても、延命に繋がるだけで、ゴールは見えない。
コンピューターゲームのように、いったんリセットできれば楽なのだが、そうはいかない。三代の金総書記によって、このゲームは複雑怪奇なルールを定められてしまっているのだ。しかもそのルールは、次第に迷走の度を深めつつある。
それでも、戦い続けなければならない。それが、この国で政治に参画できるだけの『成分』に生まれ付いた者の宿命なのだ。
「ただいまー。ん?」
仕事から帰宅した磯村聡史は、シオとミリンにいきなり拳銃を突き付けられて戸惑った。
「抵抗は無駄なのであります! 大人しくするのであります!」
おそらく百円ショップで買ったのだろう。黒プラスチック製のおもちゃ然とした拳銃を振り回しながら、シオが告げる。一応、顔の下半分にタオルを巻き付けて覆面代わりにしているが、シオであることは丸わかりである。ミリンも同様の格好で、こちらは真剣な表情を取り繕って拳銃の銃口をしっかりと聡史に向けている。
……また妙な遊びを始めたな。
聡史は大人しく手にしていたカバンを置くと、そろそろと両手を上げた。
「こっちへ来るのであります!」
シオが、拳銃を振り回しながら聡史を奥へといざなう。聡史は諦めてあとに続いた。ミリンが、聡史のカバンを拾い上げてその後に続く。
聡史が仕事で疲れていなければ、シオが玩具の拳銃の引き金から人差し指を離し、トリガーガードに沿えていることに気付いたであろう。……こんな時にも、『習慣』は出てしまうものである。
「そこに座るのです!」
シオが、拳銃の銃口で卓袱台の前に置かれた座布団を指した。聡史は素直にそこに腰を下ろした。正面の壁に掛かっているカレンダーの上に、『取調室』と黒マジックで書いた紙が張り付けてある。
「では、取り調べを始めるのです! ミリン軍曹、準備はいいでありますか?」
覆面と拳銃を片づけたシオが、聡史の向かい側に座りながら訊く。
「はい、センパイ……じゃなかった、中尉殿」
ノートを広げ、鉛筆を手にしたミリン……調書係なのだろうか……が、うなずく。
「えー、その前にひとつ訊いていいか?」
聡史は小さく挙手して質問した。
「容疑者は聞かれたことだけ答えればいいのであります!」
「いや、それだとロールプレイできないじゃないか。どういうシチュエーションなんだ?」
「はっと! マスターの役割でありますね! マスターは、某国のスパイの疑いで、わがイソムラー民主主義人民共和国の内務省人民武装警察第一局第二部第三課によって逮捕されたのであります! これは拉致ごっこなのであります!」
素に戻ったシオが、説明してくれる。
「だいたい分かった。……けど、えらく不謹慎な遊びだな。ま、いいけど」
「では始めるのであります。まずは、パスポートの没収なのであります!」
シオが手を出す。聡史は少し考えてから、定期入れを差し出した。
「ふむふむ。日本人でありますね。はっと! 合衆国とロシアへの渡航歴がある! これは、怪しいのであります!」
定期入れを開き、ありもしないページをめくるふりをしながら、シオが言う。
「ハワイなら行ったことあるけど、ロシアは無いんだが」
聡史はそう応じた。
「とにかく怪しいのであります。とりあえず、収監するのであります!」
シオが立ち上がって、壁際に行った。カレンダーに貼ってある『取調室』の紙をぺりぺりと剥がし、『監禁室』と書かれた紙に貼り替える。
「喋る気になるまで、そこで反省しているのであります!」
そう言い置いて、シオがキッチンの方へと消えた。ミリンが、続く。
「あー、風呂入っていいか?」
取り残された聡史は、そう声を掛けた。
「駄目であります! 先に飯なのであります!」
戻ってきたシオが手にしていた盆には、どんぶりが乗っていた。盆を卓袱台に置いたシオが、どんぶりを聡史の前に置く。かつ丼だ。おそらく、近所のスーパーの『かつ丼弁当』の中身を入れ替えただけだろうが、器を替えただけで結構旨そうに見えるから不思議である。添えられた小鉢には、ぬか漬けの胡瓜と沢庵も添えられている。
ミリンも戻って来て、グラスと冷えている缶ビールを置いた。
「かつ丼を喰わせれば、大抵の犯罪者は自供するのであります! 田舎のお母さんは泣いているぞ!」
シオが、聡史の肩をぽんぽんと叩きながら言う。
「いや。うちのおかんなら、たぶんこの茶番を見たら大笑いすると思うぞ」
ビールをグラスに注ぎながら、聡史は言った。
「今日のおすすめ品がかつ丼弁当だったから、買って来たんです。そしたら、センパイがいきなり『取調室ごっこ』をやりたいと言い出して……」
ミリンが、そう説明する。
「昭和の刑事ドラマか」
聡史は一応突っ込んだ。
「しかし、それなら普通の逮捕でいいじゃないか。なんで拉致にしたんだ?」
かつ丼に箸を付けながら、聡史は尋ねた。
「なんとなく拉致ごっこもやりたかったのであります!」
シオが言う。
「ふーん」
長年の付き合いである。聡史はシオの言葉になんとなく『嘘っぽい』のを感じ取ったが、追及はしなかった。AI‐10の売りのひとつが、『娯楽』目的の相手としての使用である。『笑い』や『楽しさ』の中には、少なからず『虚偽』や『騙し』の要素が含まれているものだ。ジョークのオチは最後まで隠すからこそ面白いのだし、物まねやちょっとした『どっきり』なども同様であろう。先ほどの……いや、まだ継続中なのか?……ごっこ遊びも、虚偽によって成り立っている。聡史はすでに、シオの軽い『嘘』を受け流す癖がついていた。
「マスター! 本日のデザートはプリンなのであります! それも三つも!」
シオが、指を三本立てて数を強調しながら言う。
「おいおい。ひとつでいいよ」
「今日中に三つ食べてもらわないと困るのであります! ミリンちゃんが半額シールが付いていた三連プリンを買って来たのであります! 賞味期限が明日で切れてしまうのであります!」
「明日二つ食べればいいだろ」
「マスター! 明日は職場の飲み会の予定では?」
ミリンが、言う。
「忘れてた。そうだった。じゃ、風呂上りに食べるよ。……しかし、ビールも飲めるしプリンも食べられるとは、イソムラー民主主義人民共和国というのは、気前がいいな。どこぞの民主主義人民共和国とはえらい違いだ」
聡史はそう言って笑った。
第二十六話をお届けします。これでMission17完結です。Mission18は例によって一回お休みをいただき、10月22日より開始させていただきます。舞台はアフリカ、宗教絡みの話になる予定です。




