第二十四話
合衆国海軍のヘリコプターの機内には、ジョーと同じ型式と思われる小型のロボットが三体座っていた。いずれも女性型で、目につくような武器は持っていない。
「じゃあ、みんな。あとは頼んだよ」
ジョーが言って、スライドドアを閉めようとする。ついてきた四人のCIA局員も、誰もヘリコプターに乗り込もうとしない。
「ちょっと、待って」
思わず、ソヒョンは声を上げた。
「これから、北朝鮮艦艇と接触するからね。CIAの関与は、ここまでだよ。彼女たちは、CIAが今回の任務のために特別に契約したとある中立的立場の機関のロボットだよ。収監場所までは、一応君の保護のために同行することになっている。では、幸運を祈るよ」
ジョーが、スライドドアを閉める。ソヒョンは、五体の小型ロボットと共に、機内に残された。
離陸したヘリコプターは、海岸に背を向けると内陸部へと飛行を開始した。田園地帯を後にして、山岳上空へと分け入ってゆく。
二十数分の飛行で、ヘリコプターは洋上に出た。東海(日本海)に入ったのだ。
沿岸部は晴れていたが、飛行するにつれて天候は徐々に悪化していった。太陽が雲に隠れてあたりが薄暗くなり、いつの間にか上空は厚い灰色の雲に覆われてしまう。
海岸からさらに三十分ほど飛行したところで……ソヒョンはハンビ・グループの社有機であるベル429には何度も搭乗しているので、だいたい海岸から百五十キロメートルほど離れた場所だと推測した……ヘリコプターは直進をやめ、大きな円を描いて特定の地点に留まり始めた。どうやら目的の場所に着いたらしい。
ソヒョンは海上に目を凝らしたが、船舶も陸地もまったく視認できなかった。
と、眼下に白波が立ったのが見えた。それが急に大きくなり、海面を割るようにして黒い物体がぬっと現れる。その前方にも、鯨を思わせる黒い滑らかな何かが、白波をまとわりつかせながら出現した。
潜水艦だ。
水平に戻した潜水艦が、その全貌を……正確に言えば、船体の大部分はいまだ水中にあるのだが……露わにする。
ソヒョンはロボットたちに視線を走らせた。五体とも、平然としている。
潜水艦の上部構造物……『セイル』という用語をソヒョンは知らなかった……のやや後方にあるハッチが開き、黒いズボンに白い上着を着た男たちがぞろぞろと出てきた。何人かは、ソヒョンもテレビドラマなどで見たことのある北韓人民軍の制式銃である特徴的な『ライフル』を携えている。
……本当に北韓の潜水艦なのか?
ソヒョンは疑問に思った。国籍マークなどどこにも付いていないし、国旗も掲揚していない。軍艦なら付いていてもおかしくない艦ナンバーも見当たらない。北韓の潜水艦であることを証明するものはひとつもない。実は合衆国海軍の潜水艦で、こちらを騙そうとしているのではないだろうか。
男たちの一人が、赤い手旗を取り出して振り始めた。それに答えるようにヘリコプターが周回を止め、ホバリング状態になる。
「では、そろそろ降りる準備をしましょうか」
三体のうちの一体……金髪のロボットが言う。
「はいぃ~」
黒髪で眼鏡を掛けているロボットが、スライドドアを開け放った。塩気さえ感じられるほど重く湿気を含んだ空気が、一気にキャビンに流れ込んでくる。
「まさか、飛び降りろと言うつもり?」
ソヒョンは焦って訊いた。一応泳げるが、得意ではないのだ。
「大丈夫であります! 腕のいい操縦士なので!」
もう一体の黒髪のロボットが、安心させるように言う。
ゆっくりと低空に降りたヘリコプターが、潜水艦の左側斜め後方からゆっくりと接近する。潜水艦の『背中』の上一メートル半ほど位置でホバリング状態になったヘリコプターから、黒髪の二体のロボットが飛び降りた。
「さあ、あなたの番ですわ」
残った金髪のロボットが、ソヒョンの背中を押す。ソヒョンはためらった。
「大丈夫。落ちないように、先行した二体が支えてくれますわ」
金髪のロボットが言う。
ソヒョンは待ち受けている男たちを見た。全員が、東洋人だ。小柄な者が多く、顔立ちも北韓の人間に見える。いまひとつ生気に掛ける雰囲気も、いかにも北韓の住人らしい。
ソヒョンは決断した。これも、CIAのはったりに違いない。わざわざ東洋人を集めて、芝居をしているに違いない。
思い切って飛び降りる。まだ若いし、運動神経は悪くないので、足を傷めずに無事に着地できた。ダウンウォッシュを浴びて少しよろけたが、ロボットに腕をつかまれて事なきを得る。
すぐに、金髪のロボットも飛び降りた。着地と同時に、ヘリコプターが身を翻るようにして潜水艦から離れる。
「チャン上尉である。任務ご苦労」
ソヒョンを殊更に無視するようにして、男たちの一人がロボットに朝鮮語で声を掛けた。
「イム・ソヒョンの身柄をお引渡しいたします」
金髪のロボットが同じく朝鮮語で応える。
「ハン上士。連れていけ」
チャン上尉が、控えていた部下に命ずる。『ライフル』を肩に掛けた二人が、進み出てソヒョンの腕をつかんだ。
ハッチを潜り抜け、ラッタルを下り、機械室らしい狭苦しい部屋を通り抜けて進む。
半ば引っ張られるようにして歩んでいたソヒョンは、必死に首を回して情報を集めようとした。だが、あちこちに表示されている注意書きのような文字は、すべてハングルであった。ひとつだけ、ハングル以外の表示を見かけたが、これはキリル文字で、ソヒョンには読むことも発音することも無理であった。
そうこうするうちに、ソヒョンは食堂らしい狭い部屋に連れ込まれた。なかなかにモダンな造りで、北韓らしからぬ雰囲気の部屋だったが、漂っている臭いは明らかにキムチの臭いであった。
造り付けのシートのひとつに押し付けられるように座らされたソヒョンの前に、先ほどのチャン上尉が現れる。『ライフル』を肩に掛けた男の一人がソヒョンの脇に立ち、もう一人が出口を固めた。
チャン上尉が、軍帽を取ってからソヒョンの向かい側に掛けた。調理の係らしい中年の男が現れ、テーブルの上に緑色のペットボトルを二本置いて、そそくさと戻っていく。
「まあ、楽にしたまえ。艦内で尋問等は行わないように、との指示だからな」
チャン上尉が、ペットボトルの黄色いスクリューキャップを開けた。ごくりと一口飲んでから、ソヒョンにも飲むように手振りで勧める。
ソヒョンはペットボトルを手に取った。ラベルには『レモン糖水』とハングルで記されており、レモンの絵が添えられている。ソヒョンはキャップを取るとひと口飲んでみた。……冷えていないが、味は悪くない。ちゃんとレモンの味がする。
「どこに向かうのですか?」
CIAがどこからか探してきた俳優ではないのか、と疑いながら、ソヒョンは訊いてみた。
「新浦だ。そこに基地があるんでね。そこで国家保衛省に引き渡す」
ペットボトルを傾けながら、チャン上尉が答えた。
新浦は東海岸にある港町のひとつだ。
「悪いが、新浦に着くまでこの部屋にいてもらうことになる。トイレは別だがね。暇だろうが、我慢してくれ。腹が減ったら、食事は出す。後で毛布を運ばせるから、ここで寝てくれ。何か質問は?」
飲み残しのペットボトルにしっかりとキャップをしてから、チャン上尉が訊いた。
聞きたいことはたくさんあったが、ソヒョンは首を振った。これがCIAがお膳立てした芝居ならば、何を質問しても無駄だろう。弱気なところを見せれば、そこに付け込まれるだけだ。
チャン上尉が去ると、ソヒョンは見張りをしている武装した二人に色々話し掛けてみた。どちらも不愛想でろくな会話はできなかったが、二人とも朝鮮語は完全に使いこなせるし、訛りも以前にソヒョンが聞いたことのある北韓の訛りに近いように思われた。
出された食事はひどいものであった。
主食は砕いたトウモロコシを混ぜた白米で、米自体が不味く、とてもではないが喉を通らなかった。おかずは大根の白キムチ(唐辛子を使わないキムチ)と、ポテトチップに使えるほど薄切りにされたジャガイモが少しだけ入っている塩スープ。食が進まないのを見かねたチャン上尉がビスケットを差し入れてくれたが、こちらは何とか食べられたが、薄甘いだけで不味い代物であった。
……ひょっとすると、本当に北韓の潜水艦なのかもしれない。
ソヒョンは思案した。しかし、いくらCIAといえども、北朝鮮の都市に本当に連れてゆくことはできないはずだ。合衆国海軍の潜水艦……ひょっとすると、日本の海軍の潜水艦かもしれない……を用意し、北韓軍人に見える男たちを用意して芝居をさせることはできても、それ以上のことは無理であろう。ここで白旗を上げるわけにはいかない。
「着いたぞ。降りてもらう」
チャン上尉が呼びに来たのは、この潜水艦に乗せられてからほぼ一日半が過ぎた頃だった。
例の武装した二人に引き連れられて、ソヒョンはハッチから外に出た。真夜中らしく、辺りは闇に包まれている。月明かりで見る限りでは、どうやら軍港のようだ。潜水艦は桟橋の脇に浮かんでおり、少し離れた桟橋には軍艦らしい無骨なシルエットが見える。
「これでお別れですね。では、お元気で」
潜水艦の甲板の上には、三体の小型ロボットが待ち受けていた。金髪の一体……どうも、彼女がリーダーらしい……がそう言って、ぺこりと頭を下げる。
桟橋の上には、型式が古そうなメルセデス・ベンツの大形セダンが止まっていた。黒いスーツ姿の男二人が、チャン上尉に書類のようなものを差し出す。チャン上尉が、黄色い弱々しい光を放つ小さなハンドライトでその内容を確認した。
「では、イム・ソヒョンをお渡しいたします」
チャン上尉が、へりくだった様子で言って、ソヒョンを前へと押し出した。黒スーツの一人が、ソヒョンの左手首をしっかりとつかむ。
「国家保衛省のパク大尉だ。これからお前を尋問施設に連行する」
もう一人の黒スーツが言って、身振りで部下に指示を出す。うなずいた部下が、ソヒョンをメルセデスまで引っ張っていき、後部座席に押し込むと、自分も乗り込んでドアを閉めた。反対側からパク大尉も乗り込んで、ソヒョンを挟むようにして座る。
メルセデスが走り出した。パク大尉が、運転席との仕切りガラスを閉める。両サイドのウィンドウも、リアウィンドウも、仕切りガラスもいずれも濃くスモークが入っているので、外の様子は暗いこともあってほとんど判らない。
……これも、偽装だ。
ソヒョンは確信した。真夜中なのは、ここが北韓でないことをごまかすためだ。ガラスの濃いスモークも、外が見えると北韓でないことが判るから。本当は、韓国か日本のどこかなのだろう。北韓に連れて来られたと思わせ、どこかの部屋に閉じ込める。そうしてプレッシャーを掛け、口を割らせようという魂胆だろう。その手に乗るわけにはいかない。
メルセデスのサスペンションは優秀だが、それでも乗り心地が良くないほどの悪路を四十分ほど走ったところで、車が止まる。メルセデスから降ろされたソヒョンは、すぐさまコンクリート製の建物の中に連れ込まれた。コンクリート製の階段を降り、鉄製の扉を通って独房じみた狭い部屋に押し込められる。
なんとも殺風景な部屋であった。床も壁も天井も滑らかに仕上げられたコンクリート製。窓は無く、照明は天井に取り付けられた蛍光管一本だけ。ベッドも椅子もテーブルも無い。隅の方に、プラスチックのバケツが置いてある。……あれが、トイレなのだろうか。
灰色の作業着を着た初老の男性がやって来て、床に薄いマットレスと厚手の毛布を置いて行った。次いで、食事が乗っているトレイを持ってくる。
床に置かれたトレイを見て、ソヒョンは空腹であることを思い出した。今度の食事は、潜水艦内で出されたものに比べればはるかにましに見えた。ご飯は混ぜ物のない白米だったし、魚のぶつ切りを煮付けた物が一皿付いている。スープはワカメと溶き卵入りで、キムチもちゃんとした『赤い』キムチだ。
初老の男が出て行くと、ソヒョンはマットレスに腰を下ろし、食事を始めた。期待した通り、食事は旨かった。米はちゃんと喉を通ったし、魚の煮付けも悪くない。もちろん、いつも韓国で食べていた物に比べればはるかに粗末な食事であったが、あの潜水艦での不味い食事よりもずっとまともである。ペットボトルの水を飲みながら、ソヒョンは魚の骨以外すべて平らげた。
食事を終えた途端に、眠気が襲ってきた。やはり、疲れているのだろう。ソヒョンはトレイを部屋の隅に置くと、マットレスの上に横になって、毛布を引っ被った。
「しぶとい女だな。まだ落ちないとは」
亞唯が、感心したように言う。
「同感ですわね。敵ながらあっぱれ、というところですわ」
スカディが、言った。
AHOの子たちが話し合っているのは、海上自衛隊大湊航空基地にある倉庫の外であった。この中の一室に、イム・ソヒョンが放り込まれているのだ。
ジョーが立てた作戦は大掛かりなものであった。朝鮮人民海軍潜水艦役に、なんとカナダ海軍からヴィクトリア級潜水艦……元英国海軍アップホルダー級……の一隻を乗員ごと借りてきたのである。CIAのみならず、合衆国陸軍からも朝鮮語に堪能な東洋人をかき集め、朝鮮人民海軍のコスプレをさせて、一芝居打つ。もちろん、潜水艦内の一部……ソヒョンの眼に触れるところだけ……の文字等をハングルに書き換えるなどの偽装も行ったし、実際に北朝鮮で売られている飲料や菓子類なども購入された。いくら軍事に疎いソヒョンでも、馬鹿でかい合衆国海軍の原子力潜水艦を見たら北朝鮮の物ではないと気付くだろう。というわけで、わざわざ手ごろな大きさ……水中排水量二千四百トンのディーゼル潜水艦を手配したのである。ちなみに、合衆国海軍ロサンゼルス級原子力潜水艦の水中排水量は七千トン前後(型式により差異あり)、ヴァージニア級は七千八百トンもある。……本当はカナダ海軍ではなく、海上自衛隊の潜水艦を借りたかったらしい……こちらの方が、乗員が皆東洋人なので、偽装が楽である……が、これは打診段階で拒絶されたらしい。
ということで、カナダ海軍潜水艦『シクティミ』は日本海でソヒョンとスカディ、シオ、それにベルを乗せて、一日半ほど適当に巡航してから、暗くなってから陸奥湾に入り、真夜中に下北半島にある海上自衛隊大湊基地に浮上したまま入港したのである。
出迎えた『国家保衛省』の連中もむろんCIAで、メルセデス・ベンツも仙台の中古車屋でCIA局員が見つけて急遽購入したものである。メルセデスは恐山の周りの悪路ばかりを選んでしばらくドライブし、こっそりと大湊に戻って来て、『シクティミ』が着けた桟橋から一キロ半ほどしか離れていない大湊航空基地に乗り付けて、倉庫の中にソヒョンを放り込んだ、というわけである。
「どうやら、ソヒョンさんはこちらの手の内を見抜いているようですねぇ~」
ベルが、言った。
「せやなぁ。もっと確実に『北朝鮮にいる』と思わせないとあかんで」
雛菊が、うなずいた。
「ジョーきゅんはまだ奥の手があると言っていましたが……任せて大丈夫でしょうか?」
シオは首を傾げつつ言った。
「いずれにしても、もう完全にCIAの作戦ですわ。わたくしたちはお手伝いをしているだけ。気楽に行きましょう」
スカディが、明るい調子で言う。
「せっかく日本に戻れたのに、また太平洋を横断しなきゃならないのかい?」
亞唯が、呆れ口調で言った。
「ジョーきゅんとCIAに恩を売っておくのも仕事のうちやで。宮仕えもつらいで、ほんま」
雛菊が言って、大げさに肩をすくめて見せた。
第二十四話をお届けします。




